1.どこもかしこも人の波

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 旅立ちまで


 2000年5月3日
 新神戸→博多→佐世保→長崎→博多

  九州は両親の出身地で、私にとっては近畿に次いで馴染み深い土地である。高校生くらいまではよく訪ねていたが、ここ数年はその機会がなく、個人的な旅行も「東志向」となっていて、九州はとんと疎遠になっていた。

  そんな九州を、久々に旅行することにした。ポイントは、91年8月に台風のせいで行き損ねた長崎。そして九州の中でも縁遠かった宮崎県と筑豊地区を中心にたどることにした。今回使用するのは、98年秋の東北旅行以来の「周遊きっぷ」。九州内の全線が乗れ、特急の自由席も利用できる。トータルのコストパフォーマンスは大して良くないが、乗り降り自由というのは融通が利いて良い。

  しかし今回の日程は、よりにもよってゴールデンウイークの「3が日」。帰り(5日)の新幹線は指定席を取れたものの、往路(3日)はすべて満席で、自由席を利用せざるを得ない。しかも旅立ちの数日前から鼻とのどの調子がおかしくなり、前の晩はくしゃみ連発であまり眠れず。幸い天気予報によれば3日間とも天候には恵まれそうだが、それにしても先が思いやられる・・。

 立ちづくしの2時間半

  今回の一番手となる新幹線は、博多行き一番列車、ひかり351号。

  この列車は3月にJR西日本が山陽新幹線に投じたばかりの切り札、最新型700系車両の「ひかりレールスター」である。「のぞみ」と同じ最高速度(285km/h)で、乗り心地も抜群とのこと。今回は、行きも帰りもこの「レールスター」を利用することにしている。指定席を確保している復路はともかく、往路にはそれを楽しむだけのゆとりはないだろう。ある程度の覚悟は決めて、新神戸のホームへ上る。

  階段を上り詰めて、愕然とした。あふれんばかりの人の群れ。自由席の混雑は想定してはいたものの、その現実は予想をはるかに上回るものだった。ひかり351号は新大阪発。このぶんだと、当然始発からの乗車もかなりのものだろう。案の定、入ってきた電車の中には、すでに立ち客がひしめいている。これに2時間半、乗り続けなければならないとは…。新型新幹線への期待が絶望に変わった瞬間だった。

  ドアが開くと同時に、客がデッキになだれ込む。発車ベルが鳴り始めても、まだホームには列が続いている。デッキの人込みはさらに圧縮され、かろうじて乗りきれた模様。私はと言えば、狭苦しいデッキの中で、情けない姿勢のまま身動きが取れなくなっていた。

  「レールスター」は8両編成(うち自由席は1〜3号車)。他の「ひかり」(16両編成)の半分で、レールスター登場前の「ウエストひかり」(12両)よりも短くなった。これがレールスター人気と相まって、混雑に拍車をかけることになった。

  しかしデッキに立っていても走りはいたって静か。ふわっと加減速する感じで、揺れもほとんどなかったのがせめてもの救いだった。こんなかたちで、新型車の実力を思い知るはめになろうとは。

デビューしたて、ぴかぴかの「レールスター」 

  新神戸 6:13 → 博多 8:50[49] [新幹線「ひかり351号」351A/電・700系]

  岡山で、客が入れ替わった間隙を突いて客室に進入した。客室通路も一杯とはいえ、デッキに比べれば開放感が全然違う。各駅で乗降に手間取るため、広島時点で5分の遅れが生じていた。新岩国付近で、車内の電光掲示板に「ただいま285km/h」と表示されたが、通路に立っている私からは、外の景色はほとんど見えない。

  小郡からは、ようやく通路がすいてきて、幾分気が楽になる。外は快晴の模様で、まずはめでたい。関門トンネルをくぐって、九州入り。小倉で客はだいぶ減り、終点博多には、定刻より1分遅れの8時50分到着。ここまで遅れを取り返すとは、さすが新型車。

 悪夢は続く

  こうしてなんとか九州入りを果たしたものの、人込みの悪夢はまだまだこれからであった。

  博多の在来線ホームで私を出迎えてくれたのは、レールスターに負けず劣らず、とんでもない人、人の波。特急ホームには長蛇の列。私はどこへ行けば・・何をすれば・・。

ごった返す博多の在来線ホームで特急が待機 

  とりあえず打ち出した結論は、「一電車見送ろう」。1時間を犠牲にしてでも、今少しなりとラクしておかねば体がもたない。予定の「みどり5号」を見送り、乗降口にかばんを置く。だんだん後ろに行列が伸びてホームの中で蛇行し、しまいには、どこが末尾なのかも分かりにくい状況になった。

  列車が到着。まちわびたかのように、超満員の客がどっと降りてきた。どこにこれだけ入ってたのかと思うくらい、次から次へ降りてくる。ステップの段差で子供が転倒し、駅係員に運ばれるトラブルも。

  車内の清掃が済み、ようやく乗車となる。列車を1本見送ったのは正解で、私は乗り込んですぐに席についたが、その後ろには続々と客が入ってくる。通路はぎゅうぎゅう、おそらくデッキはもっとぎゅうぎゅう。それでも、ホームいっぱいに並んでいたあの群衆が皆、この細長い空間に収容された。電車の収容能力とはこれほどのものなのか、と感服。

  博多 10:25[22] → 佐世保 12:19[11] [特急「みどり7号」4007M/電・783系]

  この特急は、「かもめ11号」[長崎行き4両]+「ハウステンボス7号」[ハウステンボス行き4両]+「みどり7号」[佐世保行き4両]の三重構成。肥前山口で「かもめ」、早岐で「ハウステンボス」を切り離し、しだいに短くなりながら西進する。

  3分遅れで博多を出発。立錐の余地も無い状況で、むろんだれも身動きのとりようがない。この特急は、客室を車両の半分に区切ってある「ハイパーサルーン」(783系)なので、狭苦しさがいっそう増大されてしまう。

  そんな中、車内販売の案内。「…をご用意して、みなさまのご利用をお待ちしております」。と言われても、この状況では買いたくても買えない。そもそもワゴンが回れないだろう。

肥前山口で長崎行きの寝台特急「さくら」を追い越す 

  鳥栖からは鹿児島線を分かれ、広々した麦畑の中を快走。肥前山口で「かもめ」を切り離し、単線の佐世保線へ入ってゆく。GW期間中に陶器市の開かれる有田は、下車駅候補にも挙げていたが、とても下車できる状況でなかったので、そのまま佐世保を目指す。思えばこの陶芸市こそ、列車の大混雑の元凶だった。

  早岐で「ハウステンボス」編成を切り離すと共に進行方向が変わり、終点佐世保へ。各駅で乗降に手間取ったうえ、単線の佐世保線では遅れが回復できない。最終的に遅れは8分にまで拡大していた。

 初めてのんびり

  佐世保は海に面した入り江の町。駅は高架化工事の真っ最中で、到着したのはまだ地上にある側のホーム。その改札の横に「東経129度43分 日本最西端佐世保駅(JR)」というささやかな看板が掲げられていた(写真)。下に小さく「(JR)」と書かれているのは、第三セクターの「松浦鉄道」が、まださらに西に進むから。その最西端は「たびら平戸口」駅となる。

JR最西端駅の看板 

  その松浦鉄道は、高架で分断された先にある仮設ホームから発着する。そこで待っていたのは、レトロ風の内外装をした豪華な車両。意図せずに乗車したのだが、あとで調べると、何と新しく導入されたばかりの「レトロン号」という車両で、実に当たりがよかった。

  佐世保 12:33 → 中佐世保 12:38 [松浦鉄道 普通/気・MR-500型]

  しかし残念ながら、これに乗れるのは2区間だけとなる。市街地の裏山をトンネルで抜け、名残惜しくも中佐世保で下車する。

新緑の佐世保市街をゆく、深緑のレトロン号 

  無人のホームに降り立ち、階段を下ると商店街の路地裏のようなところに出た。佐世保の市街地は小高い山に囲まれ、その斜面のかなり高いところまで民家が立ち並んでいる。

  市街地を歩き、海に出る。山に囲まれた入り江の港には、ねずみ色の軍艦が浮かんでいた。人波に翻弄されつづけた今日これまでの旅程の中で、初めて得た安らぎだった。

青空のもと、佐世保の港は穏やか 

 西の果てをゆく

  今日のメインは、これから向かう長崎の観光である。佐世保と長崎の間には大村線経由で快速「シーサイドライナー」が頻繁に運転され、便宜が図られている。私が乗る「シーサイドライナー11号」は、さきほど到着した地上ホームではなく、新しい高架ホームからの出発となる。駅全体が高架に移転すれば、分断されている松浦鉄道と再びレールがつながることになる。

  この列車はJR九州の新型ディーゼル車、真っ青な車体のキハ200で運転される。従来の「気動車」のイメージを打ち破る、都会の近郊電車のようなあかぬけた車内だ。

  佐世保 14:21 → 長崎 16:10[09] [快速「シーサイドライナー11号」3231D/気・キハ200]

  早岐から大村線へ入り、次の駅がハウステンボス。突然、ここだけ「西洋の田園」風の世界になるが、私はこのたぐいの「できあがった観光地」はあまり好きでないので、一瞥して素通り。駅を出るとまもなく「日本の田園」の風景に戻った。

  まもなく大村湾が右手に現れる。間近に見える穏やかな入り江の景色が美しいが、窓際はまぶしく、周りの客への配慮でブラインドを下げなければならなかった。松原あたりまで海岸に寄ったり離れたりしながら快走。しかしスピードを出せそうな区間が限られており、せっかくの新型車のパワーをもてあましている感じ。

  諫早(いさはや)で大村線の旅を終え長崎本線に合流、先発の特急「かもめ」の遅れにつられて3分遅れで発車。特急の混雑・ダイヤの乱れはまだまだ続いている模様。整備のよい長崎線を快調に進み、もうひとつの西の果て、長崎に到着。

「シーサイドライナー」の青色キハ200系 

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