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3.花輪線行きつ戻りつ |
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2002年1月2日 盛岡→安比高原→大館→男鹿→秋田→村上 |
2日目の朝は6時半の起床。しかし困ったことに、テレビをつけても、どの局もこぞって『正月特番モード』で、天気予報が全く流れてこない。出発前の予報では、2日は荒れるということになっていたから、気がかりなのに。
今日最初に乗る予定の、花輪線の大館(おおだて)行き列車は7時4分発。これを逃すと、花輪線での途中下車ができなくなってしまう。支度を急いだものの、ホテルを出るのがぎりぎりになってしまった。慣れない雪道で足をとられないよう懸命に走り、盛岡駅の改札を抜けると発車チャイムが聞こえてきた。これはダメかと諦めかけたものの、何とか駆け込みで間に合った。決して体力に自信のあるほうではないので、初っ端から無駄な運動をしてしまったのは痛い。
列車はキハ58の2両編成で、乗り込んだ先頭車は国鉄色のキハ58-1524。あとで番号を照合すると、昨日乗った山田線の3両からキハ52を切り離した編成だった。ようやく息が整ったあたりで目をやると、外は夜が明けつつあり、しばらくは左手に東北新幹線の高架が併走。東北新幹線は盛岡から八戸へ延伸工事中で、架線も張られているものの、まだカバーが取り付けてあった。
盛岡の市街地を抜け、すっかり雪に覆われた田園地帯へ。日の出前の空は青く透き通り、青白い雪をかぶった木々が車窓を流れて行く。その背後には、赤く輝く山の姿。地図を見ると、標高2041mの岩手山。頂上部がいち早く朝日を浴びて、まだ明けきらぬ周囲の景色の中に浮かび上がって見えた。
好摩の手前まできたあたりで、東の山の上にようやく太陽が姿を現し、沿線にも日が照りだした。好摩で東北本線から分かれて、秋田県の大館へと向かう花輪線へと入ってゆく。2日目のメインは、この花輪線の旅だ。引き続き一面の雪景色の中、左手に岩手山を見ながら北西へと進んでゆく。曇った窓をハンカチで拭くと、すぐに凍りだす。外は間違いなく氷点下だろう。
岩手山に代わって左手前方に八幡平(はちまんたい・標高1614m)が近づき、松尾八幡平から峠越えにかかる。林の間を延々と進み、開けたところが花輪線の最高点(504m)の安比高原(あっぴこうげん)。途中下車候補地としているものの、今はそのまま素通りする。
荒屋新町(あらやしんまち)では対向列車待ちのために5分の停車。空はさわやかに晴れ、ホームに降りるとキリッとした空気の冷たさ。駅舎の軒にはツララがびっしりと並んでいる。まもなく、向こうから対向列車が入ってきた。下の写真の「2」の停止位置標識は、撮影の直前まで雪で覆われていた。
さらに西へと進むうち、谷あいへ。田山あたりまで来ると、いつの間にか雪雲が空を覆ってきた。やはり岩手から秋田への県境が、気候の境目なのか。
秋田県内ではじめに停まる駅が湯瀬温泉駅。近年、温泉地をアピールするために「〜温泉」と駅名に付す駅が増えてきたが、ここも1995年に「湯瀬」から改称されたとのこと。花輪線最初の途中下車駅は、ここに決めた。
もっとも、次の大館行き列車までは3時間近くもあり、それを待っていては時間を持て余すし、途中下車も一回きりしかできない。そこで、1時間後の盛岡行き列車でいったん引き返し、さきほど通り過ぎた安比高原で下車して次の大曲行きをキャッチしよう、という魂胆。列車の少ない路線で下車駅を増やすための作戦であり、私はこれを、「Z乗り継ぎ」と勝手に命名している。
そこそこの乗車と入れ替わりに、この駅で降りたのは私一人。委託らしい改札のおばさんが、「今ので降りてきたの?」というような反応。普段、こんな時期のこんな時間に、ここにやってくるよそ人はいないということか。
駅前は温泉地というよりは、普通の「少し大きな集落」という雰囲気。いくつか近代的な大きい施設があるほかは、狭い路地に民家・民宿が立ち並び、地元の人が小型トラクターのようなものに乗って除雪をしている最中だった。
町を少し離れ、谷を流れる米代川のほとりへ。岩の上にこんもりと雪が覆うその間を、澄んだ水が流れている。周囲は人けがなく、静か。
せっかく温泉地に来たので、どこか共同浴場のようなものがあればひと浴びを、とも考えたが、唯一のそれらしい施設である「ふれあいセンター」は年末年始休業とのこと。外を歩く人影はほとんどなく、町全体がすっかり正月休みに入っている模様。観光地化された土地の場合、正月はある意味「かきいれ時」だと思うのだが、ここはそこまで本腰を入れてはいないのだろう。
雪道をぶらぶら歩いて時間をやり過ごし、駅に戻って盛岡行きを待つ。入ってきた列車は2両編成で、ボックスがひととおり埋まる程度の客の入り。
引き返して一旦岩手県に戻る。道路では除雪車が稼働中。このあたりは気温が低く粉雪であるため、除雪しても踏み固められた白い雪の層が残る。同じ雪でも、北陸あたりの湿っぽい雪の場合は、わだちの部分が解けてシャーベット状になるので、見栄え上大きく変わってくる。荒屋新町で乗客がいくらか入れ替わり、トータルでは若干の増。盛岡方面への人の流動は、結構盛んなようだ。
その後、さきほど通り越してきた安比高原で下車。大館行きが来るまで25分ほどの滞在となる。
大規模リゾート地として開発が進んでいるということで、スキー場らしくバックに山々が連なる雄大な高原地域。しかし駅の周辺には何もなく、野原の中にぽつんと建つ小さな駅舎の前に、バスが1台停まっているだけ。スキー場はこのバスで8分のところにあるとのこと。
駅前から、道路の部分がナイフで切ったようにすっぱりと除雪され、何かのレースのコースのような道が山に向けて延々と続いている。あいにく時間がないので、少しだけ歩いて引き返しただけだったが、だれもいない雪道を独り占めにして歩くのは、なかなか爽快な気分。林のバックに頭を出す八幡平の姿もじっくり見ることができた。
ホームに戻ると、雪を巻き上げながら大館行きの列車が入ってきた。こんどは3両編成で、キハ52+52+58。ただし国鉄塗装の車両は含まれていない。
レールの継ぎ目でポコンポコンとバウンドするキハ52の揺れに身を任せ、三たび荒屋新町を通り過ぎて、またまた米代川の渓谷へ。県境を越えると、今度こそ岩手県とはお別れとなる。湯瀬温泉〜八幡平間は、花輪線の中でも最も深い谷をゆくハイライト区間。雪の谷というのは、私が鉄道旅行で最も好むシチュエーションの一つだ。川や道路と交錯しながら進むうちに、谷が広がり、再び連山の眺望がひらけてきた。
鹿角花輪(かづのはなわ)で、列車は対向待ちで11分の停車。対向列車は快速「八幡平」で、4両編成のうち3両が国鉄塗装。昨日の山田線から「ファン好み」の光景に何度も出くわし、今回は実にめぐりがいい。
さらに広がった米代川の谷をゆき、十和田南で列車の進行方向が反転する。一般にスイッチバックは勾配区間で、距離を稼いだり駅などを設けたりする目的で設けられるが、ここは特に坂の途中というわけではなく、単に地理的な理由でそうなったらしい。
「荒れる」という当初の予報はどこへやら、花輪沿線は薄日がさし、いたって穏やかな中、雪景色を楽しんでくることができた。最後は雪野原が大きく広がり、終点大館で花輪線106.9kmの旅は終わりを告げる。
大館でいったん改札を出て、待合室で次の列車を待つ。待合室内はなかなかの賑わいだった。ここで昼食用に「鶏めし」を買っておく。「よかったね〜。これ今入ったところだから、あったかいよ〜」と、キヨスクのおばちゃん。ただしかし、次なる列車は...
次の秋田行き列車の改札が始まり、大勢の人がホームへ。そんな1番ホームには、下の写真のような3体の置き物が。この取り合わせがまたなかなかミスマッチ。
ハチ公、比内鶏、きりたんぽ。秋田(大館)の名物が一堂に会する
大館始発の秋田行きは、仙石線以来丸1日ぶりの電車。東北で電車といえば、そう。・・ロングシートの701系。これでは、せっかくの温かい弁当もしばらくお預けだ。ただし4両つないでおり、駅のホームにひしめいていた人たちも完全着席できた。
大館を後にした電車は、ディーゼルの鈍重な歩みに慣らされた身には恐ろしさを覚えるほどのダッシュ力で、雪を巻き上げて快走する。701系にはデッキがないものの、客の乗降が少ないため、ドアの開閉の機会があまりなく、意外と落ち着いて乗っていられた。
下るにつれて米代川の川幅は大きく広がり、同時に天気も一層悪くなってきた。重たい雲が垂れ込めてきて、ついに雪が降り出し、視界が利かなくなった。いよいよ「日本海側」に出てきたようだ。東能代で、長らく続いてきた米代川流域エリアに別れを告げ、海岸沿いを南下するルートに転じる。
追分から、分岐する男鹿線に寄り道する。電車を降り、ホームに足を下ろした途端、積もった雪が凍っていて、危うく滑りかけた。パウダースノーだった岩手県内とは、明らかに雪質が変わっているのを、いきなり体感させられる。
男鹿線は、アゴのようなかたちで日本海に突き出ている男鹿半島の南岸をゆく路線。線路の左側に沿って、防風林が延々と続く。その中には、へし折られていくばくも経っていないと思われる木が、無残にも横倒しに。それも1本や2本ではなく、海側からくる風雪のすさまじさを物語る。身代わりとして果てたそれらの木々を横目に、男鹿線のディーゼル列車は進んで行く。
大館の「鶏めし」に、ここでようやく箸をつける。味はまあまあ(やや甘め)、この手の駅弁には珍しく、量が多くて食べ応えがあった。温かいうちに食べられれば、もっと風味を楽しめたかもしれないが…。列車は自分のような特殊な旅行者のためのものでないのは重々承知だが、改めて、701系は旅情をそぐ電車だな、と思える。
半島の先端に近づくにつれ、ますます「男鹿」という名からなんとなくイメージされる、荒くれた雰囲気に近づいてゆく。空は再び暗くなり、雪が降り出す。
終点男鹿は、昔は上野からの夜行列車も迎えていたといい、広々としたヤードを抱える駅。しかし今そこにいるのは、自分が乗ってきた3両のディーゼル車だけ。終端の哀愁が漂う。ただし、駅前はそれなりにひらけていた。
同じ列車に乗り込んで、もと来た道を帰る。16時を過ぎ、もうあとは暗くなる一方。男鹿線の車内からは、直接にはほとんど見えないものの、「日本海近し」の雰囲気は十分に感じられた。