国鉄時代のハイパワー特急形気動車
非電化の地方幹線で活躍し、最後は「はまかぜ」に
登場:1968年/運用終了:2011年
在籍:

  記載内容は2011年3月現在。
  写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。

 非電化路線の元エース

  1968年に中央西線の特急に投入。非電化幹線のエースとして、東北や四国で活躍していた時代もありましたが、それら幹線区間の電化や新型車の投入に伴って姿を消し、1994年以降はJR西日本に残るだけになりました。

国鉄末期、大阪〜米子間に運転されていた特急「まつかぜ」 

  山陰には非電化路線が多く新型車の導入も遅れたことから、最後までキハ181系が残りました。古くは山陰本線特急「まつかぜ」「あさしお」、陰陽連絡特急「やくも」に使用され、21世紀に入っても「いなば」「くにびき」「おき」としても活躍していましたが、登場から30年以上を経て老朽化が目立ち、高速化のために開発されたキハ187系気動車に置き換えられて勢力縮小しました。

  かつて大阪と博多を山陰経由で結んだ特急「まつかぜ」の米子以西を引き継いだ、特急「いそかぜ」にも使用されていました。ただしその運転区間はしだいに縮小、2005年3月に廃止になった時点で、益田〜小倉間を普通車だけの3両編成が1往復するのみでした。

山陰本線の西端区間を行く「いそかぜ」 

  このほか臨時列車や団体輸送といった、いわゆる波動輸送にも長らく携わってきました。特に2000年代以降は、キハ58系や客車車両の減少に伴い、特に非電化区間を含む波動輸送には、主にキハ181系が当たるようになりました。

  かつてはスキー列車「シュプール号」にも起用され、北陸経由で大糸線にも乗り入れていました。しかし「シュプール号」そのものの衰退に伴い姿を消しました。

大糸線乗り入れの「シュプール号」も、2001年度シーズンで終了 

  国鉄時代の名残を色濃くとどめる車両だけに、昔を偲ぶリバイバル列車にも盛んに起用されました。2002年には四国に貸し出されて運行。2003年12月には大阪〜米子間で「リバイバルまつかぜ」として運転されました。(「まつかぜ」そのものは1986年の福知山線電化に伴って消滅していましたが、2003年10月にキハ187系による「スーパーまつかぜ」として復活しています。)2009年9月には、急行「紀勢本線全通50周年フィナーレ号」(新宮→亀山)として、JR東海エリアにも出張しています。

リバイバル「まつかぜ」。113系と「国鉄」の組み合わせ 

 「はまかぜ」−最後の活躍の場

  「いそかぜ」廃止後、キハ181系を使用する唯一の定期列車となったのが、特急「はまかぜ」でした。3往復の運転で、大阪から播但線経由で香住・浜坂・鳥取を結びます。もとは「まつかぜ」のサブ的存在で大阪と鳥取方面を結び、その名残で、この列車で大阪〜和田山以西を直通する場合は、より短い福知山線経由の距離で運賃・料金を計算するという特例が設けられています。

  福知山線電化(1986年)で福知山線経由の特急のほとんどが城崎(現・城崎温泉)までの運転となったことや、鳥取へのバイパス線である智頭急行の開通(1994年)、そして同じく播但線を経由する急行「但馬」との統合(1996年)などを経て、「はまかぜ」の役割は神戸・姫路方面〜香住・浜坂方面という、兵庫南北間を結ぶ輸送が主体となりました。

  「はまかぜ」にはグレー調に塗り替えられた編成を使用。通常は4両ながらグリーン車を挟み、多客時には最大7両になりました。2006年に寝台特急「出雲」が廃止された後は、山陰本線城崎温泉以西の非電化区間に入り、余部鉄橋を渡る唯一の優等列車となりました。

ピーク期の7両編成は圧巻 

  「はまかぜ」はその性格上利用の変動が激しく、特に冬場、県北でカニの水揚げが行なわれるシーズンに利用が集中します。JRもその時期の利用をアピールしており、定期便の増結のほかに、臨時特急「かにカニはまかぜ」が運転されます。この列車は阪神圏から城崎温泉・竹野・香住方面への日帰り旅行を想定したダイヤとなっており、こちらはグリーン車のない編成で運転されてきました。

大阪に到着した「かにカニはまかぜ」 

  私自身は181系には4度の乗車で、うち2度は普通列車としての利用でした。かつては山陰線で間合いに普通列車としても使用されていたのです。その中で食した駅弁のかに寿司が絶品で、なんとも贅沢な気分になったものでした。

  あとの2度は特急「はまかぜ」を利用したもの。山陰線などでは性能をもてあまし気味ですが、播但線の峠越えでは、速度の落ちない走りに力強さを覚えました。内装など、手が加わっているとはいえ古くささは否めませんでしたが、安定感ある走りにはやはり特急の風情がありました。

  最後は、2008年11月の「はまかぜ」。西明石から姫路まで引退の迫る新幹線0系に乗った帰りに、姫路から明石まで乗車しました。最高速度120キロの性能は、新快速などが高速走行する神戸線でこそ発揮されるものですが、この列車については余裕のあるダイヤで、流すような走りにそのパワーを感じる機会はありませんでした。

「はまかぜ」車内 

  設備の陳腐化に加え煤煙の問題など、老朽化との闘いの様相を呈していたキハ181系。「はまかぜ」については車両更新への動機付けが乏しく、最後まで残ってしまう格好になりましたが、2009年3月の発表で、ついに11年春までに新型車両に置き換えられることが明らかになりました。これは、余部鉄橋の架け替えなどに伴う兵庫県など自治体の支援に基づく高速化の一環で、新型車はステンレス車体、3両を基本編成とし、最高速度を130km/hに向上、併せて設備の改良を行って、スピードアップを図るというものでした。

架け替えられた余部橋梁をゆく「はまかぜ」 

  新型車「キハ189系」は2010年春に落成、同11月7日から「はまかぜ」の定期列車を置き換えました。同年8月に余部橋梁が架け替えられましたが、そこをキハ181系が定期の「はまかぜ」として走ったのは3ヶ月ほどの間でした。「かにカニはまかぜ」は2010年中は181系での運転されたものの、その後こちらもキハ189系へ置き換えとなりました。キハ181系はその後団体列車などで運転されたのち、11年春に引退。「最後」と銘打った大きなセレモニーなどはなく、「日常」から段階的に姿を消していきました。

定期運転最終日の「はまかぜ」 

「かにカニはまかぜ」としてもうしばらく走行 

 

 トップ > 車両所感 > キハ181系