記載内容は2020年3月現在。
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日本の大抵の電化幹線を走れる汎用性を持ち |
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かつて、国鉄の特急には、一定のステータスがありました。単なる「停車駅が少なくスピードの速い列車」ではなく、文字通り「特別な」急行として、威厳めいたものがありました。485系は、そういう意味での「特別急行」の、完成形にして最終形だったと思います。
この電車は、3電源(直流・交流50Hz・60Hz)すべて走行可能という汎用性を持ち味に、1968〜79年という長きにわたって増備され、全国の特急網整備に大きく貢献しました。とりわけ、これら電化形式が入り混じる日本海沿岸ルートは、その性能を発揮する格好の舞台で、この区間では最近まで485系が主力を担ってきました。
なお、485系に先行して、交流60Hz対応の481系、50Hz用の483系が登場しており、これらは既に全廃されていますが、485系の付随車(クハやサハなど)には、481形の車番が付されています。
10年以上の増備の間には、多くの仕様変更がありました。外見上のよくわかる変化として、登場時の伝統的な「ボンネット形」から、平たい顔に変わりました。
私の幼少期はちょうど国鉄末期にあたりますが、その時代、485系は国鉄特急の「標準機」としての地位を確立していました。とりわけ九州への帰省の時、新幹線の次に乗車するのが485系の特急「有明」「にちりん」で、これに乗ると「いよいよ田舎だ」という期待が高まりました。逆に、帰省先から帰る際にこの電車に乗り込むと、なんともいえない寂しさを覚えたものです。そんな思い出もあって、この車両には特別の愛着があるのです。
当時、九州の電車特急はすべて485系でした。(国鉄時代、北海道を除いて「交流専用」の電車はなかった。)全国津々浦々どこへ行っても、クリーム色と赤のツートンカラー。列車によって変わるのは、前面の四角い窓のヘッドマークだけ。でも、それで十分でした。
485系は、その汎用性の広さから、北海道から九州まで広く導入されました。当時まだ長距離特急も多く、共通化によって各地で効率よく運用すると共に、必要に応じてどこへでも転属させられるというメリットがありました。(このため、東北から九州といった、今では考えられないような転属も、ざらにあったようです。)
下の写真の車両(1500番台)は、本来北海道向けに投入されたものです。上部ヘッドライトが2灯になっているのが特徴です。従来より耐寒・耐雪対策を強化したものの、不十分であったため本州に転属、JR東日本に引き継がれました。
しかし国鉄の末期から、そんな「特急」の姿は変わりつつありました。新幹線・航空機網の発達で長距離特急は衰退し、合理化の流れとあわせて食堂車は相次いで廃止されました。さらに急行格上げによる特急の本数増と編成短縮。良く言えば頻繁運転の充実、悪く言えば「特急」の安売りが推し進められました。
こうしたニーズの変化、そしてJR化後の新型車の台頭を受け、一時代を築いた485系にも転機が訪れました.10両前後があたりまえだった編成長は短縮され、地方路線では3〜5両程度の編成も珍しくなくなりました。イメージチェンジを図るべく、各地で独特の塗色が採用され、国鉄時代のカラーは少数派になっていきました。
それでも全国に根をおろした485系一族の勢力は侮れず、車体のリニューアルや改造を受けながら、新型車に混じって奮闘する姿が各地で見られました。3電源方式に対応した汎用性の高さや、融通を利かせやすい構造などが重宝されてきた要因でしょう。
2000年8月、特急「はと」の特別復活運転が行われました。1975年の山陽新幹線全通の際に廃止された大阪〜博多間の特急が、四半世紀ぶりにリバイバル運転されるということで、ファンにはもちろん世間からも、当日の夕刊にも1面にカラー写真で掲載されるほどに注目を浴びました。そのとき起用されたのは、通常北陸を走るボンネット原色485系でした。
このころから、JR各社は頻繁に国鉄時代の列車を再現する「リバイバルトレイン」を運転するようになりました。しかしこうした動きは、引退が確実に近づきつつある国鉄世代車両へのはなむけともいえるものでした。485系が主力を担ってきた北陸線にも2001年春には新車が大量投入され、それにあわせて、大阪〜青森間を13時間近くかけて走りぬいてきた特急「白鳥」が廃止されました。その後も次第に車両の置き換えが進められてゆきました。初期の製造車であるボンネットタイプの車両は2003年に全廃(後述の489系は2010年まで使用)。
鈍行中心の私の旅において利用機会は多くはありませんでしたが、「ワイド周遊券」があった時代には、その効力を活かすべく利用する場面が少なからずありました。晩年は快速列車や波動輸送に充てられることも多くなり、かつての急行車両のような扱いになってゆきました。
東日本管内には、東北方面や日本海縦貫線など直流と交流の混じる幹線が多く、主に北陸から東北にかけてのエリアで485系の活躍が続いてきました。比較的原型をとどめていたものから、大規模なリニューアルを施されたものまで、多彩な陣容となっていました。特急「白鳥」として函館まで乗り入れていましたが、2016年の北海道新幹線開業に伴って廃止され、特急としての485系の活躍にピリオドが打たれました。
本来の特急用として「いなほ」や「北越」などのほか、夜行の「ムーンライトえちご」、信越線の「くびき野」などの快速列車としても使用されました。「えちご」は2003年春以降、それまでの165系からバトンを受け、国鉄色の車両で運転されていましたが、2009年に臨時列車化、2010年冬季まで485系で運転されました。
さらに改造の種車として活用され、羽越線の観光快速「きらきら・うえつ」や、2006年春に運転を開始した、東武に乗り入れる特急「日光」「きぬがわ」にも、大規模リニューアルされた485系が投入されました(「日光」「きぬがわ」は253系(元成田エクスプレス車)に置き換え)。
結局、485系の定期的な運用が最後まで残ったのが東日本管内でした。しかし近年E653系への置き換えが進んだほか、2015年の北陸新幹線開業とそれに伴う並行在来線の三セク化などにより、新潟エリアにおける485系の活躍はほぼ終了。2017年に新潟〜糸魚川間(えちごトキめき鉄道に乗り入れ)の快速として運用されていた列車がなくなったことで、485系の定期運用はすべて終了しました。「きらきら・うえつ」も2019年に置き換えられて引退、現役で残る485系はジョイフルトレインに改造されたごく一部の車両のみとなっています。
「特急街道」の北陸本線系の特急「雷鳥」「しらさぎ」などにおいて、長年485系が主力を担ってきました。北陸の特急「雷鳥」には、最後まで国鉄特急色の車両が残りましたが、681・683系「サンダーバード」への置き換えが進められ、2010年春改正時点で「雷鳥」1往復のみに。
パノラマ車両は「スーパー雷鳥」用に、489系などの中間グリーン車を改造したもので、「サンダーバード」用683系増備に伴って2001年に「しらさぎ」に転用、その後2003年に「しらさぎ」も683系化されたために「雷鳥」に戻るという変遷を辿っています。
リニューアルされパノラマグリーン車を先頭にした「スーパー雷鳥」
2011年春の改正をもって、「雷鳥」は「サンダーバード」に置き換えとなり、JR西日本の所有する485系の定期運用は終了しました。最終日となった3月11日には、ラストラン記念式典が行なわれる予定でしたが、当日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で中止されています。
国鉄からJR九州に承継された特急用電車は485系ばかりで、かつては「有明」「にちりん」「かもめ」「みどり」を独占していましたが、新型車の台頭に伴って版図を縮小。一時期行われていた下関への乗り入れが中止されたことで、直流対応が不要になって交流専用となり、完全に九州に「骨を埋める」ことになりました。
塗色は九州のイメージカラーである赤色一色や、緑や黄色などを含めた原色多用。一部、国鉄リバイバルカラー車がありました。運用は日豊本線(主に大分〜鹿児島中央間)の特急「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」に限定。かつては日豊本線を走り抜いた「にちりん」も系統が分割され、大半が「ソニック」化した大分以北に485系が入るのはまれになっていました。
こちらも、2011年3月の改正に伴って定期運転から撤退。九州新幹線(鹿児島ルート)の全通により、それまで「リレーつばめ」などに使用されていた787系が、日豊線系の特急置き換えにまわったためで、これをもってJR九州発足以来の特急用電車は世代交代を果たしました。その後も、臨時列車や団体列車などでリバイバル的に運転されてきましたが、2015年秋をもってついに引退。
碓氷峠(信越線横川〜軽井沢間)を越えるための、補助機関車EF63との協調運転に対応した車両は489系を名乗ります。かつて特急「あさま」「白山」に使用されましたが、1997年10月の碓氷峠区間廃止により、本来の目的を失いました。
その後は485系に混じって使用されるほか、ボンネット編成が国鉄特急色に戻されて、夜行急行「能登」(上野〜金沢間)に使用されてきました。このほかに間合いのホームライナーや、特急「はくたか」の代走を務めることも。2003年以降はボンネット形特急電車として残存する唯一の形式となりましたが、2010年春の「能登」廃止をもって定期営業運転にピリオドを打ちました。その後も代走や波動的な輸送に時々あたっていましたが、2011年春をもって現役を退いた模様。
183系はもともと、485系をベースにした直流専用電車として、関東中心に投入されましたが、大阪・京都から北近畿地方へ向かう特急「北近畿」(2011年春からは「こうのとり」)「きのさき」等には、485系を直流専用として183系に改めた車両が使用されました。形状は485系とほとんど変わりませんが、塗装がグレー基調、もしくは国鉄特急色の側面に赤ラインを加えたものとなっています。
七尾線の直流電化(1991年)のさいには、必要とされるローカル用の交直流対応車を準備するため、485系から交流機器を外して183系とし、その機器を流用して113系を415系(800番台)とする改造が行われました。
2011年3月からは、「サンダーバード」スタイルの新型車両(287系)の投入に伴い、一部の置き換えが始まりました。以後も、287系や、転属してきた381系と併用で使われていましたが、2013年3月改正をもって引退。JR西日本から、485系の流れをくむ車両が姿を消しました。