2002年3月、紀勢本線の165系が引退することになりました。165系はもと急行用の電車で、山岳地帯を中心に活躍。「急行」衰退後は各地でローカル用に働いていましたが、老朽化で淘汰が進み、JR西日本エリアでは同線に最後まで残っていましたが、ついに消えることになったのです。
私自身も紀勢線などで乗車経験があり、思い入れの深い電車。ぜひとも「乗り納め」をしておこうと、引退前々日の3月21日、午後から和歌山へ向かいました。
和歌山から乗車したのは、紀伊田辺行きで3両編成。祭日ということもあって、私と同じように、最後の走りを堪能しようという人々でにぎわっていました。
海岸沿いのカーブの多い路線を、なんとなくのんびり南下しつづける電車。同じ線を、特急電車が頻繁に走っているのですが、こちらはあくまでマイペース。
で、特急「くろしお」に先を譲るために、箕島で停車。停車時間の間に、ホームに出て写真を撮る人がちらほら。
「くろしお」は、ホームの向かいに到着し、すぐに発車。そしてまもなく老兵165系の旅が再開されます。
今回が、原型に近い165系に乗る最後の機会となる公算が大なので、車内もよく観察しておきます。中には、40年近い歴史を物語る数々のアイテムが。
< ドア横の「非常用ドアコツク」 >
無骨で、いかにも「機械の一部です」という姿のコックが、丸見えです。
その上に掲げてある、薄汚れた注意書きには、「もし線路に降りるときは特にほかの汽車や電車にもご注意ください」と。(比較的新しい車両では、「列車や電車に」となっています。)実際、165系の初期は、まだSLが現役で働いていた時代だったのです。
< ボックスシート >
お見合い形の4人がけ座席。近年では廃れつつあるスタイルです。
固定の直角に近いシートで、現在の感覚では、「これで急行料金を取るのは・・・」。これを汽車旅の味ととらえるなら、また別ですが。
< センヌキ >
座席部のテーブル下には「センヌキ」が。今、瓶の飲み物を車内に持ち込むことなど普通は考えられませんが、ひそかに残っています。
ボックス座席にテーブルがついている光景そのものが、いまや珍しくなりました。
< 網棚 >
何が特殊かといえば、ほんとうに網(しかも、金網ではないヒモ製の網)が張られている点です。
現在、たいていの棚はスチールパイプが格子状になっているタイプで、こうした「網の網棚」にお目にかかるのは珍しいことです。
ちなみに、同じ列車でも、別の車両はパイプ製の棚でした。(この項最初の写真参照)
紀伊田辺の2つ手前の南部(みなべ)で下車。そして同じ車両の折り返し便で帰ります。和歌山に帰り着いたときにはもう夜でした。これで紀州の165系は乗りおさめとなります。
翌々日3月23日、ダイヤ改正が実施され、西日本の165系営業運転は終了。24日に紀勢線でお別れ運転が行われ、最後の砦から姿を消しました。定期列車で残る165系は、夜行快速「ムーンライトえちご」の車両だけとなりました。