2.磐越西線をゆく

 

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 磐越西線「何もない駅」途中下車


 2003年1月1日
 新潟→喜多方→会津若松→小出→長岡→柏崎
  新潟 5:22 → 新津 5:40 [普通 420M/電・115系]

  2003年の正月は磐越西線から只見線へとまわって、柏崎で宿泊する予定としている。

  まずは長岡行きの電車に乗る。上りの一番電車だが、年越しをどこかで過ごした人たちが乗っているとみえて、2両編成の車内は意外と混雑している。寒冷地の一番列車の宿命か、パンタグラフからバチバチと怖いくらいに火花を散らしながら走る。

  新津 6:05 → 徳沢 7:36 [普通 225D/気・キハ40系]

  新津のホームでは、まだ発車まで20分以上あるが、すでに磐越西線の会津若松行き一番列車が出発を待っていた。2両編成の2両目は、車両の端から端までロングシート。もちろんそちらは避け、セミクロスシートの先頭車に乗り込む。

  6時05分に新津を出発。薄明るくなってきた空に、下弦の月が輝いている。天気は良いようだ。しばらく平野の農村部をゆっくりと進むが、馬下(まおろし)を過ぎると山が迫り、一転阿賀野川沿いの谷を、トンネル・シェルターを出入りしながら進むようになる。

  津川で、対向列車待ちの間にホームに出てみる。やはりそれなりに寒い。時刻は朝の7時過ぎ。紅白を見て年を越し、それから休んだ人たちは起きてもいない時刻だろうが、4時台から動き始めている自分にとっては、「まだ7時か」という感覚だ。SL「ばんえつ物語号」の停車駅である津川は、SL列車に合わせるべくホームがレトロ調に改装されている。

夜明けの津川で列車交換 

  さて今日第一の目的地は、会津盆地に位置する蔵の街、喜多方だ。しかしこの列車でそのまま向かえば、8時半ごろに着いてしまう。せっかくなので、磐越西線のどこかで一度途中下車を挟みたい。だがさりとて、「ここで降りよう」と思わせる決め手のある駅はない。しかも次の列車までは2時間以上の間隔があり、ヘタに降りてはおそらく時間を持て余してしまうだろう。

  こういうときは、1年前の旅行で花輪線でやった「Z乗り継ぎ」だ。つまり、A〜B〜C〜Dと駅が続く場合、C→Bと引き返す列車をうまく使えれば、A→C→B→Dと乗り継いで、BとCの2駅で途中下車することができる。問題の下車駅だが、適当に見計らって、新潟県から福島県に入って最初の駅、徳沢で降りてみることにした。

  徳沢駅は、郵便局併設の小さな委託駅。果たして駅前にはこれといったものは何もなく、雪国仕様の民家が道路に沿って立ち並び、人けはない。積雪は道ばたにいくらか残るのみ。初めて来る場所なのでよく分からないが、この時期としては少なめではないか。滞在時間としては、30分程度でちょうど良かった。2時間もうろうろしていたら、さぞ不審がられたことだろう。(もっとも、次の列車は徳沢に停車しないので、Z乗り継ぎをしないのなら、そもそもここで降りることはなかった。)

徳沢にて。静かな山村の正月 

  徳沢 8:06 → 三川 8:40 [普通 223D/気・キハ40系] 

  新津行き普通列車に乗り、一旦もと来た道を引き返す。津川を過ぎ、次の駅三川(みかわ)で2駅目の途中下車。40分弱の滞在時間となる。

  三川駅はそこそこの規模を有し、駅舎にミニ図書館を併設しているが、ここも駅前にはこれといったものがない。駅を出ると、もとの街道のような道が通っており、新潟方へ辿ると阿賀野川の河原に出た。ここに架かる磐越西線の鉄橋は、かなり立派なものだ。渡る列車の姿を見られれば言うことなしだが、それは列車を1本遅らせることを意味する。喜多方観光の時間がなくなってしまうし、そこまでして見なければならないというほどのものでもない。残念だが、橋だけを見てそのまま引き返す。

阿賀野川に架かる磐越西線の鉄橋

  三川 9:18 → 喜多方 10:34 [快速「あがの2号」 3222D/気・キハ110系] 

  結局、駅に戻るのはぎりぎりになってしまい、最後はホームまで走ってなんとか列車をキャッチ。息を切らしつつ乗り込んだ次の列車は、会津若松行きの快速「あがの」。

  磐越西線は、新潟側から辿ると、新津より喜多方、会津若松を経て福島県の郡山へと至る。一見地味なルートだが、会津若松〜郡山間では快速が頻繁に運転され、一部が喜多方まで乗り入れる。県境ではさすがに本数が減るが、時刻表で「幹線」扱いとなっているだけあって、あとで乗る只見線のような純然たるローカル線と比べると、それなりに品格がある。その証拠がこの快速「あがの」だ。昔の時刻表を見ると、この「あがの」は磐越西線を経由して新潟と仙台を結ぶ急行だった。いまでは会津若松までしか行かない快速だが、その流れをくむ列車として、しっかり生き残っている。

  JR東日本の誇る軽快気動車キハ110系は、その性能を生かして、カーブの多い路線を軽々と進んでゆく。津川鹿瀬(かのせ)と停車した後は、さきに下車した徳沢を含め、4駅を続けて通過する。駅に入るたびに減速し、そのあとすかさず加速する。このあたりが、単線区間の「急行」を彷彿させる走りだ。

快速「あがの」 対向待ちの小休止

  野沢を過ぎると、谷がひらけ、空が晴れてきた。ややガスがかかっているが、遠くに雪化粧した山々の峰。まもなく喜多方だ。

喜多方が近づき青空がのぞく

 蔵と馬車と、ラーメン…?

  「蔵とラーメンの街」といわれる喜多方。ここでは2時間弱の時間を設けている。正月なので店などがどれほど開いているかわからないが、せっかくなので街を歩き、昼食に喜多方ラーメンを食してみようと思う。

  空は晴れ、道路に雪はほとんど残っていないので歩く分には全く差し支えない。街中の至る所に喜多方ラーメンの店、そして蔵や昔ながらの建物が随所に残されている。

  市内を南北に流れる田付川。その川沿いを歩くと背後に雪の山脈。北側にそびえるのは飯豊(いいで)山地か。だとすればその裏側は山形県となる。稜線までくっきり見えており、こういうふうに山を見渡せる景色に出会えるとなんとなく嬉しくなる。

背後の山脈が美しい喜多方 

  川を東側へ渡り、旧米沢街道を北上してゆくと面白い光景を目にする。「会津うるし美術博物館」という、これまた蔵造りの施設があり、そこに馬車が留まっている。もちろん牽いているのは本物の馬で、車は2階建ての蔵っぽいデザインだ。観光パンフレットによれば、この馬車は喜多方駅前からこの美術館まで、大人1,300円で乗せてくれるらしい。これに人を載せて1頭の馬に牽かせるのはちょっと気の毒な気もするが、それなりに観光客が来ていて写真を撮影している。

喜多方の街を馬車が巡回 

  この喜多方は地酒が豊富らしく、造り酒屋も数多いとのこと。近くの酒屋で味見させてもらったうえで地酒を買い、家族への土産とする。乗り継ぎ旅で荷物が重くなってしまうのは痛しかゆしなところだが。

  ここから反時計回りにさらに歩いて、喜多方駅を目指す。銀行やNTTの建物までも蔵っぽい造りになっている徹底ぶりに感心させられる。ちょうどNTTの前にいたとき、パカパカという足音とともにあの蔵馬車が現れた。車輪のついた2階建ての蔵がゆっくりと、馬に牽かれて道路を進んでゆくのは、ちょっと不思議な光景だ。今日は元日で車通りはほとんどないが、普通に車が走っていれば更にミスマッチだっただろう。

銀行まで蔵造り 

  そんなこんなで歩いていると意外と時間が経っていて、結局駅に戻る頃には、店に入って食事をするほどの余裕がなくなっていた。仕方ないので駅の売店の立ち食いラーメンで妥協する。駅の立ち食いと言えば普通はそばかうどんだが、一応ラーメンを用意しているのが、さすがラーメンの街といったところ。ただしクオリティのほうは、推して知るべし。

  喜多方 12:20 → 会津若松 12:36 [快速「ばんだい10号」 4240M/電・455系]

  鉄道の旅を再開する。ここから磐越西線は電化区間になり、急行形電車455系による快速「ばんだい」に乗車する。古い車両だが、デッキ付きのセミクロスシートにちょっとした優等列車感がある。

快速「ばんだい」で会津若松を目指す 

  喜多方を出ると向きを南東に転じ、会津盆地を快走する。正面に見えてくるのは会津磐梯山の山系で、その右端の尖った山が、今乗っている列車の愛称の由来ともなっている磐梯山か。クリアな青空の下、広々とした盆地にそびえる山々が壮観。

青空に映える磐梯山系 

  15分ほどで、会津の中心都市会津若松に着。スイッチバックして郡山を目指す「ばんだい」を後にして、ここからは只見線に入る。

 

 

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