2.大糸線とトンネル駅

 

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 北アルプスは持ち越し

  松本から、大糸線に入る。「しなの」を待ち受けたため、こちら少し遅れての出発。列車はそこそこに混んでおり、大きな荷物を抱えた人も多い。

  松本 14:10[09] → 信濃大町 15:07[02] [普通 4235M/電・115系]

  さて、今回の旅行のメインとなるのは、これから乗る大糸線と、あす乗る予定にしている飯田線で、この2つの路線に中央本線・篠ノ井線の一部を合わせてつなぐと、愛知県の豊橋から新潟県の糸魚川まで、太平洋側と日本海側を南北につなぐ1本のラインができあがる。大糸線は北アルプスの東側に沿い、飯田線は中央アルプスと南アルプスの間に位置する。日本を代表する山脈を車窓の友とする縦断路線である。

  ただ、松本盆地に入ってから、空には雲が目立ちだした。高い場所に来れば、それだけ天候は不安定になる。松本から信濃大町にかけて、車窓左手には常念岳(2857m)、有明山(2268m)、餓鬼岳(2647m)といった2000mクラスの山々が連なるはずだが、残念ながら中腹より上は雲隠れしている。向き的にも午後は逆光となり、眺めは全般にいまひとつ。ここは明朝また通ることになるので、明日に期待したい。

北アルプスは眺望悪し 

  松本から大町までの、いわゆる安曇野を北上する区間は、もともと「信濃鉄道」という私鉄路線として開業したという。幅の狭いホームや、時折不規則になるジョイント音、唐突な急カーブといった、JR路線らしからぬ雰囲気が感じられるのはそのためだろう。頭痛薬を飲んだせいか、眠気に襲われ、時折記憶が途切れる。

  信濃大町 15:10[07] → 南小谷 16:01 [普通 1337M/電・E127系]

  沿線に水田が広がる安曇野も、北の果てに近づいてきた。高瀬川を渡り信濃大町へ。南小谷行きのワンマン電車に乗り換える。信濃木崎を出ると、前方に木崎湖が現れる。山の懐に抱かれるように、穏やかに水をたたえる。信濃木崎から稲尾、海ノ口と、ふた区間のあいだずっと左手にこの湖が広がっている。山の中なのに「海ノ口」とはこれ如何に? おそらく、ここでいう「海」とは「みずうみ」つまり木崎湖のことで、「湖の入口」だから「海ノ口」、という由来なのだろう。

木崎湖は大糸線からよく見える 

  続く簗場(やなば)では小さな中綱湖、そして三湖のうち最大の青木湖と続く。その先で峠を越え、姫川の流域へと下ってゆく。ここからしばらくは盆地となり、左手に白馬三山などが望まれる北アルプスのクライマックス区間、のはずだが、あいにく空模様はさらに悪化し、山頂部は厚い雲に覆われている。こちらも明日に期待しよう。

  信濃森上を過ぎると、再び谷が狭まり、列車は下り勾配にかかる。姫川の水は濁り、巨岩が当たり前のように転がっている。空の薄暗さと相まって、一気に不気味な雰囲気になる。

脇をコンクリートにしっかり固められた姫川 

 古参気動車と暴れ姫

  そんなさなか、電車は唐突に終点の南小谷に到着する。駅周辺の雰囲気としては、ごく普通の中間駅なのだが、ここを直通する列車は1本もない。これより先、終点の糸魚川までは電化されておらず、ディーゼル車の受け持ちとなるからだ。そしてこれより、JR東日本からJR西日本のエリアへと移る。そんなわけで、大糸線を乗り通そうとすれば、必ずここで乗り換えを強いられる。

  この非電化区間を専属で走るのが、「キハ52」と呼ばれる車両である。製造後40年以上を経た古参だが、1両単独で走れるうえに、エンジンを2つ積んでいて勾配路線向きであることが買われて、これまで生き残ってきた。とはいえ、現役は今や大糸線の3両だけとなり、これもそろそろ置き換えられるのではないかとの噂がある。今回大糸線に来た目的の一つは、消える前にこのキハ52に乗ることだった。

  3両にはそれぞれ、昔ながらの塗装が施されており、これから乗る糸魚川行きは、赤とクリーム色のツートンカラーをまとっている。この区間に乗るのは3度目となるが、過去はいずれも客が多く、今回も座席は既に埋まっている。ここも本数が少ない上に1両ときているから、客の多いシーズンには詰め込みとなってしまうのだ。

これより糸魚川まではキハ52の独壇場 

  南小谷 16:13 → 平岩 16:33 [普通 431D/気・キハ52]

  ゴロゴロという振動を立てて、列車は発車した。引き続き姫川の荒々しい流れが脇に沿う。今にも崩れてきそうな両岸を、コンクリートで必死に押さえている風に見える。線路や対岸の道路の至る所に、落石よけのシェルターが設けられている。

  1995年7月、信越地方は集中豪雨に見舞われ、大糸線のこの区間は大きな被害を受けた。特に、南小谷から小滝に至る区間は、各所で路盤が崩壊したり橋が流されたりするなど壊滅的で、復旧は2年以上を経た1997年11月のことだった。梅雨末期の豪雨は、毎年のようにどこかに被害をもたらすが、これほど不通が長引くのも珍しい。この姫川とは、その名におよそ似つかぬ暴れ者らしい。

  列車はそんな姫川に遠慮するかのように、トンネルやシェルターを出たり入ったりしながら谷を下ってゆく。煤煙が入ってくるらしく、車内には油臭さが充満してくる。古い車両は見た目には風情があるが、乗客の体にはよくなさそうだ。

  20分ほどで平岩という駅に着いた。長野県と新潟県のほぼ境であり、駅自体は新潟県に位置する。ここで列車を降り、同じようにして降りた5人ばかりの人たちとともに、出発する糸魚川行きを見送る。約1時間後に平岩始発の列車があるので、それまでの間この駅前を散策してみようと思ったのだ。おそらくほかの下車客も同じ考えだろう。

  あいにく小雨がぱらつき、周囲に切り立つ山々はかすんでいる。谷に沿って細長く、集落が続いている。駅を出て少し歩くと、姫川に橋が架かっている。さすがにこのあたりでは、しっかりと護岸工事が施され、川の流れはその中に押し込まれているが、その水流の中に、山から下ってきた大小の岩石が頭を出している。対岸には温泉街があるようで、ホテルらしきものが立ち並んでいるが、駅の雰囲気と同様に寂れた感は否めない。

  頭痛薬を飲んでしばらく経ったが、頭の芯のあたりがまだ痛い。下車駅ではとりあえず駅周辺を歩いてみるのが常だが、遠くまで歩くのはあきらめて、しばらく駅前でじっと過ごす。やがて、糸魚川方面から次の列車がやってくる時刻が近づいた。駅の糸魚川側にかかる鉄橋の下で待ちかまえる。静寂を破り、小雨に煙る山々をバックにゆっくりとしたペースで姿を現したのは、先ほどとは異なり、紺色と黄土色の2色をまとった車両だ。

平岩止まりの列車、鉄橋にさしかかる 

  この列車がそのまま、折り返し糸魚川行きとなる。案の定、そこにいるのは、先刻列車を降りたとほぼ同じ顔ぶれで、めいめい写真を撮ったりして出発を待っていた。

  平岩 17:29 → 糸魚川 18:07 [普通 433D/気・キハ52]

  大糸線の旅を再開する。次の小滝まで、6.8kmに実に14分を要する。姫川の河原は谷いっぱいに広がり、その中を濁流が蛇行している。斜面には生々しい落石の跡もあり、転げ落ちてきた巨岩がそのまま河原に突き刺さっている。その様に恐れおののくかのように、列車は徐行を繰り返す。SF的な荒廃といおうか、人は何かを壊されても大抵再生させるものだが、その人の手をさえ寄せ付けない、強い破壊の力が働いているかのようだ。そんな場所に線路を引き直したのは、人間の側の執念のなせる業だったというのは大袈裟だろうか。そのようなことを考えるうちに、不通だった時期の暫定的な折り返し駅だった小滝に到着した。

濁流の脇をおそるおそる進む 

  次の根知まで来ると、ようやく険しい渓谷を脱し、ほっとする。列車の入れ違いがあるので、それを見るためホームに出る。対向列車は、さきほど南小谷から平岩まで乗車した、赤とクリームの車両だった。

色違いのキハ52が顔を合わせる 

  姫川は遠ざかり、谷は日本海に向けて広がってゆく。大糸線の旅も終わりに近づいた。その先の空は明るみを帯び、雲の間から輝く夕日が見えた。

 トンネル駅探訪

  今日最後のポイントは、北陸本線の筒石駅である。この駅は、トンネルの中にホームがある駅として知られている。地下駅を除けば、完全にトンネルの中にあるのは珍しい。この筒石も、気になりながらなかなか立ち寄る機会のなかった駅だ。

  糸魚川 18:13 → 筒石 18:37 [普通 553M/電・475系]

  糸魚川から直江津行きの普通電車に乗り、浦本から長いトンネルに入る。実はこの先の区間は、もともと海岸沿いに線路が引かれていた。ところが地盤が不安定で災害が頻発したため、内陸側を直線的に結ぶトンネルを掘り、1969年に線路を付け替えたのだという。

  一旦トンネルを出て、能生を過ぎると頸城トンネルに入る。長さは11km以上に及び、そのさなかに筒石駅は存在する。もとは海岸沿いの集落近くにあった駅を、大きく移転せざるを得なかったのだ。

  元急行用の旧式電車は大きなモーター音をうならせトンネルを力走していたが、やがて速度を落として駅に着く。線路の脇に、気持ち程度の照明と狭いホームのスペース、そして出入口の坑。これが筒石駅だ。降り立った途端に、ひんやりした空気が身を包む。ここで5人ばかり下車したようだ。

  電車を見送り、出口に向かうと、その先はすぐに登り階段になっている。66段と結構な長さだが、これは序の口。その後左へ折れ、今度は上り坂を登る。突き当たりを今度は右へ折れると、その先にまっすぐ続く階段の長さに愕然とした。なんと224段にわたる。薄暗く、湿っぽく、足下は水に濡れている。坑の左側は柵で仕切られ、斜面を水が流れている。まるで洞窟探検だ。他の下車客は、そんな登り道をすたすたと進んでゆく。試しに小走りに階段を上がってみると、すぐに息が上がりそうになった。毎日利用している人は、きっとそれなりに鍛えられるのだろう。

  そんな階段の先に、ようやく改札口が見えてくる。駅舎はプレハブのそっけない建物だ。山奥の何もなさげなところにぽつんと立っている。ここで降りた客がどこへ行くのかと思っていたが、皆車で迎えに来てもらったらしく、早々にいなくなっていた。

  既に外は薄暗いが、1時間近くあるので外を歩いてみよう。駅前からは狭い車道が伸びていて、少し登るとやや広い道に出る。谷間を、筒石の集落へと下ってゆく道だ。その谷をまたぐように、北陸自動車道の橋桁が2本、頭上に横たわっている。向かいの斜面には、熊が掻いたようなむき出しの岩場が何カ所かある。目に見えないところで山は絶えず動いており、それがこうして表に現れるのだろう。姫川沿いの荒れた光景とつなげると、その不安定さに合点がゆく。

  坂を下りてゆくと、眼下に日本海が広がってくる。曇り空にわずかにのぞく晴れ間に、夕日の色が残る。やがて集落に達したが、すでに薄暗がりの中。もとの駅がどこにあったかは見当がつかないが、東西に続く自転車道が北陸線の跡であろうことは察しがついた。

筒石の集落を望む。かつての北陸線は海岸に沿っていた 

  そこまで確認して、もと来た道を戻る。数百メートルの道のりだが、帰りは登りだからきつい。心許ない蛍光灯のあかりを辿りつつ、すでに闇に包まれつつある駅前に戻ってきた。この駅で切符を買うと「入坑証明書」がもらえるというので、入場券を購入して、1枚いただいた。葉書サイズのカードに、新旧の筒石駅の写真が載せられていた。

  224段の階段を下り、曲がって下り坂を進み、今度は上りホームにつながる56段の階段を下る。筒石駅のホームは、上下線でずれている。トンネルの断面をできるだけ小さくするためだろう。少し余裕を持って入ったつもりだったが、ホームに達した直後に電車がやってきた。これに乗り遅れると宿泊地にたどり着けなくなるので、危ういところだった。

筒石駅の内部(構造略図つき) 

  筒石 19:26 → 糸魚川 19:45 [普通 574M/電・475系]

  糸魚川へ戻り、南小谷行きの最終列車に乗る。3度目にお目にかかる、赤とクリームの車両。一旦南小谷まで行って、また戻ってきたようだ。キハ52にはもう1両、朱色一色の車両がいるが、今回は出会う機会がなかった。

  糸魚川 20:01 → 南小谷 21:02 [普通 438D/気・キハ52]

  例のゴロゴロした振動を足下に伝えながら、列車は今日最後の一往復にかかる。車内は薄暗く、そしてお世辞にも、綺麗な内装とは言い難い。化粧板は薄汚れ、床から天井に向けての配線には、市販のコードカバーっぽいものがかぶせてあり、まるで日曜大工レベルの細工だ。北陸の旧式車両全般にいえることだが、費用云々だけでなく、あまり内装に頓着がないのかなとの印象を受ける。

  そうは言っても、これがキハ52に乗車するおそらく最後の機会だ。もう景色は見られないが、十分味わっておこう。・・と思っていたが、その道中はほとんど寝て過ごしていた。だが、もったいないとは感じなかった。

さらばキハ52。東日本側のステンレス電車(右)と好対照 

  南小谷 21:12 → 神城 21:34 [快速 1352M/電・E127系]

  南小谷で、このキハ52に別れを告げ、あとは電車で今夜の宿泊地、神城を目指す。ダイヤの乱れや頭痛に悩まされながらも、とりあえずはほぼ計画通りに進んでくることができた。神城駅で下車し、空を見上げると、周囲が雲に覆われる中で、天頂にだけ星が見えていた。小さな星まで目に見える。これが満天を覆えばどれほど感動的か、と思った。

 

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