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3.3つのアルプス |
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2009年8月12日 神城→松本→辰野→中部天竜→豊橋→三ノ宮 |
翌8月12日。5時過ぎに目が覚めて、真っ先に窓の外を眺める。周りの山々には、霧が立ち上るかのような薄雲がかかっているが、昨日のような重苦しいものではない。そこに朝日が射し、空が輝いている。心浮き立つ情景だ。これは期待が持てそうだ。
神城の駅は、大きなロッジ風の立派なもので、その背後に白馬山系が構えている。山頂部には朝日が射し、岩場が露出している様がうかがえる。この山並みを車窓からしっかり見ておくために、まずは下り快速列車に乗り、白馬へ向かう。
白馬で行き違いの上り信濃大町行きに乗り、引き返す格好で改めて今日の旅のスタートを切る。西にそびえ立つ白馬三山(鑓ヶ岳(2903m)・杓子岳(2812m)・白馬岳(2932m))は、山頂部に万年雪を頂いている様がくっきりと見える。これを見られただけでも、ここまで来た甲斐があったなと思う。
白馬三山、そして五竜岳(2814m)をちらちらと見ながら進み、神城へ戻る。ここからは山越えにかかり、一旦北アルプスの眺望は遮られる。姫川流域を後にし、青木湖、中綱湖、木崎湖畔を再び辿る。静かな湖面は鏡のように、向こうの風景を映している。その先で谷は広がり、安曇野へと出て行く。
信濃大町で塩尻行きに乗り換え。列車が進むに従って、餓鬼岳(2647m)、有明山(2268m)と、見える山が移り変わってゆく。白馬あたりからすれば若干スケールダウンしているが、依然車窓に目が釘付けになる。ただし、こう書いてはいるが、どれがどの山なのかは地図から推察するしかない。(※この旅日記では正確を期するため、旅行中に撮った写真と、あとでWebなどで調べた情報とを比較して山を特定していますが、誤りがあるかもしれません。)もっとも、有明山は「信濃富士」の異名をとるだけあって、山頂部の平たい形状に特徴があり、間違いようがない。
このあたりでは、線路周りには田園が続くので、あまり遮られることなく山を眺めていられる。山頂付近に、ちぎった綿のような雲がまとわりだしたため、全体の眺望は望めないが、晴れ空の下でのことだから、昨日と比べればだいぶ気分が違う。山にかかる雲は、山腹に陰を作っているが、見ている間にもその雲が流れ、絶えず陰が動いているのが認められる。よく言われる「山の天気は変わりやすい」という言葉に納得がゆく。
残念なことに、南下につれて山にかかる雲が増えてきた。常念岳(2857m)の尖った山頂部が、雲の隙間からかろうじて姿を見せていた。 しかも通勤時間帯の上り列車なので、車内はしだいに混んでくる。朝の北アルプスショーは、このあたりでお開きのようだ。
7時46分、松本着。日をまたいだ大糸線の旅は、これで終わりとなる。列車はこの先、篠ノ井線に入って塩尻まで行くが、ここで下車して食糧と土産の調達にあたる。今後、補給のチャンスがほとんどないので、ここで済ませておかねばならないのだ。
塩尻までは飯田行きの快速「みすず」に乗る。「快速」として愛称までいただいておきながら、通過するのは長野から飯田までの全区間中ただ1駅だけという、人を食ったような列車だ。松本から塩尻の間は各駅に停車する。
さて、今日の今後の予定だが、まず塩尻から中央本線の旧線に入って辰野へ。そこから飯田線を南下し、豊橋を目指すが、途中、中部天竜の佐久間レールパークに立ち寄りたい。飯田線を乗り通すのは98年1月以来、実に11年半ぶりのことになるが、ひとつ問題がある。途中の天竜峡から平岡にかけての区間が、7月末から落石などの影響で不通になっているというのだ。そのことは、三日前に豪雨の影響を調べていて、たまたま知った。順延がなければ気づかずに来ていたところで、怪我の功名だったともいえるが、問題はその代替輸送がどうなっているかだ。JR東海のサイトには、代行バスで1時間半程度としか書かれておらず、具体的な時刻表はない。WEBサイトという格好の公表手段を持ちながら、なんという怠慢、とも思ったが、代行バスは本来地元利用者のためのものだから、無用な混乱を避けるためにあえて大っぴらにしなかったのかもしれない。
幸い、バスの時刻は、インターネットで調べてゆくうちに判明。これから前へ前へと乗り進めてゆけば、佐久間レールパークに滞在する時間が取れる見込み。ただ、時刻表の列車ほどの確実性は期待できず、昨日の地震の影響がないとも限らない。最悪、レールパークをあきらめて、飯田からバスで名古屋へ抜けるルートで帰らねばならないかもしれない。
さて、「みすず」は塩尻から中央本線(東線)に入り、まっすぐ岡谷を目指すので、塩尻で下車する。全長6km近くに及ぶ塩嶺トンネルの開通に伴って、このバイパスルートが開業したのは、比較的最近の1983年のこと。それまでの中央東線は、V字を描くようにこの区間を南側に迂回していた。このVの下端にあたるのが辰野で、そこから飯田線が接続している。
旧線は単線で、新線開業後は優等列車のほとんどが撤退し(現在ではひとつもない)、いちローカル線の風情となった。Vの右側(東側)は飯田線から諏訪方面へ、実質ひと続きのように使われているが、左側(西側)は山越えを含むこともあって、すっかり寂れてしまった。そんな塩尻〜辰野間にほぼ専属で運転される、独特な電車がいる。
塩尻のホームで出発を待つのは、「クモハ123」という1両だけの電車。荷物用電車を改造したもので、山口に同種の車両がいるが、東日本にはこの1両しかない。四角張った車体や、縦長の側窓などに、何となく不自然な印象を受ける。のっぺりした顔の真ん中に小さく、「ミニエコー」というミスマッチなヘッドマークが埋め込まれているのが、精一杯のご愛嬌か。
駅を出発し、しばらく走ると旧線へと入ってゆく。複線の高架路線となっている新線とは対照的な、単線の心許ない線路が、山の中へと向かう。大きくカーブを描き、しばらく塩尻の街を見下ろしたのち、列車は盆地に背を向けて善知鳥(うとう)峠越えにかかる。トンネルを抜けると、信濃川水系から天竜川水系に移る。日本海側から太平洋側へ戻ってきたことになる。
ここから「ミニエコー」は、かなりのスピードを出す。下り坂であることに加え、もとは特急も行き交っていた路線だけに、それなりに高い規格の線路なのだろう。1両の電車だと動力が伝わりやすいのか、きびきびと走ってくれる。ただ、乗客は数名で乗り降りも少ない。
辰野駅は鉄筋二階建ての立派な駅舎を構えるホーム4線の駅で、ほかに6本ほどの側線があるが、使われている風ではなく、停留している車両もない。いずれは整地されて、駐車場か何かになる定めだろうか。この辰野に限らず、メインルートから外れた拠点駅の末路は寂しいもので、分不相応に大きな設備を持て余しながら、数少なくなった列車を待ち受ける。長いホームの真ん中に停まった「ミニエコー」は、入れ替わりに数名の客を乗せて、もと来た道を折り返していった。
さて、ここから飯田線に入ることになる。やってきた飯田行きは見覚えのある電車。先刻松本から塩尻まで乗ったもの。岡谷で15分停車したのちに、東側から中央旧線に入り、辰野にやってきたのだ。乗り捨てた列車を再び待ち受けるというのは、時刻表の妙を突いたようで、してやったりと自分勝手にほくそ笑む。わざわざ東をまわるのは、それだけ飯田線沿線と岡谷・諏訪方面とのつながりが強い証拠だろう。ちなみにこの電車、さきほどは快速「みすず」を名乗っていたが、岡谷からは無名の普通列車扱いとなっている。
そんな元「みすず」に乗って、先の長い飯田線の旅を開始する。早速車窓左手に、天竜川が現れる。このあと中部天竜まで、飯田線はほぼ、この川に沿って進んでゆくことになる。
飯田線は辰野側から大きく、(1)辰野〜天竜峡間の「伊那谷」区間、(2)天竜峡〜中部天竜間の「天竜川峡谷」区間、(3)中部天竜〜豊橋の「豊川水系」区間に分けられる。それぞれ雰囲気ががらりと変わる、その豹変ぶりも興味深い。
まずは伊那谷だが、出だしはあまり特徴がない。のどかな田園地帯を、電車はバウンドしながら進んでゆく。駅に着くたび、若い車掌が降りる客の集札にホームを駆け回り、走っている間は乗ってきた客に切符を売る。精算に手を取られて、駅に着いてもしばらくドアが開かないことも。飯田線は駅の間隔が狭い上に無人駅がほとんどなので、車掌は休む暇がなく、常に動き回っている。これは若くないと務まるまい。
東側には、あわよくば南アルプスが見えるかと期待したが、あいにく遠くの山はかすんでいる。そうするうちに伊那市を過ぎて、天竜川が近づき沢渡(さわんど)へ。これより先が、伊那谷の面白いポイントとなってくる。飯田線は川には沿わず、西側の段丘へと登ってゆく。沢渡と次の赤木の間には40‰(1000m進むのに対し40m登る)の勾配があり、これは現在のJR路線の中で最も急な坂だという。注意していたが、瞬間的にググッと登ったかというくらいで、これがそれなのかな?という程度。
この段丘は、木曽駒ヶ岳(2956m)を主峰とする中央アルプスのふもとに広がり、天竜川のなす谷とはしだいに高度差が生じてくる。アルプスから流れ出た川は西から東へ向かうに際し、段丘を深くえぐって、天竜川に合流することになる。これを「田切地形」と呼ぶらしい。この特殊な地形が、この先の飯田線の車窓を面白くしてくれる。
駒ヶ根は字の如く、木曽駒ヶ岳の懐に位置する。その主峰が手を広げて迎えてくれるかのような様なのだが、肝心の駒ヶ岳は、その頂上部を雲に隠している。空は7割方爽やかに晴れているのだが、残り3割を覆う雲が山沿いに固まっている。3000m級の山ともなると、やはりそうたやすくはお目通り叶わぬものらしい。
伊那福岡を過ぎると、列車は右に、つまり山側に大きくカーブし、そろりそろりと坂を下る。しばらく下ると左に転じ、川を渡る。そして逆の要領で再び高台へと上がってゆく。「Ωカーブ」とはよく言ったもので、これが「田切地形」を乗り越えるための苦肉の策だ。まっすぐに乗り越えるには大きすぎる谷なので、山側に寄って段差を緩和してから渡るのだ。次の駅は、その名も「田切」。
その次の飯島を過ぎると、さっきの様子をリプレイするかのように、再びΩカーブにさしかかる。そのとき、車内放送がかかった。その内容は、不通になっていた天竜峡〜平岡間が、今朝から復旧して平常通りの運転になったというものだった。言われてみれば、これまで不通に関する案内が一度もなかったのはそういうことか。地震もあったことだし、数日中の復旧はあるまいと決めてかかっていたので、これは嬉しい誤算。これなら飯田までに途中下車を挟む余裕ができるので、早速2駅先の七久保で列車を降りることにする。
七久保は、沢渡以降で最も高度の高い駅。汗だくになった車掌に青春18きっぷを見せ、去ってゆく電車を見送る。