本文中の写真はクリックすると拡大表示します。
ブラウザーの「戻る」でお戻りください。
記述内容は、廃止(08年3月末)時点でのものです。
本文中の写真はクリックすると拡大表示します。
ブラウザーの「戻る」でお戻りください。
記述内容は、廃止(08年3月末)時点でのものです。
三木鉄道の起点。JR加古川線2番線(上りホーム)の向かいにあたる3番線から、三木鉄道は発着します。駅自体は99年に橋上化されていますが、改札は共通です。
国鉄時代には、加古川寄りで加古川線と線路がつながっていましたが、第三セクター化に伴って分断されました。ただし、加古川線から分岐するポイント部から、三木鉄道線の車止めの先数メートルのところまで、線路が残っており、ホームもその部分まで整備されているので、その気になればすぐにでも直結できそうな構造です。(現にミキ300搬入の際には、一時的に線路を直結したそうです。)三木鉄道が廃止され、車両が他社に売却されることになれば、もう一度、そして最後のレール連結があるかもしれません。
この厄神を含め、三木鉄道の線路は終点三木まで1本線で、ポイントが存在しません。つまり、全線で同時に1本の列車しか走らせることができません。
厄神から先、三木鉄道の線路は直進し、一方加古川線は左へ大きくカーブしてゆきます。その分岐の中間に、加古川線電車の基地である加古川鉄道部の車庫があります。三木鉄道はその車庫の脇を過ぎ、1km走って国包へ。
当初、今の厄神駅が「国包」を名乗っていましたが、1916年に三木線が別所まで開通した折に今の国包が開業、もとの国包が厄神と名を変えたそうです。
駅は上荘町国包集落の外れに位置します。この国包は建具の製造が盛んらしく、駅周辺にも建具工場がいくつかあります。待合室だけのコンクリートの駅舎(国鉄末期に登場した「カプセル駅」と呼ばれる形態のもので、国包駅はその先駆だったそうです)ですが、いかにも手入れがなされていないようで、かなり外装が汚くなっています。トイレも使用できなくなっています。
国包を出ると、すぐに県道20号と交差します。この県道は三木までほぼ三木鉄道の線路に沿っており、道幅の狭い国包集落内を除けば走りやすい道であるため、三木鉄道の存在意義に疑問符を付けてしまう存在でした。代替バスはおおむね、この県道を走ることになります。
ここから列車は上り勾配にさしかかり、宗佐に向けて築堤を登って行きます。国包から石野にかけては、加古川市と三木市の間に位置する小高い丘を越える格好になります。0.5km走って次の集落へ。八幡町宗佐です。
1985年4月に開業した三木鉄道は、利用の向上を図るべく、その翌年に大幅に駅を増やしました。そのさいに開業したのが宗佐、下石野、西這田、高木の4駅で、途中駅は3駅から一気に7駅になりました。これら新設駅は、簡素なホームとひさしだけの、まさにバス停のような構造です。
宗佐より先、線路は市境の丘陵に突き当たり、下石野までは切り通しを進んで行きます。三木鉄道内では唯一「山越え」と言えなくもなさそうな区間です。右へカーブし、県道84号の下をくぐったあたりで下りに転じ、加古川市から三木市に入ります。宗佐から0.5kmで下石野へ。
三木市で最も西にあたる下石野駅は、宗佐などと同じく1986年に開業した駅で、造りも共通。下石野集落を見下ろす築堤上にあります。近くには、廃校となった別所小学校下石野分校跡があります。
ホームから階段を下ると道路に出ます。この道路は線路の下をくぐりますが、軽自動車がかろうじて通れるくらいの狭い幅です。ちなみに、三木線内で線路が道路の上をまたいでいるのは、国包〜宗佐間の1カ所とここの、2カ所のみです。
石野は三木線開通(1916年)と同時に開業した駅。県道20号から少し入り込んだところに、大正当時そのままではないかと思えるような古びた駅舎が立っています。
もとは駅員もいたと思われますが、通路部分以外は板で覆われ、駅舎の用をなさない駅舎となっています。かつては交換設備もあったようで、三木線が活況を呈していた時代の名残をとどめています。
ホームの端には、3枚目の写真のような「便所」あり。男女の仕切りなどなく、男子用はコンクリートの壁に向かって・・・のスタイル。
石野を出ると線路は少し左に曲がります。「石野カーブ」と私が勝手に呼んでいるこのカーブからだと、石野駅方面、西這田駅方面の両方が格好良く撮れるので、私の好きなポイントでした。
それからしばらくは、田んぼの中をほぼまっすぐに進んでゆきます。鉄橋などで若干の起伏はあるものの、総じて平坦な道のりです。次の西這田までは1.7km。三木鉄道の駅間としては最長の距離です。
1916年、最初に三木線が開通した時の終点。県道20号沿いですが、狭い路地の奥にあり、注意していないと見落としてしまうような駅です。石野と同じく、通路部以外を板で覆われた、古い木造駅舎が残っています。ホームの柵は枕木を組み合わせたもので、駅舎やホームのひさしは見るからに古めかしい。駅前の神社の周囲がきれいに整備されているのと対照的。
この駅にもかつては、交換設備または荷物積みおろし用のスペースがホーム向かいにあったようです。
三木線が三木駅まで全通したのは、1917年1月。三木鉄道の本社、車庫の所在地であり、唯一の有人駅です。1998年に2番線が設置され、これにより三木での到着即発車が可能となりました。しかし最終的なダイヤにおいて、2番線を活用しての発着は1日1度限りでした。
駅舎は古めかしい木造建築。駅前の桜が咲くと、このページ最上段の写真のように、なかなか絵になる風景です。待合室は薄暗く、昔の駅の雰囲気そのままという風。
駅前は古い市街地の趣ですが、中心部からは外れています。神戸電鉄の三木駅までは約1km、徒歩15分ほど。アクセスが不便で、三木鉄道が苦戦を強いられてきた大きな原因のひとつでした。