4.最高地点と最低地点

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 夕刻の最高地点

  今回の旅行の、文字通り最大の「山場」であった碓氷峠を後にし、浅間山を右手に見ながら高原地帯を進んでゆく。時刻は15時を過ぎたが、昼食用に購入した横川の「峠の釜めし」はまだそのまま手元にある。峠を上り下りしている間はそちらに夢中で、弁当を開くには時間も中途半端だったので、食べそびれてしまったのだった。

  小諸 15:46 → 小海 16:43 [普通 132D/気・キハ110]

  小諸で信越線に別れを告げ、小海線に乗り換える。この小海線は、小諸から中央東線の小淵沢に至る路線で、途中にはJR線の標高最高地点を通る。だがあいにく、今回は途中で日が暮れてしまう。釜めしはこの車内で、と考えていたが、席が車両端のロングシートになってしまったので、またしてもお預け。昨日と同様、夕暮れの「昼食」となりそうだ。

  列車は、キハ110というJR東日本の新型気動車。高原路線だけにその性能を十分発揮してくれそうだが、あまりに軽々と走られると、「乗り鉄」としては味気なくなるので加減が難しい。中込で乗客が減り、クロスシートに移動できたので、ようやく「釜めし」のふたを開ける。想像していたより多彩な具材に彩られ、味もよく研究されている感で、食べている間飽きがこない。さすが「名物」といわれるだけのことはある。そして陶器の重量感も見逃せない。これがプラスチックの安っぽい入れ物なら、雰囲気はかなり変わってくるだろう。もっとも、食べた後の始末にはいささか困る。記念に持ち帰るにも結構な荷物になってしまう。それでも持って帰ったが。

日の暮れた小海駅で、キハ110同士の乗換え 

  小海 16:59 → 小淵沢 18:07 [普通 246D/気・キハ110]

  いつのまにか高度が上がってきて、列車は標高865mの小海に到着。ペンションをあしらったようなモダンな駅舎の駅で、列車を乗り換える。薄暗くなってきた谷間を列車はたんたんと進み、さらに高度を上げてゆく。

  17時38分、野辺山へ。標高1345.67m、JR最高地点駅である。もう外は暗く、スキー場のゲレンデがライトアップされている。頂点を越えた列車は猛然と下り勾配にかかり、次はリゾート地で知られる清里。標高は1274mまで一気に下がった。木々がライトアップやイルミネーションで彩られ、にぎやかだ。そういえば、明日は世に言うイブである。

  列車はさらに勢いよく下ってゆく。ほとんど惰性で走っている。昼間に来れば、さぞかし気持ちのいい路線だろう。終着小淵沢には18時07分着。標高886m、野辺山からはずいぶん下がったが、まだまだ標高は高く、日が落ちて厳しく冷え込む。次の列車までの半時間、こぢんまりした待合室の中で過ごす。

 安堵は遠し

  ここからは昨日と同様、中央東線を東進して東京を目指すことになる。

  小淵沢 18:32 → 甲府 19:12 [普通 446M/電・115系]

  くしくも、小淵沢から乗り込んだ上りの普通電車は、昨日上諏訪から甲府まで乗ったのと同じ列車446M。つまり丸1日かけて全く同じ場所へ戻ってきたわけだ。甲府着19時12分、これも昨日と全く変わらない。となると、ここから順当に普通列車を乗り継いでゆけば、昨日と全く同じパターンで、新宿に22時30分に着くことになる。今夜乗る予定にしている、東京23時43分発の夜行快速「ムーンライトながら」には十分間に合う。

  しかし、ただでさえつまらないこれからの長い夜、なんらかの変化をつけなければ、なおのことつまらない。

  それでここから1区間だけ、特急「スーパーあずさ14号」でワープしようと思う。昨日、甲府のホームで見送った特急だ。次発の普通とは甲府で5分差だが、これが次の大月では24分差にまで拡大する。新宿には、鈍行乗り継ぎの場合より実に1時間24分も早く着くが、そこまで行ってしまうとかなりの費用がかかるので、大月までとする。横川で購入したオレンジカードを早速使用して、乗車券+特急券で計1520円なり。

  スーパーあずさは12両編成だが、そのうち自由席はたった3両しかない。ホームに入ってきた電車、その中を見て愕然となった。通路までひしめく乗客。甲府からの客を乗せれば、更にぱんぱんの大混雑になることは一目見て明らかだった。だが切符を買ってしまった以上、乗り込むしかない。

  甲府 19:40 → 大月 20:09 [特急「スーパーあずさ14号」 14M/電・E351系]

  私は最後のほうに入り込み、ドアに近いところに立つようにした。こういうときは、人混みの真ん中より、ドア際に立つほうが、ドアにもたれることができて幾分楽だろうし、次の大月で下車するときのことを考えても、そのほうが都合よい。しかし、この選択もまた裏目に出た。

  この「スーパーあずさ」の電車(E381系)は、山がちな中央本線をスムーズに走れるよう、振り子式となっている。カーブにさしかかったときに車体を傾斜させて遠心力を相殺し、そうすることで高速走行させるシステムだが、それに対応してこの電車の車体は上部の絞られた卵形をしている。これが思わぬアダとなった。この車体の形状に合わせてドアが「し」の字形に湾曲しているので、ぴったりもたれることができないのだ。中途半端な姿勢をとらなければならないところへきて、カーブにかかるたびに大きく車体が傾くため、そのたびに体がドアに打ちつけられる。快適なワープのはずが、30分に及ぶ第二の「走る拷問部屋」になってしまった。しかもこのたびは別料金を払っているぶんだけ、悔しさも倍加する。

  驚いたことに、この大混雑の中、デッキの人混みをかき分けて車掌が検札にまわってきた。別の客の、「指定席は空いてないのか」との問いに対し、「どの車両もこのとおりの満員です。三連休の最後ですからね・・・」との答え。己の判断の浅はかさを思い知らされた。

  大月 20:18 → 高尾 20:54[56] [普通 2056M/電・201系]

  ふらふらになりながら大月で下車し、次に乗った鈍行は通勤タイプの電車。こちらは打ってかわったガラガラぶりだったが、すきま風スースー、走りの騒々しさに閉口。我ながら情けなくなってくる。

  高尾 20:57 → 八王子 21:03 [普通 2030H/電・201系]
  八王子 21:14 → 東神奈川 22:09 [普通 2114K/電・205系]
  東神奈川 22:11 → 横浜 22:13 [普通/電・209系]

  ともあれ、特急を利用したおかげで時間に若干の余裕ができたので、八王子から横浜線へと寄り道してみよう。8両編成のうち、2号車の車両がおもしろい。通常、通勤タイプ車両のドア数は4だが、この車両だけは6つもドアがある。これだけドアが並ぶと、側面の半分近くをドアが占めている感だが、それだけではない。この車両の座席は跳ね上げて収納できる構造になっている。つまり、ラッシュ時には全員立ち席となるわけだ。そのほうが公平だし、少しは混雑緩和に寄与できるだろうが、その様子を想像すると、なかなか不自然な光景だ。せっかくなので座ってみたが、さすが折りたたみ式だけあって、薄っぺらく、居心地の悪い椅子だった。

  東神奈川から1区間だけ京浜東北線に乗り、横浜で「シウマイ弁当」を購入。もう22時を回り、地方都市ならコンビニくらいしか開いていない時間だが、まだ駅弁が売られているとは。都会の夜は長い。

  横浜 22:31 → 東京 23:01 [普通 2188S/電・113系]

  横須賀線の電車で東京へは30分ほど。普段は人がごったがえすのであろう15両編成も、さすがにこの時間ともなるとかなりすいている。買ったばかりのシウマイ弁当を開き、昨日長野で購入した白ワインもあけて、流れゆく首都圏の街の灯を見ながら、なかなか優雅な気分で遅い夕食をいただく。

歴史を感じさせる煉瓦造りの東京駅舎 

  今夜乗るのは、夜行快速「ムーンライトながら」。3連続車中泊もこれが最後で、ほっとすると共に一抹の寂しさも覚える。我ながらよくここまで来たものだと思う。「ながら」の夜もすぐに寝付いた。明日24日はまず、関ヶ原を目指すことにしている。

  東京 23:43 → 大垣 翌6:51 [快速「ムーンライトながら」 375M/電・373系]

 古戦場に雪なし


 1996年12月24日
 (東京→)関ヶ原→名古屋→亀山→JR難波→粟生

  12月24日。車中泊も三夜連続となると、疲れを通り越して、逆に体がそのペースに慣れてきた感さえある。

  東海道を西進した夜行快速「ムーンライトながら」は、6時過ぎに名古屋に到着。列車は大垣行きだが、私が乗ってきた7号車はここで切り離されてしまうので、前の車両へ移動しなければならない。今日の最大のポイントは関西本線(名古屋→JR難波)の完乗だから、別にここで降りて、そのまま関西線に入ってもよいのだが、時間の都合など考えて、もうすこし東海道線を進み、関ヶ原まで足を伸ばすことにしている。

  同様に移ってきた人々で混雑するデッキで残り30分ほどを過ごして、終点大垣へ。乗客の大半は、そのままぞろぞろと次の列車に乗り換える。この次の列車というのが「加古川行き」、つまりこれにずっと乗ってさえいれば、今回の旅行は終わってしまう。が、まだすんなりと家路には就かない。

  大垣 7:02 → 関ヶ原 7:16 [普通 431M/電・113系]

  大垣を出ると、線路の南北に峰が現れ、列車はその間を、西に向かって高度を上げながら進んでゆく。上り詰めて山を越えると近畿地方に入ってゆくことになるが、私はその手前、その名も「関ヶ原」駅で下車する。

  1600年に、日本中の大名諸氏が東軍・西軍に分かれて争い、徳川の優勢を決定づけた関ヶ原。天下分け目の決戦の代名詞ともなっているこの地を、今回は下車駅に選んだ。べつだん関ヶ原自体に特別の関心があるわけではないが、歴史にはそれなりに興味があるし、ちょうど時間がそこそこあるので、少しなりと散策してみようと思うわけだ。

  関ヶ原といえば、冬場は雪で新幹線がよく遅れる場所でもある。地勢を見ればそれも納得、日本海側から滋賀に流れ込んできた雪雲が、伊吹山地と鈴鹿山脈の境目であるこの谷間に集まってきて、雪を落としてゆくのだ。もっとも、暖冬であるこの冬、関ヶ原には雪のかけらすらない。それでも、朝の冷え込みから、周囲には真っ白に霜が降りていた。今日もいい天気だ。

歴史を感じさせる煉瓦造りの東京駅舎 

  駅周囲の史跡をざっと巡り、今歩いた範囲で一体何人犠牲になったのだろう、などと妙な方に思考を向けながら、1時間ほどで駅に戻る。そのままもと来た東海道線を東へ戻り、9時14分に名古屋へ。これに限らず今回は、二日続けて新潟から東京へと南下したり、碓氷峠を一往復半してみたりと、普通に考えれば無駄な動きが多い。行きたいところを無理矢理つなぎ合わせた結果が、これである。

  大垣 8:39 → 名古屋 9:14[10] [快速 4136M/電・211系]

 仕上げは、元名阪連絡線

  これから入る関西本線は「悲運の幹線」だ。明治時代に開業した当初は、名古屋と大阪を結ぶ幹線のひとつとして、東海道線の向こうを張る存在だった。しかしいつしか、この区間のメインは東海道線と近鉄線になり、関西本線はその名と裏腹に、その両端を除いては「本線」とさえ呼べないようなローカル路線に落ちぶれてしまった。そんな路線をあえて全区間乗り通し、かつての名阪連絡線の面影を偲ぼうというわけだ。

  名古屋 9:28 → 亀山 10:35 [普通 1239M/電・213系]

  名古屋から亀山まではJR東海の区間。電化されており、一応中京近郊路線の体裁は整えてはいるが、名古屋を出るといきなり単線。横には複線の近鉄線が並び、のっけから敗北感が漂っている。

  関西線がまず進んでゆくのは海岸に近い平野部で、中部の三大河川(木曽・長良・揖斐川)が海に注ぐあたりは海抜ゼロメートル地帯である。名古屋から4つ目の弥富駅の標高は-1.1mで、地上駅としては日本で最も低い。昨日夕方に通ってきた野辺山駅(標高1345m)とあわせて、1日もしない間に最高地点と最低地点を制したことになる。思えば今回はこのほか、最深積雪の森宮野原、最急勾配の碓氷峠と、「日本一」を数多く制した旅程でもあった。

  複線になったり、単線になったりしながら、電車はどことなくのどかな雰囲気の中を進んでゆく。しかし四日市あたりで、その風景も一変する。ものものしいコンビナート地帯。一体どこまで続くのかというくらい、ずっと連なっている。決して快い風景ではないが、こんなのが日本の工業と経済を支えているのだから、文句は言えまい。

四日市の工場地帯 

  そんな工業地帯を脱出すると、いよいよ郊外に抜けた感。河原田で、津・松阪方面への短絡線である伊勢鉄道と分かれると、もうこの先は奈良まで、鈍行以外には急行1往復しか走らないローカル線だ。名古屋からの電車は亀山どまりで、ここからはJR西日本エリアとなる。乗るのはワンマン運転のディーゼル車、キハ120。亀山から京都府の加茂までは非電化なので、この車両のお世話になるしかない。

  亀山 11:02 → 大河原 12:05 [普通 243D/気・キハ120]

  亀山を出ると平地が尽き、鈴鹿の峠越えにかかる。この「加太越え」区間は、かつてSL撮影の名所だったという。逆に言えば、この峠がネックとなって、関西線は近代化から取り残されたのである。SLがあえぎながら登ったであろうその急勾配を、新型気動車はさほど苦にすることなく進んでゆく。昨日の小海線でもそうだったが、苦しいはずのところを涼しい顔で走られると、なんだか拍子抜けしてしまう。

  伊賀の盆地を突き抜けると、再び山越えにかかる。昔規格の狭いトンネルが続く。ディーゼルでさえ、下手をすればどこかをこすってしまいそうだ。このトンネルがこのままである限り電化は不可能と思われ、おそらくキハ120はここに骨を埋めることになるのだろう。

  谷間の大河原という駅で途中下車した。脇を川(木津川)が流れているだけで、周囲には何もない。駅名のとおり広い河原が谷幅の大部分を占めている。思い起こせば、今回の旅行で降りた駅はみな「何かある」=降りる目的がある駅で、「何もない」=降りる目的のない駅は初めてだ。川のせせらぎを聞きながら、こんなのも悪くないなと思う。

山間を広々と川が流れる 

  大河原 12:35 → 加茂 12:50 [普通 245D/気・キハ120]
  加茂 12:51 → JR難波 13:48 [快速 1383K/電・103系]

  加茂でディーゼル区間は終わり、再び電車に乗り換える。終点・JR難波行きの快速は、黄緑色の通勤電車だった。奈良からの区間は、ようやく「本線」の名にふさわしい堂々たる幹線となる。しかし、私はほとんど居眠りしていた。統計的に、(通勤電車タイプの)窓に背を向ける座席に座ると、よく寝ている気がする。今回の場合は、見慣れた世界に戻ってきた安堵感も手伝ったのだろう。だが、関西本線の旅を最後まで見届けられなかったのは残念だ。

  JR難波で関西線の旅を終えれば、今回の旅行は事実上終わったも同然。あとは地下鉄、新快速、加古川線と乗りついで家路を急いだ。

  なんば 14:00 → 梅田 14:10 [地下鉄御堂筋線]
  大阪 14:15 → 加古川 15:05 [新快速 3331M/電・221系]
  加古川 15:10 → 粟生 15:36 [普通 743D/気・キハ40]

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