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「関空快速」、京阪神の「新快速」用に増備 |
記載内容は2015年5月現在。
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223系のデビューは1994年。関西国際空港開業に合わせ、「関空快速」用に投入されました。221系をベースに、車体はステンレス、顔かたちはやや角張ったスタイルになりました。関空快速用の223系は座席配置が2列+1列で通路が広い構造です。当初は「関空特快」の設定もあり、指定席も設けられていましたが、利用低迷で廃止されました。(首都圏では普通列車にグリーン車が組み込まれ、対価を払って混雑を避けるという選択肢がありますが、関西ではこうした文化は根付かないようです。)
関空快速には一度、関西空港から大阪まで乗車しました。関空を出た時点では閑古鳥が鳴いており、1人がけシートで悠々。関空の人工島から、南海と共用の長い連絡橋で海を渡り、阪和線に合流する日根野でようやくまとまった乗車がありました。その後居眠りしていて、目が覚めると車内はいつの間にか超満員になっていてびっくり。「関空快速」を名乗りながらも、実質は阪和線利用者のためのものか、という印象を受けました。
99年春からは阪和線の「紀州路快速」にも使用されるようになりました。京橋〜大阪〜日根野間では「関空快速」と併結、日根野で分割・併合して片や関空、片や和歌山へアクセスします。5連と3連でペアを組み、時間帯によってどちらが「関空」、どちらが「紀州路」になるかが変わっていましたが、2008年春以降は双方とも4両編成となっています。
95年8月以降、223系は京都・神戸線の「新快速」として走るようになりました。同年1月の阪神・淡路大震災で車両不足が生じたため、当初予定より前倒しでデビューしました。こちらは座席が2+2列配置。221系と比べて座席数を減らしたぶん、出入口付近が広くなり、折り畳み式の補助席が付きました(ラッシュ時には使用不可)。内装はよりシックになり、落ち着いた雰囲気があります。デザイン、性能、居住性をよく両立させた電車だと思います。
ところが私自身の初乗車の際には、空調のまずさによると思われる、妙な臭いが鼻をつき、おかげで、「臭い電車」というマイナスイメージが第一印象になってしまいました。
その後「新快速」の世代交代は急速に進み、99年春には朝夕の全新快速が223系化、そして2000年春にはすべての新快速が223系に統一されました。
通常は、車両の世代交代は20-30年程度のサイクルで進むものですが、新快速に限っては153→117→221→223→225と、およそ10年ごとに顔が代わっています。いかに国鉄、のちにJR西日本が「新快速」に心血を注いできたかが察せられます。
オール223系化によって新快速は、223系の性能を活かした終日最高130km/h運転となりました。221系時代の120km/hから、数字上は10km/hアップに過ぎませんが、体感的にはずいぶん変わりました。現在JRの近郊電車としては最高の速度、つまり未知の領域であるために、特にそう感じるのでしょう。たとえば、車輪が線路の継ぎ目を打つ音が、これまで「カタカタン、カタカタン」という感じだったのが、音がつながって「ザザッ、ザザッ」という風になりました。
ただし、その飽くなき高速化が問題なく進んだというわけでもありません。130km/hに達するとき、パンタグラフが架線から瞬間的に離れ、車内が停電になってしまうことがしばしば生じていたそうです。実際、私がこの電車に乗ったとき、車内の電気が時々ちらつくのが気になったことがありました。こうした欠点は順次改善されています。
また、オール223系化で新快速はさらに所要時間短縮が図られましたが、余裕のない無理なダイヤ設定ゆえに、遅れが恒常化していました。この問題は117系時代から(古くは153系時代にも、デッキ付きの急行形車両だったため、乗降に手間取り遅延が発生していたらしい)ありましたが、停車駅を増やしつつ所要時間を短くしようとしたことで、車両性能を向上させればそれだけ一層余裕がなくなるというジレンマがありました。05年4月の福知山線脱線事故の間接的要因としてその問題がクローズアップされたことから、その後、JR化後初めてとなる「スピードダウン改正」が行われ、新快速の所要時分も少し延びました。
新快速の運転区間は次第に延伸し、西の端は上郡・播州赤穂。06年10月には北陸線敦賀までが直流化されたのにあわせて、東側は最長で敦賀まで足を伸ばすようになりました。(基本的に湖西線経由の列車が敦賀に乗り入れ、米原経由の列車は近江塩津か長浜での折り返しとなります。)この改正で、敦賀〜米原〜姫路〜播州赤穂間、実に300km近くを4時間弱かけて走り抜く新快速が登場しました。
この延伸に先駆け、また京都線・神戸線の電車を新型車両で統一すべく、2003年度から223系の量産が再開され、2004年秋には快速も221・223系でまかなうようになりました。この増備車両は設備が若干簡略化されたものの、窓ガラスがUVカットの緑色がかったものとなるなどの改良が施されています。
223系のコンセプトはJR西日本の完成形に位置づけられており、その技術は同社が開発する電車全般に流用され、パーツを共通化することでコストの削減も図られています。2003年に登場した、ローカル線区用の単行電車125系もその一つです。姫新線高速化事業に伴って2009年に投入されたキハ122,127も、気動車ではありますが姿は223系と似通っています。
同じく2003年には、瀬戸大橋を渡って岡山と高松を結ぶ快速「マリンライナー」に使用されてきた213系を置き換えるべく、223系5000番台が登場。岡山方から2両+3両の編成で、岡山側2両がJR西日本の「223系5000番台」(一時期、従来の223系を挟んだ3両編成となっていました)、高松側3両はJR四国の所有で、5000番台の数字だけの「5000系」を名乗ります。
5000系のうち、高松方の先頭は2階建て車となっており、上段がグリーン席、下段が指定席。運転席後ろは展望席となっています。それ以外の車両は、貫通タイプとしての利用を考慮して先頭が従来の223系より平たい顔立ちとなっているほかは、外見も車内も新快速用の223系とほとんど同じです。全体としてみると、異質なものが1両くっついているという印象です。
2006年登場の交直流電車521系は223系と内外装が似通っており、かなりの部分を共通化しているようです。(2013年以降の増備分は225系タイプになっています。)
京都・神戸線系統では近年221系との併結の機会が増えたことから、性能を221系に合わせて固定した6000番台が登場。この車両には前面貫通扉の部分にオレンジのラインが付き、従来の223系と区別されています。
同年のおおさか東線開業に際しては「直通快速」用に6000番台が登場。JR東西線に対応するためにWパンタグラフとされていますが、現在「直通快速」に223系は使用されていません。これは福知山線「丹波路快速」にも使用され、福知山線にもついに223系が定期的に姿を見せることになりました。
また、長らく国鉄世代車両の独壇場であった福知山・豊岡エリアにも、ワンマン運転対応の5500番台がお目見えし、113系3800番台を置き換えました。なおこれらの車両も、前面扉部分にオレンジのラインが入っています。
2010年、京都・神戸線、および阪和線用の新型車として、223系をベースに安全性の向上などを図った「225系」が登場しました。これらの線区においては223系と225系とが併用されており、併結運転される場合もあります。