乗車記2

 電化への動き

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  貨物の衰退と共に臨港線が次々に消えていった中にあって、純然たる「輸送力」で生き残ってきた和田岬線ですが、そんな路線にも変化の波が訪れました。

  三宮から神戸(ハーバーランド前)、和田岬を経由して新長田に至る地下鉄海岸線が、2001年7月7日に開業することになりました。和田岬駅の目と鼻の先にライバルを迎えるJR、負けじと(?)3月に和田岬線の電化を電撃発表。決して採算の良くはなかろう小浜線・加古川線に続く、和田岬線の電化計画。JR西日本は、合理化の一環として、近畿圏内で孤立しているディーゼル路線を極力なくしてゆこうという方針で動いているようです。

  私が4月下旬に見に行った時点では、特に動きはありませんでしたが、5月あたりからホームなどの工事が本格化し、5月下旬には一気に架線柱が立ち上がったとのことです。6月10日(日曜日)には、DC列車最後の働きを見ようと、夕方たった1往復の列車に乗ってきました。

 兵庫駅・・ファンの視線を浴びて

  2001年6月10日。この7月から電化されるという和田岬線の、残り少ない気動車列車の活躍を見ておこうというわけで、夕方の兵庫駅に出向きました。2000年の8月に初めて乗車し、「近代化」という言葉には最も縁遠い路線、という印象を持っただけに、電化の話を知ったときには、正直驚きました。

  休日の同線は、朝夕各1往復きりの運転。夕方の便は、兵庫発17時15分の列車が和田岬まで行って帰ってくれば、それでおしまいとなります。で、その1度きりの列車に乗ろうというわけです。

  先回来たときよりもきれいになった兵庫駅和田岬線ホームには、今から列車が入る、というところで、すでに十数名の「ファン」らしき人たちが待ちもうけていました。その中には子連れのおやじさんの姿も。

  そしてキハ35が、相変わらずののっそりペースで入ってきました。日曜の列車は2両編成。先回(平日)は6両でしたから、それと比べると実にこぢんまりとしています。スポーツ新聞を手にした「一般客」のおっちゃんがわずかにいるほかはほとんど「同士」、それでも2両で十分事足りる人数で、多すぎず少なすぎずです。

  ホームに列車が到着すると、「一般客」はさっさと乗り込む一方、カメラを手にした「同士」は列車を取り囲み、めいめいにあちこちを撮影。件のおやじさんは、子供を列車の前に立たせて記念撮影。先の特急「白鳥」の時には殺気立った空気がありましたが、こちらはキハ35の動きと同様、どことなくのほほんとしています。

  このキハ35も、ここ和田岬線が最後の働きの場となってしまいました。まだ近郊路線にも非電化区間が多かった時代に、通勤用DCとして登場した車両。和田岬線はそんなキハ35にふさわしい終焉の地なのかもしれません。車両のサイドには、「兵庫←→和田岬」のサボ。今ではサボをつけた列車さえ珍しくなりました。

 兵庫→和田岬・・鈍重な走りを楽しむ

  ひとしきり写真を撮った後、2両目(キクハ35)に乗り込みます。例によって、車内では扇風機が温風をかき回しているので、窓を全開にし、ロングシートに半身になって腰かけます。電化されると冷房になり、こんな乗り方もできなくなるかもしれません。

  ドアが閉まって、のそっと出発。「キクハ」にはエンジンがついていないので、静かなぶん「頑張っている」というのが伝わってきません。

  左にカーブして山陽「本線」への連絡線と分かれると、惰性で坂を下って、阪神高速の下をくぐります。この風景は先回と同じ。変わったのは、線路際に架線柱が立ち並び、頭上に架線が張られたことです。

  川崎重工は休業、和田岬線から分かれる引込み線の上にも柵がされています。しばらく「ガ..ダン、ガ..ダン」と、一定のリズムで重いジョイント音を響かせながら、列車は工場やマンションが立ち並ぶ間をまっすぐ進んで行きます。JR世代のメカニックな電車や気動車とは対極にある、実にアナログな走りです。

  そんな風景が一瞬ひらけて、兵庫運河にさしかかります。隣接する橋の上には、こちらにカメラを向ける人が一人。L特急「あさま」や「白鳥」の廃止前のフィーバーを経験している私には、この和田岬線キハ35の終焉は、一部の人にのみ注目される、実に静かなものに思えます。

  右手に、工事の進む競技場「神戸ウイングスタジアム」が見えてくると、まもなく和田岬。来年のワールドカップの際には、和田岬線も輸送に一役買ってくれるに違いありません。(※ と思っていたものの、現実には、ワールドカップ輸送に和田岬線は使用されませんでした。)

 和田岬駅・・ライバル?目前に

  兵庫から5分で和田岬着。乗客の「同士」の大半が、そのままとどまってホームで写真など撮りつつ、8分後の折り返しを待ちます。

  筒抜け状態の和田岬駅舎を抜けると、すぐ道路です。この地下に、7月7日開業の「神戸市営地下鉄海岸線」が通っています。三宮から元町、神戸、和田岬を経て新長田へ至るルート。名目上、和田岬線の「ライバル」となるわけです。

  もっとも、元来ラッシュ時の「特需」用である和田岬線ですから、地下鉄が開業しても住み分けがなされるとは思いますが、さすがに最新型地下鉄と旧態依然DCではあまりにも落差がつきすぎ、また何かと比較の種にされそうだ、ということで、この時期に電化に踏み切ったのかもしれません。

  そんな目下のライバルが、JR駅のすぐそばに出入り口を構えていました。当然ながらまだシャッターが下ろされ、看板も覆われていました。


手前の茶色い建物が地下鉄出入り口、奥の灰色屋根の建物がJR駅舎

  JR駅に戻って列車のほうを望む。架線の下を走るキハ35というのも今だけしか見られない貴重なものです。架線柱の構造はいたって単純で、まるで工場の引込み線か何かのようです。

  後部車両となるキハ35-303。見るとテールライトが「片目」になっています。4月に様子見に来たときもこうだったので、球切れしたままほって置かれているのか、と思いきや、和田岬線の列車はいつもこうだとのこと。

 和田岬→兵庫・・本日の任務完了

  そんなキハ35に乗り込んで、ショートトリップの復路にかかります。キクハでは扇風機が回っていましたが、こちらでは扇風機さえ止まっていました。

  乗客は先ほどよりも増えました。日曜出勤帰りの一般客が加わったのでしょう。もと来た道を、相変わらずの緩慢ペースで進んで行きます。

  阪神高速の手前で、エンジン音が大きくなりました。兵庫駅の高架に向けて上り勾配にかかるので、助走をつけだしたのです。今度はエンジン付きの車両なので、「頑張っている」というのがじかに伝わってきます。

  そうしてラストスパートをかけた後は、ブレーキをかけてゆっくりと兵庫駅ホームに入線。往復5.4kmのミニ旅行は終わりを告げます。と同時に、キハ35の夕方1度きりの任務も完了。私はもうこの車両に乗ることはありませんが、最後まで無事に務めを全うしてくれることを願いつつ、兵庫駅を去りました。

  この日、2001年6月10日の編成とダイヤは下の通り。

←兵庫

和田岬→

キクハ35-303

キハ35-303

兵庫 17:15→

→17:20 和田岬

兵庫 17:33←

←17:28 和田岬

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