4.雪と人混みの高山散策

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 奥飛騨雪模様

  富山から高山本線に入り、太平洋側の岐阜へと抜けてゆくことになる。高山本線は1996年の正月以来7年ぶりで、前回とは逆方向からのアプローチ。そのときは一部区間(下呂〜高山間)で特急を利用したが、今回は全区間を鈍行で乗り通す予定。駅弁「ますのすし弁当」を購入して、いざ。

  富山 10:27 → 猪谷 11:12 [普通 848D/気・キハ120]

  富山発の列車はキハ120。地方路線に広く投入された車両として、醸し出す安っぽさは東日本の701系電車と双璧をなす。岐阜側が緑色、後方がオレンジ色と、なぜか先頭部の色が違う。意外にもワンマン列車は今回の旅行では初めてだ。前回はJR西日本のキハ58系で高山から富山まで乗り通したが、現在では特急「ひだ」を除いて、JR西日本と東海の境界である猪谷で分断されており、乗り込んだ列車も猪谷止まりとなっている。最近ではJR世代の車両が増えてきたせいもあってか、境界をまたぐ列車は全般に減ってきている。

  満員で出発した列車は富山市街を出て、真っ白の世界を軽快に進む。速星越中八尾で大勢が下車し、次第に山に近づくにつれて雪の量も多くなる。東八尾ではおじいさんが一人下車し、20cmほど積雪したホームを歩いて行く。雪道を歩くのは慣れていることだろうが、見ている方がはらはらする。

  笹津からは勾配にかかり、さあ飛騨の山に挑むんだという雰囲気が出てくる。やがて猪谷へ。山間の小さな駅だが、JR二社と第三セクターの神岡鉄道が接する要衝である。ここまで残ってきた乗客の大半がこの先高山行きに乗り換えるべく、雪降るホームの屋根つきの部分に待つ。周りには50cmほどの積雪が見られる。

高山本線のキハ120。猪谷駅で乗り換え 

  高山行きより先に、神岡鉄道の列車が雪道を進んで前方から入ってきた。前面に「おくひだ2号」と大きく書かれた簡素な気動車だ。(注1

神岡鉄道の列車 

  猪谷 11:25[23] → 高山 12:38[36] [普通 828D/気・キハ40系]

  高山方面からの列車は少し遅れての到着で、そのぶん折り返し高山行きの出発も定刻より2分遅れになった。この先富山県から岐阜県に入るとともにJR東海の管轄になる。列車はJR東海所属のキハ48の二両編成で、これでこそ汽車旅の風情が出てくるというものだ。乗客には家族連れやグループも多い。

  杉原で特急「ひだ」の離合待ち。「ひだ」も若干遅れており、全体に微妙にダイヤが乱れているようだ。谷間を流れる宮川と交差しながら、列車は雪深い山間を進んでゆく。屈指の豪雪路線とよばれる只見線が意外と穏やかだっただけに、今日の方がむしろ雪見旅の本番という感じがする。

  7年前に逆方向を辿ったときには80過ぎのおばあさんと相席だったこの区間。あの方は今もご健在だろうかと思いを馳せながら、あの日と同じく延々と雪に覆われた谷をゆく。

雪深き谷間の駅 

  宮川は右へ左へと移り変わり、列車はトンネルやシェルターを出入りする。列車は定刻より数分遅れているが、遅れを取り戻そうと急ぐそぶりはなく、マイペースで走行している。山の上には厚い雪雲が覆い被さり、車窓を流れるのは白とグレーの、ひたすらにモノクロの世界。さすがにこの暗さが続いては気が滅入ってくる。どこまでこれが続くのだろうと思えるが、やがて心なしか空が明るみを帯びてくる。

川沿いの風景も冷たく、重い 

  宮川がほぼすべてを占めていた狭い谷も、飛騨細江あたりからは徐々に広がり、飛騨古川で乗客が大きく入れ替わった。ちょっと居眠りしているうちに高山へ。結局は猪谷を出たときと変わらず2分遅れでの到着。

 飛騨の小京都

  飛騨地方の中心都市にして「飛騨の小京都」とも称される高山。前回は時間が無く、駅前を眺めるくらいしかできなかったが、今回は2時間近い滞在時間があるので、その町並みを訪ねることにする。

  駅前からまっすぐ東向きに歩くと、南北に流れる川に当たる。猪谷以来ずっと付き合ってきた宮川だが、ここまでくるとだいぶ幅が狭まり、両岸に迫る市街の家並みに風情を添える。

宮川にかかる橋より。ほどよく雪化粧 

  そんな宮川を渡ると、「古い町並み」と呼ばれるエリアにたどり着く。読んで字の如く昔ながらの町屋が並び、狭い路地を観光客が所狭しと盛んに行き交っている。雪がちらついているが、傘を差している人は少ない。

古い町並みのエリアはこのとおりの人混み 

  居並ぶ土産屋や食事処を見て回る。お土産はやはり民芸品が多い。山深く、特に冬場はすっかり雪に閉ざされてしまう土地なので、こういうものが発達してきたのだろう。地酒も豊富なのだが、すでに喜多方で購入済みなのでせんべいを土産に購入。

  店先で五平餅を売っている。お米を練って平たく固め、香ばしく焼いたもので、中部地方の山間ならではのものだ。以前に飯田線に乗ったときに食べたいなと願っていたものの叶わず、なかなかチャンスがなかったが、ようやくここでいただくことができる。見た目のとおりの素朴な味わいで、特に美味というわけではないが、わが関西にはないものだけに、旅先で味わうことに何か旅情を覚える食べ物だ。

宿願かなった五平餅 

  人の往来が盛んなので、ついつい釣られて、普段の旅行では入らないような、ちょっと敷居の高そうな喫茶店にも足を踏み入れる。手足が冷えてきていたので温かいぜんざいを。こんなとき一人の旅はちょっとわびしさも覚えるのだが。

こちらの茶房で一休み 

  そうこうするうちに時間が経ち、そろそろ去らねばならない。町ゆく車のナンバーを見れば、名古屋、岐阜、さらには大阪と、あちこちから観光客が訪れているのがわかる。(現地のナンバーは「飛騨」。)日常から遠すぎず近すぎない距離感と、「小京都」という名にふさわしい古き良き日本の姿へのあこがれが、人々を駆り立てるのだろうか。

 さらば雪の谷

  高山駅に戻り、美濃太田行きの普通列車に乗り込む。キハ40系の4両編成。

高山線の鈍行&特急 

  高山 14:24 → 美濃太田 17:07[06] [普通 4718D/気・キハ40系]

  飛騨一ノ宮から長いトンネルに入るが、この峠が日本海側と太平洋側の分水嶺となる。次の久々野で下り「ひだ」を待ち合わせる。一応高山を定刻に出てきたのだが、ここでまたも2分の遅れ。単線路線で定時運転は難しそうだ。

  引き続き深い谷を川に沿って進むが、その川は宮川から飛騨川に変わった。川沿いを併走する国道41号が、岐阜方面に向けてずっと渋滞している。なぜかと思って見ていると、その先で事故が起きていた。ラッシュの時期ほど慣れない車もたくさん走っているわけだから、事故も起こりやすかろう。この谷間では逃げ場もないから、渋滞に巻き込まれた車は観念してひたすら待つほかない。

  これまで一面の雪景色だったが、次第に雪の層が薄くなり、山の地肌が見えてくる。やや谷が開け、下呂で乗り込む客多し。規模の大きな温泉街だが、駅の看板には塗り消されたものも多く、決して楽でない温泉宿の経営状態がうかがえる。このあたりまでくると沿線の積雪はほとんど消え、日陰に残るばかりになってきた。

飛騨川と下呂温泉街 

  再び谷が狭まり、列車は飛騨川のダム湖を見ながら谷間を縫って進む。日も傾き、川面がその夕日に照らされきらきらと輝いている。

  16時05分、飛騨金山に着。ここで特急「ひだ」の通過を待つ。ここまで対向列車とは何本か離合したが、上り列車の追い抜きは初めてだ。待ち時間が長いので一旦改札を出てみる。谷あいの風景にマッチした古風な木造駅舎だ。もう積雪はないが、外はピリッと冷えている。通過していった特急はなんと10両の長大編成。貫禄を見せつける。

特急に道を譲りながらのんびりと 

  13分の停車を経て飛騨金山を出発。ここで、昼食と言うべきか夕食と言うべきか微妙なところだが、富山で購入した「ますのすし弁当」に手を付ける。「ますのすし」は富山の有名な駅弁で、ますのイラストが大きく描かれた包装はスーパーの駅弁フェアなどでもよく見る定番だが、丸い桶形の容器に入ったそれを切りながらいただくのは、旅先だと結構な労力であり、それをお手頃な形にしたのがこの「ますのすし弁当」と思われる。長方形の容器に収められた鱒(ます)の押し寿司で、身も飯も意外とやわらかく、短冊状に切ってあるので食べやすい。シンプルながら、さすが名物と呼ばれるだけある美味で、笹の香りも良く(「ますのすし」の場合は笹で全体を巻いた形状になっているが、こちらは載せてあるかたち)添付の醤油をつけるとなお味わいがある。

「ますのすし弁当」を開く 

  延々と続いてきた飛騨の旅路であったが、やはりゴールというものはやってくる。谷間に夕闇が迫り、山々がシルエット状になってきた。窮屈な谷が徐々に広がるにつれて列車の速度も上がり、乗客も増えてきた。今回の旅もほぼ終わったようなものだ。

  美濃太田 17:10 → 岐阜 17:44[41] [普通 3742D/気・キハ11]

  美濃太田で列車を乗り換える、4両の乗客の大半が2両の岐阜行き列車に移り、混雑激しい。坂祝(さかほぎ)でまたも対向列車の遅れ待ち。数分程度のズレは猪谷以降ずっとつきまとっているのだが、殊更気に障るのは旅疲れと混雑からだろう。岐阜には3分遅れの到着。途中下車を含めてトータル7時間余のオール鈍行高山本線乗り通しは、ついに終わりを告げた。

  岐阜 17:45[44] → 米原 18:34 [普通 5241F/電・311系]

  次の米原行きはその接続を待ち受けてすぐの発車。大垣から少しばかり雪の残る関ヶ原を越え、伊吹山にはスキー場のゲレンデらしいものが照明に照らされている。JR東海最後の醒ヶ井には、「引き続き米原駅から新幹線をご利用ください」という看板。米原から新大阪まではJR東海とJR西日本の“競合区間”なのだ。あいにく私は18きっぷ利用、新幹線を使わなくても今日中に神戸には帰れるので、その請願には応じかねる。

  米原 18:39 → 田村 18:45 [普通 161M/電・419系]

  米原で猪谷以来のJR西日本エリアに復帰。朝乗ったと同じ419系がいたので、北陸線の田村まで2区間だけ乗ってみる。今は長浜まで新快速が乗り入れるが、JR西日本ご自慢のスマートな223系と、この改造電車が同じ路線を走っているというのがミスマッチで、面白い。

  田村 18:47 → 米原 18:52 [新快速 3245M/電・223系]
  米原 19:24 → 神戸 21:08 [新快速 3249M/電・223系]

  田村ですぐさま折り返し、おなじみ223系で家路を急ぐ。ガラガラの車内が次第に混雑し、大阪で超満員に。窓側の席からドアまで達するのに苦労しながら、神戸で今回の行程は終了となる。

 注記

  注記の内容は2016年9月現在。

  1. 神岡鉄道は2006年11月末をもって廃止。頼みの貨物輸送が終了し、立ちゆかなくなったためだという。廃線跡の一部は線路上を自転車で走る「レールマウンテンバイク」に活用されている。

 

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