1.大晦日の木曽谷

  写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。

 新幹線ワープ

  年末年始恒例の雪見旅だが、今回は1997年の大晦日から98年の正月と、初めて年をまたぐことになる。年が替わるからといって、さしたるこだわりはないのだが、夜行列車での年越しとは新しい経験である。

  そして今回は、これまた初の試みとして、旅の途中で「句を詠む」というのをやってみたい。自他共に認める理系脳の自分には、実にガラに合わないことだが、ちょっと自分の感性を試してみようと思う。

  1996年の年始、青春18きっぷを使用し、新潟から新宿への夜行快速「ムーンライト」を使って大きくループを描くコースを取っての旅行を敢行した。この列車はその後「ムーンライトえちご」と名を変えているが、今回もそれと似た1泊2日の乗り継ぎ旅となる。主なターゲットは、これまでほぼ手つかずの、大糸線と飯田線。


 1997年12月31日
 神戸→名古屋→松本→糸魚川→村上→新津
  神戸 6:08 → 新大阪 6:33 [快速「ウエスト関空81号」 9924M/電・223系]

  神戸からの旅立ちの列車となるのは、臨時快速「ウエスト関空」だ。姫路から新大阪を経て、関西空港方面へ向かう。もっとも、目指す先は空港ではない。新大阪まで乗車し、それから新幹線に乗り換えることにしている。

  車両は関空向け快速用に新調されたもので、これが神戸線を走ることはきわめて珍しい。一人用座席で、優雅に時を過ごす。しかし車内はガラガラだ。兵庫から関空への需要の掘り起こしを狙った列車であろうが、時間帯のせいもあって空振りになっているように思われる。(注1

  今日、12月31日の予定は、名古屋から中央西線に入り、松本からは大糸線を北上。その後新潟方面へ向かい、夜行快速「ムーンライトえちご」に乗ることになる。ただし、神戸から順当に普通列車を乗り継ぐと、中央西線の中津川から先の普通列車が少ないのがネックで、ほとんど寄り道の余地がない一本道ルートになってしまう。変化をつけるには、途中どこかで新幹線か特急を使うしかない。

  今回は、新大阪から米原まで新幹線を利用してワープする。これにより、中津川からの列車を1本早められ、途中下車をする余裕が生じる。本来の用途から外れるものの、「ウエスト関空」があったおかげで可能となった乗り継ぎだ。

  新大阪 6:43 → 米原 7:25 [新幹線「ひかり150号」 150A/電・100系]

  東京行きの「ひかり150号」は、先の尖った100系車両。小学生時代にデビューした当時、憧れの新型だったが、以後乗る機会はほとんどないままで、かれこれ10年ぶりくらいになるだろうか。そろそろガタもきだしているのか、まだ客が少なくて車内が静まりかえっているせいもあって、足下からのモーターの響きが気になる。ようやく周囲の判別ができるくらいに、外に明るみが出てきた。ここで一句。

  内外(うちそと)の静寂さしおき突き進み

出番を控える新幹線電車が居並ぶ車両基地 

  「雪見」と銘打っての旅行だが、この冬はどうも雪が少ないようで、その点での期待は薄い。京都を過ぎ、滋賀県に入っても積雪はなく、鬱陶しい雲が空を覆っている。どうやら雨が降っているようで、どうも気持ちが盛り上がらない。やがて琵琶湖東の田園地帯へと進んで行く。新快速でも突っ走ってくれるエリアだが、もちろん新幹線はその比ではない。そう思っているうちにもう、「ひかり」は速度を落としだした。新大阪から40分ほどで、米原に到着。

  米原 7:43 → 名古屋 8:46 [新快速 1106F/電・311系]

  これより先は、おなじみの鈍行乗り継ぎとなる。JR東海の新快速に乗り換え、関ヶ原越えに挑む。新快速とはいっても、大垣までは各駅停車で、走りはのんびりしたものだ。

  雲隠れの伊吹のすそを一巡り

  関ヶ原を過ぎると、これまでの陰鬱さが嘘のように、空は一気に晴れ渡り、かせが取れたかのように、列車は濃尾平野に向けて駆け下って行く。

関ヶ原から下って行く 

  大垣を出ると、「新快速」としての本領発揮となる。今乗っている311系電車は、JR東海が投入した新型で、近郊形(普通、快速用)として初めて、最高120km/hを実現した車両。その速度もさることながら、特急車などと比べても遜色のない静かな走りがさすがだ。

  尾張一宮あたりで、右手に名鉄の線路が沿う。豊橋行きの特急が横に並び、競走となる。こちらも妥協のない走りで食いつくが、結局名鉄の方が抜き去っていった。中京のハイレベルな争いを垣間見た瞬間だった。

 街から谷へ

  名古屋 8:48 → 中津川 10:02 [快速 3703F/電・211系]

  名古屋では、わずか2分の乗り継ぎで中央西線の快速に乗り換える。快速とはいってもあまり速くなく、車両はロングシート。東海道線と比べて見劣り感がするのは、やはりライバルの存在の有無によるのか。

  濃尾平野の風景は相変わらず単調だが、都市から田園、そして山間へと、わかりやすい推移で郊外へと移ってゆく。

  陽だまりに斜めに腰掛け外眺む

  多治見を過ぎると、客はすっかりいなくなり、出入りもほとんどない。のどかな景色にうららかな日差しが、眠気を誘う。そうするうちに、前方に木曽の山々が近づいてくる。正面にそびえるのが恵那山(2191m)か。

恵那山の麓へ 

  中津川 10:03 → 上松 10:53 [普通 829M/電・169系]

  中津川で、電車を乗り換える。10両の近郊電車から、3両編成へ。電車の本数も長さも、ここを境に極端に減ってしまう。需要に即した数なのだろうとは思うが、時節柄か大きな荷物を抱えた帰省客風の人も多く、着席は車両端のロングシートになった。中津川から塩尻にかけて、いわゆる木曽谷の区間では、特急が1時間おきに走り、時刻表上は賑やかに見えるが、途中木曽福島以外にはほとんど停まらず素通りする。途中駅については、1-3時間おきの普通列車が頼りで、実態はローカル線並と言ってよい。今回のプランニングのボトルネックとなったのも、このためだ。

  この区間で主力を担うのは、今ではローカル専属となっている元急行用の165,169系。デッキが仕切られ、一室にボックスシートの並ぶ様子が、いかにも一昔前の中距離列車という風情だ。木曽川が沿い、その谷を覆わんばかりにそびえる高い山々が迫ってくる。

  木曽川が刻む谷を、カーブを繰り返しながら電車は進んで行く。窓に背を向けるロングシートでは具合が悪いので、デッキに出て乗降口の窓から外を眺める。行く先に見える山々は、頂上近くに雪を頂いている。勾配に挑むモーターのうなりがブワーンと、生々しく響く。

随所にダムがあるので、木曽川は広がったり狭まったり 

カーブを繰り返しつつ登って行く 

  10時53分、上松に到着。今回わざわざ新幹線を使ったのは、中央西線で途中下車の余裕を持つためで、この上松から「寝覚ノ床」を見物に行こうという計画だ。寝覚ノ床とは、木曽川が谷間の花崗岩を浸食して形成された景勝地だとのこと。

 奇岩連なる寝覚ノ床

  次の列車までは約2時間。寝覚ノ床は駅から南へ2kmほどの所だが、駅からの路線バスは年末のため運休しており、歩いてゆくしか手段はない。駅前から国道19号を辿ればよいから、そう難しいことはない。日陰に雪が残るが、日差しは暖かい。

上松より下流方面を望む 

  30分ほど歩いて、寝覚ノ床の入り口へ。東の山々の間からのぞく木曽駒ヶ岳と思しき山が、真っ白に輝き、目を引く。まずは国道沿いのドライブインに入るが、大晦日とあってか観光客は来ないらしく、閑散とした店内で昼食をとる。

奥に控えるのが木曽駒ヶ岳 

ドライブインから見下ろす寝覚ノ床 

  ここから谷に向けて、遊歩道のような道を下って行く。雪が凍って怖いところもあるが、日向はおおかた解けている。中央本線の線路の下をくぐり、整備された河原にたどり着いた。

寝覚ノ床 

  四角張った岩石が突き出し、谷を埋めるように立ち並んでいる。その底に、山の色を映すかのような深緑色の水。冬場ともあってか、水の動きが乏しいが、それがかえって、不思議な静けさを醸している。

造形の妙  

  今は川の各所にダムが造られ、昔のような水量がないそうだが、裏返せば昔はもっと勢いがあって、少しカーブしたこの谷を盛んに流れ、ぶつかり合い、浸食を進めていったのだろう。それを物語るのが、河原にゴロゴロと転がる巨岩、あるところではそれ同士が積み重なって、石垣のようになっている。もともとここにあったものと、上流から運ばれてきたものとがあると思うが、御しがたい自然のエネルギーの産物に、感嘆するしかなかった。

  そうこうするうちに、次の列車までの残り時間が少なくなってきた。これに乗り損ねると大変なことになるので、急ぎ足で駅に向かう。帰りは20分ほどで戻ったが、着くころには暑くなった。

 奇岩連なる寝覚ノ床

  注記の内容は2016年12月現在。

  1. 1999年以降「ウエスト関空」は運転されていない。

 トップ > 旅日記 > 旅日記97-4(1)