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2.天然の造形 |
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1991年8月18日 山口→秋芳洞→小郡→広島 |
8月18日。前日に引き続いての好天で、早くも朝からすでに暑い。朝食の後、お世話になったユースホステルの前で写真を撮ってもらったのち、出発。生まれて初めてのYHの印象は、だいたい事前に聞いてイメージしていたものと大差なかった。人付き合いの苦手な私には、YHの「集団活動」的な要素がどれほど関わってくるのかが不安だったが、たいしたことはなかった(注1)。
まずはバスで山口駅へ向かう。山口駅のバスターミナルで、秋芳洞行きのバスの切符と入場券をあらかじめ買っておいて、バスに乗り込む。走ること約1時間、峠を越え、どことも知れぬ山の中に着いたかと思うと、そこがもう秋芳洞だった。
バス停近くの土産屋が荷物を預ってくれるというので、例の超重量カバンを預けておく。これを担いででは、とてもじゃないが観光どころではない。しかし土産屋の人も、これはいったい何が入ってるのだろうと思ったことだろう。
土産物屋が並ぶ通りを抜けて、秋芳洞の入り口へ。岩の裂け目のような大きな口に、人の波が吸い込まれてゆく。洞窟の中は意外に広く、そして外の暑さがうそのような涼しさ。なんでも、洞内は通年17度なのだという。おかげで、快適に洞内探索ができる。
「百枚皿」「傘づくし」「厳窟王」など、順路に沿って様々な奇岩が続く。下写真にある「巌窟王」、実は直接見た時点では、これがなぜそう呼ばれるのか、さっぱり分からなかった。写真を現像してみて納得、兜をかぶった騎士の横顔のような姿が、闇の中に浮かんでいる。何かだまし絵でも見せられたかのような気分だ。
偶然の産物でありながら、まるでそこに意図的に作られたかのような、長年の石灰岩の浸食作用による造形の妙にうならされる。近くの団体さんを案内していたガイドの説明によれば、つららのように垂れ下がる鍾乳石が5センチ伸びるのに、4,5百年かかるのだそうだ。
想像もつかないほど途方もない歳月をかけ、人手によらずに作り出された、自然の造形。しかも実際には、観光客に公開されているのは総延長10kmのうちの1km程度で、全体のごく一部なのだ。あとは専門家にしか立ち入りの許されない世界なのだろう。しかし素人には、1kmでも十分すぎる。
この洞窟の上には、有数のカルスト台地・秋吉台が広がっており、洞内からエレベーターで上がることができる。が、エレベーターを出たとたんに、ものすごい熱気がまとわりつく。洞窟の涼しさに慣らされていただけに、ダメージも大きい。しかし、外がこれだけ熱せられているにもかかわらず、洞内の温度が変わらないとは、改めて不思議に思える。
そこからさらに坂を登り、石灰岩が露出する大地を一望。なだらかな丘陵地に、白い岩石が突き出ている。これはラピエというらしい。近くで見ると、風化した石碑のような風貌だが、これが台地に無数に散らばり、まるで羊か何かが群れているようだ。もちろん、こんな光景はこれまで見たことがない。炎天下を歩いて来た甲斐があったというものだ。
秋吉台に立つ土産物屋でざるそばを食し、もときた道を引き返す。復路は、50円を払えば秋芳洞に再入場できる。なんとも細かい値段設定だが、エレベーターの使用料のようなものだろう。17度の洞窟内に戻ると、ほっと安らぐ。これぞ天然のクーラー。
ちなみに、秋吉台には、空き缶を入れるとメダルが出るというくず入れがあった。あいにく空き缶を持ち合わせていなかったので入手できなかったが、後日、私が訪ねた数日後にここを訪れた私の同級生(後述)からもらうことができた。秋吉台と秋芳洞が表裏に描かれた、小さなメダルだった。ありがたや。
秋芳洞から小郡(注2)へはバスで移動。ところが、バスを降りる際に思わぬトラブル発生。降り際に運賃(1050円)を払おうとしたところ、たまたま千円札を持ち合わせていなかったのだ。これでは、車内では精算できない。結局、駅のバス窓口まで回って両替してもらった上で支払う羽目に。・・・教訓:バスに乗るときには、必ず千円札を持っておくべし。五千円札や万札では両替できない。
今日の行程で残すは、小郡からは山陽本線を東進して広島へ向かうのみ。普通列車で延々3時間、広島に着いたのは17時過ぎだった。今夜の宿泊は広島ユースホステル(注3)。駅から市バスに乗るのだが、広島駅の該当のバス停に、なんと「広島YHへはこちらから」のようなことが書かれている。それだけ有名なYHなのだろう。最寄りのバス停から歩くも、YHは小高い場所にあって、最後の登りでまた疲れさせられる。
今回の旅も、どうにかこうにか2日経過した。比率的には列車に乗って過ごしてきた時間が長いのだが、暑い中を歩く機会も多い。とにかく、超重量かばんが事あるごとに体力を奪う。加えて温度差も体にこたえる。特に、17度の秋芳洞と炎天下の秋吉台を行ったり来たりした際の温度変化は、思いのほかダメージが大きかったようだ。出された夕食を食べだすと、すぐに苦しくなってきた。明らかに食欲が落ちてきている。夏バテの症状だ。
食後、YHから、電話がきていると呼び出された。だれかと思って出てみると、高校の同級生だった。わざわざ私の家に所在を問い合わせてかけてくれたとのこと。自転車旅行が趣味の彼は、この三日後から山陰経由で下関へ向かう旅に出発、台風の影響を受けながらも無事完走。そんな彼は、今もたびたび自転車旅行をしており、2ヶ月がかりでアメリカ横断を敢行したことも。(詳しくはこちらに。)
注記の内容は2016年12月現在。
1. 山口ユースホステルは日本ユースホステル協会との契約を解除し、プライベートホステル「山口紅花舎」として運営している模様。このため、日本YH協会のサイトには記載されていない。
2. 小郡駅は2003年10月に「新山口」駅に改称された。
3. 広島ユースホステルは2012年休館、13年に廃止された。