1.退屈路線の味わい

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 ‘中国道’323.9km


 2003年10月13日
 加古川→津山→新見→備後落合→広島→岡山→加古川

  ここ数年の恒例行事となった、JR西日本の「鉄道の日記念乗り放題切符」を使っての、秋の乗り継ぎ旅。昨年と同様、今回も西に針路を取り、中国地方へ足を伸ばすことになる。

  今回のメインは、姫新線と芸備線という、2つのローカル線。この2線をつなげれば、姫路から内陸へ入り、津山、新見、三次といった都市を経て広島へ至るルートができあがる。こうして結んだ経路は概ね中国自動車道に沿っている。いわば鉄道版の「中国道」だ。距離(営業キロ)は、山陽本線が244.9kmに対し、姫新線・芸備線経由なら323.9kmで約1.3倍。

  ただし、この「中国道」の旅は、実距離以上に長旅となる。姫新線も芸備線も、全線にわたって単線の純然たるローカル線。途中、新見〜備中神代間6.4kmだけは電化された伯備線を通ることになるが、それ以外はすべて非電化だ。列車の本数も少ない。最も少ない区間(新見〜備後落合間)では、休日は1日4往復しか走らない。

  しかもこの路線には、面白みを予感させる要素がほとんどない。内地を進むわけだから当然海は見えない。かといって険しい山越えが連続するわけでも、渓谷美が楽しめるわけでもない。姫新線の姫路から津山までは、96年のゴールデンウイークに乗車しているが、ひたすら退屈な路線だったという記憶しか残っていない。おそらくそんな調子で延々と進むことになるのだろう。車窓の変化を楽しむ当方にとって、胸躍るような期待感を抱かせる路線ではない。

  にもかかわらず今回この路線に挑む理由は、一つには日帰りで行ける路線の大半を既に乗り潰してしまい、未乗の線となるとこのようなところしか残っていないという理由がある。もう一つは、あとで詳述するが、今や天然記念物級の存在になってしまった気動車急行に乗るためである。

 憂鬱な出発

  10月13日、まだ薄暗い加古川駅は雨。予報によれば、回復傾向ではあるが今日1日は晴れそうにない。朝から気持ちが憂鬱になるが、「乗り放題切符」を購入して、この5月に使用開始されたばかりの真新しい高架ホームへ上がる。やってきたのは、オレンジと緑の113系だった。ぶわーんと低いモーター音をうならせる電車に身を任せ、ひとまず姫路へと向かう。

  加古川 6:40 → 姫路 6:55 [普通 321M/電・113系]

  姫新線ホームで雨に打たれながら出発を待つのは、2両編成のワンマン気動車。後ろの車両は赤とクリーム色の姫新線カラーの車両だが、先頭は深緑色の地味な車両。加古川線から移ってきたものだ。現在、姫新線と加古川線の間で車両の交換トレードが進められている。あと1年半で加古川線が電化されるため、その後の車両転属の段取りを考えてのことだろう。

雨の降りしきる姫路で出発を待つ列車。加古川線カラーの先頭車 

  姫路 7:02 → 播磨新宮 7:38 [普通 1823D/気・キハ40系]

  気動車はのっそりと出発し、山陽線と分かれて単線非電化の線路へと入ってゆく。これより、山陽本線とは広島まで出会うことがない。やがて姫路の市街地を抜け、外の景色がローカル然としてくる。窓には雨粒が打ちつけ、ぬぐってもぬぐってもすぐに曇ってくる。空調のまずさか、車内にはかび臭さが充満し、気分が一層鬱になる。西の空が幾分明るくなってきたのがせめてもの救いだ。

  しょうゆとそうめんの本竜野を過ぎ、揖保川を渡ると播磨新宮。ここで列車を乗り換えさせられる。やはりキハ40系列の2両編成だが、今度は先頭が姫新色、後ろが加古川色だ。雨は上がり、窓の曇りもなくなった。

  播磨新宮 7:48 → 佐用 8:24 [普通 3823D/気・キハ47]

  西播磨エリアの農村風景は単調だが、沿線に続くなめらかな山並みが特徴的だ。姫路近辺では、まだ黄金の稲田も目立ったが、先へ進むにつれて稲刈りの済んでしまった田んぼが目立つようになり、荒涼とした雰囲気が漂う。

雨上がりの沿線に群れるコスモスの花 

  トンネルの手前で、列車が極端に速度を落とした。見ると、「25」の制限標識。加古川線にもあるものだが、実際に時速25kmまで落とされると、今にも止まってしまいそうだ。しかしこれは、その後散々出くわす速度制限の始まりにすぎなかった。

  右手に、姫新線とは明らかに規格の違うりっぱな線路が沿ってきて、まもなく佐用に着く。1994年にバイパス線として開業した智頭急行との接続駅で、姫新線の側もホームだけは近代的になっている。播磨新宮からの列車はここ佐用止まりで、次の津山行き列車はすでにホームの向かいにいた。

佐用から長いつきあいとなる安物気動車、キハ120 

  予想通り、待っていたのはキハ120。JR西日本のローカル向け軽量気動車だ。風情も何もない薄っぺらな造りで、車内にはトイレもない、徹底して合理主義的な車両だ。ここから芸備線の三次まで、乗るのはこの車両ばかりのはず。多分すべてワンマン・単行だろう。トイレは駅で済ませておけば何とかなるが、これに延々と乗らねばならないというのは、正直つらい。

  佐用 8:26 → 津山 9:24 [普通 2825D/気・キハ120]

  列車は草木にうずもれそうな線路を西へと進む。足取りは軽いが、「ふぁ〜ん」と「す〜ん」が混じったような間抜けな警笛がいかにも安っぽい。兵庫県最後の駅となる上月(こうづき)を出ると、山を越えて美作入り。先回、96年5月の訪問のときに第一に印象に残った、黒光りの瓦屋根を見つけて、ああ、またやってきたんだなと実感する。

  美作江見駅にはつながれた犬、勝間田のホームには猫の姿。車がびゅんびゅん流れてゆく中国自動車道をわき目に、25km制限に引っかかってのろのろと進む列車。この列車の周りだけ、スローモーションで時間が流れている気がする。そんな調子で、徐々に津山へ近づいてゆく。津山では、1時間ほどの時間がある。

 ささやかなお祭り

  津山の駅は、7年半前に訪れたときとほとんど雰囲気が変わっていない。ただし今日は鉄道の日記念ということで、駅前でイベントが用意されているらしい。

  イベント開始は10時。駅前ではせわしく準備が行なわれているが、少し時間があるので、先回にも行った津山城跡へ向かう。街を東西に流れる吉井川のほとりに立つと、その北側に一目で分かる石垣がそびえる。昔はどれほど威容を誇った城だったのだろう。しかし今そこに天守閣はない。

  先回は城跡の頂上まで登ったが、今回はそこまでの時間もないので、ふもとの石垣群を眺めるにとどめておく。石のすき間には枯れかかった彼岸花。今年は残暑が長引き、秋の到来が遅かった。

  駅前に戻るとちょうど10時を迎え、ブラスバンドの演奏とともにイベントが開始された。周辺地域の民宿などから、PRを兼ねてみやげ物を売りに来ているようだ。そんなテント群の脇で、行列発見。

  どうやら、鉄道部品の即売会らしい。昨年の「鉄道の日」の旅行でも、広島駅でやっていたところに遭遇した(車内据付灰皿と絵葉書を購入)が、さすがに広島と津山では規模が全く違う。群集心理からとりあえず行列の後ろについてみたものの、規模が小さいため、5人くらいずつ入らせては5分で買わせるという方式。これでは到底次の列車に間に合わないので、あきらめて立ち去る。津山エリアのサボ(行先表示板)や運転士用時刻表などが売られていたようだが、これも広島でのと比べると、寂しい内容だ。

津山駅前の鉄道の日記念イベント。列をなす人々のお目当ては… 

  結局テントで昼食用にさば寿司、そば饅頭、そして土産を買って、駅に入る。津山は姫新線(姫路方面/新見方面)のほか、津山線(岡山方面)、因美線(鳥取方面)が交わる拠点駅であり、ホームにはそれなりの風格がある。ただし、先回訪れたころにはまだ走っていた急行「砂丘」(岡山〜津山〜鳥取)が消え、実質的に優等列車が来なくなったぶん、寂れた感は否めない。

  「実質的に」と言ったが、実はまだ1本だけ、岡山から来る急行がある。その急行、「つやま」がホームに入ってきた。・・・これは・・・。

幻滅急行「つやま」が到着 

  話に聞いてはいたが、これはひどい。使っている車両は、そこらの鈍行列車と同じもの。この10月の改正で、急行形のキハ58系から、キハ40系に置き換えられたのだ。しかも、1両は岡山のローカル用、1両は広島エリア用(昨年可部線などで乗ったもの)の黄色い塗装。いかにも、余り物を間に合わせにくっつけました、という風だ。

  「急行」と名のつく列車そのものが激減した現状では、急行の満たすべき基準はこれだ、と定義づけるのは難しいけれど、問題は、同じ区間に料金不要の快速「ことぶき」が同等の車両・所要時間で走っているということだ。「特別料金を徴収する」という一点だけで考えても、何の差別化もないというのは恥ずかしい。

  ただし、「つやま」から下車してきた人はかなり多かった。新幹線から乗り継げば急行料金は半額の360円だし、利用者の側は意外とあまり気にしていないのかもしれない。沿線自治体も「砂丘」廃止に際して、ある種メンツのために急行を残してもらったという面があるだろうから、そう強くは言えないのだろう。

 未知の領域へ

  津山 10:33 → 新見 12:04 [普通 859D/気・キハ120]

  姫新線の旅を再開する。新見行きの列車は先と同じキハ120。姫新線のこれより先の区間は、これまでまだ乗ったことがない。だからわくわくする。まだ足跡をつけていないところに踏み込むこの高揚感は、最近ではあまり味わえなくなってきた。しょっちゅう列車の旅に出かけているから、手付かずの路線が乗りつぶされて消えてゆくのは仕方ないことなのだが、それだけに、たとえ際立った面白みはないとしても、未乗路線は貴重な存在なのだ。

  津山出発時点で結構な客の入りだったが、乗客は大半が若者か年配者、つまりは自分で車を運転できない人たちだ。典型的なローカル線の光景である。そういう人たちが利用してくれているからまだ救われるが、やはり今の地方社会では、鉄道などお呼びのかからない存在なのだろう。

  かく言う私自身、学校を出た後、地元の鉄道を利用することはめったになくなった。今回も、出発を早めたかった意図もあるが、家から加古川までは30分ほどマイカーを走らせて出てきた。電車が15分間隔で走っている地域に住んでいながらその調子なのだから、1日数本しか来ないような土地ではなおさらだろう。使われないから減る、減るからますます使われないの悪循環だ。現に姫新線を進んでいると、もとは交換可能駅だった形跡の見受けられる単線駅が多い。かつては大阪に直通する急行が走り、それなりに重用されていた姫新線も、その役目が中国自動車道に移った今となっては只のローカル線。線路がはがされ、朽ち果てたホームが取り残されている姿が、現実を如実に物語っている。

  津山から続いてきた盆地が尽き、山地が近づいてくると、天候が悪化してきた。沿線にはすすきが生い茂り、黒瓦の重厚な農家がどっしりと構えている。これぞ純粋な日本の農村、という風景だ。しかし意外と、駅は改築されてモダンになっているところが多い。かつて訪れた水郡線もそうだったが、こうした純粋なローカル線の場合、かえって地元が駅にお金をかけているように思える。地域のコミュニティスポットとしての役割も兼ねているのだろう。

美作特有の黒光りする屋根瓦を見、すすきの穂を揺らしながら、列車は進む 

  中国勝山で乗客が入れ替わり、その隙を突いてボックス席に移動する。このキハ120は、ボックスが左右各2組だけで、あとは車両の半分以上をロングシートが占めているから、ボックスを押さえられるタイミングも肝心だ。

  列車は谷間にさしかかり、トンネルを出入りするようになる。沿線の農村では、祭りのみこしが練り歩いている。ただし、大勢で背負うというのではなく、車輪つきのものを引っ張っている。中には、軽トラックの荷台にみこしをかぶせたようなのも見られた。やはり人手不足なのだろう・・・

  津山以降快調に進んできたが、終点新見を間近にして、刑部(おさかべ)から25km制限が続出。これまでの黒一辺倒から、茶色の瓦屋根も混じりだし、文化圏が移ってきたことを実感する。山がちな地形の中をのんびりと進み、津山から1時間半、新見に着く。

 山越え列車で小事件

  新見は山あいの駅だが、そこそこ規模は大きい。伯備線と接続するが、面白いことに姫新線と芸備線がホームを共用しており、伯備線の発着するホームとは完全に独立している。使われる車両も姫新線と芸備線で共通。直通列車こそないが、実質的にはこの両線が伯備線をまたぐ格好で1本の線としてつながっているのだ。そういうわけで、次に乗る芸備線列車も、これまでと何ら変わり映えしないオレンジ帯のキハ120。

姫新線と芸備線の発着する昔ながらのホーム 

  新見 12:27 → 東城 13:01 [普通 435D/気・キハ120]

  新見を出ると、伯備線に入って架線の下を走る。しばらく進むと布原。なんとホームが車両1両分しかない。この駅には、芸備線列車しか停まらないのだ。元は単なる信号場で、SL末期には撮影の名所だったという。せっかくだから列車を停めてやろうと、おまけのようにホームを設けたのだろう。そんなホームに停車する貴重な列車だったが、乗降客はいなかった。

  次の備中神代で、列車は左手の線路に入り、伯備線から分岐する。「裏山陽道」唯一の電化区間は、これまで。姫新線〜芸備線の流れで見れば、ちょっと線路をお借りしましたよという感じだ。

  芸備線沿線はのどかな農村地帯。比較的直線区間が多く、列車はそこそこスピードを出す。再び中国自動車道が北側に沿い、またも優位ぶりを見せ付けられる。岡山県から広島県に移り、最初の駅東城で列車を乗り換えさせられる。次の備後落合行き列車もまたキハ120の単行。乗り換えた客の大半は「同業者」と見た。

  東城 13:13 → 備後落合 14:02[13:56] [普通 425D/気・キハ120]

  東城を出ると谷が狭まり、山越えにかかる。とたんに25や20の制限が続出する。勾配区間での徐行は、かなりきつそうだ。ギアを落として走るぶん、車両にとっての負担は大差ないのかもしれないが、そのぶんダラダラと走ることになるから、例えるなら、自転車で急坂を登るのに、勢いをつけずにできるだけ遅いスピードで登れと言われるようなものだ。いかに軽量タイプの気動車とはいえ、寿命を縮めてしまうのではないかと思う。

  列車がのろのろと坂を登る間に、昼食をいただいておこう。津山で購入したさば寿司を開く。車内で開くには生臭さが気になったが、客は少ないのでまあいいだろう。包みも味も素朴な感じでなかなか良い。内陸の津山でどうしてさばなのかとも思うが・・・。

津山で買ったさば寿司。こういうのを車内で頂くのが旅の醍醐味 

  山へ入ってゆくにしたがって再び天候が悪化してきた。列車はさらに坂を登ってゆく。そのとき。

  「ダン! バコンバコンバコン・・・」 一瞬、何が起こったのかと思った。進行方向左手の車体に、何かが激突したようだ。列車が急ブレーキをかけて停まり、車内の数少ない乗客が立ち上がってざわめく。まもなく運転士が「只今、倒木に接触しました。確認するのでしばらくお待ちください」とアナウンス。なにやら無線で連絡を取ったあと、後ろのドアを手動で開けて、後方へ飛び出して行った。

  列車はエンジンをかけたまま、勾配の途中で停まっている。木が生い茂る、人里離れた山の中だ。確かに、いつ何かの拍子で倒木が覆ってきていても不思議ではないような場所だ。当たったのは車体の上のほうだから、動けなくなるような故障はしないだろうが、運転士が車両を離れるとやはり不安を覚える。

  まもなく運転士が戻ってきた。倒木をどう処理したかはわからないが、車両は無事だったようだ。無線でしばらくやりとりし、時刻表になにやら書き込んだ後、運転士は列車を再出発させた。

  右手にそびえる標高1271mの道後山(どうごやま)は雨に煙っている。芸備線は坂を登り詰め、下りにさしかかったところで道後山駅に着く。かつてはおそらく道後山への登山口として賑わったのだろう。駅には観光案内看板も立っている。しかし今はすっかり寂れた雰囲気で、対向ホームは廃され、朽ち果てた駅名標が倒れたまま放置されている。

寂れた道後山駅。峠を越え、下ってきた線路を振り返る 

  ここで運転士が、「備後落合から三次方面の列車に乗り換える方はいらっしゃいますか?」と呼びかける。車内のほぼ全員が手を挙げた。運転士はホームの業務用電話で連絡を取り、「次の三次行きには出発を待ってもらうので」と言う。JRの場合、列車が遅れれば接続列車は待つというのが通例だが、この芸備線の場合、備後落合を境に受け持ち鉄道部が分かれているので、一応向こうに断りを入れておかなければならないのだろう。

  備後落合まではあと1区間。ここからは下り勾配にかかるが、相変わらず速度制限にかかり続ける。列車が遅れているときは特にもどかしい。先の倒木事故のことを考えれば、制限も仕方ないのかなとも思ったが、思い返すとあそこは制限区間ではなかった。散々徐行していながら、そうしていなかったときに限って倒木に遭遇するとは、皮肉な話だ。

  結局、備後落合には6分遅れで到着。山間のホームには、オレンジ帯の車両と、これから乗る紫帯の車両と、黄緑色の顔をした木次線の車両が並んだ。3つともキハ120の単行だというあたりが、このエリアの鉄道の面する現実を物語っている。

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