1.荒涼たる東北の地へ

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 元旦フライト再び


<行路全図>

  1996年年始以来、恒例行事として欠かさず行なってきた年末年始「18きっぷ雪見旅」。しかし近年、さすがに長距離の鈍行乗りとおしがつらくなってきて、昨2001年には初めて往路に飛行機を利用した。飛行機は運賃の高さがネックだったが、ちょうどJAS(日本エアシステム)の「ミレニアム元日超割」といううってつけのサービスがあったことが契機となった。

  しかし、2001年9月11日の米国テロ事件以降、航空各社は客離れから苦戦を強いられ、そんな中JALとJASとの合併が決定した。私にとっては、生まれて初めて乗った飛行機がJASだっただけに、事実上の吸収合併でJASが消えるのには、少し残念な気もした。

  それはさておき、今回は昨年に続き正月全便10,000円という「超割」を実施した全日空を利用することとなった。(ただしテロの影響で、保険料として500円がプラスされる。)今回、飛行機は大阪→仙台の搭乗で、1日目(1月1日)は仙台から三陸海岸沿いを北上して盛岡へ。2日目は花輪線で東北を横断して秋田へ、そして南下して「ムーンライトえちご」へ。最終日は残り体力次第で決定、と、事前のプランとしてはこんな感じでのスタートとなる。


 2002年1月1日
 三田→伊丹空港→仙台空港→仙台→石巻→気仙沼→盛→宮古→盛岡
  三田 6:37 → 伊丹 7:00 [快速 1504M/電・207系]
 伊丹 7:05 → 大阪空港 7:20 [伊丹市バス]

  2002年正月の朝。大阪空港へのアクセスは、昨年と全く同じパターン、JR伊丹から市バス(単なる路線バス)という、最も安上がりなコースで。駅から市街地を抜け、長いトンネルで滑走路の下をくぐると間もなく空港の正面へ。「次は終点、大阪国際空港です。」...あれ?

  大阪空港での搭乗手続きも2度目なので、要領は得ているものの、テロの影響で検査が堅いということで、何をされるのか少し不安。先回は車のキーで金属探知機にかかったので、今回は金属系のものは身に付けないようにし、満を持して探知機へ。しかし...

  今回も引っかかってしまった。一発通過の自信はあったのに、なぜ??

  何かと思えば、「犯人」は携帯電話。つけていたカバーの中まで調べ上げるあたりが、ガードの堅さか。

  ともあれ探知機ゾーンはなんとか通過し、仙台行き飛行機に搭乗。空は1年前と同様、曇り。明日2日は冬型の荒れ模様、と聞かされているだけに、これからの天候に不安もある。

 大阪空港 8:00 → 仙台空港 9:15[10] [ANA 731便]

  8時、空港出発。場内をゴロゴロ走りだし、いよいよ滑走路に出て離陸するぞ、という手前で水を差す一時停止。JAL機が2機着陸してくるのを待つという。少し待つ間に、目の前にものすごい勢いで滑り込んできた。目の前で着地、その瞬間にタイヤから黒煙があがり、滑走路上でするすると減速してゆく。そして立て続けにもう一機。近場から見るとなかなかの迫力で、やはり飛行機は大した乗り物だと思う。

  仕切りなおしで、わが機が滑走路に出る。グワーと加速し、ふわりと浮くと、後ろ向きのGを振り切りながらぐんぐん高度を上げてゆく。北向きから西、南、東へと大きく旋回。六甲山系から大阪湾、そして大阪平野が眼下に広がり、銀ピカの大阪ドームの屋根や大阪城の姿までも確認できた。この爽快なパノラマは、飛行機ならではだ。

  やがて飛行機は雲の上へ。最初は完全に雲海が広がっていたものの、東進に連れ雲が薄くなり、下方に雪景色が広がってきた。どうやら東日本は冬晴れの模様。

眼下には雪山。遠くの海には太陽が反射して見事な景色 

  1時間ほどの空の旅の最後に、飛行機は本州を突っ切り、前方に太平洋が広がってくる。いったん海上に出て左に大きく旋回、北方には仙台の市街地が望まれ、ちょうど真正面には、雪をかぶったりっぱな峰が構えている。最初の東北旅行(98年秋)の際に訪れた蔵王山に違いない。

  先回の千歳着陸時のような不快な揺れもなく、スムーズに高度を下げ、海岸の上を越えて仙台空港の滑走路に無事着地。ここはもう東北。98年に東北新幹線で初の白河越えを果たしたときには感慨深いものがあったのに、飛行機だとそのプロセスをすっ飛ばしてしまうぶん、実にあっけない。

仙台空港。雪化粧の蔵王山が正面でお出迎え 

  仙台空港は、大阪や千歳と比べればこぢんまりしているものの、ロビーはスキーツアーの待ち合わせなどでかなりの人だかり。外へ出ると、思ったほど寒くはない。(気温4度。)天気は良く、薄いすじ雲がかかっている程度。

 「裏ルート」で仙台入り

 仙台空港 9:40 → 館腰 9:54 [宮城交通バス]

  さて、空港から駅へのアクセスとなると、仙台駅へ直通するバスに乗るのが順当だろう。だが私は、東北線の「館腰(たてこし)駅行きバス」を使うというマイナーコースを選ぶ。仙台行きが40分910円に対し、館腰行きは12分310円。もちろん、乗り換えの時間などを考えると、仙台までのトータルの時間はさして変わらず、ただ乗り換えの手間が増えるだけなのだが、経費節減のためと、ちょっと「普通でない」ルートを選んでみたいというアマノジャク根性からだ。

  空港を出ると,、バスは荒涼とした野っ原の中を西進してゆく。空港アクセス用ということで、そこらの路線バス車ではなく、一応「リムジン」の体裁を整えているが、車内はガラガラ、車内放送テープも伸びきっている感じで、音の外れた頼りない音声が流れる。

  到着した館腰駅は、変哲の無い小駅で、「空港の玄関」という雰囲気は薄い。次の列車まで少し時間があったので、蔵王の写真を撮りに見晴らしのいいところへ出ようと歩いたところ、時間の見込みを誤り、駅に向かう途中に電車がやってきた。慌てて走って何とか駆け込んだものの、ちょっと走っただけで息があがって足が上がらなくなってしまうあたりに、数年前とは体が変わってきている(←婉曲表現)ことを痛感してしまう。

館腰駅付近から蔵王山系を 

  館腰 10:03 → 仙台 10:18 [普通 433M/電・701系]

  そうして乗り込んだ、今回の東北第一号となる電車は、701系。今や東北の代表選手として君臨、省エネ・省コストで鳴らす電車だ。こんなところで「東北入り」を実感してしまうとは・・・。

いまや東北の風物詩(?)、701系電車 

  東北本線を快走して15分で仙台へ。毎度通過地点にしてしまう仙台だが、今回は幾らか時間があるので、駅内の土産屋めぐり。土産(特に食べ物)や駅弁の種類の豊富さは、これまで旅行した中では、金沢と並んでトップクラスだと思う。家族や知り合いへの土産を買い込み、昼食用に「かきめし」を調達。

 「うみかぜ」快走

  1日目の旅はここから、ひたすら太平洋沿いの路線を辿って北上してゆくことになる。その一番手となるのが仙石線。仙台と石巻を結ぶ路線だが、旧私鉄だったこの線は東北本線と直結されず、かつて地上にあった仙台駅ホームは、まるで別会社のように独立していた。2000年に仙台〜陸前原ノ町間が地下化、同時に西に少しだけ延伸して、地下鉄と接続する「あおば通」駅が新設された。仙台駅の仙石線ホームは、地下鉄か私鉄のような、ますます「JRらしくない」駅になってしまっていた。

  仙台 10:45 → あおば通 10:46 [普通 922S/電・103系]

  仙台から1区間(0.5km)、仙石線の新しい起点となったあおば通へ。地上に出てみると、なんと仙台駅の表口がすぐそこに。実際には東北本線・新幹線の下をくぐって東側から西側に抜けただけだったわけで、拍子抜けしてしまう。

  仙石線は東北唯一の直流電化区間であるため、「都落ち」した103系が専属で走っている。松島湾沿いを走る電車に似つかわしく、青と白の爽やかなカラーリングで、寒冷地ならではのドア開閉ボタンがついている。しかし、間もなく山手線の205系が、新車投入に伴って移ってくるといわれており、仙石線で走る103系は今回が見納めとなりそうだ。

地下駅の「あおば通」で出発を待つ仙石線快速「うみかぜ」 

  あおば通 11:00 → 石巻 11:59[57] [快速「うみかぜ7号」 3121S/電・103系]

  石巻行き快速「うみかぜ」。あおば通を出発するとすぐ仙台で満員に。乗っているうちに、車内放送が女声なのに気づく。最初はテープかと思ったが、どうやら本当に女性の車掌らしい。(上の写真ではバッチリ写っているのだが、その時点では気づかなかった。)私自身としては、JRの普通列車では初めての遭遇だった。

  仙台を出ると、しばらくは駅を通過しつづける。地上に出て、複線の線路で仙台近郊を快走。多賀城〜本塩釜にかけては、高層マンションも立つなかなかの都会。まるで都市近郊の私鉄の雰囲気で、103系でも違和感がない。

  港湾都市塩釜を過ぎると、一転線路は単線となり、風光明媚な松島湾沿いをゆくようになる。98年に下車した松島海岸駅前はにぎやかな観光地だが、今回はそのまま通り過ぎる。

  高城町を過ぎると、さらに海に近づき、仙石線のハイライト区間。輝く松島湾に島々が浮かび、出入りの多い海岸には松の木々がせり出している。背後を向くと、ここまで進んできた湾のはるか後ろに、蔵王の姿。時間に余裕があれば、このあたりで途中下車するところだが・・・。もっとも、快速「うみかぜ」はこのあたりの駅には目もくれず、さっさと進んで行ってしまう。

晴天下のうららかな松島湾。車窓を松の海岸や浮島が流れて行く 

  なんとなく間抜けな響きの野蒜(のびる)を過ぎると海岸からは離れ、あとはひたすら平野部を進んで行く。乗客はすっかり減ってしまい、車内は暖房がよく利いて暑い。

  仙石線の旅は石巻で終わり。この先は非電化区間となり、しばらく「電車」とは無縁な旅が続くことになる。

 

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