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1.北陸経由新宿行き |
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1999年12月29日 新長田→米原→金沢→直江津→六日町→大宮→国分寺→新宿 |
今回の旅行は東へ西へと飛び回る行程となっている。これらを、車中泊3泊を含む18きっぷでの鈍行乗り継ぎで辿ろうというのだから、かなりの強行日程となる。従って今回のテーマは、タイトル通り「縦横無尽」である。
1999年12月、下旬に強い寒波が到来し、日本海側では大雪となったが、その寒波も年末には収まり、雪見旅にはちょうどいいあんばいとなった。
年末年始恒例、今回もお世話になる「青春18きっぷ」。新長田駅で日付を入れてもらおう・・と思うと改札に誰もいない。仕方ないのでそのまま乗り込む。なら神戸駅の改札で・・と思ったらこちらも無人。自動改札を導入したからって、合理化し過ぎではないか? 無賃乗車しているようで気持ち悪いが、先へ進む。
今回の事実上のスタート列車となるのは、京都行きの快速「ふるさとライナー九州」。早朝から夜行列車、しかも行き先と正反対方向の名が付された列車に乗るとは妙な気分。もちろん、18きっぷで乗る分にはなんら問題はない。
「ふるさとライナー九州」は、EF65電気機関車が牽引する客車8両編成だが、前6両の指定席は「シュプール号」用の特急型客車。後ろ2両の自由席は、いかにも余り物をとってつけた風の急行型客車。これが指定席料金510円分の格差なのか? 指定席、自由席とも客は多く、まだ静かに寝静まっていた。列車は客車ならではの静かで緩やかな走りで東海道本線を東進。大阪を過ぎると夜が明けてきた。
「ふるさとライナー」の終点となる京都では、次の長浜行き普通(704M)へ2分の連絡で、しかもホームは別となっている。小走りに橋を渡って飛び乗ったものの、列車は乗り換えの時間を十分に取ったらしく、出発は1分遅れ。急いで損した気分になる。
朝もやの中、石山あたりで朝日が顔を出して美しい。野洲を過ぎたあたりで車掌がやってきて、ようやく18きっぷの1日目の欄に日付が入った。
さて、米原が近づいてくると、不安が募ってきた。米原から先、私は特急「加越1号」に乗り換えることにしている。今日は北陸経由で夜中までに新宿に着くために、普通列車だけの乗り継ぎでは間に合わないため、米原から敦賀までこの「加越」を使うことになるのだが、その米原での乗り換え時間が、1分しかないのだ。しかし、東海道線と北陸線ではホームが違うし、果たして「加越」そのものが、704Mからの接続を想定しているのか分からない。最初から想定されていないのだとすれば、見切り発車されても文句は言えないが、予定は大きく狂わされる。何としても間に合わせなければならない。
8時22分、米原到着。・・しまった、階段はずっと先だ。ダッシュをかけ、またしても陸橋を走る。「加越」は北陸線のホームにまだいる。乗り換え客は、私とおばあさんの2人。何とか間に合ったが、1分接続というのはやめてほしい。自分はともかく、おばあさんが気の毒だ。
敦賀までは「18きっぷ」旅を中断して、特急でジャンプすることとなる。綱渡り乗り継ぎをなんとかクリアした安堵感もあり、ひとときの安らぎ。疋田トンネルを越えたとたんに、空が暗くなり、沿線に雪が目立ちだす。ハイここからが北陸ですよと解説してくれているかのようで、実に分かりやすい。
敦賀から先、福井・石川・富山・そして新潟県へと、北陸街道を鈍行でたどることになる。まずは福井行きの電車に乗り込む。敦賀を出てすぐに突入する全長14km近い北陸トンネル。長い闇ののち、抜けるとびっくり。敦賀までまだらだった雪が、谷間全体を覆い、積雪は30cmほどに達している。雪化粧した山々が煙る様は幻想的で、これぞ雪国だ。
福井に近づくにつれて谷が開けて平地となり、雪の量は減って、逆に客は増えてくる。38分待ちの福井では、いったん駅を出て街を歩いてみる。駅のすぐそばの魚屋から大音量で流れるド演歌を聞くと、ああ日本海・・。駅前では雪はきれいに除かれていたものの、少し外れると、除雪された雪が道ばたにうずたかく積まれている。駅キヨスクで、駅弁「かにめし」購入。レンジでチンの暖めサービスに、今やキヨスクもコンビニ並みかと、妙に感服してしまう。
福井発直江津行き。実に254kmもの道のりを、ひと駅も通過することなく、5時間かけて走り通す列車。特急がいくらでもやってくる北陸線で、こんなのに最初から最後まで乗り通そうとは、よほどの物好きだろう。そんな物好きが、ここにいる。
福井を離れると、これまで暗雲たれこめていた空が見る見る明るくなり、一面に積もる雪がまぶしい。そんな景色を見ながら、さっそく「かにめし」で早い昼食にあずかることに。包装を開いたとたんに、充満していたかにの香りが放出され、それだけで幸せな気分。暖めたおかげで味と香りが引き立ち、あっという間に平らげてしまった。
芦原温泉まで来ると雪はまだらになり、石川県に入る頃には積雪はきれいに消滅。金沢に近づくにつれて、またも乗客は増えてきた。天気も快方へと向かい、列車は平地を快走してゆく。
金沢では24分の長い停車で、乗客はほとんど下車してしまう。席に時刻表を置いておき、改札を出てみる。さすが加賀百万石、北陸の中心地とあって、駅ビル内には土産物屋の列。京都を思わせる上品な菓子類や民芸品が充実していて、見るだけでもなかなか楽しめる。(ただし買ったのは、あんころもち300円だけ。)
列車に戻ると、いつの間にか車内は満員になっていた。私が座っていた席は、若い2人連れに占拠され、哀れ時刻表は座席の隙間に・・。これを教訓に、以後席を離れる時には、重いカバンを座席に置くようになった。
仕方ないので近くの別の席に座って金沢を出発。実は前の晩の睡眠時間が3時間ほどしかなく、そろそろその疲れが出てきた。頭が痛くなり、しばらく目をつぶってじっと過ごす。そうする間に、倶利伽羅峠あたりから再び積雪が目立つようになってきた。富山県に入り、砺波平野まで下ると周囲は真っ白。霧がかかり、見通しが利かない。
そんな光景も高岡あたりまでで、そこから雪は減ってきて、富山で再び、客のほとんどが入れ替わる。福井から3時間。北陸線も終盤に思えるが、実はまだ先は長い。
富山を過ぎると雪はなくなり、平野が広々と続く。風が非常に強い地域と見え、どの家も背の高い防風林が囲っている。駅の改札部にも風を遮る壁が設けられている。一口に北陸と言っても、実際に訪れてみると気候にはかなりの地域差があるのだなと、勉強になる。こうした移り変わりをよく観察できるのも、鈍行旅の醍醐味といえる。
親不知海岸をトンネルで通過すると新潟県入りとなる。こちらはいかにも新潟らしく、しぐれ模様の雨。小腹がすいてきたので金沢のあんころを食す。あんの味があっさりしていて、たくさん食べられそう。それにしても、車内でじっとしているだけなのに、どうしてこうもおなかが減るのか、不思議。
糸魚川を出ると、悪いことに寒気を覚えてきた。寝不足のダメージが思いの外厳しいようだが、今回は2連車中泊を含むハードスケジュールとなるので、先が思いやられる。今はともかく、「暖かくして、薬を飲んで、寝る!」これしか仕様がない。持参の風邪薬を飲み、すいているのをいいことに座席を独占して寝転がり、直江津までじっとして過ごす。おかげで、北陸線の終点・直江津に着く頃にはずいぶん楽になっていたが、254kmを乗り通した感慨などなく、ただ「やれやれ」。旅はまだ初日なのに・・・。
ここからは日本海側を離れて、今夜乗る夜行快速「ムーンライトえちご」の出発駅・新宿へ向かう。次に乗り込むのは、「ほくほく線」こと北越急行。上越線の越後湯沢と直江津(厳密には六日町〜犀潟)を結ぶバイパスとして、1997年に開通した第三セクター路線。
越後湯沢行きの普通列車は、2両編成のワンマン車ながら、1両目は北越急行が2両だけ所有しているというオールクロスシートの快適な車両で、疲労困憊の身にはありがたい。犀潟から信越線と別れてほくほく線に入ってゆく。特急が最高160km/hで走行するというバイパス線だけあって、単線ながら高架のハイレベルな線路で、普通電車とて加速が鋭く、第三セクター路線とは思えない。
内陸へと進んで行くにつれて雪が多くなり、日が暮れて、外は雪に埋もれたモノクロの世界と化してきた。断面積の小さいトンネルを繰り返し猛スピードで出入りするために、電車はものすごい風圧を受ける。耳がツンツンし通しだった。
雪をかぶった十日町市街地を駆け抜け、またも長いトンネルに突入。美佐島駅はこのトンネル内にあり、ホームの出入り口にものものしい鉄の扉が設けられているという特殊な構造。トンネルを抜け、上越線と合流する六日町でほくほく線は終わりとなる。電車はこの先越後湯沢へと向かうが、次の電車に乗ってもその先は変わらないので、ここ六日町で一旦下車する。
道路は除雪されているが、その両サイドには50cmほどの雪の壁。地元の人がスーパーの中も雪用の長靴で歩き回っているあたりに「雪国」を感じる。スーパーで食料調達して外に出ると、外は真っ暗になっていた。
冬の旅行は、暗くなってからが長い。時間が長けりゃ距離も長く、まだこの先、六日町から新宿までの遠い道のりが待っている。しかも、明朝にはまた新潟県に戻ってくることになるのだ・・・。
上越線の3両編成の電車は、上越国際スキー場、越後湯沢、越後中里などでスキー客を拾い、大混雑の状態で山を越えて水上(みなかみ)へ。立ち客のみなさんに申し訳なく思いつつも、どうしようもなく眠かったので、中里あたりから水上まで熟睡していた。
水上で高崎行きに乗り換え、両数が倍の6両となったために混雑は解消された。私はこの列車でもずっと寝ていた。昨夜の寝不足を補う自衛反応だろうが、我ながらよく寝られるもんだと呆れてしまう。
高崎で、夕食のゴミを捨てようとしたところ、何と、ゴミ箱が封鎖されていた。ちまたを騒がせていた、新幹線のゴミ箱とコインロッカー爆発事件のとばっちりである。できるだけいつも身軽にしてゆきたい乗り継ぎ旅行において、駅のゴミ箱が使えないとは、困ったものだ。でも、ゴミ箱が使えないとなれば、ゴミをそこらに放っていく人が増えて、かえって「不審な」ゴミを増やすだけでは?とも思える。
高崎線の電車は、さらに倍増の12両編成。さすがに流動の反対方向なので、これだけ編成が長いとゆとりがある。このまま乗ってゆけば上野方面まで行けるが、直接新宿へ向かうと早く着きすぎてしまうので、ちょっと遠回りを試みる。
以下に挙げるとおり、大宮から埼京線・武蔵野線・中央線と辿ったのだが、特筆すべき事柄はないので行程のみ載せておく。ホームでは警備員が巡回しており、何ともものものしい雰囲気だった。(※結局、その爆弾犯は1月になって逮捕されたが、私を含め、どれほどの人間が迷惑を被ったことか。)
新宿駅は、いつ来ても人が多い。利用者数が全国一というだけあり、人波が絶えることがない。しかし、こんな人混みの中で、だれか一人が不審なことをしても、おそらく気づかれないことだろう。今回は特に、そんな都会の不気味さを覚える。
今日、12月29日の、新長田から新宿に至る行程は、「ふるさとライナー九州」を除けばすべて電車であったが、その電車づくしの1日の締めくくりとなるのもやはり電車。夜行「ムーンライトえちご」である。飲み物を調達しようと、車内の飲料自販機に向かうと、これまた防犯上の理由で使えないとのこと。う〜ん、過剰反応も仕方ないところではあろうけれど・・。