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2.年越しの長い夜 |
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上松から乗り込んだ松本行きの普通電車は、これまた急行タイプの車両で、席はおおかた埋まっているが、端の方にうまく座ることができた。上松の次が木曽福島で、木曽谷の中では最大規模の街、特急もすべて停車する。ここからが佳境で、谷の幅はいよいよ狭まり、急峻な道のりとなる。気温も低いらしく、沿線に積雪が目立つ。そんな車窓を眺めつつ、写真を撮ろうとして、あることに気づいた。
私が持ってきたコンパクトカメラは、通常レンズ部を保護する覆いがかかり、電源を入れるとそれが開く仕組みになっている。ところがふと見ると、電源を入れたときに完全に開くはずの覆いが、半分閉じている。恐らくバネが弱くなったか何かの理由だろうが、これでは写真も半分になってしまう。いつからこんな風になっていたかは、現像に出さなければ分からないが、寝覚ノ床で撮ったのもそうなっている可能性が高い。もう少し早く気づいておれば、とショックを覚える。(注1)
ああ無念 写真がすべてじゃないけれど
このとき撮った写真はこのとおり、隙間からのぞいたような格好に
名古屋側からのピークとなるのが薮原。ここからの峠が分水嶺となって、日本海側へ移る。カメラのショックに、朝からの疲れが相まってか、その先しばらくは居眠りし、そうするうちに木曽谷を抜けて塩尻へ。中央西線の旅がここで終わるとともに、JR東海からJR東日本エリアへと移る。りんご畑を脇に見て終点松本へ向かうが、右手には市街地の背後にそびえる山脈。
見上げればはっと目を引く雪の山
秋の旅行で拠点とした松本。これより大糸線を北上することになる。秋に訪れた穂高を過ぎると、この先は初めて乗る区間となる。左手に連なるのは北アルプスの連峰。背後の山々はやはり雪化粧し、西からの向きに転じつつある陽に照らされている。信濃大町まで私鉄路線として開業したという歴史ゆえか、平坦な安曇野を進む割に、時折唐突な急カーブがあったりする。
信濃大町では1時間余りあり、駅を出て街を歩く。この街に特にお目当てがあるわけではなかったが、立山黒部アルペンルートの玄関口だとのことで、ここからなら北アルプスがきれいに見られるかなと思ったのだった。
しかし市街地は思いのほか建物などが立て込み、すっきりと眺望のひらける場所がなかなかない。街の外へ向けて歩いてみたが、時間も迫ってきたので、消化不良な思いをしながらそこそこに引き返す。
大町の近くて遠きアルプスよ
冬の日は短い。次の南小谷行きに乗り込む頃には、辺りは夕暮れの雰囲気になってきた。信濃大町を5分遅れで出た電車は、再び急行形の169系。経年相応のガタピシ感はあるが、走りの安定感には元優等列車の貫禄がある。
やがて左手車窓に、山に挟まれた細長い湖、木崎湖が現れる。列車はそのへりを、リズムを刻みながら進んで行く。沿線には雪が薄く残り、迫る夕闇の中にその白さが浮かび上がる。ここで「雪」をお題に二句。
立ち回りやっと腰据え雪眺め
日が沈み少し安堵のまだら雪
陽が照れば、気温が低くても雪は解けてゆく。2番目の句は、その中で解け残った雪の立場からイメージしたものだ。
山を越え、谷が広がって白馬へ。すでに薄暗く、スキー場の照明が山の中に光って、コースを白く照らし出している。ここまで来るとさすがに積雪はそれなりにあるが、やはり物足りない。年が明ければ長野オリンピックが控えているが、この調子では何かしら、支障が出るのではないかと思える。
電車は速度を落とし、すっかり暗くなった姫川の谷を下って行く。南小谷で電化区間が途切れ、列車を乗り換えることになる。定刻で3分の接続だが、到着が2分遅れたうえに、ホームが別だ。気がせいたか、降りた後に座席にカメラを置き忘れてきたことに気づき、急いで取りに戻ったため、駅員に「遅れてるから早く行って」と叱られる。どうも今回は、このカメラに関してトラブルがついてまわる。
これより先はJR西日本の受け持ちで、古びた気動車1両の運転だが、意外にパワフルに走り、さきの電車よりも体感的に速く感じる。といっても外はもう暗く、景色は見えない。
1995年7月、姫川の大水害により、この区間は大きな被害を受け、中でも南小谷〜小滝間はずっと不通が続いていた。2年たっても復旧しないので、どうなるものかと思っていたが、この97年11月にようやく全通の運びとなった。長野五輪の開かれるこの冬のシーズンに間に合わせようと、急いだのだろう。今回このコースでの旅が可能となったのも、そのおかげだ。
車内は薄暗く、シートカバーは黒ずみ、ずいぶんと使い込まれている風だ。トンネルの出入りを繰り返すうちに、油臭さが充満してくる。下りの一途なので、列車はかなりスピードを出しているように感じられる。トンネル内では走行音が激しく反響し、振動と相まって怖くなる。
老兵が独り油を燃やし行く
大糸線の旅は糸魚川(いといがわ)まで。3分の接続で北陸本線の電車に乗り換える。これより直江津まで、内陸をトンネルでショートカットしている区間が長い。スピードを出す分、電車の走りは騒々しい。
外暗し だがトンネルはなお暗し
直江津より再びJR東日本区間に入り、信越本線へ。信濃大町以来、乗り換え時間は南小谷で2分、糸魚川・直江津で3分。この先、夜行快速に乗る村上まで、長岡3分、新津3分、新発田3分。定刻通りなら3分接続だった南小谷を含めれば、よくもこれだけそろえたと思えるほど、ことごとく3分の連絡だ。無理も無駄もない理想的な時間だが、余分なことはできない。困ったのは、夕食を調達する機会がないことだ。スケジュールを考えれば、信濃大町までに調達しなかったのは、先見の目がなかったと言わざるを得ず、当面「非常食」として持参したピーナツでしのぐしかない。
柿崎からはしばらく海岸に沿う区間で、青海川付近では足下に白波が立っているのが、暗闇の中でも見て取れる。柏崎を過ぎると内陸に入り、96年の旅行ではこのあたりから積雪がみられたが、今回は沿線にそれらしき様子はない。退屈なので、座席の隅にたまったほこりの塊などが目に障る。
年越しの雪国の夜に雪はなし
長岡で乗り換えるころには、1997年も残り4時間を切った。世間はそろそろ年越しムードだろうが、列車はいつも通りのダイヤで、粛々と運行している。車内はすっかり静かになった。
新津から羽越本線に入る。電化区間だが、新発田(しばた)行きの列車はディーゼル。JR東日本の新型・キハ110で、造りはそっけないが走りっぷりは電車と遜色ない。平野を進んでいるようだが、周囲は田んぼばかりなのか、街灯も少なく漆黒の闇の中だ。
新発田から村上へは電車で。到着は22時05分。信濃大町からちょうど6時間、この間に計7本の列車を乗り継いだが、ひとつの駅も通過することなく停車している。ほとんど風景も見られず、食事もお預けの状況で、我ながらよくしたものだと思う。駅前のコンビニで遅い夕食と、明日の朝食を調達する。
さて、今回「年越し列車」となる、新宿行きの夜行快速「ムーンライトえちご」だ。長らく大半をボックスシートで過ごしてきただけに、新幹線タイプのリクライニングシートに、実に有り難みを覚える。
新潟で進行方向が逆になり、さきほど乗り換えをした新津へ。ここでの20分ほどの停車中に、日付が替わる。今回はそれとともに、新しい年を迎えることになる。どんな気分かと思ったが、さしたる感慨もなく過ぎ去った。もともと「節目」にあまり重きを置いていないせいもあるが、旅の流れの中で、自然と迎えた1998年であった。
1. 現像後確認すると、寝覚ノ床の時点からこの症状は現れていた。ただしすべてではなく、このページでは程度の軽いものをトリミングして使用している。気づいた後は、覆いを手で開けて撮影した。