2.豪雪ローカル線の旅

 

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 絶景・姨捨スイッチバック


 2007年1月15日
 松本→越後川口→只見→会津若松→新津→吉田→新潟

  1月15日。ホテルの窓から外をのぞくと、冬晴れの空のもと、屋根に雪を載せた黒壁の松本城が正面に見える。昨日は闇の中の到着だったので、信州の風景を目にするのは、実質これが初めてとなる。この青空がどこまで続くかは分からないが、今日の行程には期待が持てそうだ。

  松本 8:07[06] → 姨捨 8:48 [普通 1535M/電・115系]

  朝の冷え込みで固まった路傍の雪を踏みしめながら、松本駅へ。月曜日の朝とあって、駅はラッシュの混雑だが、長野行きの電車は3両。ドア際に立ってやり過ごすことにする。左手に近づくのは犀川。広い川原は雪の白さに覆われ、その脇を列車が走り抜ける。バックには、やはり山頂部を白くした北アルプスの山々が朝日に輝き、稜線が青空にくっきりと映える。その中にあって一番高く、空に向かって鋭く尖るのは槍ヶ岳か。

澄んだ青空に映える北アルプスの峰 

  満員の乗客の大半は明科(あかしな)までに降りてしまい、列車はアルプスに背を向けて、長いトンネルへ突入する。抜けた先はさきほどとは一変して、山に囲まれた盆地。冠着(かむりき)を過ぎると再びトンネルへ。その出た先に、今日1つ目のチェックポイントがある。

  姨捨(おばすて)駅は、今では稀少な存在となったスイッチバック駅。駅に停車する列車のみ、本線から分かれてホームに着く。ぜひとも一度降りたい駅だったので、今回は40分ほどの滞在時間を設けた次第だ。さすがに高度が高いためか、線路にもホームにも雪が積もったままになっている。さらさらした綺麗な雪だ。ホームの看板には「海抜547メートル」とある。駅は、千曲川流域の「善光寺平」を望む場所に位置する。ホームはちょうど展望台のような立地で、よくぞここに駅を造ってくれたと思う。

  ここまで乗ってきた長野行きは、まず松本方へ引き返す格好で出発し、本線をクロスして引き上げ線に入る。そこからもういちど折り返し、本線に再合流して長野を目指す。次いで、上りホームにいた甲府行きが出発する。同じ方向に出発し、こちらは直接本線に合流して松本方面へ向かって行く。

スイッチバックの姨捨駅から発車してゆく普通電車 

  駅舎は小ぶりな無人駅だが、品のいい山小屋のような建物だ。駅を出て、南側の踏切を渡ると、眼下に棚田、そして千曲川が見渡せる。川中島の古戦場もこの方向だろう。北に頭を出す雪山は黒姫山か。

姨捨から善光寺平を望む 

  見事なパノラマに見とれていると、踏切が鳴りだした。長野方からやってきたのは、名古屋行きの特急「しなの」。姨捨駅には停まらないので、スイッチバックには入らず本線を通過して行く。水平に造られている駅のホームと比較すると、本線はかなりの急勾配になっていることが分かる。

  線路の西側は急斜面となっており、足下の積雪に用心しつつ少し登ってみる。駅はまさに山腹の「ここしかない」という場所に造られている。そうこうするうちに、眼下を横切るように、次に乗る長野行きの電車がやってくるのが目に入った。急ぎ駅に向かう。

  姨捨 9:31 → 長野 9:58[57] [快速「みすず」 3523M/電・115系]

  次の電車は「快速」という表示を掲げているものの、これより先は各駅に停車する。駅を出るとまずは引き返し、松本側の引き上げ線に入る。一旦電車は停車し、善光寺平の絶景を今一度じっくり見させてくれる。向きを変えて再出発した電車は本線に入り、ジェットコースターのように、一気に勾配を駆け下る。山裾の地勢に沿って、右側に大きく回り込みながら高度を下げて行く。トンネルや林の間をくぐりぬけ、気づけばいつの間にか、もう平野部にまで降りていた。沿線の雪も消えた。下り道はいともあっけない。

 姨捨スイッチバックの車窓

 飯山線の旅

  長野に着き、昼食用の駅弁を買って、慌ただしく越後川口行きに乗り換える。これより、今日二つ目の見所となる飯山線に入って行く。

  長野 10:03[02] → 越後川口 12:51 [普通 131D/気・キハ110系]

  列車は2両で、結構混雑している。大きな鞄を持つ旅行者風の客も多い。野沢温泉への利用者だろうか。豊野から飯山線に入ると、途端に細かいカーブの多い貧弱な線路となる。近くにりんご畑、遠くには雪山の連なる、いかにも信州らしい風景。平野部がしだいに狭まり、沿線に山々が近づいてくる。列車に向かって、10人ばかりの子供が手を振っているのが見えた。

飯山線に入ると雪量が増してくる 

  目立った乗降はないまま、飯山に達すると、ここでまとまった下車。そして戸狩野沢温泉で、残った客もほとんど降りてしまった。2両のうち先頭側1両だけがこの先、越後川口を目指す。これより先の区間、新潟側からは96年末に一度乗っているが、こちら側からのアプローチは初めてとなる。

  谷が狭まり、これからしばらくは蛇行する千曲川が車窓の友となる。列車はさらに速度を落とし、その川縁をのんびりと進んで行く。積雪が増えてきて、沿線一面が真っ白に覆われる。天気がよいので日光が反射し、窓越しに見る景色が眩しい。しばらく見とれていたが、だんだん目が疲れてきた。

千曲川が車窓の友。光る雪が眩しい 

  新潟との県境となる森宮野原。7.85mの積雪記録を持ち、線路際にその高さの標柱が立つ。現在の積雪は50cmほどで、全く及ばないが、他の場所の少なさを考えると、さすがは屈指の豪雪地帯。

森宮野原駅の最高積雪標柱 

  これより千曲川は信濃川と名を変え、引き続き線路に沿うが、次第に谷が広がり、地勢も緩やかになってくる。列車はトンネルを出入りしながら勾配を下り、除雪されて両側に壁の出来た雪道を、右へ左へと進んで行く。10年前には農業倉庫のような建物だった越後鹿渡の駅舎は、真新しいものに建て替えられていた。

白銀の世界にのびる鉄路 

  これまでずっと進行方向右手に沿っていた信濃川が左側へ移って離れて行くと、それまで晴れ渡っていた空に重い雪雲がたれ込めてきた。空の色が変わると、同じ雪景色でも雰囲気がずいぶん変わってくる。正午を少しまわり、北越急行と接続する十日町で4分の停車。先回は駅を出て弁当を買ったが、今回はホームで写真を撮るにとどめる。

十日町駅での小休止。空は雲に覆われて暗く 

  飯山線の旅も残りわずか。心持ち、積もる雪の質感も重たげで、湿っぽくなってくる。信濃川に合流する魚野川を鉄橋で渡りきると、カーブを切りつつ上越線に合流してゆく。長野から3時間弱、越後川口に到着。ポイント部ではスプリンクラーが間断なく水を吐いている。

 豪雪路線は健在

  越後川口 12:57 → 小出 13:08 [普通 1734M/電・115系]

  お次はもうひとつの豪雪路線・只見線だ。上越線に10分ばかり乗って小出へ。飯山線から只見線、「雪見旅」としては豪華リレーで、しかも越後川口で6分、小出で9分と、非常に接続がよい。特に只見線を直通する列車が1日3往復しかないことを考えると、奇跡的な乗り継ぎだが、スムーズ過ぎてある意味ローカル線らしくない。

  小出 13:17 → 会津若松 17:22[19] [普通 430D/気・キハ40系]

  乗り込んだ只見線の列車、学生が多く、私が座った車両端のロングシートはベコベコしていて心地悪い。これから実に5時間余をかけて会津若松を目指すことになるが、135.2kmに5時間を要するということは、平均の速度(表定速度)は30km/hにも満たない。107.5kmを2時間48分だった先の飯山線列車でも約38km/hだから、そこからもう一段遅いことになる。その数字のとおり、列車は飯山線以上の緩慢なペースで只見線に入って行く。

  この只見線も、過去2回がいずれも会津側からの利用で、西側から入ったことはない。2回はどちらも昼過ぎに会津若松を出る便で、新潟県内に入る頃には日が暮れるパターンだったので、小出から只見の区間で車窓を見られるのは実質初めてだ。

  沿線は重たげな雪に覆われ、線路や道路の脇には壁のようになっている。意外と沿線に民家が目立つが、客の動きはあまりない。小出から20分ほどで越後須原。このあたりから山間へ入って行く。学生の姿も減り、クロスシートに移動する。

只見線沿線はさらに豪雪地帯。雪下ろしをする人の姿も 

  新潟県最後の駅となる大白川を過ぎると、もう民家はない。両側に山の切り立つ狭い谷を登って行くのは、線路と川と、並走する国道252号だけとなる。道路は所々シェルターで覆われているが、そうでない部分は雪が積もりっぱなしだ。この峠越えの区間は冬季通行止め。つまりこの時期、県境で動く乗り物は、只見線を走る1日4往復の列車のみということになる。只見線の大白川〜只見間開通は1971年で、これにより只見線の全通が成っている。

人里を離れ、並走する国道も封鎖中 

  谷を刻む川が線路の右へ左へと移り、周囲はひたすら雪に覆われている。何度もトンネルを出入りし、ついに長いトンネルに視界を遮られる。県境に位置する六十里越トンネルだ。列車は心持ちスピードを上げるが、全長6kmを超えるトンネルなので延々と闇が続く。こうして辿るとまさに「国境」という表現がしっくりくる。昔は難儀を極める道程だったことだろう。

  ようやくトンネルを抜ける。が、そこはシェルターの中。そこにあるのは田子倉駅で、ここもまた冬季休業。列車はゆっくりと通過する。シェルターの格子から、ちらりと田子倉湖を見、そしてすぐに再びトンネルに入る。

  トンネルを出ると久々に集落が見えてきて、心なしかほっとする。そして只見駅に到着。過去2回はここで小休止を挟み、雪の中途中下車もしたが、今回はすぐの発車なので車内にとどまる。これより会津川口まで、列車は午前・午後・晩の3往復しか運転されない超閑散区間となる。

  ここからは只見川が車窓の友となる。この川は会津盆地に向けて、一体いくつダムがあるのかと思えるほど、谷いっぱいに広がるダム湖が続く。そんな川を右に左に渡りつつ進んで行くのが只見線の醍醐味だ。新潟県内では空を分厚く覆っていた雲が少しずつ薄くなり、今は雪は降っていない。鉄橋にさしかかると、積もっていた雪の塊が落ちてきて、列車の屋根をバラバラと打つ。見渡す川面は、鏡のように山々を映し出している。

雪の重みか、変形した踏切 

  列車は2両だが、管理や除雪の手間を減らすためか、只見〜会津川口間では駅のホームが1両分しかない。沿線に民家はそこそこあるが乗降はほとんどなく、私と同様の旅行者と思しき乗客がぱらぱらと乗っているだけである。それでも、冬の時期に動く足は、確保されなければならないのだろう。

  やがて列車は会津川口に着く。只見線のおよそ中間地点(厳密には、やや会津若松寄り)であり、昼過ぎに小出・会津若松双方を出た列車が、ここで入れ違う。どちらもここで数分の停車を行うので、大半の乗客がホームに出て、「後半戦」に向けてリフレッシュをする。線路の間近に広がるダム湖を一望でき、列車を含めて実に絵になる構図。ホームに居ながらに見られる絶景として、姨捨にもひけを取らないと思う。

只見線恒例、会津川口での休息 

  引き続き、只見川とともに谷間をゆるゆると進んで行くが、次第に幅は広がり、積雪は減ってくる。雲の切れ目から夕日が差し、輝く雪山が目を引く。

早くも日が暮れる。厳かな雰囲気に 

  飯山線から只見線へと辿ってくると、雪が少ないといわれつつ、やはりあるところにはあるのだと思わされたが、会津盆地に下る頃には田んぼの地肌が見え、それと共に外も暗くなってきた。会津坂下(あいづばんげ)で学生が大挙して乗ってきたので、最初に座ったベコベコのロングシートに移る。只見線は盆地の南へりを迂回するように進むので、ここからがまだ長い。だが、うとうとしていて、気が付くともう会津若松に着いていた。余韻に浸る間もなく、慌てて列車を降りる。

 

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