※ この記録に関しては、書き込みをされた皆様のご理解に深く感謝します。編集にあたって、文章の選定・一部削除・誤字の修正・改行や句読点の編集・写真のサイズ変更など、僭越ながら当方で手を加えた部分があります。(もし不適切な部分があれば、どうぞご連絡ください。) また、記載されていた新聞等のURLで、既に記事が存在しないものは削除しています。
月日は容赦なく過ぎ、ついに三木鉄道に残された時は1週間を切りました。毎日変わらず走り続けてきたものが二度と走らなくなる、その現実が刻々と迫っていました。
2008.3.25 ヒロシ。さん
今日 三木駅に行ってみますと、代替バスの時刻表が貼られていました。
それを見ると平日6:54発が2つあります。2台運行されるということでしょう。
2台のうち1台だけ三木駅始発となるのかどうかがわかりませんが・・・。
みっきぃバスの裏に「神姫バス」と表示されています。
2008.3.25 Yaka
広報に載せられていた時刻表を見ると、恵比須6:42→三木駅前6:54(6:54着/6:55発という意味なのかもしれません)→厄神7:16となっていますが、厄神→三木駅前止まり6:48着という便があるので、1台は恵比須発、1台は折り返し便となるのかもしれません。
バス停の裏と表で神姫(ゾーン)バス/みっきぃバスとしている所は、結構ありますね。経費節減でしょうか。
そういえば、代替バスはやはり三木営業所持ちとなるのでしょうか。
みっきぃバスはゾーンバスが担当しているので栄の営業所から出入りしていますが、こちらはダイヤを見るかぎり、朝は基本的に三木駅スタート(恵比須6:42発は恵比須スタート)となるようです。
2008.3.26 ヒロシ。さん
三木本町のバス停を見てくると 6:50発が1便しかありませんでしたので 6:55発のうち1便は三木鉄道三木駅始発と思われます。
2008.3.25 Yaka
少し以前の記事となりますが、三木市HPに、「三木鉄道跡地等利用検討協議会」なる会議での話し合いの報告が載せられています。まじめな意見から、「三木駅跡をオバケ屋敷に」などという、苦笑ものの提案までありますが、どうなりますやら・・
(結局は自転車道など、無難なところに収まる気がしますが)
ひとつ興味深いのが、「鉄道実験用にレールを貸し出す」というもの。観光列車を走らせるには風景が単調すぎて難しいと思いますが、逆にまっすぐな軌道を活かした活用方法がないものでしょうか。
2008.3.28 稲継泰朗 さん
「僕らの心の中で走り続けます」その通りですね!!
今日も賑わいを見せていました。
車掌さん?も3人も乗って、運賃回収をしているのを見ると、なんだか泣けてきました。ゆっくり三木駅のホームでたたづんでいました。
最後はシャッター切れないかもしれないです。
<惜別編>楽しみにしています。
2008.3.29 Yaka
従来、三木鉄道朝の三木→厄神の利用はどの程度のものだったのでしょうね。
バスを2台仕立てるほどの利用があるのでしょうか。
読売の28日朝刊に、稲継さんのコメントが載せられていましたね。300本近いフィルムから80点を選ぶのは、かなり難しい選択だったと思います。泣く泣くカットしたコマも多かったのではないかと…
昨日、午後から時間ができたので、訪問&乗車してきたのですが、かなりの人出でしたね。待合室のグッズ販売が繁盛していました。折り返しの30分程度の時間が、駅周りの見物にはちょうど良い感じです。
車内では、社員の方が往復硬券乗車券を販売していますが、これ以上乗客が増えると、車内での動きが取れなくなりそうです。
この最後の土日、増結や臨時便が出るかどうか分かりませんが、社員さんにとっては嬉しくもハードな週末となりそうです。
2008.3.29 稲継泰朗 さん
読売新聞に載っていたとは、知りませんでした。たしか1ヶ月ほど前に取材を受けた分だと思います。そのころの気持ちからして、感傷的な文章になってるかなと思います。
今日も撮影に行きました。三木駅での撮影がメインでした。お客さんがいっぱいで、列車が大幅に遅延していました。でも駅員さんは、いつもの仕事のように、熱心に列車運行されていました。
明日も行こうと思います。
2008.3.29 Yaka
「卒業式の時にグッとくる感じです」という最後の言葉が、高校の先生らしいコメントだと感じました。やはりそれは、共に過ごした思い入れあってこその感傷だと思います。
私も昼間に、用事の合間に少しだけ立ち寄ったのですが、三木行きの列車が10分ほど遅れていましたね。厄神駅の三木鉄道乗り場はかなり狭いので、乗降に手間取るのだと思います。
最後の2日は残念ながら天候が悪そうですが、それも含めて、思い出となることでしょう。粛々と運行を進める社員の方々の無事も願いつつ・・
つい今しがた、夜景の撮影に出かけてきました。アドバイスの甲斐あって、今度はくっきりと撮ることが出来ました。ありがとうございます。
2008.3.30 稲継泰朗 さん
コメント・・・なにかの拍子で言った言葉だと思います。ちょっと恥ずかしいですが、素直な気持ちです。
夜景・・・成功してなによりです。写真集の少し甘いフォーカスも味があります。一応、両方撮れてよかったですね。
2008.3.30 Yaka
>コメント
おそらく、読売の記者さんもその部分に共感したのではないでしょうか。自分では何気なく発した言葉が、人の印象に残るということはありますね。
>夜景
確かに、くっきりはっきり構図良く写るのが「良い写真」とは限りませんね。私も今回いろんなシーンで写真を撮って、「怪我の功名」といえるものも幾つかありました。
それぞれが追いかけた三木鉄道。残りはあと二日。
最後の休日となった3月30日、そして営業最終日の31日。
2008.3.30 5:13 稲継泰朗 さん
今から出陣です!!
2008.3.30 11:35 Yaka
朝早くからの出陣ですね。おそらく今日一日、めいっぱい見送りをしようということでしょう。
天気が悪いのが残念ですが、安全を願っています。
私も木曜日に訪問しましたが、名残惜しく、なかなか三木駅を立ち去ることができませんでした。
列車が出た後一度市街地を巡り、戻ってくるころにもう一度三木駅へ・・ 結局夕方までとどまっていました。
きっと、どれほど滞在しても十分と言うことはなく、むしろ名残惜しさがますます募るのではないかと思います。でも、悔いを残さないように見送りたいものですね。
2008.3.30 20:38 稲継泰朗 さん
すいません。
バタンキューです。
明日のために寝ます!
2008.3.30 21:48 Yaka
お疲れさまでした。
明日は幸い、天気は持ち直しそうです。私も行きたいと思っています。
2008.3.30 22:58 ヒロシ。さん
今日 7時頃自転車置き場で写真集の販売準備をされていたのは稲継さんだったのでしょうか?
2008.3.31 0:28 Yaka
稲継さんとしても、ご自分の写真集を買って行く人々の姿をじかに見られると感無量でしょう。
この土日もかなりの人出だったとおもいますが、まだグッズは残ってるんでしょうか?
下の硬券入場券、木曜日の訪問時に購入したのですが、すでに売り切れたようです。
ボールペンで引いてある赤線に味わいがあります。
2008.3.31 4:14 稲継泰朗 さん
>ヒロシ。 様
そうです。自転車置き場で準備をしていました。私は公務員ですので、販売は家族に任せています。
>Yaka(管理人)様
グッズ屋さんは、たくさん持っているみたいでした。
2008.3.31 4:18 稲継泰朗 さん
今日も1両運転で、看板で、積み残し宣言をされていましたので、始発に乗ろうと思います!!
今から出陣です!!
2008.3.31 17:38 ヒロシ。さん
自分のブログに三木鉄道関連の話をまとめてみました。
http://www.fururu.net/user/hiroshi_desu/20080331163928
まとめているだけで なぜか涙が出てきます。
小さいときは三木駅前で虫捕りをしたし、縁日で小さい池に金魚を放したり、秋祭りでは盛り上がったし。
人生の1ページでした。
2008.3.31 17:46 山陽S特急 さん
Yahoo!のニュースに稲継さんの名前も出ていました。(URL略)
とうとう最終日、最後まで安全運行でいてほしいです。
2008.3.31 19:44 Yaka
昼から出かけ、今帰ってきました。
人出はものすごいものでしたが、付き物の喧噪はなく、しみじみした最終日でした。
とにかく今は、ちょっと思いがまとまりません。とりあえず報告まで。
※写真の列車は18:15発、2番線からの発車でした。私にとっては、最初で最後の2番線発車シーンでした。
2008.3.31 19:59 Yaka
おもてのグッズの売れ行きが気になって見ていましたが、やはり500円程度の小物がお手頃なのか、売れていたようでした。稲継さんの写真集も、覗く人が多く、よく売れていたように見受けられました。
単価の高いDVDやアルバム等は、若干値下げしつつ、販売の方が頑張って勧めていました。
3時ごろから、三木高校の吹奏楽部が、駅前で演奏をしていました。
テレビ局などの取材も来ていました。
2008.3.31 23:54 Yaka
ついに、三木鉄道最後の日が終わろうとしています。
最終列車を見届けることはかないませんでしたが、最後まで無事に走り遂げたのでしょうか?
空前の規模の来訪者を受け入れるにあたり、三木鉄道社員の方々をはじめ、関係したすべての方は、本当にお疲れさまだったと思います。
おそらく明日からはもう、早速施設の撤去などが行われ、それを見て、この路線が過去のものとなったことを実感してゆくのでしょう。
写真集<惜別編>をアップしました。
http://tnote.s40.xrea.com/KMd05.html
これが私の、三木鉄道最後の写真集となります。
さようなら、三木鉄道!
3月31日深夜、予定通り三木鉄道はその歩みを終えました。残ったのは、なんともいえない虚脱感でした。
有り難いことに、後日皆さんから掲示板に詳しいレポートをお寄せいただきました。ここにそれをまとめ、大勢に見送られた証しとして記録にとどめたいと思います。
2008.4.1 18:00 稲継泰朗 さん
「感謝」の気持ちでいっぱいです。でもまだ心の整理は、できていません。遮断機の棒がなくなっていることや、車が一旦停止しないのを見ると複雑です。
帰宅は、午前1時になりました。
みなさんもいろいろな思いがあると思います。
写真は、満員の最終列車の到着時です。
少し落ち着いてから、コメントしたいと思います。
2008.4.1 18:04 稲継泰朗 さん
花束贈呈です。
2008.4.1 18:41 Yaka
お疲れさまでした。今は何もまとまらない状態だとお察しします。
今日、三木駅に立ち寄りました。フィーバー前の、静かな駅に戻っていました。
車両も1,2番線に1両ずつ。もとの駅の風景と何も変わりません。でももう二度と、「三木鉄道」として客を乗せて走ることはない・・
私自身は、思い出深い利用者としてではなく、もともと趣味の対象として三木鉄道を追いだした面が強いので、私の思い入れは、稲継さんのそれとはまた違う次元のものだと思います。
それでも、これだけ多くの人を動かし、その中でもいつもと変わらぬ運転を毎日繰り返してきた鉄道の「芯の強さ」、利用者の多寡・注目されるかされないかにかかわらず、当たり前と思われることを当たり前のように続け、「気づけばいつもそこにいた」その存在感を、再認識させられた気がします。
私もまだ、いまいち考えがまとまりません。サイト内に、またじっくりと書き連ねたいと思っています。
2008.4.1 22:07 ヒロシ。さん
僕も最後を見届けました。
普通の最終列車の運行だと 増結したり増発したりするのですが、1両のままでの運転。三木鉄道らしい最後だったなって思います。
さきほど三木駅に行くと信号機がまだ「赤」のまま点灯していました。できるならもう1度「緑」になってほしいと思うのが僕も含めて皆さんの気持ちだと思います。
今まで本当にお疲れ様。そしてありがとう!
2008.4.1 22:51 3番乗り場の居候 さん
久しぶりです。
私は、最終日に、撮影と乗車をかねて、三木鉄道へ行きました。三木駅は乗車の長い列が出来ていたので、最初に撮影する事にしました。三木から厄神の約6、6キロを撮り歩きました。有名撮影地にはかなり人がいました。特に凄かったのは、宗左と下石野の間の橋で、真下を三木鉄道が通ります。到着が遅かったのと、人だらけだったので諦め、次の便を待つことにしました。
途中、トイレに行きたくなって大変でした(笑)国包についたので、トイレに行きましたが、ふさがってましたので、国包公園までダッシュしました。
そのまま厄神へ行き、三木鉄道で三木に戻りました。
私は終電(厄神発)に乗りたかったので、三木駅の終電の一本前の列車で行くことにしました。その列車の発車時刻は21時12分、現在時刻16時30分…暇…
暇だったので、三木市内をぶらぶら。自分の町なのに、歩くと色々発見できる物ですね。それはそれで良かったと思います。
暗くなってきたのと、足が痛くなってきたので、三木駅に。寒いし、眠いので、危険と承知で駅のベンチで寝ることに。
20時30分になったのでそろそろ並びます。そして乗車。厄神では降りるとすぐに階段をダッシュ。三木駅で、「もう終電待ちの人が並んでいますから、もし乗れなかったときのために別の交通手段を確保して下さいね」と言われていたからです。結局まに合いましたが…
到着が近づいてくると、係の人が、最終列車の記念乗車券を無料で配っていました。これは非売品で、並んでいる人にしか渡されませんでした。
最終列車が到着。順番に乗り込んでゆきます。私が座ったのは前よりロングシート。その隣の隣には北条鉄道の方が2人。
そしてそのまま三木へ。最後まで人を詰め込むため、何分か遅れての出発でした。ミキ300ー104は、ディーゼルの唸りを上げて、出発しました。途中、「この鉄路を、もう鉄道が走ることは無いんだなぁ」とか思ったり、「風が気持ちいいなぁ」や、その他諸々の事、つまり複雑な思いで車窓を眺めていました。途中、2つの駅では、一般の方々が、灯籠とかを持って、終電を見送って居ました。中には涙ぐむ人も…やはりこういう物って、失われた時にその存在の大きさを知るんですね。
高木駅を発車する際、「もうこの車両が加速時のディーゼルの唸りを上げることがないんだろうなぁ」と思うと、何だかとても複雑な気分に犯されました。そして三木駅に到着。三木駅では、大勢の人が構内に詰めかけ、なかなか出れませんでした。
なにはともあれ、とても良い一日となったことに代わりはありません。ありがとう!!そしてさようなら、三木鉄道。もう我々を乗せて走ることもありません。
ちなみに帰り神鉄三木駅で、鈴蘭台行きが行き違い待ちをしている間、運転士さんに「鈴蘭台で新開地方面への接続はありますよね」と聞いていました。運転士さんが「ありません」と答えても色々質問していました。皆さん、遠いところに遠征するときなんかは、ちゃんと時刻表を調べましょうね。ちなみに私はこの鈴蘭台行きを逃したらもう家には帰れない事になっていました。
写真は去年の写真です。まだそんなにファンは居ません。=三木鉄道の日常です。稲継泰朗様には到底及びませんが(笑)
乱文乱筆と長文、誠に失礼致しました。
2008.4.1 23:52 Yaka
最終日のレポート、ありがとうございます。やはり実際に体験してこられた様子を記していただけると、有り難いですね。
上でヒロシ。さんも書かれていますが、最後までかたくなに単行で走り抜いたのが三木鉄道らしいです。(最終列車を待った人は、全員乗り切れたのでしょうか?)
最後の列車、最後の発進、最後の到着・・ 休まず動き続けてきたものがその動きを止めるということの重さ、虚しさは、何ともいえないものがあります。
2008.4.4 19:37 稲継泰朗 さん
朝4時に起きて、トラベラーズノートの書き込みをチェック。チェックすることで、みなさんの想いを再認識し、冷静になれました。
4時40分に三木駅に到着。マルヨの車が4台。すぐ三木駅の扉の前で待機。今日は最後。一回は見たかった、駅員さんが駅を空ける瞬間がみたっかたのです。5時30分、駅員さんが、いつものように扉を開けた。「おはようございます」と駅員さん。その時点で、鉄は、15人ほど。その優しい挨拶に、来て良かったと素直に思いました。
5時35分、車両にエンジンがかかる。これを撮りたかったひとつです。運転手さんは、エンジンを念入りに確認していた。最終日、安全に無事にという想いが伝わってきました。
5時50分、車内清掃が終わり、車内へ。運転席の「146列車」と何かいつもと違うダイヤ運行票が気になった。
定刻6時5分発車。座席の隣の人と仲良くなり、歓談。レールの音、風景、駅を最後となるので、十分に味わった。定刻に厄神到着。すでにホームには30人ほどの乗客が並んでいました。通勤客人が運転手さんに、ねぎらいの言葉がかけられて、三木鉄道のあたたかさを感じました。すでに座席が満席になるくらにで、厄神発車。三木駅に定刻に到着。じみじみと最後に降りました。もう乗ることはないと思うとジーンときました。
6時44分初の列車からは、満員状態に。悔いのないように三木駅前で、カメラをかまえていました。
9時30分、写真集の1ページ目の写真の朝日神社へ。見事なしだれ桜は満開。一発勝負の67で、撮影。
三木駅前で、9時50分から最終列車まで、カメラをかまえていました。
15時、三木高校吹奏楽部の演奏。「いい日旅立ち」でジーンと。駅員さんもしみじみと見ておられました。演奏は無事終了。乗客は、喜んでいました。
平日にもかかわらず、乗客の列は、長い。嬉しかったのは、鉄道ファンはもちろん、地元の方(特に子どもを連れの家族)の方が多かったことです。ああ、これで次の世代にも三木鉄道は心の中で走るんだなあと安心しました。
10時に、TVの取材、17時50分、新聞社の取材。なかなか心の整理がつかない。
夕刻、夜になって、さらに乗客が増えていきました。
21時から三木駅でカメラをかまえていました。あと2往復。
22時4分、ついに最終列車の発車。
22時52分、9分遅れの最終列車の到着。フィルムにおさめるが、涙が出てきました。言葉になりません。
9分遅れには、石野駅、別所駅での地元の方の見送りの想いが詰まっています。
花束贈呈。2人の方がされましたが、自分の気持ちを代弁してくれているような気持ちになりました。何か救われた気持ちがしました。
最後の鉄道部長の挨拶。部長は、目を潤ませていました。
24時、三木駅の扉はもうしまっており、暗い待合室が直視できませんでした。
ちょっと心の整理ができてきています。長文すいませんでした。
2008.4.4 23:57 Yaka
ありがとうございます。まさに朝の始動から最後まで、見届けられたのですね。
先日の読売新聞の連載で、鉄道部長の斎藤さんという方のことも書かれていましたが、責任感が強く、鉄道マンならではの誇りを持って携わっておられたという印象を受けました。列車のダイヤと同じく、予定通りに三木鉄道は終焉を迎えましたが、寂しさと共に、職責を全うした安堵もあったのではないかと思います。
自分の立場では、黙って見送るしかありませんでしたが、今後も何らかのかたちで、三木鉄道の「その後」を発信してゆきたいと思っています。
稲継さんとは、一度直接お目にかかりたかったものです。(どこかでニアミスしているかもしれませんが。)12月の機会にお会いできなかったのが悔やまれます。
こうして過去帳入りした三木鉄道。同時に人の波も去りましたが、代替バスや車両の行方など、「その後」の情報も引き続き寄せられており、三木鉄道を追った者としてそこまで見届けてゆきたいと思います。