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3.只見線雪景色 |
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只見線に乗るのは1998年の年末以来約4年ぶり。前回と同様、会津若松を昼過ぎに出発する下り列車である。途中会津川口〜只見間は1日3往復だけの運転なので、乗り通しとなると事実上選択の余地はない。途中只見で列車番号が変わるが実質1本の列車で、135.2kmの距離に4時間半を要する。表定速度は30km/hにも満たない。線路規格の低さに加えて、雪の影響を考えて余裕を持たせたダイヤにしているのかもしれない。
まずは会津若松の近郊というべきか、それなりに混雑し、立ち客もいる状態で出発する。市街地を抜けるべく走るものの、キハ40系気動車の鈍重さと相まって、最初から速度は出ない。幹線に準じる扱いの磐越西線から比べれば格段に遅い。
只見線はまず南下し、会津鉄道と分かれる西若松から西進、そして北上。会津盆地の南のへりをU字を描いて進んでゆく。さきほど「ばんだい」の車窓から見たと同じ磐梯山が、やはり盆地の向こうにそびえているのが見える。少しうとうとしていたが、目が覚めても風景はあまり変わっていない。それだけ歩みが遅いのだ。
やがて会津坂下(あいづばんげ)に着。只見線の中では中核駅と見える。若松から直線距離だと10km強の場所だが、只見線は大きく迂回して20km以上を要しており、しかもこの速度なので既に40分ほどかかっている。ここから盆地を後にし、登り勾配にかかってゆく。会津柳津までに若松からの客はだいぶ減ってきたが、正月の初詣や挨拶回りで出てきている人が多いのか、往来は盛ん。
列車は只見川のなす谷をさらに進んでゆく。ここまでゆっくり走らなければならないのか、と思えるくらいに遅い。会津桧原からは只見川が幅の広いダム湖となり、右へ左へと移ってゆく。それが鏡のように雪山を映している。冷たげで、凛とした光景。外から見れば、静寂を破る列車の音がさぞかしよく響くことだろう。
前回は雪の降るさなかだったが、今回は青空がのぞき、穏やかな雪景色だ。これが「雪見旅」にはちょうどいい。ちなみに只見線には起点の会津若松を皮切りに、頭に「会津」と付く駅名が多く、17もある。福島県に属する駅の半分以上だ。車内のアナウンスではこの「会津」が大抵省略されている。確かに、ここが会津なのはわかりきったことなので、駅に着く度に会津会津と呼ばれてもくどいだけだろう。
会津若松から約2時間をかけて会津川口に着。前回と同様、小出発の上り便と離合する。その上り列車が停まる線路の際までダム湖が迫る。前回は降りしきる雪にかすんでいたが、今回は西に傾く日に照らされた雪の山々が見事に映し出されている。
只見線の旅も後半戦。川口から只見にかけては1日上下各3本の超閑散区間となる。沿線の雪の量も増えてくる。この雪の存在が只見線を存続させているのであり、これがなければとっくに廃止対象になっていただろう。2両の列車にホームは1両分。はみだした車両が踏切にかかってしまう駅もある。夕刻迫り、山頂部を除いて日が射さなくなってきた。山間の日暮れは早い。
15時58分、只見着。20分ほどの停車時間があり、会津川口に続いて多くの乗客(大半が自分と同じく18きっぷユーザーと思われる)が小休止を入れる。今回は幅広い層の「同士」が多い気がする。「急ぐ」の対極にあるこの只見線は、静かなブームなのかもしれない。
ここも前回は雪が降りしきり、その中で雪にうずもれそうになりながらたたずむ列車の姿が印象的だったが、今回は50cmほどの積雪があるものの、「豪雪」というほどのものではない。そんな中、線路の脇に「只見 海抜三七二米」と書かれた標柱が、半ば雪に埋もれて立っていた。今日は朝から、阿賀野川〜阿賀川〜只見川沿いを遡上してきたわけだが、その距離の割には思ったほど登ってないなというのが感想だ。
乗客のメンバーはほとんど変わらないまま列車番号だけが変わって、列車は終点小出に向けて出発する。いよいよ日が暮れてきた。2つの長いトンネルで峠を越え、福島県から再び新潟県に入る。まだ目をこらせば何とか景色が見える。民家の全く見えない、雪だけが山を覆う世界。併走する道路は国道257号と思われるが、通行止めになっているのだろう。完全に雪に覆われて通れる状態ではない。
延々と坂を下って大白川へ。10分停車し、会津川口以来の対向列車を待つ。列車のヘッドライトが、闇に消えゆく白銀の世界をほのかに照らす。今日最後の雪景色。この先はもう夜の旅路だ。
只見線の旅もあと少し。ローカル線でも平地に近づけばそれなりに速度を出すものだが、起点側の会津盆地でもそうだったように、終点小出に近づいても列車のペースは変わらない。最後まで急ぐそぶりはなく、急ぐことを誰にも期待されていない。小出には定刻通り、17時42分に到着した。
あとは今夜の宿泊地・柏崎を目指すのみ。長岡から信越本線に入ると、雪が降り出した。意外にも、降る雪を見るのは今回の旅行では初めてのことだ。海に近い柏崎では雪はやみ、積雪もなく道路は湿っている。駅前のビジネスホテルに入り、ようやく重い荷を降ろす。喜多方で地酒を買ったことをちょっと後悔する。
2003年1月2日 柏崎→富山→高山→岐阜→米原→神戸 |
明けて1月2日。七階の部屋の窓から、柏崎駅が目の前に見渡せる。道路にこそ雪はないが、街は一面真っ白で、背後に雪山が控えている。見るからに湿っぽい雪景色と空の陰鬱さは、新潟ならではだ。
今日は、まず信越本線・北陸本線を西に進んで富山へ行き、そこから高山本線を南下する。富山までは概ね日本海に沿うが、この旅行で海を見られるのは実質この区間だけ。今回は内陸ばかりの行程だ。
柏崎を出ると、次の鯨波から早速日本海が見えてくる。その次の青海川では、下りホームのすぐ下に海が迫る。ホームの幅も狭く、余地のない所に無理矢理設けたような駅だ。
しばらく海を間近に見ながら走り、柿崎からは一転、海からは少し内側の松林の中を進む。空はやや明るくなってきた。犀潟で北越急行の線路が合流し、まもなく直江津へ。
直江津で電車を乗り換えて、北陸本線に入るとともにJR東日本エリアからJR西日本エリアに移る。乗り込む電車は、北陸旅行ではおなじみ究極のリサイクル車両・419系。特急用の583系からの改造なのだが、デッキが取り払われているためか、モーター音がかなり騒々しい。座席のピッチの広さが取り柄だがそれ以外に取り柄がなく、あらゆる面でガタがきている。
再び海岸沿いに出るが、その後はトンネル連続区間に入り、糸魚川手前でデッドセクションを通り抜けて交流電化区間へ。所々で雪がちらつく。糸魚川を出るとまたも海岸へ。1997年秋の旅行で下車した青海、北陸自動車道が目の前に迫る親不知などを経て、新潟県から富山県に入る。この区間はほぼ1年前、02年1月3日にも通っているが、そのときと比べると海はまだ穏やかだ。
泊を過ぎると、海岸すれすれのスリリングな車窓風景ともお別れ。平野部に入り、黒部川を渡る。 これまでまともに見えたことのない立山連峰は、今回も麓しか見えない。一度しっかり見てみたいと思うのだが、なかなかお目にかかれない。北陸が荒れる時期にばかり来ているので仕方ないことなのだが。雪の量が減ってくるのに対して乗客は増えてくる。こうなると419系の中途半端な構造がさらにネックになってくる。時折射す薄日がまぶしい。
富山駅というと、昨年の旅行で電車を乗り換えた際にカメラバッグを車内に置き忘れ、次の呉羽から取りに戻る羽目になった場所。呉羽・富山両駅の駅員の無愛想ぶりや、ことごとく裏目に出たその後の決断も含めて、なんとも苦い思い出となった。今回もこの富山で乗り換えをする。もちろん下車は慎重に、幾度も荷物をチェックしながら。外はまた雪が盛んに舞っている。改札口の上には「祝・ノーベル化学賞受賞 田中耕一さん(富山市出身)」の看板が上がっている。