3.前代未聞の大ピンチ

 

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 鹿児島から宮崎へ

  山川から乗車した快速「なのはな」は、昨日の快速「シーサイドライナー」と同じJR九州の新型気動車キハ200。だが、「シーサイド」が真っ青だったのに対し、こちらは真っ黄色。原色好きなJR九州らしいカラーリングだ。

「なのはな色」のキハ200 

  山川 10:12 → 西鹿児島 11:19[18] [快速「なのはな4号」3338D/気・キハ200]

  最南端の西大山あたりから北東に進路をとっていた指宿枕崎線は、指宿(いぶすき)手前からさらに向きを変え、今度は薩摩半島東岸を北上。指宿から喜入まで、喜入から五位野まではノンストップ。軽快気動車の本領発揮でぐいぐい進み、気持ちいい。海が眼前に広がり、かなたには大隈半島も。やがて桜島が見えてきて、頂上付近には噴煙も少し認められた。五位野からは各駅停車になり、鹿児島市街へと入って行く。

  現在工事中の九州新幹線受け入れのために橋上駅となった西鹿児島で一旦下車し、昼食に「とんこつ弁当」と「さつま揚げ」2つを買う。さつま揚げが、「Snack FOODS」と書かれた、マクドナルドのポテトのような容器に入れられていたのには笑えた。さつま揚げは、いつから「スナック」になったのだ?

  西鹿児島 11:40 → 宮崎 14:07[03] [快速 3946M/電・475系]

  西鹿児島から、もと急行用475系の快速に乗って宮崎を目指す。南九州には国鉄時代の車両が追いやられてきており、特に日豊本線の宮崎県内から鹿児島にかけての区間は、いまや485系や475系列といった古参電車の「最後の楽園」となっている。

  以前、日豊線の快速に乗ったときには、その騒々しさに閉口した記憶がある。今回はそのときほどではなかったが、やはり乗り心地は経年数相応だ。日豊線も南端へ来るとB級路線で待合いも多く、快速といっても宮崎まで2時間半を要する。

桜島の威容を見ながら錦江湾沿いを進む 

  錦江湾沿いの区間では桜島を眺め、国分からは山越えに。霧島神宮を過ぎるとがらがらになり、新緑をめでながら気兼ねなく「とんこつ弁当」を食す。しっかりと味がついていて、とんこつも食べ応えがあるものだった。

  宮崎県に入り、都城では使われていなさそうなヤードがむなしく広がりわびしい。ここのところは比較的体調がよく、せきもあまり出なくなっていた。しかし…

快速電車、宮崎に到着 

 用もないのに空港へ

  宮崎 14:12[10] → 宮崎空港 14:27[25] [特急「にちりんシーガイア5号」5005M/電・783系]

  宮崎からは、「宮崎空港線」に乗ってみる。文字通り、空港へのアクセス線としてできた路線だが、別に空港に用があるわけではなく、鉄道と航空がどのようにリンクしているのかを見てやろうというわけだ。

  宮崎空港線は1996年に開業。日南線田吉から分かれる、たった1.4kmの区間だが、多くの特急や快速が乗り入れ、特急にも乗車券だけで乗れる特例区間である。JR駅と直結した空港としては新千歳空港・成田空港・関西空港があるが、地方空港では宮崎が初めて。

  ハイパーサルーンの特急「にちりんシーガイア」に乗って一駅、南宮崎まで引き返し、日豊線と分かれてまもなく、左手に空港の滑走路が現れる。その南側をまわりこんで、列車は宮崎空港駅に到着。

  着陸機がすさまじいスピードで滑走路に突入する姿が、ホームから間近に見られたのは、さすが空港駅の醍醐味。駅は空港と一体化しているのかと思いきや、改札を出ると階段を下っていったん外に出、改めて空港の建物に入るかたちとなっており、ちょっと不便。せっかくなら、建物自体をつなげればよかったのに。

飛行機には乗らないけど宮崎空港。周囲は、空港らしく広々と 

  生まれてこのかた、まだヒコーキなるものに乗ったことのない私、今回もこのまま伊丹に飛んで帰るわけにはいかないので、空港内見物に終始。館内には九州全域の土産物が一堂に会している。こんなところで帰り道に気軽に買えるものなら、長崎で買った土産のカステラを肌身離さず持ち歩く私はいったい何なんだ、と思えてくる。

 最悪の体調

  宮崎空港 14:50 → 南宮崎 14:55 [普通 6534M/電・475系]

  いったん南宮崎へ引き返し、今日の残りの時間はもうひとつの南の果て・志布志を目指して日南線に入る。薩摩半島の指宿枕崎線(87.9km)と、大隈半島の日南線(88.9km)。どちらも「果てに向かう線路」というイメージがある。共通点は、他線の廃止によって長ーい行き止まり路線になってしまったことで、制覇するには愚直に往復するか、他の交通機関を利用するしかない。志布志まで、3時間近い長旅になる予定。

  南宮崎 15:07 → 飫肥 16:15 [普通 1945D/気・キハ58系]

  志布志行き列車は、これまた指宿枕崎線で最初に乗ったと同じ旧式気動車2両編成で、車内は混雑、熱気がムンムン。天井で「JNR」マーク入り扇風機が、震えながら首を回している。

  遊園地のある子供の国(←実際の駅名)では、ホームで宮崎行き列車を待つ大勢の客が列をなし、周りの道路も大渋滞している。人混みはもうすっかり見慣れてしまったが、とんでもない時期に旅行を計画してしまったなと、改めて後悔の念が湧く。しばらくして車端のロング席が空いたので着席。体がだるい。少し居眠り。

  ふと目が覚めたそのとき、なんともいえない気持ち悪さに襲われた。乗り物酔いとは違う。頭痛や吐き気のようなものでもない。体に悪寒が走り、身動きがとれない。まさに「どうしようもない」状況。これまでに経験のない、自分でも訳の分からない不気味な症状で、はたから見れば、まさに顔面蒼白、という状態だったにちがいない。

  最初はそれどころではなかったものの、少しずつ、今度は不安の気持ちが襲ってきた。今は旅行中の身、もし仮に、こんなところで倒れてしまうような事態にでもなれば・・・そうでなくても、ここからの帰りをいったいどうするのか。本気でそう考えた。それほどに、このときの体調は深刻そのものだった。

  とりあえず達した結論は、このまま列車に乗りつづけるのは危険だ、ということ。そこで志布志行きは断念、飫肥(おび)駅で下車し、待合室でじっと座って、何とか気分の収まるのを待つ。その間数十分、いやもっと短い時間だったかもしれないが、そのくらいに長く感じられた。つらいとともに、情けない時間だった。

重厚な造りの飫肥駅舎 

 日向の小京都

  幸い、気持ち悪さはしだいに収まり、当面のピンチは脱した。となると今度は、せっかく来た飫肥の街だ、歩いてやろうという気になってくる。さっきまで、どうやって家に帰ろうかと考えていたのに、われながらゲンキンなもの。「転んでもただでは起きぬ」とはこのことか。

  飫肥の街は、こじんまりとしたなかにも城下町のまとまりがあり、散策していると落ち着く。路地に入ると側溝を鯉が泳いでいたり、かと思えば南国風の植物が植わっていたりと、どこか異国的な雰囲気もある「小京都」だった。

夕暮れの飫肥の町並み 

  城跡のりっぱな「大手門」。くぐった先には学校の校舎しかなかったのが拍子抜けだったが、その近くのみやげ物屋で、飫肥の名物だという「おび天」を購入してみた。あとで「Snack FOODS」のさつまあげと食べ比べよう。

飫肥のシンボル「大手門」 

  歩いているうちに気分はすっかり良くなり、今風に言えば、「飫肥に元気をもらった」というところか。それでも、あの悪夢のような気分の悪さが、いつ再来するかわからない。もう無理はすまい、ということで、このまま宮崎へ引き返すことにする。

  飫肥 18:48 → 宮崎 20:04 [普通 1952D/気・キハ58系]

  往路と打って変わって、日南線の復路は車内もがらがら、落ち着いて過ごす。そんな車内で、「さつまあげ」(「つけあげ」とも言う)と「おび天」を食べ比べる。外見上はどちらもすり身のてんぷらだが、ふんわり・やや甘口の「さつま」に対し、「おび」はすり身の食感が強く、味も濃くてジューシー。好みは分かれるところだが、インパクト的に「おび」に軍配。くどいが、「Snack FOODS」の容器にはやっぱり違和感が・・・。

  一面真っ暗になった車窓。そこへ突然、一直線に並ぶ滑走路の誘導灯のあかりが飛び込んできた。昼とは違う、宮崎空港のもう一つの顔。九州の2日目も残り少しとなった。

 さらば、南九州

  夜行特急「ドリームにちりん」が出るまで3時間以上。もうヘタに動かずに、じっとしているつもりだった。が、宮崎の駅には待合室なるものがなく、コンコースにベンチが置いてあるだけ。座っているその脇を、ぞろぞろと通行人が歩いてゆく。「開放感」は南九州のいたるところで感じられた特色だったが、こんなところまで開放的にされても困る。

これ何? マンション? 立体駐車場? いえ宮崎駅です 

  宮崎 21:48[45] → 高鍋 22:15[13] [普通 3974M/電・713系]

  こんな落ち着かないところでじっとしているよりは、真っ暗でも列車に乗っていたほうがまだましだ。ということで、時刻表を開き、今から行って帰れる場所を探す。結果、日豊線を小倉方面へ30分、高鍋へ向かうことに。電車に乗ると、やはりこちらのほうが落ち着くらしく、すぐに居眠りし、かろうじて高鍋手前で目が覚める。

  折り返しの特急まで30分。海があるであろう方向へ歩く。駅前の明かりのあるところを離れるともう、真っ暗で何も見えない。でも、しだいに目が慣れ、満天の星空に感激。砂浜で太平洋の波の音を聞き、「さらば南国」と感慨にふける。

  高鍋 22:44 → 南宮崎 23:06 [特急「にちりん15号」5015M/電・485系]

  特急で南宮崎へ引き返す。かつての九州特急の主力で、JR九州では赤く塗られて「レッドエクスプレス」として活躍してきた485系も新型車に押され、今や日豊線の南方区間に追いやられてしまった。とはいえ内装はきれいに更新されており、新型車にはない快さがある。

  南宮崎 23:26 → 折尾 翌5:53 [特急「ドリームにちりん」5092M/電・783系]

  ついに南九州を去るときがきた。体調不良に苦しんだとはいえ、やはり私のルーツの地。立ち去ることにはひとかたならぬ寂しさがある。「ドリームにちりん」はハイパーサルーン車両。前の晩の「ドリームつばめ」と比べると座席が固かったものの、疲れがたまっていたためか、すぐに寝付いた。

 

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