2001年7月1日の和田岬線電化により、キハ35+キサハ35の活躍に終止符が打たれ、代わって青い103系6両編成が走るようになりました。
電化に伴い、平日の本数が増えましたが(※最下表参照)、昼間や休日はやはり「開店休業」。所要時間は1分短縮の4分となりました。6日後には予定通り海岸線が開通、神戸の鉄道は新時代を迎えました。
2001年8月4日。開通1ヶ月弱の神戸市営地下鉄海岸線に初乗車の後、和田岬から、電化後初めてのJR和田岬線に乗車しました。
20分ほど時間があるので、兵庫駅側へ歩いて、途中の兵庫運河へ向かいます。左手に、来年のワールドカップ開催地ともなるウイングスタジアムの銀色の屋根が、夕日に輝いています。
和田岬線車窓からも一瞬見えるウイングスタジアム
蒸し暑い中を歩きつづけて約10分。運河に架かる回転橋を、隣の橋から眺める。そろそろ電車が通る頃、と、カメラを構えて待つ。踏み切りの音が鳴り、電車の近づく音。初めて見る和田岬線の103系・・ところが。「あれ!?」
意表をついて兵庫運河橋梁に現れた207系
現れた電車は103系ではなく、ステンレスボディの207系。しかも3両。以前のキハとは似つかぬ軽い足取りで、あっというまに通り過ぎて行ってしまいました。
この電車に乗るため、急いで和田岬駅に引き返す。電車は紛れもなく207系。「普通」の方向幕を掲げ、電光の行き先表示板は無表示。「兵庫」や「和田岬」は、データに入っていなかったのでしょう。以前なら扇風機で熱風を浴びせられた車内は、クーラーがよく利き、走って汗だくの身にありがたい。
和田岬駅にて。代走だけに行き先表示がない
和田岬を出た電車は、素早く加速。すぐ惰行に入り、「カタン、カタカタン」とジョイント音を小気味よく響かせる。以前は速度制限がかかっていた兵庫運河の橋もそのまま通過。あの鈍重なディーゼルの歩みは、完全に過去のものとなりました。
川崎重工の手前あたりで減速し、ゆっくりと阪神高速のガード下にもぐりこむ。ここから兵庫駅への登りカーブは、速度制限のため、気動車時代と同じような緩慢な走り。エンジンを最小限まで省いたキハ35では精一杯の坂でしたが、207系電車にしてはじれったい限り。
兵庫駅到着前には「本日は、車両変更のため、乗車位置が変わってご迷惑をおかけしました」とのアナウンス。とはいえ、下車した兵庫駅には、「本日の列車は3両編成」という柵が用意されており、今後もイレギュラーで207系が入ることは十分考えられます。