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2.甲信をひたすら南下 |
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桑名川を出て、列車はさらに西へと進む。相変わらず、千曲川に沿って坦々と進む道のりだが、次々に現れる雪よけの柵や農村の光景が、ほどよくアクセントを加えてくれる。
周囲の積雪が若干減り、田畑の地肌が見え出すと、戸狩野沢温泉駅が近い。これまた長々した駅名だが、もともとは「戸狩」だったところへ、「野沢温泉の玄関口」をアピールするために、1987年にその名を加えたのだという。その野沢温泉へは駅からバスで20分。外湯(共同浴場)が14箇所あり、野沢菜や信州そばなどの味覚の楽しみもある。
そんなわけで、ここで長岡から乗ってきた列車を降り、バスで野沢温泉を目指すことにする。降りたのは自分を含めて二人。駅舎は真新しいが意外と小さい。温泉街の玄関口としてさぞかし活気があるだろうと予想していたのだが、拍子抜けする。
改札を通り、さてバスに乗り込もうか、と駅を出たところ・・・いない。列車が着いたときには駅前にいたはずの、野沢温泉行きバスがいない。
バスの出発時刻は10時10分。一方、列車の到着は、定刻では10時07分のはずだった。この通りの時刻であれば、普通に乗り換えれば間に合うはずだった。ところが、列車が桑名川での待ち合いの際に遅れており、戸狩野沢温泉に実際に着いたときには10時14分ごろになっていた。私は列車が遅れていること自体に気がついていなかったので急がなかったし、バスの側も一応列車の到着を待ってみたものの、乗り換えてきそうな客の姿が見当たらなかったので、そのまま出発してしまったのだろう。車掌が列車の遅れについて一言も触れなかったのが、いまさらながら恨めしい。
次の野沢温泉行きバスは1時間後。それを待つのは時間の無駄なので、野沢行きはあきらめて、駅周辺の散策に切り替える。駅置きの地図を見ると、野沢の反対側、駅の北側に戸狩スキー場があり、そのふもとに施設が集中している。中には共同浴場もあるらしい。別にスキー場に用はないが、他にめぼしいものがないので、雪山を眺めに行くくらいしか選択肢がない。
実際に歩きだすと、スキー場界隈までは意外と距離があり、しかも山に向かって行くのだから当然上り坂だ。重い荷物を背負っている身には結構辛い。寒さに備えて厚着をしてきたので、すぐに暑くなってきた。しかしあきらめるのもしゃくなので、とにかく行けるところまで行くことにする。
やがて、スキー場が目の前に迫ってきた。一応音楽がかかり、リフトも動いているようだが、人影は少ない。遠目にはそれなりにきれいな山だったが、近くに来て見ると、滑走面には土の色が目立ち、見るからに滑りにくそうな状態である。
とにかく重装備から解放されたいので、共同浴場「暁の湯」に向かう。最近建ったのか建て替えられたのか、建物は真新しい。200円の入湯料を払い、まず重くてかさばる鞄をロッカーへ押し込む。次に、幾重にも着込んだ服を一枚一枚脱いでゆく。かごに山盛りになった服を別のロッカーに押し込む。風呂に入るだけでも重労働だ。
やっと入った浴室は、ガラス張りで明るく、湯加減も丁度いい。真昼間から湯につかるというのも不思議な気分だが、これまでの汗を流し、目一杯体を伸ばして、ひとときの安らぎを堪能したのであった。だがその後には、服を着込んで、鞄を取り出す、さっきとは逆の重労働が待っている・・・
温泉ですっきりし、道も下りとなって、往路とは比べ物にならない爽やかな気分で駅に戻る。野沢には行き損ねたが、もうそのことは考えるまい。戸狩の温泉と山並みは十分な収穫だった。
12時37分、長野行き列車で戸狩野沢温泉を後にする。一気に谷が広がり、それに応じて沿線の雪は見る見るなくなっていった。飯山を過ぎると、遠くに雪山、手前に千曲川、そしてりんご畑と、いかにも長野という風景が広がりだす。
越後川口から5時間半にわたって続けてきた飯山線の旅も終わりに近づいた。最後は信越線に入り、13時47分、2両のディーゼルは北陸新幹線(注1)受け入れ工事の進む長野駅に到着した。
当初は、ここから信越線をそのまま進み、「碓氷峠」の軽井沢〜横川を経て、新宿に至るルートを予定していたが、気が変わり、松本を経て中央東線を南下するコースを辿ることにした。松本で若干の時間ができるので、途中下車して松本城でも眺めておこうかと思う。
駅で土産などを買って、14時10分発の小淵沢行きに乗り込む。篠ノ井まで、信越線は北陸新幹線の高架と併走する。98年に開かれる長野五輪に先駆けて、97年秋に長野まで開業する予定となっている。沿線には、五輪の選手村予定地も見えた。大々的に国費が投じられる一大プロジェクトが現実に進行しているわけだが、当の長野県民には白けたムードもあるという。二週間ばかりの宴のあとに、何十年も残る膨大な設備群の維持管理。その負担を強いられるのは地元である。鉄道も然りで、新幹線によって東京が近くなる代償として、地域の足である在来線は第三セクター化されることになっている。
篠ノ井から篠ノ井線に入る。千曲川流域の盆地を進んできた列車は、その端に行き当たり、山の斜面に沿いつつ大きくカーブしながらぐんぐん高度を上げてゆく。進むほどに広がる盆地のパノラマにしばし見とれる。まもなく姨捨(おばすて)駅へ。ここはスイッチバックの駅である。列車は引込み線に入って一旦停車し、逆走して駅に進入する。下り特急の通過をやり過ごして、再び松本へ向けて出発する。急勾配の途中に駅を作るための工夫だが、車両の性能が上がったことなどから多くのスイッチバックは解消され、今ではあまり残っていないという。貴重な経験だ。
長いトンネルを抜けると、高原のような風景となった。その後はしばらく居眠りしていたようで、気がつくと「次は松本」というところまで来ていた。前夜の睡眠時間が3,4時間だったことを考えると、よくここまでもったなと思う。松本着は15時28分。冬の短い日はすでに傾きつつある。
長岡21m。十日町142m。長野362m。そして松本584m。私の持つ地図で見た各地の標高である。この8時間で信濃川〜千曲川〜犀川に沿って560mほどを登ってきたことになる。この松本では1時間ほど時間があるので、松本城でも見に行こうかと思う。
松本駅の正面にデパートがあり、その1階部分がバスターミナルになっており、乗り場へは地階から入る構造だ。これも寒さ対策だろうか。そんなデパート地階のそばスタンドで、かきあげの載った天そばを食べて、かなり遅い昼食とする。
車の込み合った市街地をバスで10分ほど走って、松本城の前に到着。公園に入ると、街の喧騒とは打って変わった静けさで、堀の向こうに黒壁の五層天守閣がそびえている。「城跡」と名の付く所は日本に数多くあるけれど、一国一城令、廃藩置県、戦災その他の時の試練を乗り越えて、当時の建造物、とりわけ天守閣がそのまま残っているのはまれだ。その希少な存在のひとつがこの松本城で、姫路城よりも古い1594年の築。もちろん国宝に指定されている。
残念ながらよく見て回るほどの時間はないので、天守を概観するにとどめて、とんぼ返りで引き返す。道が混んでいてバスも来そうにないので、駅まで急ぎ足で歩くことにする。厳密に道順を覚えていたわけではなかったが、だいたいの勘を頼りに歩いてゆくと駅前に辿りついた。よく旅行をしていると、こんな勘だけは身につくものだ。
快速「みすず」で松本を後にする。もと急行用の169系という電車で、しかも新幹線座席のお下がりをあてがわれた車両なので、ちょっと贅沢な気分になる。だが外はもう次第に暗くなり、遠くに見えるはずのアルプスの山々も雲隠れして見えない。これから、長い長い夜がやってくる。
塩尻から中央本線に入り、6km近い長さの塩嶺トンネルをくぐって岡谷へ。ここで「みすず」を降りて、各駅停車の旅に戻る。モーターのうるさい電車で2駅走り、上諏訪へ。ここにもひとつの「名物」がある。
電車の到着したホームの脇に、すだれで囲われたスペースがある。大きな石が置かれ、そこに「駅露天風呂」の文字。この上諏訪は、ホームで温泉に入れるという前代未聞の駅なのだ(注2)。駅の建物内に温泉を引いたという話は近年ちらほら聞かれるが、ホームとなると話は別。観光ガイドブックにも載るほどの変り種温泉だ。
入浴時間は18時までで、終了間近ということもあってか、他に入っている人はいなかった。戸狩温泉のときと同様に、身につけた「重装備」をひとつひとつ解き、風呂場へ。当然ホームからは見えないようにされているが、天井は筒抜けで、ホームの物音が丸聞こえ。落ち着きを求めることはできないが、ここでしかできない面白い経験であることは確かだ。湯はややぬるめだったが、無料でありながら脱衣所も風呂場も清潔に保たれていたことに、好感が持てた。
再び重装備を整え、18時04分発の甲府行きに乗り込む。客の大半は次の茅野で降りてしまい、車内はがらんとなってしまった。いつのまにかまたも居眠りして、気がつくと「次は甲府」。われながら、うまくきっちりと目が覚めるものだ。
甲府駅は駅ビル併設のにぎやかな駅。夕食用のサンドイッチなどを買い込んでホームに戻ると、新宿行き特急「スーパーあずさ」が入ってきた。これに乗れば、鈍行乗り継ぎより1時間半早く新宿に着ける。これから闇夜を亀の歩みで進んでゆく行程を思うと、うらやましくも思えるが、黙って見送る。18きっぷを持つ私が乗り込むのは、その5分後に発車する大月行き普通電車だ。
大月では15分程の接続だが、次の電車が入ってくるまでのその間の寒いこと。富士山の北側の外輪に位置する場所だけに、冷え込みも厳しい。そうやって待って、入ってきたのは乗り心地の悪い115系。岡谷からずっとこれだ。予期していたこととはいえ、さすがにうんざりしてくる。
山を下り、高尾へ。「中央本線」という一本の路線も、ここを境に山岳路線から首都近郊路線へ、大きく様相を変えたことが、夜の車内からも見て取れる。電車も通勤タイプの201系になった。もう、向かいの座席に足を投げ出すことはできない。驚いたことに、22時をまわったにもかかわらず、新宿に近づくにつれて乗客は増えて、立ち客も出てきた。私にはこれから新宿発の夜行列車に乗るという目的があるが、彼らはこんな時間から首都へ出て、いったい何をしようというのか、と思う。22時30分、新宿着。
日本一の利用者数を誇る新宿駅。通路はまさに人の洪水で、うかうかしてるとあさっての方向へ押し流されてしまいそうだ。だがそんな中にひとつ、場違いに静かなホームがある。それは7,8番ホームで、その7番線から今夜乗る夜行快速「ムーンライトえちご」が出る。「きたぐに」に続く車中泊第二弾だが、昨晩の大阪駅と同様、夜行の出発ホームには「遠くへ行くんだ」という独特の雰囲気が漂っている。
これまで中央線のゴツゴツした電車にばかり乗ってきたこともあって、「えちご」のリクライニング席が実に心地よい。23時09分に新宿を出て、池袋、赤羽、大宮を過ぎたあたりで車掌が検札に来た。このあたりで日付が変わるが、昨晩と違ってすぐに寝付いてしまった。アルコールの力など借りるまでもなかった。