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1.初物づくしの旅 |
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1991年8月17日 神戸→松江→益田→山口 |
過去に日帰りの旅行しか経験のなかった私が、いきなり1週間以上にわたる一人旅を企てたのは、高校2年の夏。この旅行は、私にとっていろんな意味で「初物づくし」となった。これだけ長い期間にわたるのが初めてなら、当然旅先での宿泊も初めて。そしてその後何度となくお世話になる、「青春18きっぷ」の利用も、初めてのことだった。
その旅立ちは、早速の車中泊となった。出雲市行きの臨時夜行快速「ふるさとライナー山陰」。のちに「ムーンライト八重垣」として盆正月の時期に定着するが、設定されたのはこの夏が初めてだと記憶している。この旅行のプランニングに当たっては、この列車の存在が大きく、これのおかげで未知の山陰に踏み込むことができたといっても過言ではなかった。しかし、その列車に乗り込む前から、早くも重大なミスが発覚してしまったのだった。
それは、鞄の異常な重さ。なにぶん、初めての長期旅行ゆえ、必要になるものの判断がつかない。これも要るかも、あれももしかすれば、と手当たり次第に詰め込んでしまったのでさあ大変。家で持ち上げてみた段階では「いけるかな?」と甘く見ていたものの、いざそれを担いで歩く段になると、足が進まない。汗が吹き出てくる。後悔しても後の祭り。この重装備が、強行日程・炎天下とのトリプルアタックとなり、私の体力を奪い続けることになる・・。
さて、神戸から乗り込む「ふるさとライナー」、指定席は確保していたものの、こんなときはだれと相席になるかが一番心配だ。座席の車両で夜を明かしたことなどこれまで経験がない。そこへきて、もし嫌な人と一緒になろうものなら、落ち着いて寝ることさえままならず、旅は出足からつまずくことになるだろう。
しかし幸い、相席となった名古屋の専門学校生の方はいい方で、いろいろ話をすることができた。自分が神戸の人間(厳密に言えば違うが、旅先ではそれで通している)と言うと、「言葉がそう聞こえない」と言われた。あまり人前では関西弁を使わないので・・。
列車が伯備線の新見あたりを走っていたころ。その人が窓を開けたときに、窓際に置いていた私のペンが落ちてしまった。安物のペンだったのに、代わりにとシャープペンシルをいただいてしまった。なんとなく嬉しい「記念品」だったが、悲しきかな、年末の近江若狭旅行の際になくしてしまった。
米子に近づくころに夜が明け、米子では機関車付け替えの間に名古屋氏と写真を撮り合ったりして良い思い出に。その後の旅行でも、道中人と話すことは少ない私だが、この「第一回」の出会いは忘れられない。列車は山陰本線に入り、終点の出雲市まで行くという名古屋氏と別れて、松江で下車。
駅で朝食の後、市内を歩く。穏やかな宍道湖を眺めて一息。すると突然腹痛が・・。正露丸をつばで飲むという、腹痛以上に(?)苦しい経験をする羽目に。おかげで何とか腹痛は収まったものの、のっけからこの調子では先が思いやられる。
その後、宍道湖北側に位置する、一畑電鉄の松江温泉駅へ。一畑電鉄は、宍道湖の北岸に沿って、松江と出雲市を結ぶ私鉄。ホームには、色あせた黄色の古びた電車が停まっていた。後になれば、せっかくなので乗っておけばよかったかなと思う。
その後、松江城周辺へ。付近を散策するも、入場料を払って天守閣に入るのには抵抗を覚え、麓で引き返す。同じ理由で、城北側にある小泉八雲記念館の前まで来ながら、入らずに正面の土産屋だけのぞく。「初めて」づくしの旅だけに、観光の仕方が分からなかったことも、今ひとつ踏み込めなかった理由だが、もったいないことをしたものだ。
バスでJR松江駅に戻り、山陰本線の旅を再開する。ここから益田まで西進して山口線に入り、津和野から山口までSL「やまぐち号」に乗ることにしている。
出雲市までは電車に乗る。非電化区間がほとんどの山陰本線の中にあって数少ない電化区間で、電車は宍道湖を右に見ながら快走する。出雲市に着き、昼食にと、ホームの駅そばをかきこむ。食べているうちに、次に乗る益田行き快速列車が入ってきて、あわてて箸を置く。
列車はキハ58系の2両。車内は意外と混雑していた。何とか席は取れたものの通路側となってしまった。これでは景色を十分楽しめない。となると現金なもので、車中泊の疲れも出て、途端に眠くなる。もと急行型の車両らしく、なかなか快調に進んでくれるが、浜田まではおおかた寝て過ごした。
浜田で客はかなり減り、ここからは普通列車扱いとなる。ようやく窓際に座れたので、じっくり窓の外を見る。この先、山陰線は日本海のほど近くを進むようになる。(それまでにも機会があったかもしれないが、居眠りしていたので分からない。)
実は、私が日本海を生で見るのは、これが初めてのことだった。澄んだ水と濃紺の水面、そしてそこに突き出る種々様々な形の岩。これまで見たことのない風景が、目の前を流れてゆく。これだけでも十分に感動する。益田で、跨線橋を渡って2分の慌ただしい接続で、山口線に乗り換える。
普通列車なのに、なぜか車内販売のワゴンが来たのが驚きだった。特急などに乗務する合間に、こうして営業をしているのかもしれない。
津和野からいよいよ本日のメイン、SLやまぐち号に乗り込むことになる。出発前のSLの前には、家族連れを中心に、大勢の人たちが群がって写真を撮っており、いかにも観光列車の風だ。
SLは客車を6両つないでいて、それぞれ明治風、大正風などと特色づけがされている。私の乗った2号車は「欧風車」。乗り込んでみると、あまりに車内の装飾がきらびやかで、かえって興ざめしてしまう。わがままな希望かもしれないが、SLらしい古風さを求めるなら、もっと素朴な雰囲気の方がよい。
列車は津和野を出ると、早速登り勾配にかかり、ゆっくりゆっくりと登ってゆく。下りにかかると一転、なかなかの速度を出す。SLは見かけの割に馬力がなく、上り坂に弱いのだ。さて、「やまぐち号」に乗っての感想だが、いざ走り出すと、何やら遠くで汽笛が鳴ってるなという程度で、車内にいる限り「SL列車に乗っている」という感覚は希薄。期待していたほどのものではなく、途中で居眠りしてしまう始末だった。
山口で下車してから、走り去る汽車を眺めて、私がノートに書き付けた言葉は、「結論:SLは乗るより見る方が良いようだ」。
出雲市から乗った快速の予想外の込みようから、20日に岡山〜小倉間で乗る予定にしている「ムーンライト九州」の着席に不安を覚えてきた。盆も過ぎているから大丈夫だろう、と高をくくって指定席を取らなかったのだが、もし座れないとなれば、床で寝なければならないかもしれない。もちろんそんなのは嫌なので、山口駅の窓口で指定席をあたってみる。しかし返ってきたのは無情にも、空席なしとの返答。よけいに不安が増し加わっただけだった。
山口は県庁所在地でありながら、人口10万強の小さな都市で、大きな建物はなく、駅の裏は田んぼという有様。この日は山口ユースホステル(YH)に宿泊することになっている。バスは駅前からではなく、「市役所前」というところから出る。そのバス停を探すのにまた歩き回り、結局、YHに着いたのは18時前のことだった。
初のYH体験で、晩にはコーヒーを飲みながらの「ミーティング」も。中学生4人ほどのグループの子たちが、「明日やまぐち号に乗る」と言っていた。それを横で聞きながら、私は「乗るよりも見てるほうがええで・・・」と、心の中でつぶやいた。