各駅名横の( )内の数字は、その駅の標高。写真はクリックで拡大表示します。
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普 通 |
準 急 |
急 行 |
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KB06 鈴蘭台 | すずらんだい | 有馬線 | |||
KB41 鈴蘭台西口 | すずらんだいにしぐち | ||||
KB42 西鈴蘭台 | にしすずらんだい | ||||
KB43 藍那 | あいな | ||||
KB44 木津 | きづ | ||||
KB45 木幡 | こばた | ||||
KB46 栄 | さかえ | ||||
KB47 押部谷 | おしべだに | ||||
KB48 緑が丘 | みどりがおか | ||||
KB49 広野ゴルフ場前 | ひろのごるふじょうまえ | ||||
KB50 志染 | しじみ |
鈴蘭台から複線で直進する有馬線に対し、三木・小野方面へ続く粟生線は単線で、脇道に入るように大きく左にカーブして急勾配を駆け上がります。次の鈴蘭台西口までは、営業キロにしてわずか0.8km。
短いトンネルをくぐり、出たところが鈴蘭台西口。標高304mは粟生線のピークで、駅を出るとすぐに下りに転じます。
民家の間を縫うように走ると、わずか0.5kmで西鈴蘭台。1970年開業の粟生線内では最新の駅で、近辺にはニュータウンが広がり、乗降が多い。折り返し列車のための行き止まり線が2本ありましたが、2001年6月改正と同時に廃止、その跡地は駐車場となっています。その名残で1,2番線は欠番で、現存するホームは3,4番線となっています。
2017年3月のダイヤ変更で日中の列車の2本に1本が西鈴蘭台折り返しとなり、この先三木までは30分間隔の運転。藍那駅西側に新たに折り返し線が設けられ、電車はそこまで回送されて折り返すようになりました。
この先1区間、藍那(あいな)までは複線となります。粟生線は沿線のニュータウン開発に伴って部分的に複線化されていますが、鈴蘭台〜西鈴蘭台間には既に住宅が密集し、トンネルもあることから複線化は非常に困難で、このため一番根元にボトルネックを抱えているのが泣き所です。
西鈴蘭台を出ると一転、山の中へ入り、しばらくは住宅地を離れます。阪神高速北神戸線を頭上に見、蛇行しながら勾配を下り、藍那へ。山に囲まれた駅ですが、周囲には斜面に沿って集落が広がります。
ラッシュ時に運転される急行は、藍那と次の木津を通過します。
藍那から川池信号場までの2kmほどの区間は再び単線となります。90年代前半までこの区間でも複線化工事が進められており、途中のトンネルも2本目がすでに掘られていました(現在では新たに掘られた方のトンネルが使用されています)。路盤の整備は、川池信号場手前のわずかな区間を残して完了しています。しかし震災以後、複線化事業は凍結状態になり、造成済みの区間は、線路を引ける状態のまま放置されており、草木が覆いつつあります。
藍那から木津側へ進んだ区間において、その複線化用地を使って西鈴蘭台折り返し列車用の待避線が設けられました。輸送力増強のために整備されたスペースが、減便のために使用されるという皮肉な結果になってしまいました。
沿線にようやく田畑が出現し、川池信号場から押部谷まで再び複線となります。このあたりで神戸市北区から西区へと移ります。この先、線路は大きく右へカーブしながら下って行きます。以前は、この先もしばらく農村地の風景が続いていましたが、近年南側の山を切り開いて神戸複合産業団地が開発され、一気にひらけた雰囲気になります。
明石川の谷まで下って木津。もともと、谷あいの集落の一角に位置するホームだけの無人駅でしたが、近くに工業団地開発が進み、それに合わせて橋上駅化されましたが、こちらも急行は通過。木津を出るとまもなく見津信号場を通過。右手に神鉄の第二車庫が現れます。ラッシュ時は粟生線列車(押部谷・志染発/着列車)が入出庫し、日中も列車が留置されます。
木幡からは谷がひらけてきます。線路周囲は昔ながらの農村集落ですが、南側丘陵地には秋葉台・桜が丘といった新興住宅地が広がります。これより先、志染あたりまで、神戸のベッドタウンとして開発された住宅地が連なります。木幡駅もその玄関のひとつですが、その割に駅前は旧態依然で、バスなどが入るスペースもありません。なおこの先志染まで、県道22号(神戸三木線)が線路沿いを並走し、後述する神姫バス恵比須便が駅近くのバス停に停車します。
栄も南の桜が丘、北の月が丘などの玄関にあたり、団地向けのバスが発着します。この先押部谷までは、神鉄としては珍しく、複線の平坦な区間で、スピードの出せる数少ない区間です。2009年3月に復活した快速は木幡・栄を通過していましたが、2020年3月改正で廃止され、現在両駅を通過する営業列車はありません。
複線区間は押部谷で尽きます。ラッシュ時には押部谷駅始発の列車もあります。3線を有し、真ん中の2番線が折り返し用。
これより先は終点粟生まで単線で、すべての列車が各駅に停車します。再び貧弱な線路となって急坂にさしかかり、神戸市から三木市に入って行きます。
このあたりでも、北側には富士見が丘・北山台、南側には高雄台とよばれる住宅地が連なります。これらニュータウンの急激な人口増加が粟生線の隆盛をもたらしたといえます。しかし、もともと設備が貧弱だった粟生線は整備が後手に回り、そうこうするうちに車社会化や世代の変化などにより利用が激減、負担ばかりが残ってしまったという不幸な面があります。加えて、神戸・三木市内のニュータウンからは神戸市営地下鉄西神中央駅へと出るバスもあり、沿線利用者の逸走がみられます。
勾配を上り詰めて山が開け、緑が丘。その名の通り「緑が丘」という住宅地の玄関口で、駅前はひらけています。ただし駅自体は、ホーム1本のみの小さな駅です。
緑が丘およびその北の青山、志染にかけての自由が丘は、三木市南東部の大規模な新興住宅地で、緑が丘駅は団地内を循環するバスのターミナルとなっています。一方神姫バスは、恵比須駅前から自由が丘・緑が丘団地内を縦断し、押部谷・栄・木幡を経て三ノ宮へと直結する快速バスを運行、これが粟生線の利用者をかなり奪ったとみられます。
緑が丘を出るとすぐ広野ゴルフ場前。そもそも粟生線は、1936年に鈴蘭台〜広野ゴルフ場前間が最初に開業しました。由緒あるゴルフ場で、そのために線路が引かれたわけです。現在の同駅は交換可能駅で、朝ラッシュ時に行き違いがみられます。
次の志染(しじみ)に向けて、線路は緩やかに下りつつ直線区間を進みます。粟生線では最もスピードの出る(80km/h)区間で、右手に自由が丘の住宅地が続きます。
志染は合理化後、粟生線内で唯一の駅員常駐駅となりました。南北両側に改札口を備えており、構内踏切を通路として使う人も多いため、券売機で通行券を発行し、自動改札機を通過できるようになっています。駅本屋は南側ですが、自由が丘団地の玄関にあたる北側駅前にスーパーなどが並び、バスの発着するロータリーを備えています。一番南側の1番線は志染始発列車用で、通常朝ラッシュ時以外は基本的に使用されていませんでしたが、日中の列車の多くが志染折り返しとなった2012年5月のダイヤ変更からは、1番ホームを下り用とし、島式の2・3番線が上りの出発用となりました。
新開地〜志染間には最高5両編成が入っていましたが、かつては志染より粟生側では3両が限界でした。そのため、ラッシュ時には志染で2両の増結・開放、日中はほぼ2本に1本が志染乗り換えとなっていました。しかし01年6月改正で志染以西が4連対応化され、粟生線のほとんどの列車は4連または3連電車での直通運転に代わりました。新開地〜志染間にラッシュ時わずかに残っていた5両編成の列車は、09年3月改正で全廃されました。
なお、押部谷〜志染間の一部区間では、複線化できるスペースが確保されており、志染駅東側のそのスペースに引き上げ線が設けられ、昼間・夜間の車両留置に使用されています。かつては増結用車両がそこに留置されていました。
普 通 |
準 急 |
急 行 |
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KB50 志染 | しじみ | ||||
KB51 恵比須 | えびす | ||||
KB52 三木上の丸 | みきうえのまる | ||||
KB53 三木 | みき | ||||
KB54 大村 | おおむら | ||||
KB55 樫山 | かしやま | ||||
KB56 市場 | いちば | ||||
KB57 小野 | おの | ||||
KB58 葉多 | はた | ||||
KB59 粟生 | あお | JR加古川線・北条鉄道線 |
2012年5月以降、粟生線志染以西の列車は大幅に削減され、日中の運転本数はここから1時間1本となります。(2020年3月改正からは、試験的に三木まで30分間隔での運転。)志染を出ると、神戸の通勤圏から東播磨エリアに移ってきます。急勾配を下り、今度は美嚢川(みのかわ)水系の低地へと下って恵比須。三木市では近年、有馬温泉に至る「湯の山街道」の古い町並みのPRに取り組んでおり、2002年に恵比須駅舎がそれを意識したものに建て替えられ、三木市の新たな中核駅として整備が進められつつあります。駅前からは、粟生線のライバルである三ノ宮行きの快速バスや、三木鉄道代替の厄神行きバス、三木市のコミュニティバス「みっきぃバス」が発着します。
駅から車で5分ほどの所に「平井山ぶどう園」があり、8-9月の開園シーズンになると神鉄の駅にものぼりが立ってPRされています。平井山は、後述する三木城を攻略するために羽柴秀吉が本陣を置いた場所でもあり、その参謀であった竹中半兵衛(重治)の墓もここにあります。
次の三木上の丸は、小高い三木城跡のふもとに位置します。三木城は、戦国末期に羽柴(豊臣)秀吉の2年近い攻略によって滅んだ別所氏の居城でした(湯の山街道は、そのときの戦傷者を有馬で療養させるためにも使われたと言われます)。
上の丸を過ぎるとすぐに美嚢川を渡ります。左に大きくカーブしながら勾配を下るという、全国でも珍しいという形態の鉄橋です。下の写真の、右上の高台が三木城跡です。
三木駅は本来の三木市中心部に近く、利用者も割合多い。それでも自動改札化に伴って、駅員が常駐することはなくなりました。駅舎内にあった売店もなくなりました。もとは下りホーム側の駅舎にしか改札がありませんでしたが、志染〜粟生間の4連対応化の際、ホーム延長のためのスペースを確保するために構内踏切を廃し、上りホーム側に新たに改札口が設けられました。上り改札前には、5000系を模した公衆トイレが設置されています。
2018年3月4日、隣接する民家の火災に巻き込まれて下り側の駅舎が焼失してしまいました。
国鉄から第三セクター化された三木鉄道(三木〜厄神 2008年3月廃止)の三木駅は神鉄駅から離れており(徒歩10分ほど)、接続は図られていませんでした。三木は昔から金物の町として有名で、現在でも市内各所に金属製品の製造・加工工場があります。
この先は日中1時間間隔の運転です。
三木を出ると、住宅の合間や田んぼの中を進んで、大村。ここで平地は尽き、再び山越えにかかります。山陽自動車道の高架の下をくぐるあたりで三木市から小野市に移ります。
樫山は、竹林に囲まれローカル然とした交換可能駅。以前の駅舎は、ドラマの撮影にも使われたことがあったそうですが、改築され、あわせて小さいロータリーや駐車場が設置されました。また、近年改築された小野市内のJR加古川線駅と同様、コミュニティスペースを兼ねた待合室が設けられています。
加古川流域の平野部に出て、市場。駅自体は1面1線のホームに、券売機と自動改札機が収まったプレハブ小屋があるだけの最も簡素なスタイル(ここのほかは葉多と、三田線二郎が同様のスタイル)。脇には保線施設および車両搬入のためのスペースがあります。JR加古川線にも同名駅がありますが、加古川を隔てて1.5kmほど離れています。他社線に場所の離れた同名駅のある「六甲」「道場」には頭に「神鉄」がつき、「長田」も案内上は「神鉄長田」となっていますが、市場駅については特にそうした考慮はされていません。ただしかつては「電鉄市場」を名乗っていました。
しばらく平地を進み、またも急勾配を駆け上がる。万勝寺川の谷を築堤で突っ切り、小野市街の河岸段丘へと駆け上がって小野駅へ。
3階建ての駅ビル併設の橋上駅は、1991年に建て替えられたもので、それまでは小さいながらも味のある木造駅舎でした。小野の玄関口にと意気込んでの改築だったと思われますが、テナントに空きが目立ち、巨大さがかえってわびしい。段丘上にひらけた小野の街は、そろばんの町として有名。
2012年5月までは、日中の列車の2本に1本が小野で折り返しとなり、残る小野〜粟生間が30分間隔での運転でした。2016年5月改正で小野〜粟生間は原則JR・北条鉄道に接続する列車を残して削減され、さらに寂しいダイヤになりました。
最後まで起伏の激しい粟生線は、小野を過ぎるとすぐまた加古川流域に下り、葉多へ。集落の外れに位置するプレハブ駅舎の小駅です。葉多を出ると間もなく加古川を渡ります。
その先で右へ大きくカーブしてJR加古川線に沿い、そのまま終点粟生へ入ります。JR・北条鉄道と接続していますが、双方とも線路のつながりはありません。神戸から、野を越え山越え谷越えて1時間強。閑静なローカル駅の片隅で、その旅は終わりを迎えます。
駅自体はJRの管轄で、神鉄は一部を間借りしている状態。もとは加古川線上り(2番線)とホームを共用していましたが、自動改札を導入するにあたって、その向かいに新たにホームを設け、自動改札を通って加古川線側に出入りする方式になりました(従って入線列車は2番ホームに接しますが、そちら側のドアは開きません。)加古川線下り(1番線)や北条鉄道(3番線)との乗り換えの際は、いちどJRホームに出て、跨線橋を渡ることになります。
近年、粟生線の利用低迷が顕著になり、大幅な赤字を出していることから、存続の危ぶまれる状況になっています。
1992年にピークを迎えた粟生線の利用者数は年々減少の一途を辿り、2009年度にはピーク時の半分程度となりました。毎年10億円以上の赤字を計上する有様で、神戸電鉄側も合理化を進めてきたものの、持ち直しは難しい状況です。
原因として、昨今の鉄道業界共通の悩みである少子高齢化やマイカーへの移行が、粟生線では特に顕著に表われています。もともと有馬線系統と比べて設備の貧弱だった粟生線でしたが、1970-80年代に沿線の急激なニュータウン開発が進み、それに伴って輸送力の増強が行われました。ところが利用者の世代交代も急速に進み、利用を支えた団塊世代の通勤需要とジュニア世代の通学需要のピークが去ると一気に低迷、一転して設備を持て余すことになりました。また、沿線に鉄道利用を前提とした施設は少なく、通学利用を除けば粟生線沿線の都市間移動もそれほど盛んではないため、鉄道への依存度が小さく、マイカーありきの社会となっているのが現実です。
加えて、運賃の高さ(神戸高速線との境界となる湊川で初乗りが発生することが拍車を掛ける)と新開地での乗り換えが敬遠され、神戸市営地下鉄や神姫バスへの逸走も目立ちます。三ノ宮〜三木〜小野〜西脇間の急行バスに加えて、近年三ノ宮〜恵比須間の快速バスが強化され、乗り換え不要でニュータウンから市街地に直結する(そのうえ少し安い)利便性により優位に立っています。
こうした状況から神戸電鉄側では廃止や上下分離式(線路等設備を自治体が所有する)も視野に入れた運営見直しを探っており、2009年には「神戸電鉄粟生線活性化協議会」が発足、沿線自治体などを交えての協議が続けられています。2011年度が存廃決定のひとつのメドとされましたが、自治体の支援などによりとりあえず廃止は免れました。
しかしながら沿線自治体としても財政的余裕はなく、支援を続けても状況が改善する見込みは薄い状況で、思い切った支援には及び腰に思われます。ただ、ピーク時より半減したとはいえ相当数の利用があるなかで廃止となれば、代替手段の確保などに課題が多く、この問題には独特の難しさがあります。
粟生線活性化のための取り組みとしては、マスコットキャラクター「しんちゃん」「てつくん」の起用、ラッピングトレイン「ハッピートレイン(5001F)「しんちゃん&てつくんミュージアムトレイン」(6003F)など企画列車の運行、「粟生線サポーターズくらぶ」の設立など、粟生線に親しみを持って貰おうという努力がみられます。また、運賃の割高感を緩和するため、割安の企画乗車券も発売されています。
一方で利用実態に応じたダイヤの見直しも進められており、2009年3月改正では新開地〜志染間にラッシュ時に残っていた5両編成が全廃、2012年5月改正では日中の半数の列車の急行化と志染〜粟生間の大幅な減便(1時間あたり小野まで4本、粟生まで2本だったのが1時間1本に)が実施されました。2014年6月の改正でさらに志染以西を減便、2016年5月改正では小野〜粟生間において、JR・北条鉄道に接続しない列車は原則削減されました。
2017年3月以降は日中の急行を廃止、西鈴蘭台〜志染間においても日中の本数が半減(30分間隔に)。2020年3月改正においては、日中の志染折り返しの列車を三木に延伸し、三木までが30分間隔となった代わりに、夕ラッシュ前の時間帯(15-17時台)を15分間隔から30分間隔にしたほか、快速全廃などラッシュ時の優等列車の格下げ、それに伴い押部谷発着の普通を削減など、トータルではやはり間引かれる傾向です。