九州の南の果てを巡ったその翌日、目の前に広がるのは北九州の洞海湾。昇ったばかりの朝日が輝き、湾をまたぐ若戸大橋がシルエット状に浮かんでいる。三日にわたる九州の旅、その最終日も好天に恵まれそうだ。
筑豊炭田に近い地の利を生かし、工業地帯とっして発達した北九州。この洞海湾も、その積みおろしのために数多くの船が行き交ったことだろう。石炭輸送に大きな役割を果たした筑豊本線の起点である若松駅がここから近い。まだ覚めぬ夜明けの岸壁に、かつての熱気の名残を見いだすのは難しい。
幅の広いホームと、それをすっぽり覆う古めかしい上屋。この堂々たる造りは、ここがかつて九州の玄関口として重きを置かれていた時代の名残だろう。
関門トンネルが開通するまで、本州と九州を結ぶ連絡船の九州側の発着場はここ、現在の門司港駅だった。トンネルの開業により、門司港はメインルートから外れ、枝線の終端のような存在になった。重要度の点では昔と比べるべくもないが、決して軽んじられているわけではない。ホームも駅舎も縮小されることなく、かえって昔のターミナルの風情をとどめる貴重な存在となっている。
筑豊本線からやってきた客車列車。この駅は行き止まりだから、牽引してきた機関車を一旦切り離して、反対側に回さなければならない。今、機関車が去り、客車だけが置き去りにされたかのように停まっている。機関車が牽引する列車は今や稀少で、この列車も筑豊本線の電化とともに姿を消す。がらんとしたホームにぽつんと残った車両が、どこか寂しげだった。
雲の上の空。それは生まれて初めて見る光景だった。21世紀最初の日、それは私にとって、初めて飛行機に乗った日でもあった。
雲に覆われた大阪空港上空。加速をつけた機体は重力を振り切り、大きく旋回して下界を後にする。飛行機に乗り慣れた人間にはごく当たり前の光景だろうが、初めてのものは何もかも新鮮だ。やがて雲を突き抜け、その上に達する。そこに広がる空の青さは、これまでに見たことのない色だった。
もはや地上は遠い。だが思いのほか、はっきりと様子が見て取れる。「手に取るように」という表現がふさわしい。これから目指すのは、これまた生涯初となる北海道の地だ。
ゆるやかな水の流れと、それに沿って立ち並ぶ堂々たる煉瓦倉庫。できすぎた風景のようにも思える。
新千歳空港から快速列車で訪れた小樽の街。私にとって事実上、北海道の第一印象を決める場所でもある。さらさらの雪を踏みしめ、やってきたのがこの小樽運河。もちろん、元々は実際の水運のために使われたのだろうが、この倉庫の表側、つまり運河の反対側に回ると、多くは物産店などとして使われている。言うなれば、ここは部外者に「小樽らしい」光景を見せるために残してあるスポットといえる。
しかし限られた滞在時間で、小樽の街の繁栄と自然の厳しさを知るには十分なシーンだ。倉庫の屋根の軒下には、降ってくれば軽い怪我では済まなそうな巨大なつららが垂れ下がっている。
冬至を過ぎて間もないこの時期、北海道の昼はあまりにも短かった。小樽から札幌に到着した午後4時の時点ですでにすっかり日が暮れてしまっていた。
雪祭りで有名な大通公園。そこを飾るのは、色とりどりのイルミネーション。長く暗い冬の夜に、せめて彩りを添えようということだろうか。背後に浮かぶのは札幌のテレビ塔。時折降りしきる雪にかすんで見える。この後展望台に登って空からイルミネーションを眺めた。
クリスマスは元々、欧州の冬至の祭りに由来しているともいわれる。日の光の弱まる冬の時期にあかりを慕い求めるのは、北国の人々に共通した願望の表われなのかもしれない。
鉄道ほどに「定時性」が重んじられる交通機関は他にないと思う。その表れとして、駅舎やホームには大抵、見やすいスタイルの時計が掛かっているものだ。この函館駅の場合、駅舎の正面に大きな丸時計が埋め込まれ、駅そのものが時計台のようになっている。周りに広告看板が騒がしく立ち並んでいるが、それらに負けない存在感を醸している。
夜行快速「ミッドナイト」で到着し、函館市場で朝食を済ませた後に戻ってきた今、柔らかな朝日に照らされた時計の針は7時50分を指している。これから乗る快速「海峡」は8時04分発。駆け足で辿った北海道を、この列車で後にすることになる。
なおこの駅舎は、2003年に建て替えられた模様。
鉛色の空の下、腹の底に響き渡る波の音。重々しく、かつ荒々しい冬の日本海には、独特の魅力がある。
本州の北の果て近く、その日本海沿岸を進む五能線。その車窓を流れてゆく風景は、実に荒涼としたものだ。海はひたすらに波立ち、むきだしの岩場に間断なく打ち付ける。休むいとまを与えない圧倒的な何かが、車内にいる自分にも容赦なく迫る。
その空気をじかに感じたくて、十二湖という駅で下車して海岸近くに立つ。写真は手ブレしないよう、カメラを岩場に置いてセルフタイマーで撮影した。光を失いつつある空のもと、海岸にぽつぽつと灯るあかりが、長い夜の訪れを告げる。
積雪は北へ行くほど多くなる・・・ふだん雪の降らない土地に住む私は、子どもの頃そう信じていた。だから冬場に旅行へ行くようになって、北は北でも、日本海側の山沿いや山間部でなければ滅多に雪は積もらないと分かって、いささか驚きだった。
山形県と宮城県の境に近い鳴子温泉。山形・新庄から陸羽東線に乗って来たが、進むほどに積雪が増し、窓の外は見えなくなった。列車の先頭には雪の塊が覆い、ものすごい形相になっていた。それでも列車は遅れを出すことなく、定刻に鳴子温泉駅に到着した。
空からは容赦なく、間断なく雪の粒が降ってくる。しかしさすがは名湯とされる温泉街、道の雪かきも徹底して行われている。共同浴場で一浴びして、残りの道中に備える。
大阪・青森間、昼間に走る特急としては最長の約1,400kmを走る「白鳥」。ほとんどの特急が細分化されていった中で、かつての「特別急行」の貫禄を残す列車であった。国鉄時代からほとんど姿を変えないボンネット型の特急車両が、その務めを任されていた。しかし伝統とは新陳代謝のない古くささと紙一重である。「白鳥」も時代の波には抗えず、2001年3月に廃止されることになった。
残り1ヶ月を切った休日、大阪駅の11番ホームには、そんな「特別急行」の姿を求める人だかり。はるか「青森 FOR AOMORI」の文字が旅情を誘う。その青森に達するのは13時間後。長い旅を前に、列車は大勢の注目を一身に集める。
さすがは京都、というべきか。列車の中で開いたのは、先に購入した駅弁の「あなご寿し」。シンプルだが乗っているあなごが立派で、‘照り’が食欲をそそる。
列車の中で、弁当の包みを開く瞬間は、旅の醍醐味の一つだ。ただし、車内で駅弁をじっくり食することのできる機会は多くない。座れなければどうにもならないし、座れても通勤電車並のロングシートでは話にならない。周りが混んでいれば、落ち着いて食事などできない。弁当を買ったものの、開けることができずに時間が過ぎてゆくことはざらにある。良い条件が重ならなければ、この「至福の昼食」は味わえないのだ。
幸い今回は、この弁当を十分堪能することができた。香ばしく、かつふっくらしたあなごの身は、あっという間に姿を消した。