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1.雪国縦断のプロローグ |
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2007年1月14日 神戸→近江塩津→米原→名古屋→松本 |
冬恒例の「雪見旅」、今回は18きっぷの期限迫る1月中旬となった。メインは2つの豪雪ローカル線、飯山線と只見線。いずれも既に乗りとおした路線だが、西側からのアプローチは初めてなので、新たな発見があると期待したい。
初日は午後からの出発。宿泊地となる長野の松本を目指す。ただ直通するのも面白くないので、あえて琵琶湖の北岸をたどってみる。神戸から乗り込むのは山科から湖西線に入る新快速。「敦賀」という行き先表示が新鮮だ。
昨2006年10月に北陸本線の敦賀までが直流化され、大阪方面からの新快速が直通できるようになった。これまで直流と交流のデッドセクションを挟むために乗り換えを強いられ、しかもその乗り継ぎが悪いために、18きっぷ旅行の難関のひとつだった琵琶湖北〜敦賀の区間だが、新快速の直通化で断然便利になった。今回湖北をまわるのは、その変容ぶりをじかに経験するためでもある。
日曜日の新快速は客の出入りも激しい。三ノ宮でうまく席があいたので着席する。今は冬晴れだが、湖北に行けば雪雲がかかり、陰鬱な空になることだろう。
京都から客は減り、8両編成の電車は容量を持て余し気味になる。敦賀まで達するのは前側4両で、後ろ4両は近江今津で切り離されるとのこと。私が乗っているのは最後尾の車両なので、いずれ前寄りに乗り換えなければならない。
湖西線は、バイパス線として建設された高規格の軌道なので、普通に走っていても緩慢に感じられる。湖岸の市街地から、次第に郊外へと移り、蓬莱(ほうらい)あたりから右手に琵琶湖が見渡せるようになる。左側に連なる山々には雲がかかり、山頂近くはうっすらと雪化粧している。
湖西線の開通は1974年7月。ただし、それまで米原経由だった優等列車が湖西線経由に切り替えられたのは翌75年3月のこと。一方新快速は、74年当時から既に堅田まで乗り入れていたようだ。つまり湖西線内では特急よりも「古株」にあたるわけだが、特急だろうが追い越さんという京阪神での勢いと比べると、どこか遠慮したような走りで進んでゆく。
湖西線の駅はどこも画一的で殺風景だ。同じ1970年代に開通した山陽新幹線と雰囲気が似ており、これがその時代の特徴なのだろう。各駅のホームに「ようこそ○○(駅名)へ」という看板が掲げられているが、これまたワンパターンで、歓迎されている気があまりしない。構造的な冷たさに加えて、歴史の浅さという要因もあるのだろう。地域の玄関、街の一部になりきれず、浮いた存在に見えてしまう。
近江舞子は湖西線の主要駅のひとつで、京都方面からの列車の多くが折り返すが、周辺はなんとなくうら寂しい。予想通り空が暗くなり、北陸に近い雰囲気になってくる。これより先、敦賀まで各駅に停車するが、案内は「新快速」のままだ。湖の向こうに伊吹山らしき山の姿が見える。
15時33分、近江今津に着。後ろの4両は切り離されるので、2両目の車両に移る。今津止まりの4両はドアを閉め、「姫路」の表示を出していた。多分この後にやってくる対向列車につながるのだろう。ここでの停車は13分、切り離しがあるにしても長い。これは、特急「サンダーバード」に抜かれるためで、まもなくホームの向かいを、白い車体が勢いよく通過していった。その後、別の線路にいた貨物列車が特急を追って出発。新快速の4両は、最後に駅を出る。
もうここまでくると、ダイヤ上のプレッシャーもないようで、電車はゆったりとしたペースで北上を続ける。町らしい町もなく、すっかりローカル電車の風情で、「新快速」という案内に違和感を覚える。
湖西線最後の駅永原。もともと京都側からの普通電車は、最長でもこの永原止まりだった。永原と近江塩津の間にデッドセクションがあり、直流専用の電車は入れなかったためだ。この区間を通過できるのは直流・交流両用の車両、つまり老体にむち打って走る419系や475系に限られていた。その車両の落差と接続の悪さから、近畿と北陸の「関所」のような存在となってきた。しかし、デッドセクションが移された今、新快速は永原を越え、そのまま進んでゆく。便利になって嬉しい半面、旅の「通過儀礼」がなくなってしまうのはちょっと寂しい。高い高架の線路を駆け抜け、米原からの北陸本線に合流して、近江塩津に到着、ここで列車を降りる。
今日はこのあと米原へ出て、名古屋を経て松本を目指すことになる。神戸から延々と新快速に乗ってきた後、米原経由の「播州赤穂行き」に乗り換えるとは不思議な気分だが、この列車は余呉までの1区間だけだ。
これまで余呉駅を通るたび、西側にちらりと見える湖が気になっていた。ずっと琵琶湖の入り江だと思っていたが、地図によると余呉湖という別の湖らしい。冬にはワカサギ釣りもできるとのことだ。氷に穴を開けて釣り糸を垂らして、という姿が浮かぶが、この冬の寒さ程度では湖面に氷が張ることはないだろう。
小さな駅を出てまっすぐ歩くと、その湖面が姿を現す。山に囲まれた静かなところだ。向かいに見えるのは、余呉湖と琵琶湖を隔てる賤ヶ岳。羽柴(豊臣)秀吉が柴田勝家と争って天下レースの主導権を握った戦いの舞台だ。その戦乱の時代は遠く、湖畔には静かに波が打ち寄せ、水鳥が群れをなして泳いでいる。もう日暮れ時、風景は寒々としているが、雪があるのは山の上くらいで、ワカサギといわれてもピンと来ない。
長浜まで乗るのは521系の普通電車。外見は223系とほぼ共通だが、2両編成で交流にも対応している。昨年の敦賀直通工事に関連して、滋賀・福井県内の旧型車を置き換えるために導入された。国鉄時代からの改造車でお茶を濁されてきた北陸ローカルに待望の新車だ。
車内の様子も、走りぶりも、新快速の223系とほとんど変わらない。ただ、運転席部分にはワンマン運転用の運賃表示器が備わっている。近い将来、この区間でもワンマン運転が始まるのだろう。滋賀北部の鉄道事情はずいぶん様変わりした。
長浜で新快速に乗り換えて、米原へ。東に伊吹山が見える区間だが、夕闇が迫り、外を見るのはそろそろ限界だ。今日の松本到着は22時半の予定。長い長い夜がやってくる。
JR東海区間に入り、「特別快速」で名古屋を目指す。関ヶ原を越え、濃尾平野を突っ走るが、もう外が見えないせいもあり、ぼーっと過ごす。
名古屋から中央線に入る。中津川まで乗るのは211系。国鉄末期の電車だが、JR東海エリアの中ではすでに古参の部類になりつつある。すべてロングシートで通勤電車の様相だが、乗客はだんだん減ってゆき、中津川に着く頃には1両当たり10人にも満たなくなっていた。
中央西線は本来ここからが見所だが、あいにく外が真っ暗では、どこを走っていても一緒だ。判るのは、沿線の雪が多いか少ないかというくらいだ。豪雪でさまざまな影響が出た昨冬は例外として、積雪は年々減る傾向にある。今年は例年より遅い旅行なので積雪は多いはずだが、中津川を過ぎてもなかなか増えてこない。これでは「雪見旅」も看板倒れになりかねないなと思ったが、さすがにある場所にはあるもので、木曽福島を過ぎると目立って増えてきた。
電車は塩尻止まりで、松本を目前にして20分以上待たされる。ホームには、今年の大河ドラマ「風林火山」の旗が並んでいる。駅の案内板によれば「海抜717m」。この冬の夜中に、そんな場所で待たされるのはさすがに寒さがきついので、「動かざること山の如し」とばかりにホームの待合室に籠もって待つ。
今日最後の電車は、昔ながらの115系。信州の主力だが、今日の行程の中では一番古い車両だ。ブワーンと低いモーター音をうならせ、15分で松本へ。そのままビジネスホテルへ向かい、明日に備える。