2.夕暮れ時の天領巡り

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 筑豊を一気に南下

  九州入りする前に改札を出て、土産や弁当を買い込む。乗り継ぎ旅の場合、買えるときに買っておかないと機を逸することがしばしばだから、余分な荷物になることは覚悟の上で、早めに手をつけねばならない。

  土産は「ひよ子饅頭」。福岡銘菓のはずだが、本州下関での購入である。ひよ子は全国区のお菓子だから別に不思議なことではないが、やはり下関は北九州文化圏の一員なのかと思う。弁当のほうは、こちらは下関らしく「ふく寿司」を買う。「ふく」とは「ふぐ」のことで、下関では濁らずに読むのだそうだが、下関に親の実家のある高校時代の友人は、「そんなことはない」と言っていた。同じ下関でも地域や世代によるのかもしれないし、地域性をアピールするために古い方言を引っ張り出してきたのかもしれない。

  下関 13:11 → 門司 13:19[18] [普通 5555M/電・415系]

  買うべきものを買い込んだところで、いよいよ関門トンネルへ突入。本州と九州を結ぶ、というと長いトンネルを想像するが、実は3.6km程度の長さで、割にあっけなくくぐり抜けてしまう。しかしその先はもう九州だ。最初に停まる門司駅は、九州の玄関口らしく構内は広く、長いホームが連なるが、明らかに持て余している。

  門司 13:25 → 折尾 13:56[快速 4343M/電・811系]

  門司で鹿児島線の快速電車に乗り換える。「ふく寿司」に手をつけようと包みを開いたが、次の小倉で席が埋まるほどに客が増えたので、袋に戻す。電車は北九州の工場群の脇を快調に飛ばし、折尾へ。ここで筑豊本線に乗り換える。

  折尾は、鹿児島線と筑豊線が構内で立体交差しており、少し離れたところに、小倉方面から筑豊線に入る短絡線のホームが別にあるという、複雑な構造の駅だ。ここの駅弁の「かしわめし」は、九州に並あるかしわめしの中でも歴史が古く、絶品との評があり、ぜひ食しておきたい。手元にまだ昼食の弁当があるのに新たに買うのも気が引けるが、「かしわめし」は夕食用ということにして確保しておく。

  筑豊線は2001年に折尾〜直方〜桂川間および短絡線が電化され、両端の若松〜折尾間と桂川〜原田間は非電化線として取り残された。このため折尾の筑豊線ホームでは、直方経由博多行きの電車と、若松行きの気動車が並んで出発を待っていた。電車は817系という新型で、いかにもJR九州好みな黒基調のカラーリングだ。車内の座席も、木製の背もたれに黒い革張りの座面という奇抜なものだった。

折尾駅にて。これから乗るのは黒い顔の電車 

  折尾 14::05 → 新飯塚 14:44 [普通 6543H〜直方から4647H/電・817系]

  もともと、筑豊の炭田からの石炭輸送がメインだったため、この筑豊線の雰囲気は独特だ。複線なのだが、双方の線路の間には不自然な隙間があいている。駅のホームも、上りと下りがそっぽを向いたようなおかしな構造になっている。石炭輸送全盛期には、中央にも線路が敷かれ、貨物列車が縦横無尽に行き交っていたようだ。本線から分岐する廃線跡らしきものも、幾つか見受けられた。石炭が見捨てられ、一度は衰退した筑豊本線だが、北九州の通勤路線という新たな意義が付されたことで、設備は縮小されつつも、新型電車の走る近代路線に生まれ変わったのだ。

  ここで、さきほど開きかけてやめた「ふく寿司」に改めて手をつける。ふぐというものを食するのは初めてなので、どんなものかと注目したが、独特の臭みというかクセがあり、車中泊と炎天下で歩いたことの疲労がたまっていたせいもあると思うが、のどを通りにくかった。いわゆる‘玄人好み’な味なのかもしれないが、‘素人’の私には一度で十分だった。

これが「ふく寿司」 

  直方を通り過ぎ、後藤寺線と接続する新飯塚に近づく。今後の予定は、後藤寺線に乗り換えて田川後藤寺へ抜け、そこから日田彦山線で日田へと向かうことにしている。新飯塚には14時44分の到着。ホームの向かいには後藤寺行きの単行ディーゼルが待っている。走り去る電車を写真に収め、いざ乗り換えようとすると、列車は目の前でドアを閉め、動き出してしまった。

  この駅での接続時間は1分。すぐに移らず悠長に写真など撮っていたものだから、関係なしとみなされてしまったのだろう。あわててホーム上を追いかけ、ダメもとで呼びかけると、列車はホーム途中で止まってドアを開けてくれた。助かった。ここで走り去られていたら、今後の予定の大幅見直しを余儀なくされるところだった。

  新飯塚 14:45 → 田川後藤寺 15:06 [普通 1557D/気・キハ40系]

  軽く山越えし、白粉舞う石灰岩積み出し現場の脇を過ぎて、列車は田川後藤寺へ。日田彦山線の列車は、対向列車の遅れから5分ほど遅れての出発となった。

  田川後藤寺 15:15[10] → 夜明 16:09[04] [普通 957D/気・キハ140]

  ここから日田へ向かうには、立ちはだかる英彦山を越えなければならない。山の名前は英彦山と書いて「ひこさん」なのだが、線名は日田彦山(ひこさん)線で、表記が異なる。

  盆地が尽きて山脈に突き当たり、彦山駅からいよいよ峠越えにさしかかる。濃い緑に彩られた山々を見ながらあえぎつつ急勾配を登りつづけた気動車は、全長4kmを超す長いトンネルで英彦山山系を突き抜け、こんどは猛然と駆け下る。

青い空、鮮やかな緑。英彦山の峠越え 

  夜明 16:16[12] → 日田 16:25[22] [普通 1857D/気・キハ125]

  やがて久大本線と合流して夜明へ。久大線の黄色いディーゼルに乗り換えて、谷が広がってくると日田が近い。時刻はいつしか16時半近くになっていた。

夜明駅に着いた日田彦山線のキハ140 

 日田の街は静かにたたずむ

  「天領」つまり江戸幕府の直轄地として発達したという日田。ここには「西国郡代」とよばれる代官が置かれていた。北九州のど真ん中で、九州の諸大名ににらみを利かせていたわけだ。現在の行政区分上は大分県の一番奥だが、筑後川上流に位置するので、どちらかというと福岡とのつながりが強いイメージがあり、ここを大分の一部といわれてもピンとこない。

  実際に訪れてみると、おもいのほか大きな都市だ。高い山に囲まれた盆地だが、産業が発展する条件も整った場所なのだろう。江戸時代には豪商が住み、町人文化が栄えて「小京都」と呼ばれたそうで、今もその名残をとどめているという。せっかく2時間ほど滞在時間があるので、そんな町並みを眺めてみたい。

  しかしあいにく、時間がもう遅い。日の長い夏場なのでまだ日は高いものの、すでに16時をまわっている。駅前の観光案内所に行き、レンタサイクルを頼んだら、17時までだからもう幾らも使えませんよと言われる。仕方ないので、ぼちぼち歩いて巡ることにする。

  目指すは南側の三隈川に沿う日田温泉街か、北側の豆田町かということになるが、温泉に入る時間はないので、とりあえず北に向かうことに。江戸時代、あるいは近世の建物をそのまま活かすかたちで、今も生活が営まれ、にぎわいが保たれている様が興味深い。「小京都」と呼ばれるだけあって、道も整然としている。かつては水運に利用されていたのであろう、水路も巡らされている。天領として保護されていたからこそ、こうしたゆとりある町作りができたのだろう。

整然とした日田・豆田町のようす 

  やがて町の北を流れる花月川に突き当たり、それを渡ると「月隈公園」に行き着く。私は旅先で、こういう小高い場所に登って町を眺めるのが好きだ。たいていこういう場所は、城跡などが公園化されている場合が多いのだが、この月隈公園も、江戸初期には城、のちに陣屋があった所なのだという。しかもここには、こともあろうに古代の豪族の墓もあったそうで、所々斜面に穴が開いている。時間も時間なだけに、ちょっと嫌な気分にもなる。

  丘陵上から日田の町並みを一望。豆田町には灰色の瓦屋根が並び、煙突の立つ大きな瓦葺き屋根の建物も見える。お酒を造る工場のようだ。日田では、これという観光スポットを訪れたわけではなかったが、夕刻の静けさとあいまって、その町並みの味わい深さが印象に残った。

月隈公園から日田の街を一望 

  日田 18:20 → 久留米 19:35[29] [普通 1864D/気・キハ65]

  18時20分発の久留米行きで日田を出発する。列車は3両で、一番後ろが急行型のキハ65だったので、そちらに乗り込む。谷が狭まり、日田彦山線が分岐する夜明を越えると、筑後川のなす谷が広がってくる。進行方向右前、西の空に真っ赤に輝く夕日が美しい。

  日田を出るときにはガラガラだった車内だが、久留米が近づくにつれてしだいに混雑してきた。だがどうも、その混み方が尋常でない。座席が埋まり、通路もいっぱいになり、さらに着く駅着く駅、ホームには大勢の客が待ち、乗り込みにやけに時間がかかる。どうやら夏祭りか何か、大きなイベントがあるようだ。しまいには、もうこれ以上は乗れまいと思えるほど、通路はぱんぱんになった。

  終点・久留米には定刻より6分遅れで到着。超満員の車内からはき出された乗客は、列をなして改札へと向かってゆく。この列車だけではない。鹿児島本線の列車からもさらに多くの客が降りてきて、ホームは人であふれている。本線の下り列車のダイヤはかなり乱れているようだ。

  ホームの向こう側を見て納得した。暗くなった空に、次々に打ち上がる花火。昨夜の加古川に引き続き、二夜連続で花火大会の混雑に巻き込まれてしまったわけだ。しかし、駅のホームから花火を見られるというのも、なかなかおもしろい。

久留米駅にて。ホームで花火見物とは 

  久留米 19:45[44] → 博多 20:31[28] [快速 4356M/電・811系]

  あとは博多まで快速電車で移動する。「花火ラッシュ」とは反対方向になるので、列車はうそのようにすいている。もう旅も終盤だが、まだ残っているものがある。昼間に購入した、折尾駅の「かしわめし」だ。かつて博多で買ったかしわめしは今ひとつだったが、今度のは老舗弁当として有名なので、期待が持てる。包みを開くと、鶏のそぼろ、錦糸卵、海苔の三色の対比がまず目を楽しませる。シンプルな内容だが、味は絶品。すべてにバランスがとれており、大げさかもしれないが、駅弁のなんたるかを熟知した弁当だと思う。

折尾名物「かしわめし」 

  かしわめしに満足して博多到着を待つ。列車は快速だが、二日市で特急2本の通過を待たされる。福岡エリアでの「特急」の位置づけは、関西でいうところの新快速だろう。新快速との違いは特急料金が必要なことだが、九州では短距離の特急料金が安く抑えられている上、ホームに特急券の券売機が設置されており、気軽に乗れるようになっている。

  博多 21:10[09] → 加古川 翌5:27 [快速「ムーンライト九州」 9221レ/客・14系]

  南福岡からは、前の列車が詰まっているのか徐行運転になり、博多には3分遅れで到着。博多から、行きと同じ夜行快速「ムーンライト九州」に乗る。加古川着は5時27分。昨日、山口の小月に着いた頃だな・・・と考えると、妙に感慨深い。加古川線の一番列車で揺られるころには、東の空に赤い太陽が昇っていた。

  加古川 5:45 → 厄神 5:57 [普通 1321D/気・キハ40系]

厄神駅に到着 

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