歴史は古く、播但鉄道により1894(明治27)年に姫路〜絡の寺前間が開通。和田山までの全通は19を担う06(明治39年)のこと。同年国有化。
籍のうえでは、飾磨港〜姫路間(5.6km 通称飾磨港線)も一体でしたが、こちらは貨物輸送が主体で旅客列車はごく少なく、姫路以北との直通はありませんでした。1986年に飾磨港線は廃止され、播但線は現在の姫路〜和田山間65.7kmとなっています。
兵庫県の南北を結ぶ主要路線で、特急「はまかぜ」、急行「但馬」が運転されてきましたが、現在は「はまかぜ」に統合されています。一方で近代化は遅れ、近畿圏では最後まで客車列車が残っていた線区でもあります。1998年に姫路側が電化されましたが、寺前以北は断面の小さいトンネルが続くこともあって電化が困難で、いまだ非電化のままです。
1995年の阪神大震災で阪神間の交通が分断された際には、播但線〜山陰本線〜福知山線の迂回ルートが機能し、播但線では「スーパーはくと」用のHOT7000系も使用されました。
全線単線。姫路で山陽新幹線・山陽本線(JR神戸線)・姫新線・山陽電鉄線、和田山で山陰本線に連絡し、文字通り陰陽連絡線の一端を担っています。姫路〜寺前間は電化されていますが、寺前〜和田山間は非電化のため、普通列車はすべて寺前で分断されています。また、神戸線と直通する特急「はまかぜ」は姫路で進行方向が逆になります。
姫路から生野にかけては、主に市川に沿う格好で北上し、そこから生野峠を越えて播磨から但馬に移り、円山川水系へと進んでゆきます。生野トンネルは断面が小さく、前後に急勾配を抱えていることで、ネックとなっています。
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1998年に姫路〜寺前間が電化され、普通列車の運用は寺前を境に分断されています。電化区間ではワンマン化改造された103系が2両〜4両編成で運用されています。
寺前〜和田山間にはキハ40系が使用され、こちらは山陰本線豊岡〜浜坂間と共通の車両です。キハ47を両運転台改造したキハ41が在籍し、改造側は特殊な平面的な顔となっています。
特急「はまかぜ」はキハ189系3両(多客時6両)での運転。2010年11月まではキハ181系で、通常4両ながらグリーン車も備え、多客時には増結されて5〜7両となっていました。
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