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3.北の荒海 |
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2001年1月2日 函館→青森→弘前→鰺ヶ沢→十二湖→秋田 |
1月2日はこれから宿泊地・秋田へ向けて南下することになる。函館駅で昼食用に「鰊(にしん)みがき弁当」を購入し、いざ「海峡」に乗り込む。
この「海峡」号は今や希少な存在となった客車列車で、50系客車が使用されるのは昨年5月に乗った筑豊本線の列車と、この「海峡」だけである。50系はもともと赤い客車だったが、「海峡」用は紺色で、「ドラえもん」のキャラクターが描かれている(注1)。客車は5両つながっていて、後ろから1号車、2号車…の順だが、一番前(機関車寄り)はなぜか番号が大きく飛んで12号車となっている。この車両は青函トンネル内にある「吉岡海底」駅見学用らしい(注2)。私は3号車の指定席を確保しているのでそちらに乗車する。
車窓には引き続き一面の雪景色、そこに薄日が射して明るく輝く。この広々とした風景は、これまで雪見旅を繰り返してきた中でも独特のものだ。青函トンネルの入り口にあたる木古内(きこない)まではローカル線の江差線を流用しているため、単線で列車の行き違いがあり、列車の進みもゆっくりとしている。
その木古内から、いよいよ海峡線に入る。複線になり、列車の走りも安定する。車内放送で青函トンネルの歴史や長さ、総工費などひとしきりの説明が流れ、その後しれっとオレンジカードの販促が。
北海道最後の地上駅となる知内(しりうち)駅(注3)を出てまもなく、9時07分、全長53.9kmに及ぶ青函トンネルに突入。客車列車らしくしずしずと走ってくれるのかと思いきや、トンネル内に走行音が反響するのか、ゴーという音が意外と騒々しい。もともと優等列車用でない50系なので、静寂性に難があるのかもしれない。
9時23分、吉岡海底駅へ。非常時の避難所を見学スペースとしたもので、「駅」とはいっても外部との出入りはできないが、海面下149.5mに位置する「世界一低い駅」である。ここで乗降するには「見学整理券」が必要で、それを持つ客が12号車を利用するというわけだ。トンネルの中の薄暗い駅で、ここに置き去りにされるのはちょっと不安を覚える。
9時34分、入り口から30kmを走り、青函トンネル最深部(海面下240m)に達した。なぜそれがわかるかといえば、客室の出入り口上部に電光掲示板があり、現在位置を表示してくれているからだ。
列車は登りに転じ、竜飛海底駅を通過。吉岡海底駅と同じ意味合いの駅だが、すでに本州の地下に来たことを意味する。(注4)
9時50分、入り口から50kmに達する。出口はまもなくだ。これだけの距離をひたすら地下で過ごしてきたことに、改めて不思議な思いがする。やがて前方が明るくなり、9時53分に地上へ。46分間に及ぶトンネルの旅。平均速度は約70km/hで、かなりゆったりめな走りだったことになる。
9時59分、津軽今別へ(注5)。既に本州に入っているが、JR北海道に属する最後の停車駅だ。この先も、もともとローカル線だった津軽線を増強した区間なので、単線になる。トンネル区間は新幹線も通せる高規格なのにその両端が旧態依然なので、もったいない感じがする(注6)。本州に入り、風景そのものは北海道と大きく変わらないが、なんとなく暗い雰囲気がする。
函館から2時間半ほどを経て、青森に到着。改めて「海峡」号の先頭に回り込むと、機関車の先頭部にでかでかとドラえもんが描かれている。やがて機関車は客車を切り離し、ドラえもんはどこかへ去って行った。
青森から奥羽本線を南下する。東北の鈍行といえば、今やおなじみの701系だ。窓に背を向けるロングシートは残念だが、加速の鋭さはさすが電車。沿線の雪が増え、ホームに50cmほどの積雪が。
今日はこれから五能線に入る。奥羽本線が内陸を進むのに対し、五能線は日本海沿岸を辿る路線だ。川部がその接続駅だが、次の五能線列車の始発駅である弘前(ひろさき)まで行く。時刻は早くも正午に達した。
乗り込んだ列車は鰺ヶ沢(あじがさわ)行きの2両編成。川部までもと来た道を引き返し、川部でスイッチバックして五能線に入って行く。引き続き一面の雪景色が広がるが、日本海に近づいたからか、雪質は見た目湿っぽくなってきた。青森ならではのりんご畑が沿線に広がる。
津軽鉄道と接続する五所川原で乗客の多くが下車した。津軽鉄道は冬期に客車の中でダルマストーブを焚く「ストーブ列車」で有名だが、駅にそれらしい列車の姿はなく、オレンジ色の気動車が2,3両いるだけだった。
客が減り、昼も過ぎたところで、函館で購入した「鰊みがき弁当」に手を付ける。「鰊」と大書きされた包装紙を開くと、鰊の甘露煮と数の子がそれぞれ3切ればかり御飯の上に。なるほど、鰊の親子丼だ。「みがき」というのは磨かれているという意味ではなく、「身欠きにしん」ということらしい。しっかりと味の染みた鰊の味わいに数の子の食感。シンプルだがくせになりそうな北の味覚だ。朝食のうにいくら丼に続き、北海道の贅沢な海の幸にあずかった。
ここまで比較的広々としたところを進んできた五能線だが、そろそろ海に近づいてきた。間もなく鰺ヶ沢。この列車はここが終点で、その先への接続はない。次の列車は1時間半後となる。
いよいよやってきた日本海、というわけでとりあえず駅を出て浜のほうへと歩いてみる。積雪はさほど多くない。同じ海沿いでも昨日の朝里などとはやはり違っていて、雪の質は湿っぽい。重い雲の垂れ込める空、打ち寄せる荒波、頭上には海鳥が飛び交っている。こうやってわざわざ寒風に吹かれるバカがいる、と我ながら呆れるが、こうして五感で旅先の空気を味わうのも、途中下車の醍醐味だ。
あまり動き回る気にもなれず、そのまま駅に引き返す。鰺ヶ沢駅は緑色の三角屋根の駅舎で、そこそこの規模がある。五能線の中では拠点駅のひとつなのだろう。次の列車まで待合室で暖を取る。
深浦行きのワンマン列車で旅を再開する。ここからが日本海の荒海に面する五能線の真骨頂となるはずだが、時刻はすでに15時。昨日の日暮れの早さを考えると、どこまで景色を楽しめるかというところだ。
間もなく海が見えてくる。高台から、激しく波立つ日本海が広く一望される。灰色の空、濃紺色の海、白色の陸地がコントラストをなす。海岸沿いは全体に荒涼としていて、自然の厳しさを物語る。沿線に大きな木は少なく、枯れ草や松などの低木が目立つ。西日本ではお目にかかれない、まさしく「枯れた」風景。気動車はその移り変わりを眺めるにほどよい速度で進んで行く。
こんな場所を走る五能線なので、両端を除いて運転本数はかなり少ないのだが、早くから観光路線としての取り組みがなされており、既に1990年から「ノスタルジックビュートレイン」という客車列車が観光列車として走っていた。秋田新幹線が開業した1997年にキハ40系を改造した「リゾートしらかみ」に交代し、今に至っている(注7)。「リゾートしらかみ」には、後ほど乗る予定にしている。
景勝地の千畳敷。浜辺のむき出しの岩石に絶え間なく荒波が打ち寄せ、しぶきを上げている。
続く大戸瀬からは並行する国道101号が山側に移り、線路はまさに海沿いを辿る。窓から見えるすぐそこに砂浜、足下に白波が迫ってくる。水面に近い視線で見ると、また言いようのない迫力がある。風も強く吹き付けているに違いないが、列車は構わずマイペースで走り続ける。外と内のこのギャップがまた不思議な感覚だ。
名前からして迫力のある驫木(とどろき)。これでもかと次々に迫り、もみくちゃになって揺れ動く波の泡がすぐ目の前の堤防の下にまで迫り、恐怖さえ覚える。
まもなく深浦。そろそろ乗り換えの準備をと思っていたところに、最大のインパクトを与える光景が。ここで見えてくるのは行合崎海岸。尖った巨大な岩がいくつも海から突き出て、そこにもやはり荒波が打ち寄せている。列車はその脇をかすめるように通過する。これほどの見所を用意してくれて、なんとサービス満点の路線なのだろうと思う。鰺ヶ沢から約1時間で深浦に着。
五能線はまだ半分弱の距離を残しているが、時刻は16時前。景色を見ることのできる時間はそう長くない。深浦から「リゾートしらかみ」の指定席を取っているが、その深浦出発は17時53分。そのころには真っ暗になっているだろうし、ここで2時間を過ごすのは厳しそうだ。ならば4分の接続で更に先へ進み、頃合いのよい所で引き返すとしよう。
引き続き右側に荒涼たる海岸風景が続くが、しだいに闇が迫り、全体にさらに陰鬱になる。それでも昨日の札幌では16時ごろにはほぼ真っ暗になっていたことを考えれば、だいぶ南下し西進してきたんだなと思う。こうして1日の大半を列車に乗って過ごしているのだから、それもそうかと思う半面、それでも北海道と青森県という2つの道県内を移動してきたに過ぎないという事実に、距離感がおかしくなりそうになる。
深浦から30分で十二湖という駅へ。白神山地の中に位置するブナ林に33ほどの湖沼があり、それが「十二湖」と呼ばれている。この駅はその十二湖の玄関口というわけだが、もちろんこんな時間から見に行っても仕方ないし、その手段もない。ただ、海がホームの間近に迫り、それを眺める最後のチャンスになりそうなので、ここで列車を降りてみる。40分後の下り列車で折り返せば、深浦で「リゾートしらかみ」をキャッチできる。
浜辺に出て、これまで窓で仕切られた車内から見てきたものに身を置く。吹き付ける北風に圧倒され、ざわめく波の音に怖れを覚える。漆黒の闇の迫る空、雲の隙間にかろうじて残る光。海沿いの集落にともる灯りがぽつぽつと輝く。カメラにこの光景をと思ったが、これだけ暗く、風にあおられればまず手ぶれする。そこでカメラを岩の上に置き、セルフタイマーで撮影。そうして撮ったのが下の写真。
十二湖駅は1988年までは臨時駅だったそうで、簡素な単線ホームに簡素な無人の駅舎。その小さな待合室で下り列車を待つ。他にやってくる客はいなかった。
既に真っ暗になった中を引き返す。深浦までほぼ寝ていた。
今日最後に乗るのが、観光快速「リゾートしらかみ」だ。窓が大きく、座席のピッチも広い。走りも静かだ。今日五能線で散々キハ40系に乗ってきたが、その改造車とは思えない変貌ぶりだ。残念ながらその大きな窓にはひたすら闇が映し出されるばかり。夏期なら、これから日本海の夕日を見られるダイヤなのだろう。
今回実際に見ることが出来たのは五能線の北半分、しかも海側ばかり見ていたので白神山地のほうはほとんど見ていない。いつかまた来たいなと思うが、なかなかに達しがたい場所だ。だからこそこうして、人を魅了する原風景が残されているとも言えるのだが。
先ほど下車した十二湖にも列車は停車し、驚いたことに一人ここから乗車したようだ。あとはどこを走っているのかよく判らない。岩館から秋田県に入り、次のあきた白神では忽然とイルミネーションが登場。
東能代で五能線の旅は終わる。ここからは奥羽本線に再び合流し、終点秋田を目指す。「本線」とあって五能線と比べて列車の走りがスムーズになるが、微妙にダイヤが乱れているらしく、対向待ちを強いられる(東能代〜秋田間では複線区間と単線区間が混じっている)。秋田到着は定刻より8分遅れの20時19分。
ここまでの旅の余韻に浸っていたところ、ホームにある電車が滑り込んできた。大阪発青森行きの特急「白鳥」。1,000kmを超える距離を12時間半以上かけて走り抜く、最長距離の昼行特急だ。国鉄特急カラーのボンネット形485系は、関西ではL特急「雷鳥」などでなじみ深いが、ここでその姿を見るとまた新鮮だ。大阪を10時過ぎに出て、青森到着は定刻では23時前となる。雪にまみれたヘッドマークが、経てきた行程の厳しさを物語っている。ここまでくれば、終点まであとひとがんばりだ。
だがこの「白鳥」も、来たる3月の改正で廃止されることになっている。今の時代に乗り通しの需要があるとは思えないし、運転区間が長ければそれだけダイヤの乱れを広く波及させることにもなり、むしろよくここまで存続したなというところだ。今日の日の1,000km超の旅路を終えれば、その終末にまた1日近づくことになる。
昨夜は車中泊だったが、今夜は秋田駅前のホテルで宿泊する。過去には車中での連泊もしたが、それをすると翌日以降の疲労が激しく、旅を楽しむどころでなくなることが多かった。今回は五能線に立ち寄るという行程上の理由もあり、この2泊目はしっかりベッドで寝ておこうと考えたのだ。一人で泊まるにはもったいないくらいの広い部屋で、快適な夜を過ごしたのだった。
注記の内容は2016年9月現在。
1. 1998年より「ドラえもん」とタイアップし、吉岡海底駅に「ドラえもん海底ワールド」を開設。同駅に停車する見学列車が「ドラえもん海底列車」として運転された。当然ながら当時のキャラクターは声優交代(2005年)前のデザイン。昭和世代の筆者にはこちらがなじみ深い。
2. 2002年の快速「海峡」廃止後は特急列車が停車したが、北海道新幹線工事のため2006年に終了。2014年に駅としての吉岡海底駅は廃止された。
3. 知内駅は北海道新幹線開業に先がけて2014年に廃止、信号場となった。
4. 吉岡海底駅と同様に竜飛海底駅も2014年に廃止、現在は両者とも緊急待避用の施設となっている。
5. 2016年の北海道新幹線開業に伴い廃止、同地点に新幹線駅として「奥津軽いまべつ」駅が開業した。
6. 2016年3月、北海道新幹線(新青森〜新函館北斗間)が開通。貨物列車を通す必要があるためトンネル区間(奥津軽いまべつ〜木古内間)は3線軌条として在来線と共用、その両端は新幹線用の線路が引かれた。在来線の北海道側(江差線五稜郭〜木古内間)は第三セクター「道南いさりび鉄道」に転換された。
7. キハ40系のリゾートトレインへの改造はJR西日本・四国・九州でも行われている(詳しくは「車両所感」キハ40系の項を参照)が、JR東日本では早くから行われており、この「リゾートしらかみ」車両はその中でも早い時期のものだった。のちに「リゾートしらかみ」車両は3編成に増強され、1997年登場の初代は「青池」編成と呼ばれた。2010年に「青池」編成はハイブリッド気動車HB-E300系に置き換えられ、初代「青池」編成のうち中間車は別の「しらかみ」編成に編入、先頭車2両は臨時・団体列車用になっている。