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2008年2月18日 三木鉄道三木→厄神→粟生→北条町→粟生→神戸電鉄三木 |
わが地元の三木鉄道が、2008年3月末をもって廃止されることになった。その決定以降、沿線に撮影に出かけることが多くなったが、「乗る」ということになると、実に1996年5月以来遠ざかってしまっていた。
三木鉄道の三木駅は、神戸電鉄の駅から離れている。たかだか6.6kmの路線のために、15分ほど歩いて乗り継ぐのはいかにも不便で、しかも加古川に出るには、さらに厄神でJR加古川線に乗り換えなければならない。列車が直通しない上に運賃も別計算で割高になる。ただでさえ赤字がかさんで国鉄に見放された三木線が、第三セクター転換によってますます利用者を遠ざける結果になったわけで、駅の増設や本数増発といった利用促進策も、そもそも需要の上乗せが期待できない状況では、無力であったと言わざるを得ない。
そんなわけで、あえて目的を作って乗りに行くのでない限り、三木市民の私でさえ利用する機会のない存在だったが、いざ廃止間近となると、やはり乗っておかねばという心情が働くもの。近くにいながら散々ほったらかしておいて、危篤と聞けば慌てて見舞いに行くようなもので、申し訳なさや気恥ずかしさも覚えるのだが、ひとたび廃止されてしまえば、どんなに悔いても二度と乗ることは出来ない。
三木鉄道とともに気になるのが、やはり加古川線の元支線で、同時に第三セクター化された北条鉄道だ。いわば三木鉄道の兄弟分で、導入した車両などかなりの点で共通している。私はこの北条鉄道はまだ一度も利用していない。理由は一緒で、これまで特に使う機会がなかったからだ。普段あえて加西に行く用事はないし、行くなら自家用車で事足りる。まさに、灯台下暗しといったところか。
北条鉄道には今のところ、差し迫った存廃議論は起きていないが、三木鉄道が1年ほどの間に一気に廃止決定へと動いたことを思えば、油断はならない。というわけで、三木鉄道廃止を四十数日後に控えた2月の中旬、昼からの時間を使ってこの2つの鉄道に乗りに行くことにした。
石野駅付近で走る列車をビデオに収めた後、三木鉄道の三木駅に向かう。
12時37分発の厄神行きは、なぜか満席だった。どうも、沿線住民を対象にしたイベントがあったらしい。この1両のディーゼルが客で埋まるというのは、初めてお目にかかる光景だが、廃止が近づけばこんな日が続くのだろう。
車両には、「ミキ300-104」という番号が付されている。 1999年に導入された車両で、現在三木鉄道に在籍する3両のうちの次男坊にあたる。1985年の開業当初は、より車体の小さいミキ180レールバスの2両体制で、先回96年に乗車したときはまだその車両だった。構造上寿命が短く、比較的早い時期に置き換えの問題に直面したのは仕方ないが、利用が振るわない中で3両も新車を入れた(三木鉄道より路線の長い北条鉄道でも、置き換えたのは2両である)のは、ちょっと身の丈に合わなかったのではないかと思える。その時点ではまさか、10年もしないうちにこんなことになるとは思えなかっただろうけれど。
三木鉄道は常時ワンマン運転だが、社員らしき人が前方に乗り込み、「本日はお疲れさまでした」と車内のマイクで放送している。三木を出た列車はすぐに高木、別所と停まり、「まもなく○○です、お降りの方は前のほうにお越し下さい」と、肉声のアナウンス。大勢の乗客の一部が降りて行く。
そこから列車は田んぼの中の直線区間にさしかかる。レールバスのときには、まるでトロッコ列車のようなゴツゴツした振動を伝えていたが、今の車両はなめらかに加速し、性能を持て余し気味に進んで行く。
さきほどビデオを撮った石野、そして三木市内最後の駅となる下石野で、残っていた地元客は皆降りてしまった。あとには私と同様、「乗りに来た」風の乗客が数名残るだけとなり、社員さんのアナウンスもなくなった。それ以外の層、つまり「足」として利用する人々がほとんどいないところが、三木鉄道の「日常」だったのだろう。三木を出てから厄神に着くまでに、乗り込んできた客といえば、下石野での二人だけだった。
三木から13分で厄神に到着し、三木鉄道の旅は終わる。加古川線の加古川行きは、ホームを隔てた向かいから発車する。廃止後、代替バスが運転されることになっているが、駅から少し離れたロータリーから発着することになるだろう。乗り換えのために歩く距離が格段に長くなり、ますます客足が遠のくのではないかと懸念される。
厄神でJR加古川線に乗り換え、北条鉄道に接続する粟生を目指す。こちらも1両のワンマン列車だが、少し三木鉄道にも分けてやれないかと思うほど、通路まで立ち客で一杯になっている。
北条鉄道で現在主力を担うのは、ミキ300と同タイプのフラワ2000である。開業以来のフラワ1985レールバスも1両だけ残っているが、通常は土曜日の日中だけ運転に就いている。歳を取ってフルに働くのはきついが、体がなまらないように週一度だけ出てくるといったところか。今日は月曜日だから、当然フラワ2000だろうと思っていた。ところが、粟生駅の北条鉄道ホームで待ち受けていたのはなぜか、フラワ1985のほうだった。
国鉄末期、多くの不採算路線が第三セクター化された中で、導入されたのがレールバスとよばれる簡素な車両だった。通常、列車の台車には前後2軸ずつの車輪があるが、三木鉄道のミキ180やこのフラワ1985は、前後に1軸ずつの計2軸。車体は小ぶりで、バス用のエンジンが流用された、文字通りレールの上のバスだった。
その後、4軸の軽快気動車が主流となり、ミキ300やフラワ2000もそのタイプとなっている。3両でスタートしたフラワ1985のうち、1両は廃車、1両は和歌山の紀州鉄道に移り、これから乗るフラワ1985-1だけが北条鉄道に現役として残っている。今や全国見回しても、北条鉄道と紀州鉄道の計2両しか、2軸レールバスは残っていないという。
車内に乗り込むと、その狭さが実感できる。窓側に背を向けるようにロングシートが配されているが、両側から大人が足を伸ばすと当たってしまいそうな幅だ。車内はざっと席が埋まった状態で、前後の移動がしにくいような圧迫感がある。天井も低い。
粟生を出た列車は、大きくカーブして加古川線から分かれ、田んぼの中を大きくU字に曲がって行く。レールの継ぎ目でダン、ダンと衝撃が来るうえ、前後左右に揺さぶられるような振動が続く。エンジンの音も、そう思って聞くとバスのそれに似ている気がする。
車内に目を移すと、やはり二十数年の年期を経て、全体的に古びている。いまどき路線バスでもお目にかかれない、幕式の運賃表示器が目に留まる。しかし考えてみると、自動車の場合、同じ車両を20年以上使うなどということはまずありえないわけで、これだけ振動をよく拾う車体がここまで現役で来られたというのは、むしろすごいことなのだろう。
加西市に入って、網引(あびき)、田原には駅舎がなく、バスの待合室のようなひさしがあるのみ。3つ目の停車駅・法華口(ほっけぐち)には、古びた駅舎が残っているが、2004年の台風で屋根が破損し、いまだに直っていない。白いビニールシートをくくりつけられた姿が痛々しい。現在、北条鉄道は、終点の北条町を除いてポイントの一切ない一本線となっているが、この法華口駅にはかつて交換設備があった跡がある。その向かいのホーム跡には桜の木や花壇が設けられ、有志による手入れがなされているようだ。二駅先の長(おさ)も、法華口よりは小規模だが、似たような雰囲気になっている。
客の乗降はほとんどないまま、小山に囲まれた単調な風景の中を列車は進み、粟生から22分で北条町に到着する。北条鉄道の終点にして本社・車両基地を併設する、唯一の有人駅だが、ひさしだけか、古めかしい無人駅かしかなかったこの路線の中にあって、ここだけは妙に近代的な建物だ。ホームは一面だけで、列車はこのまま折り返すが、隣の留置線には、紫色のフラワ2000が「試運転」の表示を出して停まっていた。この車両のトラブルか検査かで、今日はフラワ1985が代走しているのかもしれない。
駅を出ると道路を隔てて真正面に、「アスティアかさい」という商業施設がある。また駅前にはバスターミナルが設けられ、大阪行きの高速バスや、姫路行きの路線バスなどが発着している。これら加西市街地の再開発の一環として駅も建て替えられたわけだが、完全にクルマありきの街作りをしている三木と比べると、駅が市街の中心に据えられているぶん、まだ北条鉄道のほうが望みがありそうに思える。
10分の休息を挟み、レールバスは折り返し粟生行きとなって北条町を出る。さきほどより乗客は少ない。播磨横田からしばらく進むと列車はカーブにさしかかる。ここだけ継ぎ目の間隔が狭いレールで、列車は激しく振動する。出入り口の上に飾ってある、花ととんぼの写真が目に留まる。だれかが寄贈したものかもしれないが、色はあせ、額の中でずり落ちている。ちょっと気の毒になる。
北条鉄道は、ボランティア駅長(ステーションマスター)を募り、ささやかなイベントを行うなど、草の根的な運営を目指していることが見て取れる。財政の苦しさは法華口駅の現状を見れば明らかだし、こうした努力が利用者増加や経営改善に直結するほど現実は甘くないのだろうけれど、その積み重ねが地域の鉄道を盛り立て、守るものだと信じたい。そしてそれがゆくゆく、消えゆく三木鉄道との明暗を分ける要素となるのかもしれない。
列車はゆさゆさと揺れながら、マイペースに粟生を目指す。粟生駅では日中毎時5分から10分頃、4方面からの列車が集結し、そしてそれぞれ散って行く。跨線橋を渡り、乗りこんだ神戸電鉄の新開地行きは、その中で最後に駅を後にする。
加古川を渡り、そこから登ったり下ったりを繰り返して、神鉄の三木駅に着く。約2時間のミニトリップは、終わりを告げた。