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3.元祖・東海道を辿る |
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ここからは磐越西線を辿って新潟を目指す。喜多方行きの快速は、少し遅れた只見線列車を待ち受けてすぐの連絡。姨捨からここまで、順調すぎる乗り継ぎで、乗換駅では一度も改札を出ていない。(戸狩野沢温泉・会津川口での停車時間中には途中下車している。)
磐越西線電化区間の快速には、以前は会津磐梯山にちなんで「ばんだい」という名が付いていたが、今は名無しの快速だ。乗り込んだ車両は「クロハ455」、半室がもとグリーン車だった車両で、1両しか存在しないが、2004年末の旅行の際に一度乗車している。今回は人が多く、間際に乗り込んだ私はデッキに立つ羽目になる。電車は晩の会津平野をハイペースで走り、飯山線・只見線のゆっくりペースに慣らされた身には、デッキの騒々しさと相まって、恐ろしささえ覚える。
喜多方は2003年の正月に一度訪問している。ただしその際には、有名な喜多方ラーメンを食べ損ねたので、今回は駅に近い店で頂くことにする。地元の人たちが集う中で、独り部外者的な感じで、肩身が狭い。スープは醤油辛そうな色をしているが、意外とあっさりしている。ラーメンは美味だったが、どうも居心地が悪かった。
これより先は非電化区間となり、やってきた新津行きは3両のディーゼルカー。意外に長い編成だなと思ったが、学生が多くて立たされる。もう外は真っ暗だが、ずいぶん遅くまで活動しているのだなと思う。しばらくそのまま進んで行くが、野沢という駅でその大半が降りた。まだ19時台だが、これより津川まで、この列車が下りの最終となる。
福島県最後の駅となる徳沢では2003年に途中下車しているが、ここでついに自分の車両が私独りになった。寂しい「最終列車」の風情だ。
新潟県に入り、外には霧がかかってきたようだ。暗闇の中でもやはり湿っぽさが感じられる。やがて沿線の雪が消え、列車の速度も上がって、平野部に下ってきたことが分かる。新津が近づき、北五泉でやっと「二人目」の乗客が乗ってきた。
新津から、新潟を経て越後線吉田へ行く電車に乗り換える。今夜は、新潟から新宿行きの快速「ムーンライトえちご」に乗ることにしている。しかしこのまま行くと、新潟では2時間ほど待たされることになる。駅で手持ちぶさたになるよりは、列車に乗っていたいと思うので、せっかくだからこの電車でそのまま吉田を目指そう。吉田で引き返せば、「えちご」の発車前に新潟に戻れる。
地図で見ると分かるが、南西方面から進んできた信越本線は、終点新潟の手前でUターンするような進路をとり、新潟には東側から入る格好になる。西側から入る上越新幹線とは向きが逆となり、方向感覚がおかしくなる。一方、越後線は素直に西側に伸びるので、信越線〜越後線を直通するこの列車は、向きを変えることなく直進する。新潟で客の総入れ替えがあるかと思ったが、降りずにとどまった客も多かった。
時間帯ゆえにそれなりの混雑で新潟を出ると、間もなく信濃川を渡る。ここはもう河口に近いが、朝に姨捨で眺め、それから飯山線で寄り添って進んできた千曲川の下流にあたり、旧知の友に再会したような気分だ。千曲川から合わせた信濃川は、日本一長い川とされる。
電車は高速で新潟郊外を走る。実際のスピードというより、激しい揺れがそう感じさせる。越後線は新潟近郊のためか、電化されてはいるものの、規格としては信越線などよりかなり低そうだ。
乗客は最後には数名ほどになり、到着した終点吉田も既に閑散としていた。ただし駅前には、タクシーが列をなしている。22:41発の新潟行きでもと来た道を引き返す。吉田からは4方面に路線が出るが、この駅を発車する列車はこれが今日最後となる。
新潟に戻り、新宿行きの「ムーンライトえちご」に乗り込む。18きっぷ雪見旅の常連ともいえる列車だが、今までと様相が変わった。長らく急行形の165系が使われていたが、これが特急用の485系に変更された。走りはさすがに静かだが、以前は座席がピッチの広いリクライニングで、夜行向きだったのに対し、こちらは通常の席なのでやや窮屈な印象。そうは言っても、快速扱いで特急の座席に乗せてもらっているのだから、お得な列車であることに変わりはない。
2007年1月16日 (新潟→)品川→御殿場→静岡→名古屋→灘 |
雪国を西から東へ縦走した昨日から一転、この1月16日は東海道を東から西へと辿ることになる。新宿から山手線で品川へ。こんな早朝でも客は多く、間断なく乗降がある。いつも思う、東京は眠らぬ街だ。
品川では20分ほどあるので改札を出てみる。あきれるほどに天井の高いコンコース、威容を誇るビル群。田舎者はあっけにとられる光景だ。
東海道のトップはE231系。JR東日本の新たな汎用電車だ。新しい車両ほど、概して走りは静かになるものだが、この電車はモーターのうなりがよく響き、実際の速度に比して走りが激しい。都心から離れて行く方向だが、横浜から乗客が増えてくる。
大船あたりからようやく外が薄明るくなってくる。冬の夜明けは遅いが、もう人の動きは盛んだ。東京方面へ向かう上り列車とひっきりなしに入れ違うが、既に満員となっている。あれが東京に着く頃には一体どんな有様になっているのだろうか、と恐ろしくなる。こちら下り列車も、そこまではゆかないが、立ち客が目立ってくる。
さて、この列車は熱海方面へ直通するが、私は国府津(こうづ)で下車する。ここから、御殿場線に入るためだ。
国府津から御殿場を経て沼津に至る御殿場線は、明治の開業時点での「東海道本線」だった。時代が下り、昭和9年(1934年)に丹那トンネルが開通して熱海まわりが本線となり、こちらは支線扱いとなって今に至る。そんな旧街道を、今回は辿ることになる。
御殿場線はJR東海の管轄で、御殿場行きの電車は115系の4両。鋼鉄製の湘南色は、今となってはローカル感を醸す存在だ。電車は「現・本線」から分かれ、内陸へと向かう。小田急の列車が乗り入れる松田を過ぎると、向きを西に転じ、山が近づいてくる。
谷が狭まり、酒匂川ともつれながら、列車は険しい道を進んで行く。今は電車だからまだしも、おそらくSL時代には相当厳しいルートだったろう。ゆえに丹那トンネルの開削が(かなりの難工事だったらしいが)急がれたのだろうが、面白いことに、それより後代の東名自動車道は御殿場線に近いルートを取っており、その立派な高架が、さらに頭上を行き来する。
やがて、神奈川県から静岡県に入り、車窓右手に富士山の姿。ただしまだ、山などに遮られて頭しか見えない。それでも、ちらりとはいえ「主役」の登場に、気分は一気に高まる。
御殿場の町は、富士山麓の高台にあたる。ここで沼津行きの電車に乗り換える。こちらも鋼の湘南色。ただし、JR東海はこの春ごろに管内の113,115系を新車に置き換えるとしており、残る活躍の機会は少ない。ここから沼津にかけては、右手に富士山を見ながら、ほぼ南方向へ進むことになる。
民家が途切れると、いよいよ主役が堂々と姿を現す。青空にくっきりと浮かぶ稜線。頂上から中腹まで覆う雪の白さ。世に美しい山は数多くあっても、この姿に完璧な美を認めるのは、やはり日本人の感覚なのだろう。そして、現在の東海道本線からは、こんな間近に富士山を見ることはできない。支線となった御殿場線をゆっくり進むからこそ、じっくり見ることのできる風景だ。地勢に抗うすべの無かった古い時代の路線ほど、図らずも風光明媚な車窓を演出してくれるのだ。
富士岡駅は、その名の通りホームから富士山を真正面に望み、その裾野を一望できる。手前に立つ工事中の道路の橋脚がやや無粋だが、仕方あるまい。
ここからは、勾配を下りながらカーブを繰り返す。この御殿場線、ほとんどの区間で本線の脇に線路1本分の余地があるが、これは複線化が予定されているわけではない。むしろその逆で、「東海道本線」時代には複線だったのに、戦中に片側が撤去されてこうなったのだという。戦争がなければ、今も御殿場線は複線だったかもしれない。なお、御殿場線から供出された資材は、山口県の当時の柳井線ルートを山陽本線として強化するためにも使用されたという。結果として、それまでの山陽本線だった山側ルートは、いちローカル線の岩徳線となって現在に至る。皮肉にも、御殿場線の資材が間接的に、第二の御殿場線をもたらしたことになる。
富士は後方に移り、東海道本線に合流して沼津へ。「旧街道」の旅はここで終わる。
沼津からは西向きとなり、再び富士山が右手車窓正面になる。ただし御殿場近郊と異なり、妨げるものが多く、すっきり見渡すことはできない。
富士から乗るのは、特急「東海」。東京〜静岡間を、かつては165系急行、その後は373系の特急として運転されてきた「東海」だが、利用低迷によってこの3月で廃止されることになった。373系には、夜行快速「ムーンライトながら」や、その送り込みの普通列車としては数回乗っているが、「特急」としては貫禄不足の感が否めず、わざわざ料金を払って乗ろうと思える車両ではない。今回は廃止前という話題性ゆえに(それと、普通列車が続くので気分を変える目的で)乗るという意味合いが強い。
富士を出ると、さすがに特急らしく鋭い加速を見せる。ただし、この電車にはデッキの仕切りがなく、モーターの音が筒抜けで響く。これは仮にも特急を名乗る列車としてどうかと思う。JR東海はこれを導入した時点で、「東海」に対するやる気のなさを露呈したといえるかもしれない。ただ、ほぼ各駅停車オンリーの静岡エリアにあって、駅をすっ飛ばしてゆくのは得難い快感だ。
富士山は後方に去り、しばらく海に近い区間を走る。東海道本線の車窓から海が見えるのは、ここと熱海近辺くらいのものだ。ただしこのあたりでは、線路と海の間に東名道が挟まる。自動車がひっきりなしに行き交うその向こうに、輝く駿河湾が見え隠れする。
海が離れ、右手に新幹線の高架が沿ってくると、静岡が近い。
焼津から内陸に入り、大井川を渡って、大井川鉄道と接続する金谷へ。ここからは軽い山越えになり、沿線には茶畑が続く。所々野焼きのような煙もあがり、のどかな風景だ。
掛川付近では、東海道新幹線の線路に沿う。見ていると、その間にもひっきりなしに新幹線がやってくる。山陽新幹線の頻度に慣れている当方には、驚くほどの過密ダイヤだ。確かに、これが止まればいかにも社会的ダメージが大きかろうと思う。長い鉄橋で天竜川を渡ると、間もなく浜松。
次の豊橋行きは117系。113,115がなくなれば、JR東海の電車としてはもう最古参の類となるが、もと新快速らしく、まろやかな走りだ。やがて、東海道のビューポイントの一つ、浜名湖にさしかかる。海につながる河口部分を、新幹線に沿い、長い鉄橋で渡って行く。見上げると、鳥が列をなして飛んでいる。ただの数羽の列ではない。見渡す限り、空に一本の線を引くかのように、一直線に並んでいる。
湖を背にして静岡県から愛知県に入り、豊橋へ。ここからは新快速・快速の行き交う名古屋近郊エリアとなる。
静岡県内では流すような走りが続いていたが、豊橋を過ぎた途端に電車は本気の走りっぷりを見せる。正直なところ、この快速の走りは、さきの「東海」より優れている。これでは「特急」の立場がない。
濃尾平野に入ると見るべきものはなく、名古屋前後の記憶はない。岐阜に近づくと、北側の高い山(金華山)のてっぺんに岐阜城の天守閣が見えた。実は、この天守の存在に気づいたのは、今回が初めてだった。
大垣から関ヶ原越えに挑むが、沿線に積雪はない。ただし、前方に控える伊吹山は、山頂付近に雪をいただいている。これまで晴れ空が続いてきたが、さすがにこのあたりは曇っている。柏原〜近江長岡間では、伊吹山の手前に、新幹線の高架が間近に沿う。ここで新幹線が来れば絵になる光景だが、さっきはあれだけ頻繁に来ていたのに、ここではついに現れず。
ついに西日本エリアに戻ってきた。新快速は妥協のない走りで突っ走り、ラストスパートと呼ぶにふさわしい。天気は回復せず、むしろ雨が降り出した。晴れているうちに富士山を見られたのは良いタイミングだった。96年以来の東海道縦断だったが、今回は終点神戸までは行かず、灘で旅程を終える。