山陽電鉄は当初、現在のJR兵庫駅前を起点としており、兵庫〜西代(にしだい)間では併用軌道を走行していました。1968年4月に神戸高速鉄道が開業し、この区間は廃止されました。今では想像しがたいことですが、1964年に導入された3000系の初期車は、道路の上を走っていた時期があったのです。
それ以降、山陽電鉄の起点は西代となりました。神戸高速は大半が地下区間で、高速長田〜西代間で地上へ出て、西代から山電線に直通していました。こうした経緯から、西代は「起点」なのに単なる通過地点のような扱いで、特急も停車しません。
1995年1月の阪神大震災により、神戸市内の山陽電鉄線にも甚大な被害が出ました。西代〜東須磨間では、かねてから地下化工事が進められていたため、この地下線を用いての復旧が急がれ、6月18日に同区間が開通しました。
下の写真は、地平時代の西代駅。左写真左側背後には山陽電鉄本社ビルの姿。線路はこの西側で北へとカーブし、道路の下をくぐっていました。現在、県道21号(神戸明石線)が高架となって県道22号(神戸三木線)と分岐しているあたりが、その名残です。西代〜板宿間の線路跡は、県道22号に取り込まれています。
この区間の現状については、調査ができ次第掲載します。