1917年に「播州鉄道」によって厄神から三木まで開通。1943年に国有化され、加古川線の支線として機能してきました。美嚢川の水運に代わる手段として、三木の特産品である金物などの輸送に貢献したといいます。しかし鉄道貨物輸送の衰退はここも例外ではなく、国鉄末期の廃止対象路線に指定され、1985年4月に第三セクター路線として再出発しました。翌年には4つの新駅(宗佐、下石野、西這田、高木)を設け、利用の促進を図りました。
しかし、少子高齢化やモータリゼーションの進行という鉄道業界共通の悩みに加え、三木駅が市中心部や神戸電鉄三木駅から離れていること、加古川市と三木市で公立学校の学区が異なることなど、流動の実態から離れていた点、さらには、移管に伴って加古川への直通ができなくなったことなどが響いて利用の低迷が続き、年6,000万円程の赤字を出す状態になりました。
運営の中心を担う三木市の公共交通機関への支援見直しに伴い、三木鉄道廃止の機運が高まり、2008年3月末をもって廃止・バス転換されることになりました(後述)。
厄神から三木まで6.6kmのミニ路線ですが、駅が9つ。全線単線、非電化で、所要時間は12〜13分。厄神で加古川線と接続し、平野部を東へほぼ一直線に進んで、三木に至ります。ただ、終点の三木駅は三木市街の中心からやや離れており、神戸電鉄の三木駅とも距離があることから、利便性の悪さがハンデとなってきました。
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車両は、当初はミキ180型レールバスが2両在籍していました。小ぶりな車体で、車内はオールロングシートでした。98年以降、車体のひとまわり大きいセミクロスシートのミキ300型が導入され、ミキ180は2002年に全廃。ミキ300型3両態勢となりました。本数は比較的確保されたものの、06年3月改正で、平日23→19往復、土休日21→17往復に減便されてしまいました。
同じく本来加古川線の枝線であり、三木鉄道と同時に第三セクター化された北条鉄道とは、導入車両や運行形態など多くの点で共通していました。このため廃止後にミキ300-104が北条鉄道に売却され、フラワ2000-3として編入されました。
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前述の理由で、三木鉄道の経営は厳しく、今後好転する材料もきわめて乏しい状況でした。JR北海道が実用化を目指しているDMV(線路と道路の両方を走れる車両)の導入が検討されたこともありましたが、2006年1月の三木市長選において、三木鉄道の廃止を含む市財政の見直しを公約に掲げた新人の藪本氏が、現職を大差で破って当選したことで、存廃議論は一気に進行することになりました。
三木鉄道の最大の出資者であり、市長が社長を兼ねる三木市の判断は、存廃の鍵を握るものでした。市は住民アンケートや外部監査などの手順を経て、1年ほどのうちに「廃止やむなし」の結論に至りました。同時期、三木市はコミュニティバス「みっきぃバス」の拡充に乗り出しており、公共交通網見直しの流れの中で、三木鉄道は行き場をなくした格好となりました。出資者の兵庫県や加古川市もこの決定を容認するかたちで、2007年5月、三木鉄道の廃止が正式決定しました。
最終運行日は08年3月31日。廃止前には多くのグッズが販売され、かつてない規模の来訪者で賑わいました。4月から営業開始した代替バス(神姫バスによって運行)は三木鉄道の本数を踏襲し、神戸電鉄恵比須駅〜三木鉄道三木駅〜厄神駅のルートとなりました。駅や線路跡地の活用についても検討が進められています。
3両の車両は売却され、岐阜の樽見鉄道と、兄弟分の北条鉄道、茨城のひたちなか海浜鉄道へ移籍しました。
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