2.気動車急行の生き残り

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 ‘中国道’のフィナーレ

  備後落合 14:03[01] → 三次 15:12 [普通 361D/気・キハ120]

  私を含めた東城発列車からの乗り換え組が乗り込むと、三次(みよし)行きはすぐに発車。どうせ座れないので、運転席横で前方の景色を眺めることにする。これから進んでゆく芸備線の残りの区間(備後落合〜広島間)も、今回が初利用となる。

  落合からしばらくは谷間を下ってゆくが、相も変わらず20やら15やら、速度制限標識が続出する。もちろん列車はその標識の速度まで減速するわけだが、前方を見ていても、その意義がよく分からない。多くは、別に見通しが悪いわけでも、足場が極端に悪そうでもない場所だ。速度を落とすにしても、何も停止寸前まで落とす必要性は感じられない。

  JR西日本は、ローカル線(姫新線・芸備線を含む)の保線を、月に一度、昼間列車を止めて行っている。夜間に行うことによる余分の人件費を削るためだ。今乗っている列車も、第一日曜には運休される旨が時刻表に記されている。そのように社の都合で一方的に運休しておきながら、代行輸送のバスを出すことさえしない。これは「いつでも決まった時間に走る」という鉄道の信頼性を自ら放棄する行為に思える。採算面で苦しいのは重々承知だが、列車を走らせているだけましと思え、というような姿勢を露骨に見せられるのは、あまり気持ちの良いものではない。

20,15,20・・・。やる気あるのか、と思えるような速度制限が続出 

  こんな調子なので、三次がなかなか近づいてこない。加古川を出てこれまで、まだ居眠りをしていないが、さば寿司が胃袋でこなれてきて、そろそろ眠気が襲ってきそうだ。今は立ち席なので寝るに寝られないが、次の列車あたりが危うい。その、次の列車こそ、今回の旅のメインディッシュなのだが・・・。

  地勢はしだいになだらかになり、備後庄原あたりからはやっとスピードアップ。制限にかかることもなくなった。芸備線も昔は陰陽連絡線のひとつとして、準幹線的な役割を果たしていた時代もあったのだが、今は三次〜広島間を除いては見る影もない。

  単調な景色の中をさらに進み、終点三次が近づいた。佐用から津山、新見、東城、備後落合と続いてきたキハ120の乗り継ぎは、ようやくここで終わる。

  裏山陽最後のランナーとなるのが、急行「みよし」である。今回はこれに乗るために、ここまで来たと言っても過言ではない。「急行」と冠せられる列車自体が今や絶滅危惧種となり、残っていてもたいていは、かろうじて1日1往復というのが関の山だが、この「みよし」は広島と三次の間を4往復走っている。これは、かつての陰陽連絡急行を区間短縮して統合した結果なのだが、とにかく貴重な存在だ。

  しかも、この「みよし」は、今や風前の灯となった急行形気動車キハ58系で運転されている。かつては全国津々浦々で急行・鈍行に幅広く活躍し、私も何度となく利用してきた同系も、ここ数年来急激に勢力が衰えてきた。2年前に利用した山陰本線の「とっとりライナー」も、先に挙げた急行「つやま」も、キハ58系が一線で働く貴重な場だったが、この10月はじめの改正でついに追い出されてしまった。

  「みよし」は10月改正では現状維持だったが、おそらくごく近い将来に置き換えられ、「急行」としてのこの車両に乗る機会はもうなくなるだろう。そんなわけで、余分の出費は覚悟の上で、今回利用しておくことにしたのだ。

  三次では1分のシビアな乗り継ぎだ。ホームの向かいに移るだけとはいえ、これまでのろのろと走ってきておきながら、客には急いで乗り換えろとはひどい。おかげで、座席にありついたころには列車はとっくに走り出していた。発車の際のあの高揚感を味わえず、ものすごく損をした気分になる。

急行「みよし」、広島にて。キハ58系の姿が見られるのも、あとどれほどか・・・ 

  三次 15:13 → 広島 16:24 [急行「みよし5号] 815D/気・キハ58系]

  「みよし」は2両編成でオール自由席。向かい合わせボックス席で、席の埋まり具合は7割程度か。座席は上品なものに替わっているが、基本的には旧来の急行の雰囲気そのままだ。足元からはゴツゴツ、ボヨボヨとした振動が伝ってくる。バネの弱ったソファーの上でバウンドするような感覚。このあたりに老いが隠せない。スピードもあまり出さない。それでも、落ち着いた走りで淡々と進んでゆく様には、優等列車の貫禄を感じる。

  「乗り放題切符」では急行には乗れないので、車掌から広島までの乗車券と急行券(計2,010円)を買う。席が通路側なので、窓をじっと見ることができないが、沿線に見えるのは江の川の上流にあたる川。意外だが、分水嶺で線を引くなら、ここは「日本海側」になるのだ。甲立、向原と停車駅でさらに乗客を増やし、ほぼ満席になった。

  世間的な目には単なるボロ急行でしかなかろうが、こうしてちゃんと利用されているのが嬉しい。いちファンの感情としては残ってもらいたいけれど、これらの利用者のためには、またキハ58系にこれ以上老体を晒してほしくないという意味でも、可能なら早く新車に置き換えてやって欲しいと思うし、さもなくばいっそ快速にしてしまうべきではないかと思う。「つやま」のように、形ばかりのいい加減な急行にしてしまうのだけは、やめてほしい。

  向原あたりからは分水嶺を越えて‘瀬戸内側’となるが、列車は山に挟まれた谷間を単調に進む。予想通り眠気が襲ってきて、うとうとするうちに、不意に谷がひらけ、扇状地に広がる広島の市街地が姿を現してきた。あっけなく終わってしまいそうな「急行」の旅に物足りなさを覚えつつ、「中国道」の行程が終焉に近づいたことに安堵感も覚える。予想通りこれといった見所はなかったが、地方ローカル線とその沿線の営みを車窓越しに垣間見、それなりに興味深く味わいのある323.9kmだった。

  やがて急行は山陽新幹線の高架をくぐり、広島駅のホームにゆっくりと滑り込む。下車したホームで、乗ってきた列車を見渡す。見渡すと言っても、たった2両だから一瞥すれば終わりだ。本当に短い。姫路からここまで、2両を超す列車に乗ることはついになかった。

 海を見た

  あとは「山陽道」を東へ戻ってゆくのみだ。しかし、山陽本線は去年も加古川〜広島間で往復乗車しており、同じルートでこのまま帰ってゆくのも芸がないので、今回は広島から三原までは海沿いの呉線を辿ることにする。呉線は高校2年の夏休みに、初めて青春18切符を使って旅行したとき以来12年ぶり。先回同様今回も途中で日が暮れてしまい、後半には真っ暗になってしまうが仕方ない。

  広島 16:28 → 広 17:04 [快速「安芸路ライナー」 5634M/電・115系]

  「みよし」から4分接続で急いで乗り込んだ快速「安芸路ライナー」は、呉までノンストップで走破する。広島を夕方に出る列車だけに、4両編成の車内はかなりの混雑。海田市から単線の呉線に入ってゆくが、なかなかにスピードを出す。対向列車を皆待たせておいてすっ飛ばしてゆくのが爽快だ。1,2両編成のディーゼルばかりで終始マイペースに進んできた「中国道」の列車たちとは好対照だ。

  やがて右手にちらちらと海が見えてくる。今日初めて見る海だ。その向こうに横たわるは江田島か。ただし併走する国道31号や建造物に阻まれて、すっきりと海を眺められる区間はほとんどなかった。

  そうこうしているうちに、列車はに近づく。どんよりした空模様とあいまって、どことなくものものしい雰囲気の漂う港湾都市だ。そういえば12年前の旅行のときには、広島で買った幕の内弁当を呉駅で食べたが、暑さでバテてほとんどのどを通らなかった思い出がある。最近の旅行では、‘新規開拓’が減る一方で、二度三度と乗る路線が増えて、こういう回想をする場面が多くなってきた。

港湾都市、呉 

  この列車は止まりなので、次の糸崎行きまで20分ほど待つ。手がまだサバ臭い。駅前に出てみると、こんなものが・・・

何が出るか分からない自販機。時々、現金や景品が出るそうな 

  広 17:25 → 糸崎 18:49 [普通 950M/電・115系]

  広を出ると、列車の走り方は呉までとは打って変わってのんびりペースとなり、景色も田舎然としてきた。呉線の景色のいいのはこれからなのだろうが、残念ながらもう薄暗い。次に乗るときこそは、日中の時間に瀬戸内の風景を堪能したい。

島々の浮かぶ瀬戸内海。その景色も夕闇に溶け込もうとしている 

  外が闇に包まれ、乗客も減って、列車は短いトンネルを出入りしながら進んでゆく。小腹が減ってきたので、津山で買ったそばまんじゅうをいただく。改めて見ると、パッケージには「子宝まんじゅう」と書いてある。・・・ワタシが食べていいんでしょうか?(笑)

  驚いたことに呉線にも20km制限区間があった。呉線に月一運休はないが、ここもまた保線省力化の対象なのだろうか。この調子でいくと、いずれJR西日本の路線は徐行区間だらけになってしまいそうだ。

 山陽の夜道

  糸崎 18:50 → 福山 19:17 [普通 1760M/電・103系]

  山陽本線に合流して三原に着く。今回の旅行も、残すところは山陽本線をひたすら東進し、加古川を目指すのみとなった。あと一区間進んで糸崎で乗換え。ホーム向かいにいた岡山行きは、黄緑色の103系電車。こんなところで4扉の通勤電車に出会うと場違いな感じがする。ガクンガクンとよく揺れるが、福山手前まで居眠り。不思議と、居眠りするのはクロス席のときよりロング席に座ったときのほうが多い気がする。

  福山 19:30 → 岡山 20:16 [快速「サンライナー」 3758M/電・117系]

  福山で降りて13分の接続で快速「サンライナー」に乗り換え。かつて京阪神で新快速として活躍していた117系だ。快速なのにワンマン運転で、案内放送が自動化されているのはいささか寂しいが、走りは落ち着いている。笠岡を過ぎると平野部に入ったと見えて、スピードを出す。その走りは、新快速時代には及ばないものの、どことなく優等列車の貫禄を感じさせる。各地に散った117系は概して粗末な扱いを受けているが、サンライナーは恵まれた部類だろう。

ワンマン快速「サンライナー」 

  サンライナーはかなり速く思えたが、先行の普通列車には追いつけないまま岡山に着く。

  岡山 20:22 → 姫路 21:44 [普通 1334M/電・115系]

  次に乗り込んだ姫路行きは混雑。徐々に客は減っていったが席はなかなか空かず、県境を越えて上郡に達してようやく座席にありつけた。

  姫路 21:47 → 加古川 22:02 [普通 834K/電・223系]

  締めくくりは、姫路から加古川までの15分間。ここまで1両や2両、長くて4両などという短い列車ばかり乗ってきたが、最後は堂々12両編成。しかもキハ120を除けば、今日初めてのJR世代車両で、メカニカルな走りに感動さえ覚える。加古川には22時02分、高架ホームに到着だ。

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