各駅名横の( )内の数字は、その駅の標高。写真はクリックで拡大表示します。
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普 通 |
準 急 |
急 行 |
特 快 速 |
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KB15 有馬口 | ありまぐち | 有馬線 | ||||
KB21 五社 | ごしゃ | |||||
KB22 岡場 | おかば | |||||
KB23 田尾寺 | たおじ | |||||
KB24 二郎 | にろう | |||||
KB25 道場南口 | どうじょうみなみぐち | |||||
KB26 神鉄道場 | しんてつどうじょう | |||||
KB27 横山 | よこやま | 公園都市線 | ||||
KB28 三田本町 | さんだほんまち | |||||
KB29 三田 | さんだ | JR福知山線 |
三田線の起点は有馬口。籍の上では三田線が有馬線から分岐するかたちになっていますが、現状ではほとんどの列車が新開地方面と三田方面とを直通し、有馬口〜有馬温泉間のほうが枝線のような扱いです。
新開地からここまでは複線でしたが、有馬口から単線になり、架線柱も木または鉄骨製の貧相なものに。しばらく山林の中を進み、阪神高速の巨大な高架をくぐって五社へ。
棒線駅の五社。背後には阪神高速北神戸線の五社ICがあり、駅のほうは山と川に挟まれた森林の中。有野川対岸側に旧来の集落、北東側には有野台とよばれる住宅街が広がります。「特快速」は通過。三田線内では唯一の通過列車・通過駅です。
五社を出るとすぐトンネルに入ります。三田線唯一のトンネルであり、ここを抜けるとこれまでと一変、谷が広がってゆきます。やがて、左手に突如大規模なニュータウン(藤原台)が出現し、ローカル然とした線路が一転、複線分の幅の高架にかかります。
そして岡場へ。高架のホームに4本の線路、島式ホーム2本という、神鉄最大クラスの規模の駅で、駅周辺には大型店舗が連なります。新旧の住宅地が連なる神鉄沿線ですが、駅や駅前広場は旧来のこじんまりしたところが多く、この岡場ほどに「街の玄関」としてひらけた駅は、ほかにありません。
朝ラッシュ時に上りのみ運転される「特快速」はここ岡場から谷上までノンストップ。その後、岡場始発の準急が続行するダイヤとなっています。それを含め、ラッシュ時には岡場発→新開地行き(朝)、新開地発→岡場行き(夕)の設定があります。これより三田側では、電車はすべて各駅に停まります。
なお、かつて有馬・三田線に「特急」が運転されていた時期(1988-98年)があり、その三田線内の停車駅は有馬口・岡場・道場南口・横山・三田でした。しかし現状の設備では通過駅をフォローする列車の設定が難しく、ダイヤパターンを崩す割に速達効果も薄かったためか、今では運転されていません。ただし「特快速」という特殊な種別を存置しながら「特急」を空位にしてあるのは、いずれはまた・・という構想もあるのかもしれません。
次の田尾寺まで、1区間だけ複線化されています。高架から地上に降り、住宅地のへりを進みます。
田尾寺を出ると単線に戻り、沿線の住宅群も尽きます。西側の高台には引き続き新興住宅地が連なるのですが、線路周囲の平野部は昔ながらの農村地帯。こうしたギャップが平然と存在するのが、三田線沿線の特徴です。線路も貧弱に見えますが、比較的平坦であるためか、速度はかなり出ます(最高80km/h)。
有野川を渡って、二郎へ。農村の集落はずれに位置するホーム1面の棒線駅で、駅はプレハブ小屋に券売機と自動改札機を備えるだけの、最も簡素なタイプです。駅を出ると古めかしい鉄橋で再び有野川を渡ります。
道場南口駅の手前に、第三車庫があります。三田線・公園都市線の発展を見込んで造ったと思われますが、三田線複線化が遅々として進まない現状では本数増が望めず、この車庫もせっかく完成しながら、十分に活用されているとは言い難い状態が続いています。
道場南口は交換可能駅。かつて道場南口〜三田間では3両編成が限界だったため、道場南口で乗換えを要していました。1991年に三田まで4両編成が入れるようになり、ここでの乗り換えは解消されましたが、道場南口駅の構造にその名残があります。高台の住宅地(鹿の子台)への玄関口とするためか、駅前にはロータリーが整備され、駅舎も近年建て替えられました。なお、ラッシュ時を中心に一部、道場南口始発・終着の列車があります。道場南口〜横山間は、終日ほぼ15分おきの運転となります。
次は神鉄道場。かつては道場川原とよばれていました。(JR福知山線の道場駅とは4km近く離れています。)ここも西側の高台に住宅地があり、駅はその高台に直結するかたちの近代的な橋上駅となっています。そのさい将来の複線化に備えて、ホームは島式にして使える構造になっています。
沿線の開発に伴って三田線複線化が計画され、1980-90年代に部分的に進められたものの、阪神・淡路大震災の影響やその後の利用の伸び悩みなどから、21世紀に入ってからはほとんど停滞しています。神鉄道場を出てすぐの左手のり面を削る工事が行われた後は、なんら手が付けられていないのが現状で、今後情勢が大きく変わらない限りは、このまま立ち消えになってしまいそうです。
そういうわけで引き続き単線区間を進み、築堤へと登っていって横山へ。公園都市線に合流する手前あたりで、神戸市北区から三田市に移ります。
トンネルから出てきた公園都市線の線路が左側から合流してきて、横山に。切り通しの中に作られた島式ホームを跨ぐようにして、橋上駅が立ちます。公園都市線方面と神戸方面の相互の接続が図られています。
ここから終点三田までは複線となり、公園都市線の列車も直通します。三田本町は島式のホーム。市街地東側を回り込むように左へ大きくカーブ、最後に武庫川を渡ります。
JR福知山線に斜めに寄り添うようにして、終点三田に入ります。行き止まり式の島式ホーム2線で、有馬・三田線列車と公園都市線列車で使い分けられています。その先に改札口がありますが、近代的な橋上駅となったJR駅に対して、神鉄駅は昔ながらの小さな地平駅舎です。JR駅と駅前ビルをつなぐ格好で、デッキ状の歩道橋が設置されたため、神鉄駅はその足下でますます埋没した感です。
普 通 |
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KB27 横山 | よこやま | 三田線 | |
KB31 フラワータウン | ふらわーたうん | ||
KB32 南ウッディタウン | みなみうっでぃたうん | ||
KB33 ウッディタウン中央 | うっでぃたうんちゅうおう |
80年代以降、三田市街西部の丘陵地に開発の進んだ北摂三田ニュータウン。大阪へと直結するJR福知山線の複線電化(1986年)や、舞鶴若桜道・六甲北道路の開通などに伴って、90年代に急激な発展をみました。そのニュータウン群を貫き、三田と結ぶのが、公園都市線です。
公園都市線に入る列車は、すべて三田〜横山〜ウッディタウン中央を直通します。三田を出た列車は三田線を進み、三田本町を経て横山へ。ここで有馬口・新開地方面列車との接続を図って、これより分岐してゆきます。
公園都市線は単線。横山を出るとすぐトンネルに入って右側へとカーブします。一旦地上へ出て池の上を渡り、2つ目のトンネルへ。それを出ると間もなくフラワータウン駅です。このトンネル出口から終点までほぼ全区間、複線分の敷地が確保されています。
これより3つの駅はすべて、島式2線の交換可能駅。フラワータウン駅は橋上駅舎。1991年、公園都市線はまずこのフラワータウン駅まで開通しました。現在ここで折り返す列車はありませんが、列車の行き先表示には「フラワータウン」の幕が入っています。これより先の開通は少し遅れて、1996年のことです。
公園都市線はフラワータウン駅から、片側2車線の幹線道路に挟まれる形になります。この道路は県道720号テクノパーク三田線(三田幹線)で、ニュータウン内では信号のない立体交差。公園都市線も踏切が無く、完全に独立した軌道となっています。ニュータウンの「背骨」をなす路線ですが、沿道には緑地帯が設けられ、宅地からは若干離されています。県の肝いりの開発ならではの、「公園都市」の風情です。
南ウッディタウン駅は、高架駅のような形状となっています。住宅街に加えて、駅前には大規模店舗も。駅から東へ2kmほどの所にJR新三田駅が位置し、その途中に三田市民病院があります。
公園都市線5.5kmの旅は、ウッディタウン中央駅で唐突に終わります。島式ホーム、橋上駅で、駅周辺には映画館併設のイオンや新阪急ホテルなどの施設が集積します。この先にはまだあまり開発の手が及ばない雰囲気もあり、公園都市も「果て」に来たという印象を受けます。
これより先への延伸の構想もあったようですが、両側を並走してきた県道720号はこの先で上下線がくっつき、線路を通すことを想定した構造にはなっていません。
田園都市として大規模に開発された北摂三田ニュータウン、その基幹路線として開通した公園都市線。5両停まれる長さのホームや複線分の敷地に、当時の期待度が見て取れますが、現状は終日ほぼ15分おき、普通列車のみ3両編成の運転で、規模の割に人けのない駅施設などを見るにつけても、どうも「期待はずれ」の雰囲気があります。主に車の利便性を重視した街の構造に加えて、ニュータウンから福知山線へは新三田駅へバスで直接出るのが便利なこと、神戸方面へは直行の特急バスが結んでいることなどが関係していると思われます(近年の粟生線沿線にも似たことがいえます)。