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1.青い空、青い海 |
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2007年10月6日 姫路→三原→呉→大畠→櫛ヶ浜→岩国→宮島→姫路 |
毎年秋には、鉄道の日(10月14日)を記念した、普通列車の乗り放題きっぷが発売され、JR西日本エリア全域を1日3,000円で乗れるため、何度か利用している。今回はこれを使って、これまで毎回通過点となっていた、広島〜山口県内の山陽本線エリアを訪ねてみたい。
乗り放題切符の効力を最大限に生かすべく、今回のスタートは姫路から、山陽本線の下り一番電車を利用する。高架となったホームで出発を待つのは、リニューアル改造された115系電車。今日の旅では、行程の大半がこの115系となるだろう。東京発の寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」が、その向かいから先に発車していった。
東の空がかすかに光を帯びだした5時31分、わずかな乗客を乗せて電車は出発した。西に進むにつれて外が明るくなると共に客は増え、竜野あたりからは学生の姿も。これらの学生は上郡でも降りず、岡山県まで「越県通学」のようだ。世の中に、1時間以上の時間をかけて通学する学生はざらにいるだろうけれど、この土曜の早朝から、ご苦労様なことだと思う。
上郡では、鳥取行きの特急「スーパーいなば91号」が発車を待っていた。これは、山陰本線の寝台特急「出雲」廃止の際に、鳥取エリアをフォローするという名目で、「サンライズ出雲・瀬戸」と上郡で接続する特急が新設されたものだが、見た限り、2両の列車は閑古鳥。「91号」という番号も、どこか投げやりだ。
和気で、電車は5分停車するという。なんのために、と思ったら、貨物列車の通過を待つのだと。缶コーヒーを買ってホームに立っていると、その向かいを、轟音を立てて通過していった。都市部では足を引っ張る存在の貨物列車も、ここではれっきとした「優等列車」なのだ。
岡山エリアにも「ICOCA」導入。改札左には「乗り放題きっぷ」の広告
和気からしばらく、吉井川に沿って進む。朝の冷え込みのせいか、川沿いには霧が立ちこめている。その吉井川が離れると、霧は一気に晴れ、真っ青な空が広がる。今日は一日、快晴の予報。田園地帯に、遅れて咲いた彼岸花の鮮やかな赤色が目立つ。
岡山では3分の接続で、岩国行き普通に乗り換える。このままこの電車に乗っていれば、広島には9時47分に着く。しかし私は、この列車を新倉敷で降りることにしている。新倉敷から三原まで、新幹線を利用するためだ。
ここでわざわざ、乗車券と特急券を買って新幹線を使うのには、もちろん理由がある。ひとつは、三原から呉線に乗るため。もうひとつ、より大きな理由は・・
新幹線ホームで、博多行き「こだま629号」の入線を待つ。やってきたのは、おなじみ丸い鼻の0系車両6両編成。16両対応の長いホームの真ん中に、どことなくぎこちないブレーキ音を響かせながら入ってくる様には、愛嬌さえ感じられる。
この7月に、最新型のN700系車両がデビュー。特にJR東海は世代交代に意欲満々で、500系を追い出し、300系を全廃して、3,4年のうちに東海道新幹線をN700系と700系だけにするという。この流れは当然、山陽区間にも波及するだろう。加えて、2010年度には九州新幹線の全通も控えており、0系もいよいよ先が見えてきた感がある。まだ全廃の具体的な時期は示されていないが、私が新幹線に乗れるチャンスはそう多くなく、今回、最後の乗車機会になることを覚悟の上で、あえて0系のこだまを選択したのだ。
新倉敷をゆっくりと出発したこだま号は、しばらく在来線と並行して進む。今乗ると、決して加速が良い車両ではないことがわかる。なかなかスピードが上がってこない。700系あたりのなめらかで素早い加速と比べれば、やはり前世代の車両なのだと痛感する。しかし車窓の流れは、子供の頃の帰省時に乗った、あこがれの「ひかり号」そのものだ。今どきの新幹線だと、景色の流れが速すぎて外を見ておれない。トンネルの出入りを繰り返す山陽新幹線で、外を凝視していられたのは、このスピードだったからなのだと思う。
こだま号は次の停車駅、福山に着いた。駅のすぐ北側に立つ福山城には、今年の春、桜の時期に訪れた。ホームには待ち客が多かったが、この列車に乗り込んだ人は少なかった。おそらく、次の「ひかり447号」を待っているのだろう。
次の新尾道は、1988年に開業した「JR世代」の駅。海沿いに位置する在来線の尾道駅から、内陸へ4kmほどの場所で、駅の両側はトンネルとなっている。こだま号でなければ、存在にさえ気づかずに通過してしまいそうな駅だが、「こだま629号」はここで5分停車する。福山を7分後に出発した「ひかり447号」に、ここであえなく抜かれてしまうのだ。
このさいに、車両の内外をよく観察しておく。700やN700のフォルムは、いかにもコンピュータグラフィックやシミュレーション技術を駆使し、力学とデザインの究極形を目指しましたという風だが、この0系はどこか人間くささというか、木彫りの模型に風を当てて試行錯誤を繰り返した技師たちの執念が、そのままその姿に現れている気がする。実際、これだけトンネルばかりの山陽新幹線にあって、脇を(開業当初には想定されていなかったであろう)時速300kmで走り抜ける対向列車の風圧に日々堪えているのだから、その設計は見事というほかない。
車内に目を移す。リニューアルを施されているとはいえ、デッキ部分などは昔ながらの、化粧板を平面的に貼り合わせた風の無機質さが目立つ。3号車の車内には、かつて売店として使われていたと思われるスペースがあった。空っぽの棚がわびしいが、中途半端にふさいだりせずに、ここは売店跡ですよ、と展示でもしているかのようにそのままにしているのが、むしろ潔い。
レールスターの通過を見送った後、こだま629号は新尾道を出発してトンネルに入る。残る三原までの行程は営業キロにしてわずか11.5km。(これは、東海道・山陽新幹線の駅間では東京〜品川間に次ぐ短さ。実キロは更に短い10.5km。)トンネルを抜けるともう三原の市街地だ。慌てて腰を上げ、下車に備える。
こだま629号は、三原でも3分停車し、「のぞみ59号」に追い抜かれる。加速がよくない上にこれだけ頻繁に通過待ちをするから、「こだま」ではそう大して時間の短縮にならない。停車の間に、ちょうど向こうから、上りの「こだま630号」が入ってきた。100系の4両編成で、お互いすっかり短くなってしまったものの、かつての名士0系と100系の並びが実現した。0系はもちろんだが、100系とて今後の車両の動き次第では、いつ去就が取りざたされてもおかしくない立場だ。この貴重なシーンを写真に収め、まずは今回の第一目標を達した満足感をもって、私は新幹線ホームを後にした。
三原の在来線ホームで、呉線広行きの電車が出発を待っていた。ロングシートの105系で、残念ながら車窓に背を向けなければならない。
乗り込もうとして気が付いた。電車の乗り口に対してホームが低く、乗るのに足を上げなければならない。来る列車の大半が電車になっているのに、ホームの嵩が合っていない。駅自体は立派な高架ホームだが、そういうところに前近代的な印象を受ける。
呉線には過去2回乗車しているが、いずれも一番景色の良いとされる東側の区間が日没後になってしまい、面白くない思いをしてきた。それだけに今回は、特に東側区間を楽しみにしてきた。ちなみに、新倉敷で降りた電車にそのまま乗っておれば、三原着は8時35分となり、この電車には間に合わなかった。次の電車となると広島以後の行程に支障をきたしてしまうので難しく、これは「新幹線ワープ」の効果である。
三原を出た電車は、すぐに南に向きを転じ、まもなく海沿いに出る。雲のほとんどない真っ青な空の下に広がる海。浮かぶ島々。時折民家や工場が遮るが、このあたりは広島からかなり離れているためとあってか、全体にひなびた雰囲気が漂っている。これぞ瀬戸内という風景に、座席上で身をひねってしばし見とれる。呉線はさすがにB級路線とあってよく揺れるが、それも心地よいアクセントだ。
安芸幸崎(あきさいざき)から忠海(ただのうみ)にかけては、呉線のハイライト。線路はまさに海岸の際に引かれ、眺望を遮るものは何もない。列車は浜辺を快走・・かと思うと、極端にスピードを落とす。JR西日本名物の時速20km制限区間だ。いつもは煩わしく思うこの徐行だが、おかげで海岸風景をじっくりと眺めることができ、図らずも観光列車なみのファンサービスとなっている。
大乗(おおのり)からは海岸を離れてトンネルの出入りを繰り返す。しだいに乗客が増え、車窓風景も町らしくなってくる。安芸津あたりで再び海岸近くに出るが、工場などが増えて、さきのひなびた雰囲気ではなくなってきた。車内が混んできたので窓のブラインドを降ろさなければならず、外を見ることができなくなってしまった。
その後も細かい出入りとアップダウンを繰り返し、2両編成は最後には満員になった。広で広島行き快速「安芸路ライナー」にすぐの乗り換え。
広島行きは4両だが、呉で満員となった。時間帯からして、これから広島方面へ買い物などに赴く人が多いのだろう。呉から広島にかけては、日中快速が1時間2本運転され、れっきとした広島近郊区間なのだが、線路は相変わらず単線で、海岸に沿ってカーブやトンネルが多い。軍港・呉に至る路線なので、昔から重要度は高いはずだが、複線にするにはこの地形がネックになったのだろう。ダイヤの編成はさぞかし大変だろうと思う。
いつの間にか山陽本線に再合流し、広島へ。
次に乗り込んだ列車は、なんと下関まで行くロングランで、岩国までは快速「シティライナー」として運転される。もちろん今回は、下関まで乗り続けることなどできないが、その名を聞くだけでも、随分遠くまで来たような気持ちになる。
広島の市街地を抜け、広島電鉄の線路が海側に沿う。この広島電鉄は、市街地では路上を走るが、西広島から宮島口にかけてはJR線と並行する専用軌道となる。4,5両つながった低床車両が、地を這うように走っている。
快速電車は、いくつかの駅を通過して快調に進み、厳島(宮島)への玄関口となる宮島口に停車。ここからトンネルを抜けると、これまで見えそうでなかなか見えなかった厳島が、海の向こうにはっきりと姿を現す。帰り道、時間があれば立ち寄ろうかと思う。
宮島が去り、列車は岩国を目指してノンストップで進む。115系のような70年代世代の電車は、大半が都市部を追い出され、幹線路線で快速運転されることは希になってきた。だから、この電車が本気を出して走るのも、今となっては貴重なシーンである。裏を返せば、いかに広島エリアが旧式車のたまり場になっているかということだが、それなりの規模のある地方都市の場合、「それなりの規模」ゆえにかえって新車を入れてもらえず、お下がりの中古車両でお茶を濁される、という事態が往々にして生じる。広島の115系も、リニューアルなど施されたばかりに、あと20年くらいは居座りそうな雰囲気だ。
広島県から山口県に入り、岩国に到着。この電車は、この先終点下関まで、一駅残らず律儀に停車してゆくことになる。岩国は岩徳線との接続駅で、ここから山陽線は海に沿って南下するが、岩徳線は内陸をショートカットし、徳山の手前櫛ヶ浜(くしがはま)で山陽線に再合流することとなる。岩徳線は非電化だが、岩国で7分後に発車する普通列車が、徳山には3分先に到着する。従って、岩国で今乗っている電車を降りて、徳山でそれをもう一度待ち受けるということも可能なのだ。岩国を過ぎると、これまでと一転して車窓の風景はのどかになる。南岩国駅の周囲には一面の蓮の葉。岩国は蓮根の産地なのだという。
やがて平地も尽き、藤生(ふじゅう)あたりからは海岸がぐっと近づく。呉線ではいささか残念な思いをしたが、ここでは車窓を独占できる。線路の間際に砂浜が連なり、輝く海に浮かぶ船、そして島々。空が青いと、すべてが映える。
前方に見えてきた島は、地図を見れば屋代島(周防大島)、山口県内では最大の島だ。本土とは、全長1kmほどの大島大橋で結ばれている。電車はスピードを落とし、右へとカーブしながらその下をくぐる。大畠(おおばたけ)駅に到着だ。
広島から乗ってきた電車をここで見送る。ホームのすぐ裏に海岸、その向こうに今くぐってきた大島大橋がまっすぐに伸びている。ホームのフェンスには、「釣りの町 大畠」と書かれた看板が立つ。釣りのことはよくわからないが、こういう海峡部はよい漁場なのだろう。海岸の堤防に、幾人かの釣り人の姿が見える。
駅舎は海とは反対側だが、駅を少し離れると海岸側に出られる踏切がある。堤防に上がって海を眺め、写真など撮りつつしばし潮風に吹かれる。大橋が開通するまでは、ここ大畠から屋代島に向けて、国鉄の連絡船が出ていたという。
大畠駅での滞在は約30分。近くに高校があるらしく、電車の時刻が近づくと学生の姿が増えてくる。時刻はちょうど正午を迎えた。