掲示板で辿る廃止への軌跡1

 

  2008年3月31日をもって廃止された三木鉄道。開通から九十余年、転換から23年。三木の物流の要と嘱望され、実際多くの人と物を運んだ三木線でしたが、その繁栄は今や遠く、廃止決定は実にあっけないものでした。

  とはいえ、消えゆく6.6kmのミニ路線は、多くの人々に何かしらの反響をもたらしました。ある人は時代の記憶をよみがえらせ、ある人は子供の頃のあこがれを想起し、またある人は、最後まで忠実に責務を全うする鉄道の姿に心打たれました。「トラベラーズ ノート 掲示板」には、そのような書き込みが数多く寄せられ、それぞれの思いを語る場として活用していただきました。管理人として、そのようなかたちで皆様に貢献できたことを光栄に感じています。しかし、掲示板というものの性質上、これらの書き込みはやがて流され、消えてゆく定めにあります。

  皆様の思いを、スレッドと共に忘却の彼方へと葬ってしまうのはあまりにも惜しく、ここに可能な限りログを保存してゆこうと思い立ちました。三木鉄道の車両はやがて別の地に移り、駅や線路などの施設も次第に姿を消してゆくことでしょう。播磨の田園をつつましく走り続けた鉄道の存在した証として、せめてその消滅に涙した人々の思いを、ここに残せれば幸いです。

  ※ この記録に関しては、書き込みをされた皆様のご理解に深く感謝します。編集にあたって、文章の選定・一部削除・誤字の修正・改行や句読点の編集など、僭越ながら当方で手を加えた部分があります。もし不適切な部分があれば、どうぞご連絡ください。

 廃止決定まで

2006.1.16 Yaka (「神戸東播鉄道掲示板」に残っていたログです。)

  昨日三木市長選挙が行われ、新人の薮本氏が現職を大差で破って当選しました。ここで新市長について云々するつもりはありませんが、とりあえずこの掲示板の趣旨に関連する事柄を・・・

  新市長の公約の中に、「三木鉄道廃止」が盛り込まれているようです。
  新市長が「財政の立て直し」を前面に押し出して当選しただけに、三木鉄道は「負の遺産」として真っ先にリストラの対象とされる公算大です。
  もちろん、市長の一存で決められる問題ではないかもしれませんが、近年中の廃止の可能性はかなり高まったと言えそうです。これも時代の趨勢かなと思えます。


  2006年1月に行われた三木市長選挙で、財政改革を訴えた新人の藪本氏が、現職に2倍近くの大差をつけて当選。その公約の1つに「三木鉄道の廃止」がありました。この公約実現に向けた動きは、ほどなく表れました。

  → 三木市サイト「三木鉄道の存廃について」〜存廃議論についてまとめられています。


2006.11.8 みやほん さん

  神戸新聞に載っていたんですが、市民アンケートの結果7割が「廃止」を訴えていたそうです。今年度中に結論が出そうですが、あまり期待しないほうがいいですね。

2006.11.8 Yaka

  …「市民」の利用者の絶対数が少ない以上、この数字は致し方のないところでしょう。…市民の「総意」でないことに予算を取るのはいよいよ難しく、三木鉄道の先行きは、きわめて厳しいものになったと言わざるを得ません。

2006.11.15 市場の鉄 さん

  三木鉄道に関するアンケート結果速報が三木市のホームページに載っていました。これを見ると、やはり存続は難しい・・・ですかね。2007年1月に開業90年となりますが、何かイベントがあれば、面白いのですが。

2006.11.15 Yaka

  市民の過半数が「バス転換を」と答えているのは、やはりみっきぃバスの例をふまえてのことでしょうか。
  興味深いことに、このアンケートの回収率が50%を超えたことを、広報は「市民の意識の高まり」と評しています。(この種のアンケートだと、半分返れば上々ということなのかもしれません) 市長の代わった三木市が、行政に対する市民の意識を高める機会として、三木鉄道問題をひとつの試金石としている感があります。

2006.11.20 青い電車 さん

  三木鉄道ってそんな事になってるんですね。最近になってどんどん、国鉄の特定地方交通線を引き継いだ三セクが倒れていってますね。僕の近所では起点の猪谷は富山市になるのですが、神岡鉄道は今月末で廃止です。なんか、観光鉄道としての再生策を考えているらしいですが、どうなるのか・・・。
  一方、JR富山港線を引き継いだ富山ライトレールは上半期は黒字を出したようです。沿線住民からの支持も高いようで、いつでもそれなりに乗っている印象を受けます。地方の鉄道は衰退しかないと思っていましたが、こういうこともあるのだなあと感心しています。

2006.11.21 Yaka

  結局のところ、公共交通機関は利用者(ローカル線の場合は特に地元利用者)にとって利用価値の高いものでなければならず、それが鉄道というスタイルならば鉄道として残すべきですし、別のかたちが望ましいのならば、そのかたちに転換すべきでしょう。
  いち鉄道ファンとしては、鉄路にさびが浮き、やがてむしり取られるのを見るのはもちろん寂しいのですが、自治体も今やあれこれ手をかけるほどの余裕はないわけで、努力したにもかかわらず利用が伸びずに淘汰されるのだとすれば、それはそれで自然な成り行きだと思います。

2006.11.21 青い電車 さん

  最近、廃止に追い込まれる路線が多いですね。費用のかかる鉄道を、需要のないところにわざわざ残すことは確かに不適切ですが、やはり、寂しいです。…残せるところは、残し、廃止にせざるを得ないところは廃止にするということになっていくでしょう。

2006.11.23 Yaka

  第三セクター路線は、スタートからして国鉄(JR)に見放された路線を引き取っているわけですから、赤字が増えなければ御の字、というところでしょう。
  路線が人的流動に沿っていること、かつ沿線住民の理解と関心が高いこと、これが成功のための最低条件であり、それがなければどんな施策も無駄だと思います。

2006.11.23 青い電車 さん

  住民の理解があれば、少々の赤字なら存続可能ということでしょうか。採算性以上に必要性が重視されるべきですね。

2006.11.24 Yaka

  加古川線とその支線は概して、もともとあまり便利なところを走っておらず(位置的に、加古川の水運に代わるものとして引かれた感があるので、おのずと人的流動からは外れた位置を通っている)、その「必要性」が見いだしにくいところです。

2006.11.30 Yaka

  三木鉄道について、外部監査の結果もやはり「破綻状態」。来春には市としての結論が出るようですが、明らかになるのは「廃止」の流れを加速させる話ばかりです。
  なお今朝の朝日新聞(神戸版)には、「藪本市長の公約通り08年3月末廃止の公算が大きくなった」と挙げられていました。写真は、三木鉄道三木駅前の桜ですが、「駅」としてのこの風景は、来年で見納めとなるかもしれません。

05.4.14 

その「来年」(07.4.12) 「駅」前の満開の桜は、本当に見納めになってしまった 

2006.12.1 市場の鉄 さん

  本日7時30分から行われた「みんなで考えよう三木鉄道」に参加してきました。100名くらいの参加者が来られ、関心の深さが伝わってきました。
  市長さんとのタウンミーティングの中で、私が印象的だったことを挙げると、平成10年のミキ300形3両の増車が赤字の原因、乗客アンケートで存続すべきと答えた人が7割だったのに対して市長さんは9割くらいの人が存続と答えると思っていたらしく予想外だったこと、乗客の7割が転換後のバスに乗車すれば赤字がなくなること、19年3月には存廃問題に終止符を打つということです。
  全体的な話は廃止の方向に向かっており、しかたがないかなあと思いました。

2006.12.2 みやほん さん

  別所公民館で行われた会に参加されたんですね。
  増車と三木駅のホームを改造したことも、赤字になった原因かもしれないですね。

2006.12.3 Yaka

  市長さんも交えての会合だったのですね。
  12月の三木の広報にも、市の財政逼迫についてかなり詳しく説明されており、こうしたミーティングも、市民側の意見を聞くと共に、市民に理解と協力を求める場といえるかもしれません。
  増車・増便については、通常は積極施策として評価されるのでしょうけれど、もともと需要そのものがないところでは、かえって足を引っ張ったということでしょうか。実際、ミキ180と同期の北条鉄道フラワ1985は、1両は残留、1両は紀州鉄道で活躍中ということを考えると、経営状態からして、あえて全車置き換え(しかも1両増車)すべきであったのかどうか。
  いずれにしても、存廃問題には遅かれ早かれ直面していたのでしょうけれど・・


  三木市はアンケート、外部監査、タウンミーティングといった手順を経て、廃止に向け「外堀」を埋めていった感があります。出てくるのは、廃止への流れを早める要素ばかりで、スレッドにも全体として諦めムードが強く現れていました。市長の当初の公約で、「2008年3月末」というリミットが既に明確にされていたとのことで、おおむねそこから逆算したスケジュール通りに事が進められていたのでしょう。


2007.2.4 Yaka

  三木市の委員会でも、廃止に異論はなかったとのことで、今後は、代替バスに関する詳細を論じてゆくことになりそうです。
  バス転換で赤字を減らし、その分バス網を整備する・・・ どうやら、全体としてそういう流れになってゆきそうです。

2007.2.6 山陽S特急 さん

  …次世代LRTや赤字ローカル鉄道を救済するための法案が今国会に提出されるそうです。やっと国が重い腰を上げてくれたと感じる反面,遅きに逸したかなとも・・・
  後数年早く提出されていたら救われる鉄道もあったのではないでしょうか。

2007.2.8 Yaka

  近年の社会は、「まずクルマありき」で開発されてきた面が強いわけですが、少子高齢化という社会構造の変化や、環境問題という大きな流れの中で、鉄道を見直す必要に迫られてきたのでしょう。
  鉄道に限らず、公共交通機関が今後、自助努力で生き残ってゆくのは(特に地方においては)難しいでしょうから、こうした公的な支援は欠かせないと思いますが、本当に必要なところにこそ行き渡るような制度にしていただきたいものですね。

2007.2.9 みやほん さん

  三木鉄道の代替バスが恵比須駅から厄神駅まで出ると書いてありましたが、加古川線との絡みがあって加古川駅まで乗り入れることはできないようですね。

2007.2.12 Yaka

  そもそも、三木〜加古川の人の流動がどの程度あるのかという問題がありますね。三木と加古川で高校の学区が異なり、通学の需要が皆無というのが致命的な気がします。社会人になれば自家用車で移動してしまう方が手っ取り早いでしょうし(せいぜい厄神でのパーク&ライド?)
  そう考えると、三木線は国鉄から切り離された(直通がなくなった)時点で厳しかったと思いますし、仮に直通で残っていたとしても、やはりいずれは存続問題に直面していたのではないかと思われます。


  廃止が決定的となる中で、議論の論題は「廃止後」へと移ってゆきました。2006年春から運行を開始した、三木市のコミュニティバス「みっきぃバス」は、07年春には増車・増便が行われており、公共交通機関に対する市の支援の方針は明白でした。

  2007年3月には市議会で廃止の結論、4月26日には三木鉄道の取締役会、そして5月18日の株主総会において、ついに正式に廃止が決定しました。7月に国交省への届け出がなされましたが、通常「届け出から1年後」という廃止時期をも前倒しし、2008年3月末をもっての運行終了が決定されました。取締役会では、鉄道部長以外に廃止に異を唱える取締役はなく、前倒し(関係機関からの異議がないことが条件)もすんなり認可されるなど、寂しい結末となりました。

  →ログ2(2007.11-12)

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