記載内容は2022年3月現在。
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私鉄各社との競争のため、京阪神の「新快速」用に登場 |
記載内容は2022年3月現在。
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今でこそ「地域性に応じた柔軟な対応」をするのは当たり前の話で、JR各社とも中核路線には快適な新型車を惜しみなくつぎ込みます。が、国鉄時代は「中央集権・規格統一」が基本。国鉄側の都合が優先され、利用者側の利便性はおろそかにされており、それが交通機関の多様化の中で鉄道離れを招いた主因の一つでした。
古くから関西では私鉄各社がサービスを競い、「私鉄王国」と呼ばれる充実ぶりを見せていました。特に京阪神では、京阪のテレビカー、阪急のロマンスシート、そして高冷房率の阪神電車。特急は特別料金不要、標準軌(新幹線と同じ線路幅)を採用して乗り心地が良く、ダイヤも緻密でした。片や国鉄はお役所仕事に高い運賃ときては勝負になりません。
この惨状に腰の重い国鉄もさすがに業を煮やしたか、切り札として投入したのが「新快速」でした。大阪万博の開催された1970年に113系で運転開始。72年からは山陽新幹線開業で余剰になった153系急行用電車が投入され、白に青帯の「ブルーライナー」として走りました。この時点で当時としては画期的なサービスだったと思われますが、既に急行としての長距離運用で酷使されていた153系では先が見えていました。
そこで1979年、「シティライナー」と銘打って京阪神にデビューしたのが117系でした。「お下がり」ではないオリジナルの新車、しかも特急に近い装備の電車なのに料金不要。急行ですらグリーン車以外は向かい合わせボックス席だった時代に転換クロスシートを採用。117系の採用にあたっては、当時の大阪鉄道管理局の強硬なプッシュがあったといわれます。
当時の新快速(京都〜姫路間)の停車駅は、大阪・三ノ宮・※神戸・明石・加古川。新幹線接続駅の新大阪、西明石さえ通過してしまうという豪快なダイヤ(※新快速デビュー当初は、神戸も通過していた)。京阪神の高速輸送に特化し、あからさまに対私鉄をにらんだ列車でした。
2年後に関東に導入された185系特急形電車とは、足回りなど多くの点で共通です。姿形も類似しており、「新幹線リレー号」や「新特急」シリーズに使用された185系200番台の当初の姿は、後に挙げる福知山線デザインの117系とよく似ています。どちらも153系などの急行形電車の置き換えを図ったものでしたが、関西では料金不要の快速、関東では実質的料金値上げの特急と、それぞれの輸送事情から大きな違いが生じました。「全国統一規格」が基本だった国鉄にとって、歴史的な転換点であったと言っても過言ではないでしょう。
私は小学3年の時まで、神戸の阪神電鉄沿線に住んでいました。ゆえに国鉄に乗る機会は少なく、しかも最寄り駅は各駅停車しか停まらない駅だったので、新快速には乗った記憶がほとんどありません。そんな117系は、自分にとってはあこがれの電車でした。一度乗車した時には、慣れない向かい合わせ席で、人と向き合うのに抵抗を感じ、ずっと窓の外の方を見ていたことを覚えています。
そんな117系も、JR化後には早々と新生の221系に押し出されて、主力の座を追われてしまいました。新快速としてメインを張ったのはわずか10年あまりでした。その後も朝晩中心に細々と新快速運用が残っていましたが、1999年に新快速の最高速度が130km/hに引き上げられた際に完全撤退となりました。
それ以後は、山陽線岡山エリアや奈良線・福知山線などに移り、相変わらずの快足を披露していましたが、2005年4月の福知山線脱線事故を機に、同線のATS(自動列車停止装置)改良が急がれた影響で、新型ATSに対応していなかった117系は福知山線を去りました。
117系は名鉄との競争の激しい名古屋圏にも導入され、JR東海エリアでも都市近郊輸送のレベルアップに貢献しました。1989年に名古屋圏にも設定された当初の「新快速」にも使用されましたが、ほどなく311系などに取って代わられました。311系や313系の増備に伴って中京の117系はラッシュ時のヘルプ要員、または浜松〜豊橋間や大垣〜米原間の普通列車に使用されるようになり、晩年は持て余され気味の存在でした。
私にとっては今もって、この車両には特別の愛着があります。奈良線や福知山線の117系に乗る機会がありましたが、単線区間でもめいっぱい、しかもなめらかに走る姿は、かつてあこがれた「新快速」を彷彿させます。新快速の型をうち立て、ひいてはJR時代の近郊輸送のモデルとなった117系は、まさに先駆者であったと言えましょう。
117系が優れた車両でありながら、比較的早くに新快速から外された原因の一つに、2扉で乗降に手間がかかるという点がありました。また、JR世代の新型車と比較すると性能(速度)面でも劣りました。117系新快速は、京阪神・中京圏における国鉄(JR)路線の地位向上に大いに貢献しましたが、利用者が増すにつれて皮肉にも足を引っ張る存在となってしまったわけです。
さらにこの車両は構造上4両編成より短くすることができず、地方路線では長さをもてあますため、何かと中途半端な存在となってしまいました。急行形の後継という意味合いの強かった117系は、「先輩」の165系の後を追うような道を辿りました。
岡山のオリジナル塗装で快速「サンライナー」に
2015.1.25 庭瀬〜中庄
文字通り165系の後継者となったのが、2002年、和歌山線・紀勢線用に転属した車両。青緑色に塗り替えられて、特急「くろしお」とのイメージ統一が図られました。後にラインを廃した青緑一色塗装になりましたが、227系に置き換えられて2019年に撤退となりました。
紀州方面の117系はオーシャンブルーに
2004.10.31
JR東海は313系増備により国鉄世代の車両の置き換えを進め、持て余し気味ながらそれなりに活用されてきた117系も、2013年3月改正をもって定期運用を終了しました。
西日本管内では今も各地で活躍を続けており、京都・滋賀エリア(湖西線など)、山陽本線(岡山近郊)で見ることができます。最近では管内で進められている塗装簡略化の流れを受けてそれぞれ緑色、濃黄色への変更が行われています。
岡山〜福山間の「サンライナー」も2009年に大幅減便、2022年3月に全廃。速達列車としての117系の使用は少なくなってきており、かつての「新快速」の勇姿を知る者としては寂しくなりました。
2020年9月には、117系を改造した新たな長距離観光特急「WEST EXPRESS 銀河」が登場。6両編成に個室を含めたグリーン車やフリースペース、フルフラット席などを備えます。これまでのところ京阪神と山陽(昼行)・山陰(夜行)・紀南方面(夜行/昼行))を結ぶコースが設定されています。(通常の方法で購入できる乗車券・特急券・グリーン券で乗れるカジュアルさが売りになるはずでしたが、新型コロナ対策として、現時点では旅行会社を通して申し込む企画列車扱いとなっています。)
117系を大胆に改造した観光特急「WEST EXPRESS 銀河」
2021.6.20 大久保
2020年3月に弟分の特急用185系が定期運用を終了しており、その直後に117系が豪華特急としてデビューしたというのも、面白い巡り合わせです。
京阪神における「新快速」のルーツは、実に戦前にまで辿ることができます。
既に私鉄各社がしのぎを削っていた中、1934年に大阪〜神戸間に「急行」(現在のそれと異なり、料金不要の速達列車)が登場。当初は42系電車でしたが、36年に急行用の52系電車が投入されました。先頭車が独特の流線形をしていたことから「流電」と呼ばれ、ベージュと茶色(ぶどう色)のツートンカラーが採用されました。なお、下の保存車(クモハ52004)は、佐久間レールパークを経て現在はリニア・鉄道館で展示されています。
佐久間レールパークに保存されていたクモハ52004
2009.8.12
戦後になり、急行が有料の優等列車を指すようになってからは、京阪神の速達列車は「快速」を名乗っていましたが、前述のとおり1970年に快速の上位種別である「新快速」が登場。117系はかつての「流電」のカラーを継承し、戦前の急行電車の復刻ともいえるものでした。国鉄変革を控え、私鉄王国に立ち向かう高速輸送の復権を期したのでしょう。
このカラーリングは、後継の221系にラインカラーとして引き継がれ(ベージュが若干濃くなっていますが)、現在新快速として活躍している223,225系にも採用されています。117系車両が新快速から退いて久しく、既に全車両が元のカラーを失いましたが、その伝統はJR世代の後輩たちにしっかりと継承されています。