1.海へ、山へ

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 夏の終わりの弾丸ツアー


 2005年8月29日
 (市場→)小倉→博多→虹ノ松原→佐賀→熊本→大分→小倉(→市場)

  2005年の夏は個人的に忙しく、出かける暇がなかったが、8月も終盤になってようやく時間が作れたので、またも旅行を企てることにした。今回目指すは九州。特に、中学以来ご無沙汰している豊肥本線(大分〜熊本)に乗って、阿蘇山を眺めたい。しかし日数を取ることはできないので、三年前の夏と同様、夜行快速「ムーンライト九州」で渡り、その晩の「ムーンライト」で帰ってくるという弾丸ツアーとなる。

  市場 22:12 → 加古川 22:28 [普通 1356S/電・103系]

  8月最後の日曜日。加古川から夜行快速に乗るため、加古川線の最終電車に乗り込む。同線は昨12月に電化され、スピードアップが図られたが、線路そのものはローカル仕様に変わりなく、その上を走るのも旧式の通勤電車のお下がりだから、ドッタンバッタンと、乗り心地はすこぶる悪い。

  加古川の高架ホームで待つこと半時間。電気機関車に牽引された8両の客車が入ってきた。「ムーンライト九州」は、客車特有のガクンという振動とともに出発。客の入りは8割程度だが、本日満席だという。夏休みシーズンのこの列車の運転期間は、下りが今夜、上りが明日までとなっている。つまり今回利用するのは往復とも、この夏最後の「ムーンライト九州」ということになる。

  加古川 23:05 → 下関 5:34 [快速「ムーンライト九州」 9231レ/客・14系]

  次の姫路を出たところで車内が減灯された。車内は冷房が効きすぎて寒かったが、割によく寝られたほうだった。出発初日の車中泊ではさっぱり寝付けないことも多く、そんなときはその後の行程が体力的に辛くなる。今回はそれは免れられそうで、ありがたい。

  洒落ではなかろうが、朝一番の停車駅は厚狭(あさ)である。窓の外はまだ暗いが、減灯が解除されて車内に動きが見えだす。下関へと向かうにつれて、外も薄明るくなってきた。

  下関到着は5時34分。指定席は終点博多まで押さえているが、途中放棄してここで下車する。九州に入るに先立ち、先頭の機関車を付け替える作業のため、列車はしばらく停車する。結構大勢が付け替え作業を見物していた。客車列車自体が少なくなってしまった今となっては、こうした光景を旅先で見られるのは貴重な体験だ。

「ムーンライト九州」最後部の展望車 

 ムーンライト九州機関車連結

  「ムーンライト九州」が去った後しばらくすると、その後を追うように、同じホームに黄色い塗装の列車が入ってきた。下関の長いホームの真ん中にちょこんと停まったこの列車は、厚狭始発小倉行きの2両編成。JR西日本所属の気動車だ。

  関門海峡を渡る普通列車は、大半がJR九州所属の交直流電車だが、一日数本だけ、JR西日本の列車が乗り入れる。交流電化の九州路線にJR西日本の直流電車は入れないので、乗り入れ列車は気動車と決まっている。しかしこの乗り入れは、来る10月の改正で解消されることになった。そこで、「関門トンネルをくぐる気動車」を最後に経験しておこうというわけだ。

  下関 5:53 → 小倉 6:08[07] [普通 5671D/気・キハ40系]

  2両編成なので、早朝にもかかわらず乗車率はそこそこ。下関のホームを後にして幾らか加速したのち、そのままの速度でトンネルに向かって下り勾配にかかる。あとは惰性で流すようにトンネル内を進む。やがて再びエンジン音が高まって足下に振動が加わり、下りから登りに転じたことがわかる。まさに本州から九州に移った瞬間だ。まもなく前方が明るくなり、列車は九州の地に顔を出す。景色のないトンネルの中でこうした変化を体感できるのは、ディーゼルならではだ。

  だが、10月からはこの気動車が関門トンネルをくぐることも、九州に姿を見せることもなくなる。実際に乗っているとあっけなくくぐり抜ける4km弱のトンネルだが、列車にとっては文字通りの「関門」だ。終点小倉には6時08分の到着。

西日本の気動車、小倉に到着 

  小倉駅の改札を抜けると、やたらと天井の高いコンコースに出る。駅そのものが、線路をまたぐ巨大なビルとなっており、ここからモノレールも発着している。だが時間も時間、そこに人影はまばらで、どことなく不気味だ。

  小倉 6:32 → 博多 6:52 [新幹線「こだま751号」 751A/新・100系]

  ここから博多までは、下り新幹線の一番列車、「こだま751号」を利用する。1区間の乗車券と特急券を買ってホームに上がると、待っていたのは、グレーに塗りかえられた100系の6両編成。「レールスター」に使われているような、がっしりした2列−2列の座席で、「こだま」ながら贅沢な気分になる。

博多までひと区間だけ、「こだま」を利用する 

  小倉を出た新幹線は、北九州の市街地を後にして、なだらかな田園地を突き抜け、わずか20分で博多へ。下関、小倉と2駅で下車して、割とゆっくり過ごしたにもかかわらず、まっすぐ博多へと向かう「ムーンライト九州」を追い越してしまうのだから、さすがは新幹線。「ムーンライト」の博多着は、この30分後である。

 松ばかりの松原

  今日はまず、筑肥線に乗って唐津方面を目指すことにしている。しかし、新幹線の改札を出て向かう先は、在来線ホームではない。駅を出て、コンコースを抜け、地下通路へと下ってゆく。そこにあるのは、福岡市交通局、すなわち市営地下鉄の博多駅。

  JRの電車に乗るのに、なぜわざわざJRの駅を出て地下鉄の駅に向かうのか? それは、筑肥線が福岡地下鉄と相互乗り入れを行っているためだ。もともと筑肥線は国鉄博多駅を起点としていたのだが、1983年の地下鉄開業と同時に博多〜姪浜(めいのはま)間を廃止し、筑肥線の列車は姪浜から地下鉄線を介して博多に乗り入れるようになった。こうして筑肥線は、地下鉄と一続きの近代路線に脱皮したのだ。ただそのせいで、博多から姪浜までの地下鉄の運賃290円は、別に払わなければならない。

  その博多駅は紛れもなく地下鉄の駅で、転落防止の柵がホームに巡らされている。入ってきたのはJRの電車で、「西唐津」行きの表示を出しているが、ここでは地下鉄のような顔をして走っている。加古川線でドタバタ走っていたのと同じ103系電車だが、軌道がよいためか、乗り心地は格段に良い。

  博多 7:00 → 虹ノ松原 8:16 [普通 621C/電・103系]

  つまらない地下区間を律儀に各駅停車で進み、姪浜の手前でようやく地上へ出る。博多から20分ほど、でも周辺はまだまだ福岡都市圏の雰囲気。「ムーンライト九州」に乗り続けていれば、今頃やっと博多に着きかけているころだ。

  ここからが、名実ともにJRの筑肥線となる。すでに九州入りして久しいとはいえ、下関から博多までJR西日本の列車を乗り継ぎ、その後すぐ地下へ潜ったため、ようやく「九州の鉄道」になったという感じだ。少しの間海岸沿いを走り、その後は再び街の風景が続く。すれちがう博多方面行きの列車は、福岡方面へと向かう客で、かなりの混雑だ。

  筑前前原、これは「ちくぜんまえばる」と読む。「田原坂」が「たばるざか」と呼ばれるとおり、九州には「原」と書いて「はる」と読ませる地名が多い。私の電車が入るのと入れ替わりに、福岡方面行きの地下鉄電車が発車していった。地下鉄の乗り入れはここまでで、同時に高規格の複線路線もここで終わりとなる。私の乗ってきた列車も、後ろ3両を切り離して、前3両だけがワンマン運転で唐津へと向かう。

  前原を出た線路は、途端に貧相な単線となる。車窓には田畑が広がり、福岡近郊を脱したことが目にも明らかとなる。筑前深江を出ると、右手に海が見渡せるようになる。今日は晴天。青空の下に玄界灘が穏やかに広がっている。そののどかさとは対照的に電車は、前原までのしおらしげな走りから一転、車体を揺らし、車輪をきしませながら、小さなカーブの連続する海岸沿いを激しく駆ける。

海を見渡す筑肥線の車窓 

  佐賀県に入り、前方に大きく唐津湾が見渡せるようになってきた。この湾の奥側に、長く連なる緑の帯。その正体は・・・ 浜崎を出ると、右手車窓に松林が現れる。ひたすら松・松・松。やがて電車は虹ノ松原という爽やかな名前の駅に到着する。これは「まつばる」ではなく、素直に「にじのまつばら」と読めばよい。

  博多から乗ってきた電車をここで降りる。実は、小倉から博多までわざわざ新幹線を利用した理由のひとつは、ここで途中下車したかったからだ。博多まで「ムーンライト九州」に乗ってしまうと、スケジュール上、筑肥線で降りる余裕がなくなる。新幹線に乗って先回りしたおかげで、ここで30分ほど滞在することができるのだ。

うっそうとした松林に水色の駅舎。意外とよく似合う 

すっくと立つ松林に注ぐ朝日 

  水色の小さな無人駅舎をくぐると、正面にまっすぐな道路が伸び、その両側から覆い被さろうかという勢いで松の木々が連なっている。駅前には、「特別名勝 虹の松原国有林」の看板。この松原は、長さ5kmにわたる防風林で、唐津藩の初代藩主が植林したのだという。

  ここの松は黒松ばかりで、防風林だけあって曲がったり傾いていたりするものも多いが、間があきすぎず詰まりすぎず、よく手入れされていることがうかがえる。自然の造形と人の手が相まってできあがった、美しくも不思議な光景だ。駅前の道をまっすぐ進むと、国道202号線につきあたる。松原の中を東西に突き抜けるこの道も、両側を松に囲まれ、まるで松のトンネルのなかを進むかのようだ。

  ここからさらに、海岸へ出る道がないかと、国道を歩いて探してみたが、ひたすら松林が続くばかりで、そんな道が見あたらない。そのうち時間がなくなってきたので、あきらめて引き返す。30分は松林を見るには十分な時間だったが、「松原」というだけに、その広さを体感できるような機会もほしかったなと思う。

 佐賀の山越え

  虹ノ松原 8:48 → 唐津 8:56[57] [普通 623C/電・103系]

  虹ノ松原を出た電車は、引き続き松林の南端を進むが、やがて勾配にさしかかって高度を上げ、高架駅の東唐津へ。実は、このあたりの路線は、今の姿になるまでに複雑な経緯をたどっている。説明が難しいので、地図で示してみる。

  まず明治時代に、佐賀から西唐津へ至る唐津線(赤)が開業。その後、博多から伊万里に向かう筑肥線(青)が昭和初期に全通したが、博多側から唐津に直行するのではなく、松浦川東岸の東唐津でスイッチバックして川の東側を南下、山本で唐津線と接続していた。

  最下流部の松浦川は幅が広く、おそらく開業時には技術や予算の限界上、橋を架けられなかったのだろう。しかしこれでは、博多側から松浦川西岸に位置する唐津市街へ向かうには明らかに不便だ。そこで1983年の筑肥線電化の際、虹ノ松原〜唐津を直結する新線が造られた。虹ノ松原〜旧・東唐津〜山本の区間(水色)は廃止され、新・東唐津駅は旧駅の南側に新設された。そういう歴史的過程から、現在の筑肥線は姪浜〜唐津間と山本〜伊万里間に分断されている。

  河口部の小山の上に立つ唐津城を見ながら、コンクリートの橋で松浦川をやすやすと渡りきった電車は、そのまま高架を進み、和多田を過ぎたあたりで唐津線と合流して唐津駅に到着する。

  電車は西唐津行きなので、ついでに足を伸ばしたいのもやまやまだが、次に乗る佐賀行きはすでに向かいのホームで出発を待っているので、電車を見送り、すぐに乗りかえる。

  唐津 9:00 → 佐賀 10:10 [普通 5828D/気・キハ40系]

  佐賀行き列車は2両のワンマン運転だが、乗車率は割と高い。唐津と佐賀の間の流動はそこそこ盛んなのだろう。ディーゼル列車は高架を駆け下り、松浦川西岸に沿って鬼塚、山本へと進んでゆく。山本からは、伊万里方面へと別れる筑肥線がしばらく左側に並ぶ。この線路は本牟田部(ほんむたべ)の先で右側に分岐するのだが、これも旧筑肥線が東側から沿ってきていた名残だろう。ちなみに本牟田部の駅には、唐津線のホームしかない。筑肥線もすぐ脇を通っているのだから、停めてやってもよさそうなものだが、そうすると山本〜本牟田部間が重複区間になってしまうので避けているのだろうか。

  その筑肥線が唐津線をまたいで右へと去り、列車はしだいに山間へと入って、軽い山越えにかかる。「軽い」といっても、SL時代には難所だったらしく、峠手前の厳木(きゅうらぎ)のホーム脇には、給水塔が記念碑のように残されていた。あまり存在感のない唐津線ではあるが、うちは明治開業の由緒ある路線なんだ、と、ささやかに主張している。

  トンネルで筑紫山地を越え、こんどはしだいに平野が広がってきて、乗客も増えてきた。久保田で長崎本線に合流し、佐賀に到着。唐津と同様の、2本ホーム4本線路の高架駅。近年、中規模都市の中心駅は、このスタイルが多くなってきた。どこもかしこも似たような構造で、面白味に欠ける。

青々と田畑の広がる佐賀平野を快走 

  佐賀 10:17 → 鳥栖 10:42 [普通 2928M/電・817系]

  7分の接続で、鳥栖行きの電車に乗り換える。やってきたのは817系電車。2002年の旅行の際に筑豊線で乗車したのと同じもので、2両編成のワンマン列車だ。走り出すと、加速がものすごい。あっというまにトップスピードに乗せて、あとは次の駅まで突っ走る。開放的な平野部の風景とあいまって、実に爽快だ。

  1991年夏の旅行の際、吉野ヶ里遺跡を訪問するために下車した神埼(かんざき)で、特急の通過待ちのためにしばらく停車。車外へ出てみて、14年前には何の変哲もない小駅だった神埼駅の変容ぶりに驚かされる。駅舎はりっぱな橋上駅に建てかわり、駅北側にはロータリーが整備され、卑弥呼をイメージしたと思われる銅像が立っている。そして「吉野ヶ里公園下車駅」の看板が・・・ まもなく、ホーム向かいを特急「かもめ・みどり」が猛スピードで通過していった。

ロータリーに卑弥呼像。指さす先は吉野ヶ里か、ライバル三田川か 

  神埼を出ると、左手にその吉野ヶ里公園が流れてゆく。91年に見物した物見やぐらや竪穴住居の屋根が遠くに見えた。

  そして次の駅は、その名も「吉野ヶ里公園」。もとは三田川という駅だったのを改称し、こちらも駅舎を建て替えている。地図で見ると、神埼駅は神埼町、吉野ヶ里公園駅は三田川町。吉野ヶ里公園はその両町にまたがっており、隣り合う両駅が張り合って「玄関」を主張している理由がわかる。三田川のほうは町名を捨ててまでも「吉野ヶ里」を駅名に選んで、少なくとも鉄道に関しては一歩リードした格好だ。神埼町は先を越されて悔しがったのではなかろうか。

  列車はさらに長崎本線を駆け抜け、鳥栖に到着。ここからは鹿児島本線を南下することになる。昼食を確保すべく、ホームの弁当屋へ。一般に、列車の乗り換えを要する拠点駅は、駅弁の水準が高いといわれる。鳥栖も弁当の種類は比較的多い。その中で、「焼麦弁当」というのが目に留まったので、「やきむぎべんとう下さい」と言って購入する。あとでパッケージを見ると、ご丁寧にも真ん中に「しゃおまいべんとう」と書いてあった。つまりシューマイである。なんで「焼麦」をシューマイと読むねん、と突っ込みたくなった。

 残暑厳しき田原坂

  鳥栖 11:02 → 大牟田 11:32[33] [快速 1331M/電・813系]

  大牟田行きの快速で、鹿児島線の南下にかかる。しばらくは筑紫平野を進むので、快速は特急並みの勢いで走ってゆく。沿線では九州新幹線の工事が着々と進行中。鹿児島線自体がかなり直線的に引かれているので、新幹線もそれに沿って造られる区間が多いようだ。開業は2010年ごろらしいが、まだ実体のない部分も多く、これが本当にあと5年で完成するものなのか、と不思議に思える。

  現在博多から新八代に向かい、新八代で新幹線「つばめ」に接続する特急「リレーつばめ」号は、駅では「新八代行き」ではなく「鹿児島中央行き」と案内される。実質1本の列車ですよと主張したいのだろうが、たとえホーム向かいの列車に移動するだけであっても、一般利用者にとって「乗り換え」は一大仕事。新幹線全通までの暫定的な措置とはいえ、この案内にはいささか無理があるのではないかと思う。

大牟田のホームには、昔ながらの駅名標と丸時計が掛かる 

  大牟田 11:48[47] → 銀水 11:52[51] [普通 2346M/電・815系]
  銀水 11:55 → 植木 12:32 [普通 5333M/電・815系]

  大牟田から、八代行きに乗り換えることになるが、この電車はなぜか1つ博多寄りの銀水始発となっている。そこで、あえて上りの普通で銀水まで引き返す。銀水は周囲になにもなさげな駅だが、それでも始発からそこそこの乗客がいた。この電車は815系で、さきの817系と同様2両編成のワンマン列車だが、817がクロスシートだったのに対して、815系はロングシート。ただ、内装はやはりJR九州ならではの原色多用で、黒いシートは1人分ずつブロック化されている。

  815系もまた、鋭い加速で鹿児島本線を突き進む。大牟田を出ると居眠りして、気づくと玉名を出たところだった。このあたりまでくると平野が尽き、山越えにかかりだす。有名な田原坂だが、新鋭電車は全く苦にするそぶりもなく、一気に駆け抜ける。

  せっかくなので田原坂駅で途中下車したいところだが、あいにくこの電車は同駅には目もくれずに通過してしまう。30分ごとに走る電車の2本に1本しか、この駅には停まらないのだ。しかたないので、次の植木駅で下車する。特急は全く停まらないが、そのわりに長いホームと、そこそこにりっぱな駅舎を備えており、しっかり駅員もいる。時は正午過ぎ、蝉も鳴かない厳しい暑さにまとわれる。

  駅前には、屋号の文字のはがれかけた小さなスーパーマーケットや、町工場が数軒並ぶ。次の電車まで時間は30分ほどしかないし、この暑さの中では歩き回る気にもなれないので、近くの踏切で通過する電車を何本か見送って、駅に戻る。

田原坂を越えて、植木のホームに入るワンマン電車 

  植木 12:58 → 熊本 13:11 [普通 5335M/電・815系]

  引き続き谷間の田園地帯を快走し、熊本に向かう。県庁所在地なのに、都市に近づいてゆくという印象がなく、山を出て唐突に駅に着くという感じだ。これは後述する、熊本市街と鉄道路線との独特の位置関係による。

  ここからいよいよ、今回のメインとなる豊肥本線に入ってゆくことになる。

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