写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。
3.雪国の強者たち |
写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。
2010年1月7日 新潟→糸魚川→松本→名古屋→道場 |
1月7日。実際には高崎の時点で日付は替わっていたが、実質、「ムーンライトえちご」で到着した新潟から、二日目の行程が始まる。時刻は5時前。当然ながらまだ夜明けの気配はない。寝たのかどうか分からないような車中泊だったので、この先が思いやられる。
すぐに越後線の電車に乗り換える。吉田までの1時間弱、眠りを補っておこうと、座席に横になる。次に耳に入ったのは、「お客様、終点ですよ」の車掌の声。電車は既に吉田駅のホームに停まっていた。慌てて、次の柏崎行きに乗り換える。2分の接続だったので、車掌に早く気づいてもらえたのが幸いと言うほかない。
暗がりの中に、解け残った雪の塊のようなものが見える。新潟には「豪雪地帯」のイメージがあるが、浜手まで積雪が覆うことは希なものだ。列車の窓を打つのは雨かみぞれか。地図を見れば海に比較的近い越後線だが、ぼんやりと見える範囲では、小山に囲まれた平地を進んでいるようだ。その山々の輪郭が次第に明瞭になり、客も増えてくる。車中泊明けの列車で、だんだんと明るくなり、見えなかったものが見えてくる様には、新しい世界が開けてゆくような高揚感がある。ただ、重い雪雲の垂れ込めた越後の朝は、目覚めよりも寝起きの悪さを助長するようだ。
信越本線と合流する柏崎。ここではかつて駅前のビジネスホテルで一泊している。一旦外に出て、土産や食料などの調達をしておく。昨日のことを考えても、大きめの駅以外では思うように買い物ができないことを想定しておかねばならず、買えるうちに買っておくに越したことはない。
さて、今日の予定だが、主たるターゲットは大糸線のキハ52だ。この列車も昨年夏に乗っているが、その後、今年3月のダイヤ改正をもって引退することが正式に発表された。なので、今回が本当に最後の乗車となる。
信越線・北陸線を直江津まで辿って、そこから大糸線を南小谷(みなみおたり)まで進むことになるが、その後は直江津へと引き返して北陸まわりで帰るか、大糸線を南下して中央西線経由で帰るか。そのときの状況と気分で決めようと思うが、後者ならば夏の旅行の往路をほぼ逆に辿るコースになる。
直江津行きの普通列車で柏崎を出発。まもなく線路は海岸近くへと出る。その海は雪雲の覆う空の色を映すかのようにどこまでも暗く、重々しい。その暗がりの中に、打ち寄せる波しぶきの白さが浮き立ち、その激しさが見てとれる。これより柿崎あたりまでは、トンネルの出入りを繰り返しながら海岸の間近を進む、見どころの区間だ。そして今回は、かねてより一度降りてみたいと思っていた駅に立ち寄ることにする。
柏崎より2駅目の青海川駅。下りホームのすぐ裏に日本海の海岸線が迫る駅だ。反対側の上りホームに降り立ち、列車が去るや、海からの強烈な風が、押さえつけるかのような力を伴って吹きこんでくる。
跨線橋を渡って下りホームへ。その出入り口周りの数メートルは防風柵が立つが、そこを一歩出ると、広がるのはまさに冬の日本海。下手をすれば線路の側によろめかされそうな風の圧力と、足下に打ち寄せる荒波の轟音。離れた岩場には、たたきつけられた波が大きくしぶきを上げる。今自分が、シベリア気団のエネルギーにさらされているのだと、五感をもって思い知らされる。
駅の東西にはそれぞれ山がそびえ、両側はトンネルとなっている。駅前には集落が見えるが、山間の狭い谷に位置し、周囲から隔絶されているように見える。そんな様子を眺めているうちに、バラバラと落ちてくるあられの粒。風の勢いを伴って、顔面にぶつかってくるから痛い。
さて、西側、つまり直江津側を見ると、線路の脇にそびえる崖が上の方まで、コンクリートでガチガチに固められている。それでも足りないとばかりに、斜面と線路の間には、図太い鉄骨をずらりと打ち込んだ柵が巡らされている。思い起こされるのは、2007年7月の新潟県中越沖地震で、この崖が大きく崩れ、線路と駅の一部を埋めた光景。折悪く列車がさしかかれば大惨事になっていたのは必至で、列車がいなかったのは不幸中の幸いだったと言わねばならない。しかし、すり鉢状の斜面がごっそりと崩落し、線路を呑み込んで海にまで達した様子には戦慄を覚えた。この部分に元通り線路を引けるのだろうか、とさえ思えたが、2ヶ月後に無事復旧した。阪神の震災を間近に経験している身としては、こういう「傷跡」を見ると、やはり‘あの日’を思い出さずにはおれない。早いもので、それからまもなく15年が経とうとしている。
そろそろ外にいるのが辛くなってきたので、真新しい小さな待合室で次の列車を待つ。これも恐らく、地震の後に建て直されたものだろう。ガラス張りの窓から、ホームの向こうに広がる海が見えた。気候のよい時期にも、また来てみたい駅だ。
直江津行きの電車で旅を再開する。引き続き、トンネルの出入りを繰り返しながら、海岸近くを進む道が続く。陸側に崖が続くから、仕方なく海沿いに線路が引かれているわけだが、車窓を見ている側には面白い代わりに、実は危険な行路でもある。これは、青海川で下車したからこその実感でもある。
柿崎を過ぎると、山は離れ、防風林の中を進んでゆく。犀潟(さいがた)で北越急行の線路が合流し、まもなく直江津。再び、みぞれ交じりの雨が降り出した。
この先、糸魚川方面への列車には1時間以上ある。それで、特に用があるわけではないが、信越線を内陸へ入り、新井まで行って折り返すことにする。
新井行きの普通列車は、なんと特急用の車両だ。これは、新井で折り返して、新潟行きの快速「くびき野」になる。快速に特急車両を使うとは贅沢な話だが、これはかつて長野(のちに高田)と新潟を結んだ特急「みのり」を格下げした名残だ。6両つないでいるうち、先頭車はグリーン車と指定席になる車両なので乗車できないとのことで、乗り込んだ2番目の車両は、高田まで自分一人の貸し切り状態だった。
直江津を出ると、途端に沿線に積雪が。これまで浜手ばかりを進んできたから、みぞれやあられには見舞われても「雪国」の実感には乏しかったが、少し内に入ればやはり、豪雪地帯の本領である。
高田あたりまでくれば、15cmほどの積雪になる。水気を多く含んだ越後の雪は、見るからに重々しい。・・雪は水そのものだから、「水気が多い」と呼ぶのはおかしな話だが、こう表現するのがしっくりくる。
脇野田駅が近づくと、信越線の線路を斜めに跨ぐ高架が、突如姿を現す。長野から金沢への延伸工事が進められている北陸新幹線の新駅が、ここに造られることになっている。今は一介の小駅である脇野田も、大出世だ。ここだけを見れば、じきに新幹線が姿を現しそうだが、現に形になっているのは駅周辺だけだった。
妙高市の中心である新井は、駅の規模も割と大きい。これから先は長野に向けての山越え区間になるので、ここで折り返す列車も多い。駅前の道端には除雪された雪がうずたかく積まれ、融雪用の水が流れて、普通の靴では道路はまともに歩けない。今はブーツ型の靴を履いているが、以前にスニーカーを履いて雪の駅前を歩いた後、足がしもやけになったことがあるから、油断ならない。
新井からはそのまま直江津へと折り返すことになるが、乗るのは「妙高」号。普通列車だが、これまた、もともと特急用に使われていた電車だ。
1997年に長野新幹線が開業したとき、上野から長野を経て直江津・金沢を結んでいた特急「あさま」「白山」が廃止。その際に、「あさま」の車両をそのままに、長野〜直江津間を快速として残したのが「妙高」だった。(ちなみに元「白山」の車両は、未明に出会った「能登」に使われている。)現在ではほとんどが各駅停車となってしまったが、指定席車が1両つながっているのが、元特急の面目といったところか。白地に草色の帯をまとうカラーリングは私の好みで、特急時代と変わっていない。ただやはり、当時と比べると色あせて見える。
車内に踏み込むと、残念ながらその劣化ぶりが目に付いてしまう。座席は色あせ、テーブルはまだらに黄変している。乗客の少なさも、わびしさに輪を掛ける。もちろん、もう特急ではないのだから贅沢は言えないが、碓氷峠を越えるあの勇姿も、もうすっかり過去のものかと、そんなところにまた時の流れを感じてしまう。
もと来た道を引き返し、直江津へ。高岡行きに乗り換えて、北陸本線に入る。米原以来久々のJR西日本エリアとなる。寝台電車を最小限の改造で普通列車化した419系。東北や九州の同族が引退していった中、大して手を加えられることもなく約四半世紀も残ってきたのは、地方路線にお金を掛けないJR西日本の姿勢を物語っている。長らく北陸の名物ならぬ‘迷物’だったが、そろそろ置き換えられるのでは、という話も聞く。これが最後かもしれないと思うと、かえっていとおしくもなる。
糸魚川から乗り込むのが、本日最大の山場となる、大糸線のキハ52だ。飯田線の119系、「ムーンライトえちご」、さきの419系など、今回の利用が最後になる「かも」、という列車は幾つかあったが、こちらは確実に、今回が最後になってしまう列車だ。今年3月の改正で置き換えとなり、3両のうち1両だけは岡山で保存され、あとは廃車となることが決まっている。
ホームで出発を待つのは、昨夏にも乗った、クリーム色と赤のツートンカラー。早速席を確保し、発車まで写真を撮ったりして過ごす。おなじみの煉瓦車庫近くには、先回お目にかかれなかった、朱色一色のキハ52が停まっていた。この車庫も、北陸新幹線の駅を造るために、まもなく取り壊されることになっている。周囲では、車庫周辺だけを残すような格好で、高架線の工事が進められている。
乗客の大半が「同業者」で、ボックスを各1,2名で埋める程度の入りで、列車は糸魚川を出発。床下にエンジンの振動とレールからの揺れをゴロゴロと伝える走り、どこからともなく入り込んでくる油臭さ。今風の車両にない、五感を直に刺激される感覚だ。
内陸に入りだすと、さきほどと同じパターンで積雪が見る見る増えてくる。ただ、こちらはかなりきれいな雪だ。雪雲も薄く、空が明るくなってきたので、眺望も期待できそうだ。
根知より先、いよいよ姫川に沿う渓谷に入ってゆく。1両の列車はゆっくりと、しかし力強く、勾配に挑んでゆく。この走りができたからこそ、キハ52は後進に道を譲ることなく、ここで活躍を続けてこれた訳だ。
切り立つ山々の間を蛇行する姫川。夏に目にしたときには、周囲をコンクリートで固められ、大小の岩石が所構わず転がる中を濁流が下る様が、陰鬱な天候と相まって、荒れすさんだ雰囲気を醸していたが、同じ場所が今、全く異なる表情を見せる。山々は白く覆われ、ものものしいコンクリートのシェルターにも、こんもりと雪が被さっている。河原の岩石は群生するキノコかマシュマロのような姿になり、愛嬌すら感じさせる。そして白雪の間を割って流れる水の道。あの「暴れ姫」が化粧して、すっかりしとやかになったというところか。
そんな風景に見とれつつ、カメラのシャッターを切る。車内のあちこちから、同じようにシャッター音が聞こえてくる。夏の旅行で下車した平岩を過ぎると、これより長野県。列車は長いトンネルに入る。スピードは出ないが、キハ52のエンジン音は驚くほど安定している。古いうえに替えのない車両だけに、これまで整備に相当気を遣われてきたにちがいない。
北小谷(きたおたり)を過ぎると、幾分緩やかな地勢になる。薄日が射し、雪の白さが映える。もっと雪が降りしきって、景色の見えない状況を予想していたので、これは嬉しい誤算だ。
列車の行程が残り少なくなり、いよいよ決断の時が来た。南小谷で引き返して北陸を辿るか、この先南下して松本まわりで帰るか。後者だと昨年の行程と被るので、当初の計画では前者が優勢だった。だが、こうして明るくなってくると、あわよくば北アルプスの眺望も望めるのでは、という期待が出てきた。そろそろ日本海側の陰鬱さにも嫌気がさしていたので、快方に向かう側に行きたいという気持ちもある。そういうわけで、土壇場で松本ルートを選ぶことにした。従って、キハ52とは南小谷でお別れとなる。
その南小谷駅に入る手前で、なぜか待たされ、到着は3分遅れとなった。列車は折り返し糸魚川行きとして、客を入れ替えるや慌ただしく出発していった。その姿は、日に照らされた白銀の雪によく似合っていた。