常磐線、北九州などで活躍した交直流電車
鋼製、ステンレス製、113系からの改造車がある
登場:1971年
在籍:

  記載内容は2015年9月現在。
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 両用電車三態

  415系は直流・交流両用の近郊形電車。それまでに50Hz対応(常磐線向け)の401・403系、60Hz対応(九州向け)の421・423系が存在していましたが(いずれもすでに全廃)、この415系は両方の周波数に対応する車両で、国鉄時代における両用近郊電車の完成形となりました。初期車両は113系とほぼ同じスタイル、のちには211系タイプのステンレス車両1500番台も登場しました。

  国鉄時代の415系は下のような地味な配色でしたが、これは急行形455系列を含めた交直流車両特有のカラーリングでした。

旧塗装時代の415系。北九州の電車は台形のヘッドマークをつけていた 

  国鉄末期から進んだ地方色化に伴ってこの塗装は姿を消し、白地に青帯の清涼なカラーリングになりました。なお、一時期東日本・九州とも旧塗装を復元した編成がありました。座席は登場当初はセミクロスシートでしたが後期の車両はロングシートとなり、九州車は大半がロングシート化されています。

九州の鋼製415系 

ロングシート車内 

  JR東日本エリアでは常磐線・水戸線で運用されてきました。常磐線は取手〜藤代間にデッドセクション(直流と交流の境目)があるために、この区間を走る電車は両対応でなければならず、415系列が主力を担ってきましたが、E501系・E531系への置き換えが進み、鋼製車両は引退。ステンレスの1500番台が残りますが、上野まで乗り入れることはなくなっています。

  九州内は独立した筑肥線を除いてすべて交流電化であるため、JR九州が筑肥線以外に導入した電車はすべて交流専用です。このためデッドセクションのある下関〜門司間を走る列車には専ら415系が使用されます。一部さらにJR西日本エリアへ乗り入れ、新山口まで達するものもありましたが、この乗り入れは2005年10月改正で取りやめになり、現在ではJR九州の415系が下関以東に入ることはなく、すべての列車が下関で乗り換えとなります。415系の一部は南九州へ転属し、老朽化した475系を置き換えました。また、東日本の車両の一部が九州へ転属しました。

九州の415系と西日本の115系が下関で顔合わせ 

  113系ベースの初期車は陳腐化が目立ち、隅に追いやられた感がある一方、ステンレス車両はどちらかというと通勤車両のような感じです。いずれにせよ、電化方式をまたいで走れるメリットは捨てがたく、まだしばらくは使われてゆくでしょう。

ステンレス車体の1500番台 

  このほかに変り種として、JR西日本には、直流用113系から改造された415系(800番台)がいます。91年に七尾線が直流電化された際、交流電化の北陸線との乗り入れのために両用電車を用意する必要が生じ、485系から交流用機器を持ってきて113系を415系に改造。一方485系のほうは直流専用の183系に改造されました。「両用特急形+直流近郊形⇒直流特急形+両用近郊形」という転換がなされたのです。

  一見画期的な改造のようでしたが、七尾線用以外には波及しませんでした。意外に費用がかさんだことや、故障が多発したことなどが理由のようです。この改造が成功していれば、北陸ローカルの勢力図は今と異なるものとなったかもしれません。

  下写真の右側の車両は一見かつての福知山線の113系ですが、交流対応電車の証であるL字形のアンテナが立っています。福知山の113系が415系に改造され、七尾線に転じるまでの期間、関西にとどまって走り続けていたようです。

福知山線カラーのまま両用改造されてできた415系(右) 

七尾線車両 

  七尾線車両は3両編成で、先頭車は水色、中間車はピンクを上部に、下部に白とグレーを配する独特のデザインでしたが、JR西日本の進める塗装簡略化のため、現在では赤色一色になっています。2015年の北陸新幹線開通に伴い、金沢〜津幡間は第三セクター「IRいしかわ鉄道」に移管された区間に乗り入れる格好になっています。

  かつては1日1便だけ、この415系が急行「能登路」として走っていました。(他の便はキハ58系での運転。)普通列車と同等の設備で急行料金を徴収する、いわゆる遜色急行でした。しかし「能登路」そのものが2001年に廃止され姿を消しました。

 

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