5.阿蘇と2つの温泉地

 

  写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。

 広大なる阿蘇の山

 阿蘇 12:25 → 阿蘇山西 12:55 [バス]

  ここからは阿蘇山に向かうべく、バスに乗り込む。木が少ない草原地帯をバスはぐんぐん登って行き、カルデラが下方に広がる。周囲では牛が放牧されていて草を食んでいる。なだらかな山々が前方に広がり、やがて中岳山頂近くにたどり着く。円筒状の建物が阿蘇山ロープウェーの阿蘇山西駅。(一般に「ロープウェイ」と表記されるが、以下「阿蘇山ロープウェー」の正式名称に合わせて記す。)

  中岳火口縁へはロープウェーで4分。パンフレットによると、1958年に世界で初めて活火山に架けられ、高低差108m、ゴンドラは91人乗り。眼下に広がる岩石が露出し荒涼とした原っぱを見ながらゴンドラで揺られ、火口西駅へ。

  中岳は標高1,506m。阿蘇の地勢自体はなだらかなので、あまり高くまで登ってきたという印象がないが、それなりに高い場所なのでひんやりとしている。そして風は強い。天気は悪くないが、空は若干かすんでいる。

  火口の縁から見下ろす火口湖は絶えず蒸気の煙を上げ、水色と言おうか緑色と言おうか、なんとも言えない色をしている。以前(1998年)に山形・宮城の蔵王山で、「お釜」と呼ばれる同様の火口湖を見ることができたが、こちらは現に煙が上がっているぶんだけ、まさに生きた山という実感が沸く。すり鉢状の火口部の内側に緑は一切なく、岩石ばかりの死の世界。この縁から先に入ることはできないが、こんなところまで近づいてのぞき込めるというのが不思議だ。自分がこんなところにいてもいいのか、という気持ちになる。

阿蘇山の火口湖 

  外側に目を移すと、ナイフで切りこんだような切り立つ崖。噴火の繰り返しで形成されたのであろう、ダイナミックな断層がうねりを描いている。これも大地のエネルギーのほんの一端。自分は生きてきた30年ほどしかじかに知らないが、その何万倍もの途方もない時間をかけて造られてきたに違いないこの地形。凝視していると吸い込まれそうな錯覚を覚える。

山頂部の切り立つ崖 

  今日は火口湖から湯気が出ているというくらいの感じで湖面も見える状態で、阿蘇山としてはかなりおとなしい部類だろう。それでも火口縁に並ぶコンクリートの無骨なシェルターの存在に、この山はいつ暴れ出してもおかしくないのだと気づかされる。シェルターは型から抜いたスポンジケーキのような平たい円筒状で、さきの阿蘇山西駅もこれを意識した形状なのかもしれない。周囲には外国人の姿も目立つ。

火口付近のシェルター 

  もときた方角を見渡すと、眼下にロープウェーの阿蘇山西駅、その背後に標高1,337mの烏帽子岳がそびえる。その右側にはこれから向かう草千里ヶ浜が横たわり、さらに右には杵島(きしま)岳(1,326m)。中岳と烏帽子岳、杵島岳、そして高岳、根子岳をあわせて「阿蘇五岳」と呼ぶらしい。これだけでも圧倒的なスケールだが、それらをひっくるめても、カルデラから外輪山までを含めた広義の阿蘇山の中ではごく一部に過ぎないのだから、恐れ入る。

阿蘇山西駅方面を望む 

 阿蘇山西 14:30 → 草千里 14:35 [バス]

  ロープウェーで阿蘇山西駅に戻り、そこからバスで引き返す格好で、5分ほどで草千里へ。バス道に沿う「草千里レストハウス」の正面に広大な草原、そこには大きな池が広がっている。その水辺では放し飼いにされた牛たちが水を飲んでおり、中には池に足を踏み入れているものも。察するにこの池はほとんど水深がなく、巨大な水たまりのようなものか。

牛の放牧されている草千里 

  こちらも阿蘇観光の定番とあって人は少なくないが、これだけだだっ広い場所なので散らばってしまうと存在感がなく、むしろ牛たちの方が、ここは自分たちの世界だとばかりに我が物顔だ。観光地にありがちな気ぜわしさや「作られた」感がなく、むしろ大自然の中に人間が放牧されるような感じ。背後には烏帽子岳。阿蘇の中でも古い山だそうで風化が進んでおり、そのぶん中岳などと比べて険しさがないのだが、それが草千里の広がりとマッチしている。

  池の側からレストハウスのほうを振り返ってみると、その背後にはコブが突き出たような杵島岳がユニークな姿。レストハウス周辺の建物群だけが、草原の中の数少ない人工物として存在している。空はいつのまにか曇り、どこか遠くでゴロゴロと雷鳴が響いている。

草千里レストハウス 背後には杵島岳 

  レストハウス近くには「馬のりば」と書かれた建物があり、ここから乗馬もできるようだ。そんなのに一人で乗ってもわびしいだけなので、あとはレストハウスでソフトクリームを買って食べたり、土産物を見て回ったりして過ごす。

 草千里 15:50 → 阿蘇 16:15 [バス]

  阿蘇の大自然を満喫し、バスに乗り込んでもと来た道を引き返す。

 駆け下る豊肥線

 阿蘇 16:35 → 宮地 16:43 [バス]

  阿蘇駅に戻る。あとは今夜の宿泊地・別府を目指すが、あいにく阿蘇から大分方面への列車の接続がない。宮地までバスで移動することになる。

阿蘇駅に戻ってきた 

  宮地 17:03 → 豊後竹田 17:53[51] [普通 2425D/気・キハ125]

  宮地から豊後竹田までは県境・山越えの区間とあって普通列車の本数がかなり少なく、乗り継ぎのネックとなる。1年前の旅行でもこの区間だけは特急を使わなければならなかった。その数少ない普通列車を利用するが、キハ125の単行に乗客は多くない。

宮地駅から豊肥線の旅を再開 

  宮地を出ると列車は登り勾配にかかり、40km/hほどのゆっくりした走り。山の中へ入ってゆき、やがて長いトンネルでカルデラの外輪を越える。トンネルを出ると雨。到着した波野駅には「九州で一番高い高原の駅 海抜七五四米」という朽ちかけた看板が立っていた。

  ここからは下りの一途。カーブを繰り返しながら林の中を駆け抜けてゆく。不意に列車が徐行しだしたかと思うと、脇からせり出した竹の枝がザザーと窓をこすっていった。

雨に煙る山間を下る 

  熊本県から大分県に移り、列車はほぼ惰性で下って行くが、なかなか眺望は開けてこない。火山によって形成された阿蘇の地質は見るからに脆く、これだけ山の中だと土砂崩れや洪水も多そうだが、現に豊肥本線は何度も大災害に見舞われており、そのたびに長期運休を余儀なくされてきた。1990年7月の集中豪雨後の不通は1年以上に及び、今乗っている宮地〜豊後竹田間の再開は1991年10月のことだった。このため1991年8月の旅行では、九州を横断するのに豊肥本線ではなく久大本線を利用している。自然の中を走る=儲けの少ないところほど災害のリスクが高く、維持費もかかるというのは事業者にとっては何とも厳しいところだが、豊肥線は一続きであってこそ意味のある路線だけに、JR九州としても見捨てることができないのだろう。

  トンネルの出入りを繰り返し、やがて終点の豊後竹田に着く。

  豊後竹田 17:54[52] → 大分 19:06 [普通 4459D/気・キハ200]

  すぐの接続でキハ200の2両編成に乗りかえる。引き続き谷間をゆくが、しだいに民家が多くなり、速度も上がってくる。さすがに750m以上の標高からとなると、下っても下っても終わりが見えてこない感じがするが、着実にゴールは近づいている。

  豊肥本線は東から北向きへ転じ、およそ大野川に沿ってゆく。もう外は薄暗い。列車の行き違いが増えてきて、いよいよ大分近郊の雰囲気だ。

  大分 19:20 → 別府 19:32 [普通 640M/電・815系]

  大分からは明日久大本線に入ることにしているが、とりあえず別府を目指して日豊本線に乗り換える。別府での宿泊は西口を出てすぐのホテル。ビジネスホテルながら、屈指の温泉地らしく展望浴場を備えており、しっかり利用させていただく。九州の旅も実質、残すところあと1日。

 久大線のんびりトロッコ


 2006年8月2日
 別府→由布院→久留米→原田→桂川→博多(→三ノ宮)

  明けて8月2日。ホテルの窓からは別府タワーと市街地、そして別府駅が望まれる。タワーの向こうには輝く海。

ホテルから眺める別府タワーと駅 

  今日はまず由布院を目指すことにしている。別府から見れば西にそびえる鶴見岳・由布岳を隔てた位置にあり、直線距離的にはそう離れていないが、鉄道で行くには南側へ大きく迂回しなければならない。由布院温泉はもとは「別府十湯」に数えられ、いわば別府温泉とワンセットだった。しかし由布院は自然の豊かさを活かした文化的な温泉地を目指して今やブランドとして確立し、昔ながらの歓楽街的な温泉地の代表格である別府とは好対照をなす存在となっている。

  別府 8:25 → 東別府 8:28 [普通 4631M/電・815系]

  大分から「トロッコ列車」に乗って由布院へと向かうが、余裕があるので別府から1つ進んだ東別府で途中下車してみる。近代的な高架の別府駅とは打って変わって、風格ある木造の駅舎。明治44年に鉄道が開通した当時からのものを2004年に改修したとのこと。今は無人駅でひっそりしているが、もとは別府の大分側の玄関として栄えたのだろう。中心から外れているがゆえに変化の波を経験しなかったともいえるが、こうして大切に扱われた鉄道建築に出会えるとほっとする。

明治から残る東別府駅舎 

  駅前には線路と並行して国道10号が走り、その向こうに別府湾が広がっている。大分側には猿で有名な高崎山がそびえ、道路と線路はそのへりを海岸に沿って進んで行く。山の上には雲がかかり、あまり天気は良くなさそうだ。

  東別府 8:56 → 大分 9:07 [普通 629M/電・815系]

  加速のよい815系で湾岸を突っ走り、大分へ。最近の中核駅だと高架駅、または駅ビルが併設されている駅が多いなか、大分駅は旧来の平面的な駅だ。しかしここにも近代化の波が迫り、高架化工事を控えて駅外側の車両基地の留置線が撤去されつつあるところだ。

  大分 9:22 → 由布院 10:51 [快速「トロッコ列車」 8872D/気・キハ58系]

  大分から乗り込むのが6つめの名物列車、久大本線のトロッコ列車だ。


  観光特急「ゆふいんの森」に合わせたかのような深緑色の車体、キハ58系の先頭車2両で、貨車を改造した3両のトロッコを挟む編成で「トロQ」という愛称がある。朝に大分から由布院まで快速として運転され、その後由布院と南由布の間を何度か往復、最後に大分に帰るダイヤが組まれている。つまりこれから乗るのは、大分から由布院への「出勤」を兼ねた列車というわけである。「快速」扱いではあるが、由布院まで特急なら50分ほど、普通でも1時間程度の区間を1時間半かけて走るので、決して速くはない。

  大分〜由布院間の列車は全車指定席扱い。あらかじめ確保している指定席は最後部のキハ58に割り当てられている。ちなみに先頭はキハ65 36という車両で、これは2002年8月の旅行で日田から久留米まで、増結車として連結されていた。当時は普通の車両だったが、トロQ用に抜擢されてデザインが変更されている。この2両はトロッコを動かす動力車であるとともに、雨が降った場合などの待避用らしい。

  トロッコのほうは「トラ70000」とよばれる無蓋貨車に簡素な屋根を付けたもので、窓のない吹きさらしの客室に木製のベンチとテーブルが配置されている。客は少なく、どこでも自由に座れる状態。

トロッコ車両の様子 

  しばらくは大分近郊を走り、民家の先をガラガラのトロッコがゆくという妙な光景。貨車らしく突き上げる揺れが激しいのはトロッコ列車の醍醐味。デン、デン、デン、デデ、デン…と独特のリズムを刻みながら、ひたすらゆっくり進んで行く。

  田園地をしばらく進んで向之原(むかいのはる)へ。この先南由布まで1時間近く、客扱いをする停車駅はない。大分の近郊を離れ、列車は勾配にかかる。山が近づき、大分川の谷を小刻みにカーブしながら高度を稼いでゆく。相変わらず今にも停まりそうな低速だが、ただでさえ馬力のないキハ58系が動力のない貨車を3両挟んでいるのだから、観光列車だからとあえて徐行しているわけではなくて、これが性能めいっぱいの走りなのかもしれない。

ゆっくり登って行く 

  庄内で列車は停車。客扱いはないが、対向列車を待ち合わせる運転停車だ。走っているうちは風を切っていて良いのだが、停まると途端に暑くなる。程なく現れたのは、えんじ色をした特急「ゆふDX」。左側をゆっくりと通過していった。

  引き続き列車は高度を上げる。左側には大分川が深く谷を刻み、その両側の山裾に田畑が広がる。そのさなかを列車は、相変わらずデンデンデンと足音を刻みながら車体を揺らして行く。さすがに1時間以上となると、乗っているのが疲れてくる。

  ここまでダイナミックな谷の中をやってきたが、湯平を過ぎると谷が狭まり、やがて開けてきたその先に由布岳が姿を現す。南由布で久々に客扱いの停車をするが、この列車は残すところあと1区間。

由布岳が前方に 

  由布岳の麓に広がる盆地に入り、トロッコ列車は終着の由布院へ。

由布院駅に到着 

 

 トップ > 旅日記 > 旅日記06-2(5)