車両紹介

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 キハ189系気動車

  特急「はまかぜ」に使用。

  「はまかぜ」は、播但線を経由して大阪〜香住・浜坂・鳥取間に3往復運転。姫路駅で方向転換します。キハ189系はキハ181系からの置き換えで2010年11月デビュー。基本編成である3両、または6両での運転となります。キハ181系時代にはあったグリーン車はなくなり、普通車のみ。

  「はまかぜ」は、播但線内では姫路・福崎・寺前・生野・和田山に停車。かつては播但線内無停車でしたが、急行「但馬」と統合されたとき、急行の停車駅を踏襲しました(「はまかぜの歴史」参照)。山陰本線の城崎温泉〜鳥取間に乗り入れる特急としても唯一の存在となっています。

ステンレス車体のキハ189系 

 キハ181系気動車

  特急「はまかぜ」、および臨時の「かにカニはまかぜ」に使用されてきました。

  通常は4両編成で、うち1両はグリーン車。多客時には増結され、最大7両となりました。キハ181系を使用する特急としては最後の生き残りとなりました。ハイパワー気動車の本領で、生野峠もあまり苦にしない走りでしたが、最高速度120km/hで、新快速の走る山陽本線区間では厳しさもありました。

  老朽化の進行に伴い、2010年11月6日をもって、特急「はまかぜ」としての運行を終了。2010年中の「かにカニはまかぜ」に使用後、2011年春までには引退となる運び。

基本は4両だがグリーン車を挟む 

7両編成を組むと、気動車特急の貫禄を覚える 

「はまかぜ」撤退後もしばらく「かにカニはまかぜ」に起用 

 103系電車

  1998年の電化に伴い、ワンマン運転対応の2両編成化された103系が投入され、姫路〜寺前間の普通列車に使用されています。窓サッシの交換や雨樋の撤去などの延命工事を受けた車両です。以降、播但線のイメージカラーとして、現在103系がまとっているワインレッドが採用されていますが、関西では播但線に最後まで残った50系客車を彷彿させるカラーリングです。基本は2両編成のワンマン運転ですが、ラッシュ時には4両編成となります。

リニューアル103系が寺前以南の主力 

ラッシュ時には4両編成も 

  一部編成は、「銀の馬車道」ラッピング車両となっています。これは、明治時代に生野銀山と飾磨港を結んだ馬車専用の産業道路で、のちの播但線や播但道路のルーツともいえます。

「銀の馬車道」ラッピングが施された編成 

 221系電車

  朝ラッシュ時に姫路〜寺前間に1往復だけ、221系の6両編成が運転されます。電化区間を走る普通列車としては最長の編成、また唯一のクロスシート車ということになります。

播但線では異彩を放つ221系 

 キハ40系気動車

  非電化区間として残った寺前〜和田山間では、103系に塗色を合わせたキハ40系が走行します。基本1-2両のワンマン運転。両運転台のキハ40、片運転台のキハ47、そしてキハ47を両運転台改造したキハ41があります。キハ41は改造側が平面的な顔をしており、JR西日本に数ある改造先頭車の中でもひときわ奇妙な姿になっています。

キハ40+47の2両編成 

キハ41の先頭部改造側 

  運転台に向かって右側窓の下部にある青い四角の部分には、当初は白字で「BANTAN」のロゴが入っていました。現在では、山陰本線豊岡〜浜坂間と共通で車両を運用しているためか、「BANTAN」の文字は消されています。なお今後は、JR西日本の他線区の気動車と同様、朱色一色のカラーに変更されてゆく予定です。

朱色一色のキハ40 

 過去の車両

  近畿エリアの中では比較的近年まで客車列車が残っていた線区であり、1990年3月時点での時刻表ではまだ、普通列車の過半数が客車列車でした。50系、12系がDD51やDE10の牽引で走行し、1992年まで続いたとのことです。

  播但線経由で運転されていた急行「但馬」はキハ58系でしたが、1996年に特急「はまかぜ」に統合されて廃止。2004年5月にはリバイバル「但馬」、06年10月には急行「あまるべ」がいずれも国鉄色キハ58系で運転され、注目を集めました。

「但馬」時代を連想させる急行「あまるべ」 

  普通列車については、1998年の寺前電化までは姫新線と共通の車両が使用され、キハ40系に加えて、車内をオールロングシート化したキハ58系も運用に就いていました。電化以降は、姫新カラーの車両が播但線に入ることはなくなり、キハ58系も廃車となりました。

非電化時代は姫新線と共通だったキハ40系 

  数年前までは、冬季のかにシーズンに、兵庫北部の車両不足を補うためにキハ58系が走ることがあり、播但線で運用に就く機会もありました。

寺前駅構内に急行カラーのキハ58系の姿 

 特急「はまかぜ」の歴史

  「はまかぜ」の登場は1972年。当初はキハ80系、1982年からキハ181系での運転となりました。

  もともと、福知山線経由で大阪と鳥取方面を結んでいた特急「まつかぜ」を補完する目的の列車であったため、この列車で大阪〜和田山以西を直通する場合は、福知山線経由の距離で運賃・料金を計算するという特例が設けられています。

  1986年に福知山線および山陰本線の福知山〜城崎(現・城崎温泉)間が電化され、「まつかぜ」が廃止、福知山線経由の特急の多くが電車の「北近畿」(現「こうのとり」)となり、城崎までの輸送主体となったことから、「はまかぜ」の一部が米子まで運転されるようになりました。

  しかし、1994年に智頭急行が開業し、京阪神〜鳥取間のメインルートが移ると、「はまかぜ」の役目は兵庫県の南北間、つまり神戸・姫路〜但馬地区間の輸送が主体となりました。1996年には播但線経由の急行「但馬」を吸収する格好で、現在の3往復体制となりました。それまで「はまかぜ」は播但線内無停車でしたが、そのさいに「但馬」の停車駅を踏襲して、線内にも停車するようになりました。

  山陰本線余部鉄橋の架け替えなどに伴う高速化事業の一環として、車両の更新が行なわれることになり、2010年11月に新型のキハ189系に交代。

  以下に、手持ちの時刻表から、播但線経由特急・急行の変遷を示します。(下り列車のみ)

  1974年9月

  [急]但馬1号 姫路→浜坂
  [急]但馬2号 姫路→城崎 ※季節列車
  [特]はまかぜ1号 新大阪→倉吉
  [急]但馬3号 大阪→浜坂(城崎から普通)
  [急]但馬4号 大阪→鳥取(浜坂から普通)
  [特]はまかぜ2号 大阪→鳥取

  はまかぜ停車駅:(新大阪)、大阪、三ノ宮、明石、姫路、和田山、八鹿、(江原)、豊岡、城崎、(香住)、浜坂、鳥取、(倉吉)

  1990年3月

  [急]但馬1号 姫路→鳥取(浜坂から普通)
  [特]はまかぜ1号 新大阪→倉吉
  [特]はまかぜ3号 大阪→米子
  [急]但馬3号 姫路→豊岡
  [特]はまかぜ5号 新大阪→鳥取

  はまかぜ停車駅:(新大阪)、大阪、三ノ宮、明石、姫路、和田山、八鹿、江原、豊岡、城崎、(竹野)、香住、浜坂、(岩美)、鳥取、
             (浜村)、(松崎)、(倉吉)、(浦安)、(赤碕)、(米子)

  2010年3月

  [特]はまかぜ1号 大阪→浜坂
  [特]はまかぜ3号 大阪→香住
  [特]はまかぜ5号 大阪→鳥取

  はまかぜ停車駅:大阪、三ノ宮、神戸、明石、姫路、福崎、寺前、生野、和田山、八鹿、江原、豊岡、城崎温泉、竹野、香住、
             (浜坂)、(岩美)、(鳥取)   

 

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