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4.どこまでも雪とともに |
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2004年12月31日 (新宿→)信濃大町→松本→奈良井→名古屋→三ノ宮 |
白馬行き「ムーンライト信州81号」が新宿を出発、まもなく日付が替わる。車両はかつて特急「あさま」に使われていた189系で、廃止から7年以上を経た今も変わらず、白地の車体に緑色の帯をまとっている。ただ車内はさすがにくたびれており、自分が座っている座席は回転式クロスシートのロックが甘いのか、油断すると勝手に回りそうになる。中央本線をゆっくりペースで進んで行くが、線路際にはやはり雪が残っている。
悪条件の座席だったが割とよく寝ていたようで、気づくともう信州に入っていた。発車時のアナウンスでは満席だと言っていたが、結局隣には誰も乗ってこなかった。
松本到着は4:32。ここで乗客の半数ほどが下車した。今日12月31日はこの後、中央西線経由で名古屋を目指し、神戸へと帰って行く予定だが、中央西線へ入る一番列車が松本発6:38。早朝に2時間余り所在なく待つのも寒いだけなので、このまま快速に乗り続けて大糸線の信濃大町まで行き、折り返してくることにする。列車で過ごす方が暖がとれるし、気も紛れる。
5時を過ぎて、信濃大町に着く。残っていた客のさらに半分ほどが下車した。外は真っ暗で夜が明ける兆しもまだない。首都圏でも雪が残っていたくらいだから、北アルプスの麓・大町ではどれだけ降っているのだろうかと戦々恐々だったが、意外と少なく、線路をさらりと覆う程度だ。しかし外の冷え込みはさすがに別格だ。(注1)
上りの松本行きの発車までは30分ほどあるが、電車はすでにホームで待機している。私と同じ考えからか、「ムーンライト信州」を降りてそのまま乗り込んだ客も何人かいる。
信濃大町から松本までは私鉄(信濃鉄道)による開業区間で、それゆえに駅間が狭く、電車は鋭い加減速でこまめに停車してゆく。さすがにこの時間、乗降はほとんどない。時折パンタグラフから火花が散っているのがわかる。先に「ムーンライト信州」が走っているが、その後また架線に氷が付きだしているのだろう。
先ほどやりすごした松本に、2時間ほどで帰ってきた。予報によると、信州はこの後まとまった雪になるらしい。これから長野を後にしてゆくことになるが、果たして…。
中央西線の中津川行き一番電車に乗り込む。JR東海区間に入って行く列車だが、車両はJR東日本の115系だ。空がようやく明るみを帯びてきたが、周りはまだモノクロの世界だ。
塩尻から、約2日前の直江津以来長きにわたったJR東日本エリアを脱し、中央西線に入る。さて、このまま家路を急いでもよいのだが、せっかくなので木曽路で途中下車をしてみたい。電車の本数が限られているし、大晦日の朝に長い時間を過ごせるような場所はないだろうから、ここは下りと上りを組み合わせて「Z乗り継ぎ」で数を稼ぐことにする。列車のダイヤを調べれば、途中奈良井と宮ノ越でそれぞれ20分程度取れそうだ。駅前をちょっと歩くくらいの時間しかないが、外も寒いしこのくらいが妥当だろう。
中央本線は松本盆地から木曽谷へと入ってゆく。何度か通ってきたルートだが、どこまでも続くかに思えてくる険しい谷間の道のりだ。木曽谷はかつての主要街道であった中山道のルートで、中央本線もそれに沿っている(通れる経路がほぼ木曽川沿いしかないので、必然的にそうなる)。このため、鉄道以前の「駅」すなわち宿場と、鉄道の「駅」が概ね一致している。塩尻から先、木曽福島までだと、洗馬(せば)、贄川(にえかわ)、奈良井、薮原、宮ノ越がそれにあたる。
後で寄ることになる奈良井、ちょうど5年前(1999年の大晦日)に立ち寄った薮原を過ぎて、次の宮ノ越で下車する。この宮ノ越駅もそうだが、中央西線に入ってからは重厚な木造駅舎が続く。明治開通という歴史の古さによるだけでなく、宿場町の景観との釣り合いも重視してのことだろう。
雪のちらつく宮ノ越を歩く。ここは源義仲(木曽義仲)が平家追討の旗揚げをしたとされるゆかりの地だとのこと。駅から木曽川を渡ったところに「義仲館(よしなかやかた)」なる資料館があり、義仲と巴御前の石像が立っている。
塩尻方面へ引き返し、10分足らずで奈良井へ。その手前でくぐるトンネルが「鳥居峠」で、木曽川水系から信濃川水系へ移る境界となる。この鳥居峠は中山道の難所で、このためその東の口にあたる奈良井宿はひときわ栄えていたという。ただし鉄道の観点から言えば、今は特急には見向きもされず、鈍行だけが停車するローカル駅の一つに過ぎない。それでも、ホームに立つ「中仙道 奈良井宿」と大書きされた看板が、ここが由緒ある地であると主張している。
駅前にはもとの街道とおぼしき道が続いている。景観を守るためだろう、電柱がなく、家並みが昔の面影をとどめ、うっすら白い山並みを背に静かにたたずんでいる。同じく中山道の宿場であった妻籠を訪ねたときも感じたが、現に生活をしながらこの姿を維持するのはそれなりに苦労もあると思う。
奈良井宿の反対側の線路際に、古びた機関車と客車の廃車体の姿。おそらく、かつて材木の運搬などに利用された森林鉄道のものだろう。トラック輸送が普及するまでは木曽谷の各所に森林鉄道が敷かれていたというが、ここ奈良井にもその名残があったのか。ブルーシートがかけられていたことからすれば、一応は保存しておくつもりだったのだろうが、そのシートもボロボロになって車体がほとんど露出し、野ざらしになっている。錆の浮いた機関車と、塗装のはがれかけた木造の車体が哀れだ。このまま朽ち果て、解体されてしまうのだろうか。
中津川行きのワンマン電車に乗り、再び中央西線を西向きに進む。今日これまで雪はほとんど降っていなかったが、ここへきて視界が悪くなってきた。予想されていた「まとまった雪」というのが迫ってきたのだろうか。
木曽福島で待ち合わせのため13分停車。その少しの間に線路が粉を振るったように真っ白になってきた。
間もなく名勝「寝覚ノ床」だ。ここは1997年の12月31日に訪れている(このあたりで下車しているのは大晦日ばかりだ)。車窓右手下方に見えるはずだが、列車からだと一瞬だったと記憶するので、白くかすんだ木曽川の谷を凝視する。
上流側からカーブしてきた木曽川が、線路の足下にぐっと迫る。その流れがせり出す岩石を削り、狭い谷間を形成する。見覚えのある光景だが、雪が被さり、晴れ渡っていた前回とはまたちょっと違った風情を醸している。だが木曽川はあっという間に線路から離れてゆく。ほんのひとときの演出であった。
本降りの雪の中を列車はカーブを繰り返しながら進んでゆく。視界がすっかり悪くなって見通しが利かないが、やがて谷が広がり、木曽路を脱してきたことがわかる。あとは名古屋を介して神戸方面を目指す家路が待つのみだ。
中津川は中央西線のローカル区間と名古屋近郊の境界。昼食用に駅弁「木曽路釜めし」を買っておく(注2)。食糧調達はできるうちにやっておくというのが乗り継ぎ旅の鉄則だが、問題はいつ食べられるかということ。昨日のように機会がないまま夕方まで持ち越し、などとならねば良いのだが。
構内には先ほど宮ノ越まで乗車したJR東日本の115系の姿もある。2両編成のワンマン列車から、6両編成の「セントラルライナー」に乗り換える。ピークは過ぎたが、依然雪の降りは激しい。
谷を抜けて、景色そのものは平板で平凡なものになってゆくが、雪があるとなんとなく見入ってしまう。だんだん雪がみぞれに、そして雨に変わってゆき、ただの平凡な景色になると、我ながら体は正直なもので、しばらく居眠りをしていた。
年末年始恒例の「雪見旅」だが、南下してくれば雪はなくなるので、「雪見」はどこかで終わりを迎える。それが年によって早かったり遅かったりするのだが、今回はこのあたりでおさらばかな、と思っていると、名古屋に近づくころになって再び白いものが空を舞いだした。
名古屋に着き、ホームにいるとどんどん雪の降りが激しくなり、瞬く間に線路が真っ白になる。中京一のターミナルである名古屋駅には、私にとって珍しい列車が集うが、さらにこれだけの雪が積もるという特別なチャンスに興奮を覚える。
ここからは関西本線に入って亀山を経由するルートを考えていたのだが、こうも雪が降りだすと、ローカル線を経由するにはリスクが伴う。思わぬダイヤの乱れなどで計画が狂うと、フォローができなくなる可能性がある。迷った末、ここは安全策で東海道本線を経由して帰ることにする。こちらのルートも関ヶ原の積雪というリスクがあるが、幹線だけにそう簡単に止まることはないだろう。
ダイヤに乱れが生じだしているので、この先は前倒しで、とにかくやってくる列車をつかまえて先へ先へ乗り継いでゆくことにする。とりあえず岐阜行きの普通に乗り込むが、12:06発のはずがなかなか発車しない。結局7分遅れで駅を出る。
席に着けたので、今のうちに中津川駅弁「木曽路釜めし」をいただいておく。釜を模したプラスチックの容器に、鶏肉やたけのこなどを載せた素朴な感じのする炊き込み御飯。地味ながら「木曽路」らしく山の幸をしっかり押さえていて、ちゃんと「おこげ」もついている。味はやや甘めの無難な仕上がり。
見通しはますます厳しくなり、岐阜には8分遅れの到着。顔面を真っ白にしたまま、電車は折り返し岡崎行きとなる。
続行する快速(岐阜からは各駅停車)も7分遅れ。降雪は収まってきたが外は依然真っ白。
大垣で米原行き2両編成に乗り換え。うまく着席できたが、出発する頃には車内は大混雑になった。中京と近畿圏の狭間のボトルネック区間で、ただでさえ本数が少ないところにきて、この年の瀬に2両で走らせるとはなんというやる気のなさかと思うが、JR東海のこと、嫌なら遠慮なく新幹線に乗ってねと言われてしまえばそれまでだ。
勾配を上り、難所関ヶ原に挑んでゆく。重々しい雪が降り積もり、垂れ下がってきた竹が窓ガラスに当たる。併走する新幹線も徐行しているようだ。峠を越え、滋賀県に入ってもまだ盛んに降っている。
米原でJR西日本エリアに戻ってきた。神戸三ノ宮へ、あと列車1本だ。雨混じりの雪が降る中、ホームでしばらく待たされる。
高速で快走する新快速の車窓を流れる景色は、まだ雪に覆われている。滋賀県を南下し、京都を過ぎるとさすがに平野部から雪が消えたが、遠くの山々は白く化粧している。
尼崎を過ぎ、武庫川を渡ると神戸に向けて六甲山系が迫ってくる。見慣れた光景だが、やはり山頂部は白くなっている。そのまま三ノ宮へ。ついに今回は、最後の最後まで「雪見旅」だった。
注記の内容は2016年12月現在。
1. アメダスのデータによれば、当日朝5時時点での大町の気温は-9.6度、積雪深は13cmだった。
2. 「木曽路釜めし」は2011年に販売業者の撤退により販売終了。中津川駅での駅弁販売も現在では行われていない。