1.水浸しの丹後路

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 遠いタンゴ、遠い青空

  今回のターゲットは、北近畿タンゴ鉄道(KTR)。京都北部の西舞鶴から宮津、豊岡へ東西に結ぶ「宮津線」と、宮津から福知山へと南下する「宮福線」が、T字を形成する第三セクター路線である。兵庫県に入る豊岡近辺のほかは京都府に属し、その大半は昔の丹後国。そこに音楽の「タンゴ」をひっかけたのが名称の由来らしい。

  私にとっては、日帰り圏内にありながら、なぜかこれまで乗る機会の全くない路線だった。「青春18きっぷ」などのJR切符の適用外ということや、車でも割と気軽に行けてしまう距離であることなどによるが、調べてみると趣味的にもなかなか興味深くて、なぜこれまで盲点になっていたのかと、不思議な存在でもある。

  沿線に一大観光地の「天橋立」を抱え、京都や大阪から直通特急を走らせて観光輸送を頼みの綱にしてきたタンゴ鉄道だが、高速道路の無料化実験で舞鶴若狭自動車道の通行料が不要となり、車へのシフトが進んでかなりの痛手を被ったと聞く。その必然の結果を見るにつけ、今や社会的な負荷となっている公共交通機関を淘汰しよう、という思惑を感じなくもなかったが、私にとってはむしろ、高速がタダなら福知山まで車で走り、タンゴ鉄道に乗れるではないか、という思いもあった。タンゴ鉄道の場合、乗り放題切符の類が充実しているから、スタートが早められればそれだけ、目いっぱい乗ることができる。

  さて、私が1年のうちで最も好きな時期は、新緑美しい5月と、秋深まる10-11月ごろ。寒暖の面からだけでなく、さわやかな青空が見られるからだ。同じ「晴れ」であっても、透き通った真っ青な空と、霞のかかったような空とでは気分が全然違う。クリアな空だとすべてが映える。何気ない日常をさえ鮮やかな風景に変える。年間を通しても、そんな空に出会える機会はそう多くない。その確率が高いのが、5月と秋の後半だ。

  ところが、異常な猛暑だった昨2010年の夏あたりから、何か大きく軸がぶれてしまったのか、その経験則が通用しなくなった。昨年の秋も、天気が良くなるかと暇を見て出かけては、うす雲に邪魔されるのがお決まりのパターンとなり、会心の青空はほとんど見られなかった。そしてこの2011年。そろそろ正常に戻ってくれるかとの期待も、霞や黄砂にことごとく阻まれ、裏切られ続けた。

  一方、3月の東日本大震災の影響で、高速道路の無料化実験が終わる運びとなった。せっかくなので、終了前にタンゴ鉄道に乗りに行きたい。そこで意を決し、5月最後の月曜日を選んだ。平年なら梅雨入りは6月7日ごろで、その前は比較的好天に恵まれ、田んぼに水が張られて清々しい風景が見られる確率が高い。これもまた「例年ならば」の話で、今回そうなるとの保証はどこにもないが、淡い期待を寄せてスケジュールを立てる。

 混迷の福知山


 2011年5月30日
 福知山→宮津→西舞鶴→豊岡→福知山

  5月30日の早朝、恨めしく空を眺める。5日ほど前、近畿の梅雨入りが発表された。なんとかまともな天候の日を選びたいという、こちらの願いを嘲笑うかのような、平年より半月近くも早い入梅だった。そのうえに、これまた早すぎる台風2号の来襲。日本本土に近づくころには温帯低気圧に変わったが、前日から強い風雨をもたらした。よりによって、のタイミングだ。今後は遠ざかるはずだが、台風が運んできた威圧的な風がまだ残っている。

  日程の変更を、とも考えたが、今回はこのまま強行する。今後梅雨が続くのに、日を変えたところでどのみちスカッと良くなるとは思えず、スケジュール再調整の労力に見合わない。これまでの旅行で、台風に行程を狂わされたことは何度かある。台風一過というのは、一応天候は回復に向かうのが普通だが、問題は、どの程度のペースで回復してくるかだ。今回向かうのは北部なので、望みは薄い。

  7時半過ぎに福知山駅に到着。数年前に高架駅に替わり、すっかり垢抜けた駅になったが、天候のためか、平日にも関わらず人影は少ない。

小雨の残る福知山駅から出発 

  だだっ広いコンコースから脇に入り、北近畿タンゴ鉄道の改札へと向かう。最初に乗る予定にしていたのは、7:44発の天橋立行き快速「大江山1号」。ところが、この列車は運休になるとのアナウンスがあった。なんでも、宮福線は動いているものの、宮津線のほうが、昨日からの大雨の影響で動いていないらしい。「大江山1号」は、豊岡始発、宮津線経由の特急「たんごリレー2号」の折り返しなので、ここまでたどり着けなかったというわけだ。

  続く8:00発の宮津行き普通列車は動くようだが、宮津より先が塞がっているのでは意味がない。ひとまず、その次の9:06発まで待ってみて、その時点での宮津線の状況で、乗るかどうか判断することにする。

  時間つぶしに、JRホームに上がってみる。するとなんということか、こちらもダイヤが大幅に乱れている。京都方面は土砂災害で不通、和田山方面は徐行でかなりの遅れ、綾部から舞鶴線方面は、西舞鶴から先でやはり不通だという。大阪方面へ向かう福知山線だけが、若干の遅れを伴いつつも、比較的まともに動いている。今や雨は小降りになり、薄日もさし始めているが、どうも、京都北部は思った以上の激しい雨の降りだったようだ。そういえば、車を走らせてきた舞鶴若狭道も、福知山インターチェンジから先は通行止めになっていた。

  7:07に出ているはずの、豊岡始発(和田山経由)新大阪行きの特急「こうのとり4号」はまだ到着していなかった。ホームには列車を待つ人たちの姿。京都に向かう人も、これに乗って大阪で乗り換えるよう案内されている。しかし結局、福知山始発の「こうのとり6号」が、定刻(7:45)より15分ほど遅れで先に出ていった。その後ようやく「4号」が到着し、ほぼ空の状態で出発。「6号」の後を追いかけるという逆転現象になった。

先に出発した、福知山始発の「こうのとり6号」 

  ちなみにこの「こうのとり」、以前は「北近畿」を名乗り、長らく国鉄時代からのお古である183系が使われていたが、この3月の改正から新型の287系が導入され、それを機に名称も一新された。しかし改正時点で新車になったのは、全体の4分の1にも満たない。さみだれ式の置き換えしかできないのがJR西日本の財力の限界で、6月からはさらに新型が増えることになっているが、それまでの間、該当する列車には、これまたお古の381系をつなぎで起用するという、苦肉の策がとられている。

  「こうのとり4号」は、その381系が担当する列車だった。この役目が終われば引退することが決まっており、今日を含めてあと2日限りの任務ということになる。廃車前の車両だから仕方ないことではあるが、塗装は色あせ、雨だれのシミが陰鬱な空模様と相まって、悔し涙のようにも見えた。

「こうのとり4号」、色あせた381系 

  そうこうして時間が経ち、タンゴ鉄道の改札口に戻って、運行状況を確かめる。改札氏によれば、宮津線はようやく、順次動かし始めているとのこと。おそらく時刻表はあてにできないが、前倒しに進めてゆけば何とかなるだろう。普通列車乗り放題で1,200円の「1日フリーきっぷ」を購入する。福知山から宮津までが片道680円なので、単純に往復するだけでも元が取れる、大盤振る舞いな切符だ。改札の奥では、ひっきりなしに電話が鳴っていた。

 バイパス線は洪水の中

  9:06発の宮津行き普通列車は、「MF103」という車体番号を付された単行の気動車。MFという記号は、北近畿タンゴ鉄道が当初「宮福鉄道」を名乗っていた名残か。ローカル向けのワンマン車でありながら、2列+1列の転換クロスシートを装備している。観光客の利用を意識しているのだろう。

MF103はレトロ調のデザイン 

  福知山 9:06 → 宮津 10:08[01] [北近畿タンゴ鉄道・普通 107D/気・MF100形]

  10人ばかりの客を乗せて、一応定刻通りに福知山駅を出発。高架を下り、しばらくはJR山陰本線と並走する。お互いに単線同士、並んで複線のように見えるが、厚中問屋、荒河(あらが)かしの木台の駅はタンゴ鉄道の側にしかない。そこから山陰線と別れ、宮津へ向けて北上する。

  さて、国鉄・JRの流れをくむ第三セクター路線には、大別して次の3パターンがある。

  (1) 国鉄から切り離された不採算路線を存続させるため、地方自治体などが出資し運営しているもの。最も数が多いが、その経緯から最も経営は厳しく、国からの‘手切れ金’を切り崩して運営してきたものの、最近ではそれも尽きて、廃止や縮小を余儀なくされるケースが増えている。

  (2) 国鉄が完成できなかった新路線を完成させたもの。北越急行や智頭急行など、バイパス線の意味合いが強く、経営状態は比較的良い(北越急行の場合は、今後北陸新幹線ができればどうなるか、という懸念もある)。

  (3) 新幹線の開業に伴い、並行する在来線をJRが切り離し、三セクが引き取るケース。しなの鉄道、肥薩おれんじ鉄道、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道がある。貨物列車の「通行料」などの副収入はあるものの、やはり総じて経営は厳しい。

  タンゴ鉄道の場合、T字形の路線網の縦軸にあたる宮福線は、(2)に該当する。福知山と宮津を結ぶバイパス線として古くから構想があったが、工事を進めていた国鉄が財政難から建設を凍結。第三セクターが引き継ぎ、1988年7月に「宮福鉄道」として開業にこぎつけた。

  一方、横軸をなす宮津線は(1)にあたる。国鉄が手放すことになっていた「特定地方交通線」を、宮福鉄道改め北近畿タンゴ鉄道が引き受ける格好で、1990年4月にJRから転換された。なお、この時同時に鍛冶屋線、大社線が廃止され、この3線の廃止・転換をもって、国鉄末期の不採算路線清算が完了した。

  割と近年に開通したバイパス路線とあって、宮福線は単線ながら高規格の路線で、小山をトンネルでぶち抜き、川や集落を高架の下に見ながら進んでゆく。その川が泥水であふれ、道路や田んぼも部分的に冠水しているようだ。駅はどこも、鉄骨とコンクリートを組み合わせた、簡素でそっけない造りだ。

  やがて、右側車窓に由良川が姿を現す。小高い山の間を流れてゆくその川は谷いっぱいに広がり、濁流がみなぎっている。しかし、しばらく見ていて、恐ろしい事実に気づく。

  築堤上を進む列車から少し離れて、線路と平行に真新しい堤防がある。その上に重機が乗っているから、ちょうど堤防造成工事の途上だったのだろう。その堤防と築堤の間を水が流れ、カーブミラーや道路標識の頭が水面の上にのぞいている。つまり、本来川の外にあたる、堤防の手前側にまで水があふれ、川と同化してしまっているのだ。造りかけの堤防は、重機や軽トラを乗っけたまま、むなしく細長い孤島と化している。

堤防の手前は浸水 

  幸いにも水没した民家などは見当たらないが、「水害」をここまで間近に経験したのは、これまでの人生の中でも記憶にない。いや、高架の上とはいえ、足元にまで水が迫るさなかを列車が平然と走っているということに、はなはだ違和感を覚える。

  そうするうちに列車は、宮福線最大の中間駅、大江に到着する。右側を見ると、道路は完全に水没しているのに、頭を出した信号機はお構いなしに作動している。日常と非日常が同居する、何ともシュールな光景だ。ちなみに、宮福線の途中駅で最も乗降客が多いのは、大江ではなく、ひとつ宮津側の大江高校前駅だそうだ。学生の利用が頼みというローカル線の現実を如実に物語っているが、今日はさすがに休校なのだろう、学生の姿はなかった。

道路まで広く冠水、だが信号機は作動 

  これより由良川を離れ、山越えへと向かってゆく。福知山と宮津の間に立ちはだかる大江山を越えてゆくことになるが、福知山ではほぼ上がっていた雨が、再び本降りになってきた。その雨のさなか、深い谷に分け入り、大江山口内宮(ないく)で対向待ちの小休止を挟む。駅の周囲に生活感はほとんどなく、なぜこんなところに駅があるのだろうと思う。しばらく待っていると、ホーム向かいを特急車両が通過していった。正規のダイヤにはない列車で、宮津線が動き出したことでようやく送り込みが始まったのだろう。

大江山山麓の谷、降りしきる雨の中 

  大江山山系を長いトンネルで越えると、宮津に向けて谷が広がってゆく。雨は小降りになってきたが、まだ空は暗い。

 黄色い海、みなぎる河口

  宮津には、定刻より7分遅れで到着。ここで宮津線に乗り換えることになるが、要はTの右に行くか左に行くかだ。まずは現状を把握しなければ。

  正規のダイヤであれば、10:10に豊岡行きの普通があり、これが接続列車となるべきなのだが、駅の案内では大幅に遅れると言っている。いつ来るかわからないものをただ待合室で待つというのも芸がないが、状況が状況だから仕方ないか、と思っていると、先に西舞鶴行きがやってくるという。となれば、先に東側を片付けておくか。「片付ける」とは、いかにも乗りつぶし的なつまらない考え方だが、この天候では途中下車して沿線を味わおうという気にはなれない。それは次回へ持ち越すとして、今回はその下見だと割り切っておく。

  やってきた列車はロングシートの単行。端から端まで窓に背を向ける席で、ちょっとがっかりだが、タンゴ鉄道にもこんな車両があったのか。列車の後方には、宮津駅から若い女性の乗務員が乗り込んだ。タンゴ鉄道には「タンゴ悠遊号」や「タンゴ浪漫号」といった、観光向けの列車がいくつかある。普通列車の扱いだが、見どころでは徐行し、アテンダントによる案内があるという。今乗っている列車はそれではないが、ダイヤが巡りだしたことで、ようやくの「出勤」となったようだ。ちなみに、ここまで見てきた限り、タンゴ鉄道の駅員や運転士の年代は総じて高い。国鉄時代からのベテランやOBが主力なのだろうか。アテンダント嬢とは親子ほど離れていそうだ。

コウノトリがデザインされたKTR709気動車 

  宮津 10:25 → 西舞鶴 11:10 [北近畿タンゴ鉄道・普通/気・KTR700形]

  宮津を出て次の駅は栗田。「くんだ」と読む。ここで対向列車と行き違う。宮津では「大幅な遅れ」と言われていたが、それほどでもなかった。駅の側でもなかなか実態が把握できなくて、大げさ目に案内していたのだろうが、それを鵜呑みにして駅を離れてしまえば、大変な目に遭ったところだ。

  ここから丹後由良にかけては、奈具海岸とよばれる岩場の岸壁に沿って進む。相変わらず空はどんより曇り、激しく打ち寄せる波が黄土色を帯びている。こんな色の日本海は初めてだ。

荒れる奈具海岸 

  そんな海岸風景をちらちらと見ながら、丹後由良に到着。これから、先ほど宮福線沿線を水浸しにしていた由良川の河口付近を渡ることになる。ワンマン運転だが、運転士が「安全確認のため、この先の鉄橋で徐行運転します」とアナウンスする。その案内通り、列車はそろりそろりと鉄橋にさしかかった。水面の高さは周囲の地面とほとんど差がなく、552mの長さを誇る鉄橋には高さがないため、列車は濁流のすぐ上を進んでゆくように感じられるが、ここまで河口に近いと、これ以上水位が上がることがないから、かえって心配がないのだろう。それでも、左手を見ると、その流れがそのまま海に直結し、海面すらも水かさが増しているように見えるから不思議だ。

濁流みなぎる由良川河口部を渡る 

  鉄橋を渡りきると右側、つまり由良川の上流側に大きくカーブし、丹後神崎に到着する。当初の予定では、途中下車の候補にしていた駅だ。ここで10人ほどの乗車があった。天候のせいもあって、これまで乗客がずっと少なかったから、急な乗客に不思議に思えたが、少し進んでみて納得。由良川沿いの道路が冠水して通行止めになっている。この道は神崎側から上流へ向かう唯一のルートなので、神崎付近の人たちが外界へ移動するには、列車に乗るしかなかったのだ。

  水浸しの田畑を見ながら由良川東岸をさかのぼり、次の駅は東雲。「しののめ」と読む。タンゴ鉄道には、フリガナなしには正確に読めない駅名が多い。ここで、例のアテンダントさんが下車して、行き違いの列車に乗り換えた。時刻表に照らせばこの対向列車が「タンゴ悠遊1号」に相当するので、ここから遅ればせながらの乗務開始だったのだろう。

  由良川の流域を離れ、峠を越えて舞鶴市街地へと向かう。JR舞鶴線に寄り添い、JRホームの片隅に設けられた西舞鶴駅のKTR線ホームに入る。駅そのものはガラス張りの真新しい橋上駅。ただし、タンゴ鉄道側は小さな改札口から狭い通路を通り、そのまま地平部へ出る構造になっている。JRの一員から外れたばかりに、このぞんざいな扱いとは気の毒だ。

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