0系以来初のニューモデル車両
二階建て車両、個室グリーン車など新機軸を打ち出す
登場:1985年/運用終了:2012年
在籍:

  記載内容は2012年3月現在。
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 新型「ひかり」の栄光

  東海道新幹線の開業した1964年以降、20年以上にわたって「東海道・山陽新幹線=0系」の構図が続いていましたが、それをついに打破したのが、1985年に登場した100系車両でした。

  丸鼻の0系のイメージを一新するシャープな先端。そして編成中央に2両の2階建て車両。設備面での最大の「売り」は、この2階建て車両に設けられた個室グリーン車でした。のちに登場したJR西日本の「グランドひかり」においては、2階建て車両が4両となりました。

  1990年当時の時刻表の編成図を見ると、2階建て車両の構成は以下のようになっています。

  ひかり(7往復)
   8号車:食堂車
   9号車:上グリーン 下グリーン個室(1〜3人用)

  ひかり、一部こだま
   8号車:上グリーン 下カフェテリア
   9号車:上グリーン 下グリーン個室(1〜4人用)

  ひかり(グランドひかり)
   7号車:上グリーン 下普通指定
   8号車:食堂車
   9号車:上グリーン 下普通指定
   10号車:上グリーン 下普通指定

  私も帰省時に2度ほど、この車両を選んで乗車しました。もちろんグリーン車などは高嶺の花で、乗ったのは自由席ですが・・・ それでも、0系の寒色系の内装から一新した暖色基調の内装や、それまでのちょうつがい式ではなく、支柱で支えるタイプの座席テーブルなどに、当時斬新さを覚えたものです。

あこがれの存在だった「新型ひかり」 

目玉だった二階建て車 

  当時は民営化を前に新たな鉄道のスタイルが模索されていた時期であり、100系はその象徴的な存在でした。1990年の時刻を見れば、東京〜博多を直通する「ひかり」中心に使用されており、堂々たる「看板列車」として君臨していた様がうかがえます。

  しかしそんな100系の栄光は、長くは続きませんでした。

 「ひかり」の名と命運を共に

  1992年春、東京〜新大阪間に「のぞみ」がデビュー。新型300系車両が270km/h運転を始め、所要時間が大幅に短縮されました。この時点では1日2往復の試験的な設定であったとはいえ、長年最速列車の代名詞だった「ひかり」が、そしてそれを代表していた100系が2番手に降格した瞬間でもありました。翌93年には「のぞみ」が博多まで1時間サイクルの運転となり、東海道・山陽の主役の座は完全に交代しました。

  設計上は100系も275km/hまで出せましたが、騒音の問題などから実現せず、新しい車両が登場することになったわけですが、この300系には当初から食堂車も個室グリーン車もなく、あくまで「輸送」に徹した車両でした。ここに、新幹線に対するJRの取り組み方の変化が表れていました。100系は居住性を高めた夢ある車両でしたが、時代はもはや新幹線という乗り物にそのような要素を求めていなかったのです。

  それ以後も、100系は東海道・山陽を直通する「ひかり」や、東海道の「こだま」に使用されました。居住性重視の100系は、やや遅い列車のほうにという方針だったのでしょう。しかし、97年に最高速度300km/hの500系、99年には新たな汎用タイプ車両として700系(最高285km/h)が登場し、さらなる高速化が追求される中、最高220〜230km/hの100系はしだいに足手まといな存在にもなってゆきました。300系が「ひかり」にも運用され、山陽区間では700系が「ひかりレールスター」として走るようになると、その足の遅さは歴然。「ひかりより遅いひかり」は見劣りが激しくなりました。

直通「ひかり」として走る機会も、減っていった 

  2003年9月。ついに100系が東海道を去るときが来ました。既に食堂車は営業を終え(2000年)、「グランドひかり」も引退していました(2002年)。そしてこの時をもって、2階建て車両を挟んだ16両編成の100系は姿を消しました。

  翌月の改正で、東海道新幹線は270km/hを出せる300系以降の車両でそろえられました。ダイヤは「のぞみ」を主力としたものになり、東海道区間における「ひかり」は「のぞみ」を補完する少数派になりました。100系はまさに「ひかり」の愛称と命運を共にしたのでした。

目玉だった「2階建てグリーン車両」は、03年9月に全廃 

  一方新大阪以西の山陽新幹線区間では、東海道ほどダイヤが逼迫していないこともあり、100系は先輩格の0系と共に「こだま」用に残りました。編成は6両ないし4両(4両編成は岡山以西での運転)に。このときに二階建て車両を含めたグリーン車が廃されてしまい、以降は普通座席車だけの編成になりました。

  また、転用のさいにリニューアルされており、ボディはグレー調に変わり、座席は2+2列になりました。

6両編成のこだま 

岡山以西で走る4両編成は、全国の新幹線の中でも最短 

  100系に先だって0系は2008年11月末をもって「こだま」運用を退き、それと入れ替わりで8両化された500系が山陽「こだま」用に加わりました。

  2010年7月以降、6両編成のうちの3編成が旧来の白・青カラーに塗り替られ、自慢の二階建て車両は既になかったものの、東海道・山陽の主役だった時代を彷彿させる姿でラストを迎えることになりました。

当初のカラーに戻された車両 

2種類のカラーの並び。グレー調はいちはやく姿を消す 

  2011年3月改正からは、「レールスター」用の700系も「こだま」に入る機会が増えたことで、100系はさらに運用を減らし、新大阪〜岡山間から撤退しました。同時に4両編成も消滅。そしてついに、2012年3月の改正をもって引退することになりました。

  最後の営業運転となったのは、12年3月16日の臨時「ひかり445号」(岡山→博多)。奇しくも、その「ひかり」を二番手にした300系も同じ日に引退。臨時「のぞみ609号」は岡山駅で「ひかり445号」と並び、新幹線のターニングポイントを挟んだ2形式がホームを挟む格好になりました。

  これをもって、「国鉄」の流れをくむ新幹線車両がついに東海道・山陽系から姿を消し、東海道・山陽新幹線は一気に、500系および700シリーズの車両で占められることになりました。

N700系のぞみと、「世代交代」の並び 

 

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