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 来るか? 台風


 1999年9月14-15日
 神戸→尼崎→宍道→備後落合→新見→岡山→粟生

  99年9月14日の夜。小雨が降り、どこからかゴロゴロと雷鳴が響き渡る。晩のニュースで、台風16号が発生し、そのまま宮崎に上陸したと報じられた。

  今回の旅行のメインターゲットは、夜行急行「だいせん」と、山陰のローカル線、「木次(きすき)線」である。 

  「だいせん」は、大阪から鳥取・米子を経て出雲市へ至る列車で、94年に一度、大阪から鳥取の赤碕まで利用している。長らく、寝台車つきの客車列車として運転されていたのだが、この99年10月の改正で座席のみの気動車列車となることが決まった。ぜひ、その前に一度乗っておかねば、と思い立ち、わざわざ指定席をまで取って待ち設けていたのだが・・・ 厳しい見通しとなった。

  予報によれば、台風はまさに中国地方へ向かってくるという。もはや影響は避けられまい。しかし切符も指定席券も確保しており、中止するのはあまりにしゃくだ。幸い、松江の明日の予報を見ると、雨のち晴れとなっている。この予報を信じれば、台風は午前中には通過し、あとは快方に向かうことになるだろう。そこに望みを託して、旅行強行を決意したのは、出発時間間際のことだった。

  神戸 22:22 → 尼崎 22:46 [快速 834M/電・221系]

  22:46に尼崎に着。出雲市行き「だいせん」は23:03発の予定だ。その間に、寝酒にするビールを買うために一旦改札を出る。蒸し暑い。雨は今は降っていない。しかし明らかに、空の雰囲気は不穏だ。

  定刻どおりに「だいせん」は やってきた。真新しい近代的なホームが並ぶ尼崎駅に、赤い古びたディーゼル機関車、その後ろには6両の濃紺の客車。こうしてみると、確かに時代錯誤な列車に思える。

  尼崎 23:03 → 宍道 9:57[6:59] [急行「だいせん」705レ 倉吉から快速 3735レ/客・12系]

  乗り込んだ急行は、昼間新型電車の行き交う宝塚線を、実に緩慢なペースで進んでゆく。自由席は通勤帰宅者でそこそこ混みあっているようだが、指定席は長距離利用者ばかりだから、車内の雰囲気も落ち着いたものだ。冷房がきつくてちょっと寒いかな・・と感じつつも、三田を過ぎると眠りにつき、気がつくと福知山だった。台風の直接的な影響は、まだ現れていないようだ。

  これは、嵐の前の静けさなのか? それとも、台風への不安は杞憂に終わってくれるのか? もちろん気にはなるけれど、一旦列車に乗り込めば、台風の行方をリアルタイムで知る術はないし、それを知ったところでどうにかなるものでもない。とりあえずは、列車の動きに身を任せるしかない。

 列車足止め 遠い夜明け

  4時半前。目が覚めると、列車の中からでもはっきり認識できるほどの激しい雨となっていた。どうやら鳥取は過ぎたようで、ここまではほぼ定刻で来たとみえるが、まずい雰囲気になってきた。

  そう思ううちに、列車は速度を落とし、とある駅に停車した。こんな時間に待ちあわせはないだろうから、台風16号の影響で止まったとしか思えない。目を凝らして見ると、「青谷(あおや)」という駅名板が見えた。次の停車駅・倉吉まであと3駅のところだ。外では風が吹き荒れ、木々が激しく揺さぶられている。客車の屋根を打つ雨音が響き、時折稲光がきらめく。ついに来るべきものが来たか。

  4時52分、倉吉に着いているべき時刻になったが、一向に動く気配はない。やがて真っ暗だった空に、わずかに明るさが見えてきた。雨脚は少し弱まったようだ。しかし「だいせん」は、依然青谷に釘付け。

  5時45分、定刻なら米子到着前の時刻。ここで初めて車内放送がかかった。只今大雨のため、青谷・浦安間で運転を見合わせています、復旧のメドは立っていません、と。足止めは覚悟の上で来ているし、いつかは運転再開するものだと分かっているが、それでも「メド立たず」などと言われると、あるいはどこかで土砂崩れなどが起きて、先へ進めなくなっているのではないかと不安になる。

  6時15分、再び車内放送で、線路の点検を始めたとのこと。ようやく先が見えてきた。こうしている間にも列車の遅れはどんどん広がってゆくのだが、もう、終点まで完走してくれさえすれば御の字だ。

  あきらめの心境でうとうとして過ごしていたが、6時55分、ついに列車は動き出した。青谷での足止めは、実に2時間20分に及んだ。依然雨が時折激しく降りつけ、空はどんよりと重い雲に覆われているが、回復に向かっているのは確かなようだ。列車はいつ止まるかわからないようなのろのろ走行で、自動車が脇を次々と抜き去ってゆく。でも、さっきまでは全く動かなかったことを考えれば、少しずつでも前へ進んでいることを喜ぶよりほかない。

  2駅進んで松崎。通過扱いの駅だが、対向車の待ち合わせのために15分ほど停車。やってきたのは鳥取行きの普通列車、今日初めて出会う上り列車だ。足止め後初の停車駅となる倉吉には、7時43分到着。定刻より2時間51分遅れ。急行「だいせん」を名乗るのはここ倉吉までで、これから先は単なる「快速」として終点を目指す。徐行の束縛から解かれ、列車はようやく本来の走りを取り戻した。客車列車ならではの軽快な走行音が小気味よい。

外はまだ荒れ模様 

  大山のふもとの平野部を西へと快走し、米子には8時51分着。ここで、機関車を付け替えるために10分の停車。ディーゼルからディーゼルへの交換、しかも残す距離はたった60km余。運用上のことだろうけれど素人目には不可解な作業だ。それでも、たとえ3時間遅れていようとも‘日課’として行なわれる。これもあと1ヶ月ほどの日課。10月以降は機関車の付け替えは必要なくなるし、そもそも列車自体が米子止まりになってしまう。

米子で小休止 

  米子を出ると、車掌が通路をやってきた。パンと牛乳の差し入れだという。9時をまわり、さて朝食をどうしたものかと考えていたところだったので、ありがたい配慮だ。しかし、ただでさえダイヤが乱れていろいろ苦労も多かろうに、こんなことまで・・・。大きな箱を引きずって一人一人にパンを配って回る車掌の後ろ姿に、頭の下がる思いだった。

  急行「だいせん」改め無名の快速となった出雲市行き列車は、島根県に入り、残りの旅路を進む。差し入れのパンを頬張りながら、右手に現れた湖-中海-を眺める。雨はやみ、西の空が明るくなってきた。台風の脅威は過ぎ去ったようだ。それでも、中海は激しく波立っている。

  いよいよ客車列車の旅も終盤。松江を過ぎると、今度は宍道(しんじ)湖が広がってくる。宍道湖と中海はつながっており、地図で見ると、本州とその北に東西に伸びる島根半島との間に位置する湾のようにも見える。海水と淡水の混じる「汽水湖」と呼ばれる湖で、有数のしじみ貝の漁場だという。この宍道湖も、吹き寄せる強風で荒れている。

  下車する宍道には、定刻より2時間58分遅れの9時57分に到着。結局、遅れは倉吉以降縮まることがなかった。ホームに降り立ち、去り行く濃紺の客車列車を見送る。最後部には「だいせん」の絵入りのテールマークが見えた。

  ホームには「出雲市・大社・益田・下関方面」とある。「大社」は有名な出雲大社の最寄り駅で、かつては「だいせん」も出雲市から大社線を介して乗り入れていた。しかし大社線は90年春に廃止され、「だいせん」もまもなくこのホームに姿を現さなくなる。それでもこの「大社」の文字は、しばらくは時代の語り部としてここに残るのだろう。

出雲市まであと少し さらば「だいせん」 

 木次線 中国ローカルの現実

  ここ宍道からは、中国山地へ分け入る木次線に乗り換えることになる。30分ほどあるので、改札で急行料金の払い戻し(1,260円)を受けた後、宍道湖を眺めに行く。古びた町並みを歩き、車通りの多い国道9号を渡ると、東西に伸びる湖が姿を現した。91年の旅行時以来の宍道湖だが、普段は穏やかであろうその湖面が、まるで冬の日本海のように黒く濁り、吹き返しの風に煽られて激しく揺れ動いていた。私の髪もバサバサになった。

宍道湖岸に打ち寄せる荒波 

  宍道駅に戻ると、次に乗る木次線の列車は既にホームに入っていた。キハ120とよばれる、簡素なつくりの気動車が1両。車内には端から端までロングシートが続き、実にそっけない。車番を見ると、これがその1号機。この木次線こそ、JR西日本が地方路線に積極的に導入を進めてきた合理化車両の発祥の地なのだ。

  宍道 10:39[35] → 木次 11:10[09] [普通 547D/気・キハ120]

  宍道と、芸備線の備後落合を結ぶ木次線。かつてはれっきとした陰陽連絡線のひとつで、広島ゆきの急行も通っていた。しかしその役目を終えた今となっては、もはや中国地方の一ローカル路線にすぎない。

  とりあえずこの列車は、途中木次までの運転である。乗客は私を含めて6人だが、なぜか全員が進行方向右側の席に座っている。偶然ではあろうが、何か不自然な光景だ。宍道を出発すると、すぐに左へカーブして山陰本線と別れ、ところどころ草の生えた線路を軽快に進んでゆく。沿線の田んぼはすでに稲刈りが済んで、わらが干してある。もちろん湿ってしまっているが、吹き飛んだりひっくり返ったりといった、目に見える被害はなかったようだ。若干のアップダウンを繰り返して30分ほど走り、終点木次に到着した。

  木次駅には木次鉄道部が併設されている。駅前には大型スーパーが立ち、駅としても街としても要所となっているようだ。駅を出て、近くを流れる斐伊川の川岸に立つ。増水してはいるが、台風の影響はかなり落ち着いてきた。だが、薄日が差したかと思えば小雨もぱらつき、まだ天気は不安定だ。

木次大橋から斐伊川を望む 

  木次では1時間ほどを過ごし、次の備後落合行きに乗り込む。偶然にも、今度はキハ120の2号機だ。木次線の旅は、ここからが本番となる。

  木次 12:07 → 備後落合 14:02 [普通 549D/気・キハ120]

  木次を出た備後落合行き列車は2両。ただし後ろの車両は回送としてくっついているだけで、客が乗れるのは先頭車両のみ。地形の変化が激しくなり、中国山地に近づいてきた感だ。勾配にさしかかり、さすがの軽快気動車もスピードを抑えられる。線路際には狭い田んぼが連なる。

  亀嵩(かめだけ)は、駅舎を手打ちそば屋としており、車内から覗くと、お昼時とあって客の入りはよさそう。もっとも、お客のほとんどは列車ではなく、車で来ているのだろう。残念ながら、列車で来るには本数が少なすぎる。そばを食べるがためだけに降りてしまうと、何時間も待ちぼうけを食う羽目になる。

  次の出雲横田では8分の停車。後ろの回送車が切り離される。駅舎は神社か何かを模した建物で、入り口には図太いしめ縄が飾られている。これから入って行く場所の「秘境」ぶりを暗示するかのようだ。

  小休止を終え、1両となった列車はさらに深い谷へと入り込んでゆく。山々に近づくにつれ、空は再びどんよりとしてきた。そして、その谷もどんづまりになったところで、出雲坂根駅に到着する。もはやこの先、まっすぐには進めない。実際、線路はこの駅の先で行き止まりになっている。では列車はこれから、どうやって備後落合を目指すのか? ここから一旦後退して、スイッチバックで峠に挑むのである。

  坂根のホームには、先客がいた。備後落合から木次を目指す、トロッコ列車「奥出雲おろち号」である。実は今回の旅行では当初、下り(木次→備後落合)の「おろち号」に乗る計画にしていたのだが、指定席が取れず断念した経緯があった。もっとも、指定券が取れていたとしても、今回は「だいせん」が大幅に遅れたので、どのみち乗車できなかったのだが、今この列車を目の前にすると、複雑な気持ちになる。

「おろち号」とキハ120 

  5分の停車の間に改札を出ると、「おろち号」の客を当て込んでであろう、地元の人たちが弁当などを売っていた。先の亀嵩を思い出し、ざるそばを購入した。

  出雲横田より南の区間は、1日4往復しか列車が走らない。そのローカルぶりを観光資源として逆利用しようというのが「おろち号」の狙いだが、その最大の見所となるのが、今から挑む坂根のスイッチバック。「おろち号」での体験はかなわなかったが、せめてキハ120でこの峠越えを味わっておこうと思う。ロングシートというのがすこぶる不満なのだが・・・。

 スイッチバック(5)出雲坂根

  13時04分、列車は先ほどまでとは逆方向に発進する。まもなく、やってきた線路と分岐して、急勾配を登りだす。宍道方面への線路が下方に離れ、列車はうっそうとした山の中へ入ってゆく。まもなく雪覆いのシェルターをくぐって停車。運転士が車内の通路を、反対側の運転席へと移動する。しばらくすると、再び向きを変え、つまり坂根まで進んできたと同じ方向に走り出す。はるか下のほうに、ついさっきまでいた坂根の駅がちらりと見えた。

  線路は地形に逆らわず、山の斜面を伝うように引かれており、両脇には木々が迫る。まさに登山道のような道を、列車はゆっくりゆっくり、トンネルに入ったり出たりしながら登ってゆく。まさに近寄り難い地に分け入る雰囲気。だがまもなく、車窓右手に、その秘境ムードを打ち破る光景が現れる。

一気に谷をまたぐ「おろちループ」 

  併走する国道314号線。木次線がぐるりと遠回りしながら登る峠を、二重のループで登りきり、極めつけに赤い巨大な橋で一気に谷をまたいでしまう。「おろちループ」と名づけられたこの道路、それを見渡せるところまで登ってきたところで、列車はご丁寧にもさらにスピードを落とし、日本でも最大規模というこのループ橋をじっくりと見せてくれた。旅先で、鉄道と道路の待遇格差を見せ付けられる場面は数多いが、これほど露骨なのは記憶にない。

  ようやく坂を登りつめたところが、三井野原。標高726メートルは、JR西日本の管内では最高地点だという。冬場はスキー場になるらしく、駅前に民宿が並ぶが、ここに来る人たちが何に乗ってやってくるかは、想像に難くない。広島県に入り、あとはひたすら下り道となる。やがて芸備線に合流して、備後落合に到着。

 なにもない接続駅

  備後落合。「芸備線」と「木次線」の2つの線の接続駅であることを除けば、何の変哲もない山間の小駅。だが、ホームが比較的長かったり、詰め所の跡があったりするあたり、昔はそれなりの拠点駅であったと察せられる。

  芸備線のホームでは、広島行きの急行「ちどり」が出発を待っていた。かつては木次線を経由して広島と山陰を結ぶ急行だった「ちどり」だが、今や備後落合で中途半端に打ち切られ、しかも自由席だけの2両編成で、急行の貫禄も何もない。が、私が乗ってきた木次線列車から数名が「ちどり」に乗り換え、その逆方向にも数名が乗り換えてきた。一応は、かつての「ちどり」ルートで使用している人もいるようだ。

  ここから私は、芸備線を広島とは反対の方面へ進み、伯備線の新見へ抜ける予定にしている。だがこちらの方面への接続はスンナリとはゆかず、1時間20分の待ち時間がある。しかも駅前には本当に何もない。

  ならばむしろ、その「何もない」雰囲気を楽しもうではないか。出雲坂根で購入したざるそばを手に、無人の駅を出て、駅前の国道183号に沿って西へと歩く。車通りは少ない。落合駅を出た急行「ちどり」の足音が山の間にしばし響き、そして再び静寂が戻った。

まさに山村 

備後落合駅を出てきた急行「ちどり」 

  台風の喧騒も今や完全に過ぎ去り、晴れ間がのぞいて穏やかそのものだ。山間ゆえの肌寒さも、歩きだすと心地よい。まもなく、国道314号線が分かれる三叉路に行き着いた。先ほどの「おろちループ」へ続く国道だが、やはり車の通りは少ない。近くを流れる川のほとりに腰を下ろし、その流れの音を聞きながら、遅い昼食をとる。北側にはかなり高い山がいくつも連なっているが、持参の地図で確認すると、比婆山、烏帽子山、三国山といった千メートル級の山々だ。

  こういう風景を独り占めにして、自然の中で食事をするとは、なかなか得がたい悦楽だと思う。これが、クルマで乗りつけてではなく、列車と歩きで来たことに意義がある。クルマだとどこでも入ってゆける分、ありがたみも薄いけれど、列車にはダイヤの制約があり、ここで降りてこの風景に巡りあえたのは、一種の偶然の妙といえる。1日何本も走らないでいて、円滑に接続できないとは何事かとも思ったが、それは街中の一分一秒を争う生活に毒された者の思考であって、山村には山村なりの時間の流れ方があるのだ。

  落合駅に戻ると、ホームには新見行きの列車が1両だけ、出発を待っていた。木次線で乗ってきたのと同じキハ120だが、今度はクロスシートがついている。自分を含めて3人だけの客を乗せて、列車は発車した。

芸備線の列車。山の頂にはまだ厚い雲がかかる 

  備後落合 15:22 → 新見 16:32 [普通 446D/気・キハ120]

  なだらかに続く中国山地の尾根を見ながら、勾配を上り、次の道後山からは下りに転じる。木次線で見てきたのと同様、沿線の幅の狭い谷間に、わずかの田んぼや川の清流が見え隠れする。

芸備線沿線の農村風景 

  途中居眠りをしながら、単調な農村風景の中を通り過ぎ、伯備線に合流して16時32分に新見に到着。すぐに岡山行きの電車に乗り換える。

  新見 16:34 → 備中高梁 17:11 [普通 958M/電・105系]

  「電車」に乗るのは、実に尼崎以来のこと。これまで進んできた木次線や芸備線が、陰陽連絡線としてはとうに打ち捨てられた路線なのに対し、伯備線は電化されて特急「やくも」が1時間おきに行き交う、バリバリのバイパス線である。それだけに鈍行も、モーターをうならせながらめいっぱい飛ばし、ディーゼルの緩慢な走りに慣らされた身には恐ろしいほどだ。

  備中高梁(たかはし)で途中下車し、高梁川沿いに出て、西の山の上に輝く夕日を眺める。急行「だいせん」の車内で台風の嵐をやり過ごし、宍道湖のほとりで激しい風に吹かれたのが、もうずいぶんと前のことに思える。その夕日も倉敷まで来ると沈んでしまい、岡山に着く頃にはすっかり暗くなった。

  備中高梁 17:40 → 岡山 18:27 [普通 992M/電・115系]

  あとは山陽線を東進して家路を急ぐのみとなった。このまま鈍行で姫路へ向かってもよいのだが、ここはあえて1区間、相生(あいおい)まで新幹線を利用しよう。

  こだま650号は0系車両の6両編成。私にとってこの0系は、九州への帰省の際の新幹線として思い出深い存在だ。しかし、新型車両に押されて影が薄くなり、この99年9月18日をもって東海道新幹線(東京〜新大阪)から完全撤退することになった。山陽新幹線(新大阪〜博多)にはまだ当面残るとはいえ、次いつ乗るチャンスが訪れるかも分からないので、この機会に少しなりと乗っておこうと思ったのだ。

  岡山 19:02 → 相生 19:22 [新幹線「こだま650号」 650A/新・0系]

  岡山を出たこだま号はスルスルと加速し、街のあかりが後方へ飛び去ってゆく。車内はリフレッシュされており、一見「老い」は目に付かないが、トンネルの出入りのたびに、ミシッ、ミシッと車体がきしむ。そうこうするうちに、早くも相生へ。鈍行なら1時間以上かかる区間だが、こだま号は20分で走りとおした。

0系こだま、相生に着 

  相生 19:29 → 姫路 19:48 [普通 824K/電・221系]
  姫路 19:58 → 加古川 20:08 [新快速 3254M/電・221系]
  加古川 20:31 → 粟生 20:57 [普通 757D/気・キハ40]

  あとは在来線の乗り継ぎで家路へ。波乱の前半と、いたって順調かつ穏やかだった後半とが好対照をなした行程だった。

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